31普通の小さなお姫様
「あら? わたくしのことをお嬢様呼ばわりしたにも関わらず護衛をしてはくださらないの?」
俺が先ほど部長のことをお嬢様だと呼んだことを揚げ足に取られ、部長を寮の近くまで送ることとなった。心春は留守番して衣装の片付けや洗い物をしてくれるみたいだ。
若干雲が出てきて陽は差していなくて仄暗い。それでも日傘は必須らしく、部長は俺に持たせて傘の下の陰を歩いていた。それはつまり俺が傘の柄を握るすぐ隣に部長がいるということで、たまに部長の腕が俺の傘を握る手にぶつかる。
「わたくしは一颯が思っているほどお嬢様ではないわ。演劇部の部長で口調がお嬢様のようなものだから周りがそう呼ぶだけで、わたくし自身は偽物でしてよ。似非お嬢様がお似合いかしら?」
途中まで静かだった部長が突然に吐露したことはまさかの卑下だった。
「演劇でもそうだけど、変えようと思えば口調はいくらでも変えられるのよ」
「へえー、面白そうなのでちょっと口調を変えて喋ってみてくださいよ」
「いいわよ、……ねえ、一颯、夏休みにでも海に遊びに行かないか? わたしの水着が見られるんだから眼福でしょ?」
「おおー、内容はともかく違和感のない素晴らしい出来ですね。クラスの友達に似た感じの奴がいますよ」
少しばかり男勝りになった聖羅みたいで聞いていて面白かった。ついでに他の口調にしたらどんな感じになるのかとアンコールを送ったところ、少しばかり悩んだ部長が口の端を裂けそうなほどにニイと吊り上げ、俺はぞくりとして嫌な予感に鳥肌が立った。
やっぱいいです、と断ろうとしたときには既に遅し。部長の艶やかなピンク色の小さな口は開かれた。
「一颯お兄ちゃん、花恋と結婚してくれるの? ありがとう……嬉しいな!」
「――ブッ!」
アウト! アウトです部長! いろんな意味でアウトなんだけど、まず部長を見て俺より年上だと思う人はいないから、なんなら小学生に見えているから。それと頬を赤らめて可愛くはにかまないで……。可愛すぎて鼻血が出そう。
「どうかな? 一颯お兄ちゃん、花恋、上手くできたかな?」
「ストップ! ストップです部長! 周囲の目が痛いですし、変な誤解を与えています!」
「……あら、残念、一颯はロリコンではなかったのね。やはり心春のような胸の大きな女の子が好みかしら?」
「あ、いえ、俺は胸の大きさなんて関係なく心春が好きなんです」
押し売りのセールスを断るように手のひらを見せてきっぱり宣言すると、部長は酷く残念がっていた。俺にはそれが演技には到底思えなくて、今のどこに部長が残念がる理由があるのか模索していると、部長の方から答えを教えてくれた。
「一颯……、わたくしは、ですね……、あなたのことをお慕い申しているわ」
「……へ?」
部長が急にしおらしく俺のことを見上げてきたから戸惑った。お慕いって何だっけ? 恋しいとか、尊敬の意味もあるんだっけ? じゃあ、部長は俺のことを尊敬してくれている?
「好きなのです。あなたのことがどうしようもなく」
前者だった。それもド直球のストレートだ。
どうして俺は大通りの人が行きかう道のど真ん中で、俺の尊敬する部長から告白されているのだろう。
家での心春以上に顔を真っ赤にした部長は俺から傘を奪って顔を隠した。ということはやっぱり演技ではない?
「どうして俺のことを――」
「負け戦なのよ」
ばさっと傘を閉じて顔を見せた部長は少し目の端に涙を浮かべていて、それでいて怒りを露わにして冷たく呟いた。
「わたくしの家はお金持ちではないわ」
「…………」
はにかんだ笑顔から一転、全てを諦めたような落胆した表情を見せる部長に、言葉を失った俺は何もできず冷たい言葉に押される。
「都会のお嬢様学校に通っているわけでもなければ、許嫁もいない、父の立場ならばわたくしに政略結婚を持ちかけられることもありえないわ。だから……自由なのよ、わたくし」
「……自由?」
やっと出た声はたった一言のおうむ返し、それでも部長は俺の聞きたいことをこの一言で察してくれた。
改めて傘をさした部長は俺にだけ顔が見えるよう斜めに柄を持つ。
「自由に恋愛が出来るのよ。背が低くて胸もない。周りからお嬢様と持て囃されていたとしても、わたくしは自由に恋愛が出来るのよ。そして、こんなわたくしが好きになったのは、……一颯、あなたなの」
「……どうして俺なんですか?」
疑問は原点に回帰する。幸い周囲が俺たちのことを気にしている様子はない。少しずつ大通りの端に寄りつつ俺は部長の言葉を聞くために意識を集中させた。
「誰かの為に頑張れて、誰もやりたがらない仕事を率先して手伝ってくれたわ。明るく元気でわたくしのことだって尊敬の眼差しで見てくれる、こんな小さいお子様を下に見ないで、ちゃんと“先輩”として、“部長”として最初から傍にいてくれた人なんて、あなたしかいなかったわ」
「俺は部長の演技に魅入られてあのときに手伝いを立候補したんです。あれだけ素晴らしい演技を見せられて、背が低いからと嘲笑するなんてできるはずがありません。それは俺だけじゃありません。前に都会のお嬢様学校の生徒に話しかけられて、部長のことを聞かれました。その学校の誰もが部長のことを慕っているそうです。文化祭の舞台も楽しみにしているって、やっぱり部長ってすごい人なんだって尊敬し直しました」
俺の思っていることを素直に伝える。だけど、俺が本当に言いたいことはこんなことじゃないと気持ちがざわめいていた。なんだか薄っぺらい気がして、……結局、俺はなんで部長の傍にいさせてもらっているのか、どうして部長に手伝いを求めることにしたのか。それは俺に利益以外に何かしらの理由はあったはずだ。でも、その答えを知る術を今の俺は持ち合わせていない。
「お、れは……、いえ、俺と心春は部長の人望に憧れたんです」
「人望? 中学のときのわたくしは周りに可愛がられているだけのお人形でしたの、少し演技が上手いだけの名ばかり部長でしてよ」
脳で考えたことじゃ次の言葉が思いつかない。だから俺の感情に奥底から変化を与えてくれたあの瞬間に任せて口を滑らす。
「部長は気付いてなかったんですか? 俺たちが手伝ったあの学年末の舞台で欠員が大量に出たあの時です。誰もが部長を信頼していました。部員の方たちに聞いたんです。『どうして先輩だけに任せるんですか?』て、そしたら、『自分じゃ代役は務まらない、部長がつつがなく安心して舞台に立てるよう潤滑油のような存在に徹すると』、自分の力不足を嘆いていました」
「…………」
そんなことはないと苦しそうに目を瞑って首を小さく横に振る部長に、俺は止まることなく口を動かす。
「小動物のように誰よりも愛らしく、だけど舞台に立てば勇敢な王子にも悲劇の姫にもなってしまう部長に憧れていたのは俺だけじゃないんです。努力する姿は誰もが見ていたはずです。当時、演劇部でもなかった俺ですらそれを知っているくらいですから、あの舞台が公演中止にならなかったのは他でもない、部長の存在があったからなんです。部員の信頼を勝ち取った部長だから、舞台を誰も諦めなかったんですよ」
「……そう、それでたまに各自の高校で役をもらえたときの報告が来るのね、……子どもみたいに、師匠でもなんでもないのに。わたくし、意外と慕われていたのね」
傘を降ろした部長がそれを音を立てずに畳み、近くの壁に立てかけるとおもむろに抱き着いてきた。
俺は何も反応できず腰に腕を回され、呆気に取られてぽかんと口を開けていた。
「やっぱりあなたのことが好きよ、一颯」
「……ありがとうございます。でも、俺は心春のことが好きなんです」
憧れの部長に告白されて嬉しい気持ちと、それを断ってしまう申し訳ない気持ちを押し殺し、俺の腕が部長を抱きしめることはなかった。
「知っているわ、でも、付き合ってはいないのでしょう? おそらく、グランドルートを終えてから心春に気持ちを伝えようと考えている、……違うかしら?」
「……よくお分かりで」
抱き着かれたまま顔をこちらに向ける部長の顔は先ほどと打って変わって、何か悪戯を思いついた無邪気な子供のように笑みを浮かべていた。それでいて好きな人に甘えようとする彼女のような上目遣いで自身の可愛さをアピールしてくる。
「なので、わたくしは一颯、……あなたを寝取ることにしたわ」
「……へ? 寝取る!?」
「少なくとも今のルートを含めて五回は同じ時間を過ごせるのだもの、チャンスはたーっぷりあるわ」
たっぷりの部分をねっとりと発音して……、そんなことはどうでもいい。こうして抱き着いているのも愛玩動物が求愛行動をしてきているのではないかと考えさせられる。俺が思い切り引きはがすようなことはしないと知っていての犯行だ。
「それと、わたくしが一颯たちのことを手伝う条件を付けるわ」
「じ、条件ですか……」
「ええ、何も難しくはないわ。今後はわたくしのことは名前で呼びなさい。花恋でも花恋ちゃんでもいいわ。恋人のような呼び方が好ましいわ」
「あ、あの、……花恋先輩で許してもらえませんか?」
「ダメよ、……そうねぇ、ではさん付けで許してあげるわ。代わりに今回のルートだけでなく今後も、グランドルートが終了してもなお、わたくしのことを名前で呼びなさい」
こちらが少しでも下がれば部長がガンガン攻めてくる。ついには次のルート以降にも参加させろという意思をさらっと伝えてきた。これ以上は俺が応戦できる自信がないから、慣れないながらも部長の名前を呼んでみることで降参の意を示す。
「わ、分かりました、か、……花恋さん」
「あぁ、いいわね、年上の女性と付き合う男の子のようで初々しいわ。でも、たまには一颯からわたくしのことをあの手この手で攻めてくれていいのよ?」
「な、何も答えちゃいけない気がします」
「ふふ、今はそれでいいわ、初々しい一颯は今のわたくししか知ることのできない特別でしてよ」
何度もこんな状況に陥っていつかは俺が慣れること前提なのか。心春に変な誤解されないといいけど。……多分される。半泣きで頬を膨らませてポカポカ叩かれるのが容易に想像できる。
その前に、この幼女に抱き着かれている異様な光景が周囲に変な誤解を生んでいるようで、俺はさすがに……花恋さんを優しく引きはがして、手を引いて歩き出す。
「あら、誘拐かしら? それとも送りオオカミ?」
「どちらも違いますよ! このままじゃ周りの目が痛いのでさっさと寮まで送ります」
「こんなことがあってもちゃんと送ってくれるのね、やっぱりあなたは優しいわ」
「……これくらいしか取り柄がありませんから」
「それで心春が幸せなら、不満はないのでしょう? あと、ちゃんと心春には正面から奪うと宣戦布告するから、これからはわたくしのこともしっかり見ていただけるかしら?」
諦めて項垂れるように頷くと、清い恋人同士のように腕を丁寧に絡めてきて、花恋さんと三十分ほどのデートに付き合うこととなった。




