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機甲猟竜DF  作者: 結日時生
第六話「小さな世界の大きな理《ことわり》」
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第六話「小さな世界の大きな理」〈2〉

(私、変な事聞いちゃったかなぁ……)


 坂道を下っていく希人とちかげ。

 彼の悲しい記憶を不用意に引き出してしまった後悔からか、彼女は押し黙ったままだ。

 時刻は午後五時半を過ぎた頃。短くなっていく日の光が、長い影を作っていた。

 ちょうど坂の中腹付近に差し掛かったところだろうか。背の高いヒマワリが何本も並んだ花壇を持つ家の前で、水やりをする親子の姿が見える。

 四十代くらいに見える夫婦と小学校低学年くらいの娘。昼間よりも気温の下がった軒先で水を捲く彼らの姿は、とても涼しげであった。

「あぁ~!! なんか虫が付いているよぉ!」

「大変、アブラムシだわ! 殺虫剤あったかしら……」

 麦藁帽子を被った娘が声を上げる。どうやらヒマワリの茎にアブラムシが付いているらしい。

 娘の声を聞いた母は殺虫剤を取りに行こうとするが、彼女の肩を掴む大きな手が現れた。

「そんな物を使わなくても大丈夫だよ。ホラ、ここ♪」

「えっ、でも……あぁ、本当ね。ホラ、良く見てみて」

 父が指さす先を見て、母も安堵の表情を浮かべる。

 現われた騎士ナイトの存在を娘に伝えようと、母もまた、娘の視線をそこへ向ける様に促す。

 娘が目を凝らすと、二つの赤い斑を持った黒い円がヒマワリの茎を這っていた。

 黒い円はアブラムシの群れにぶつかると、一匹のアブラムシを捕らえ、飲み込んでいく。

「これはね、テントウムシって言うんだよ。正確にはナミテントウと言って……」

「もう、パパの昆虫好きにはちょっと困っちゃうわねぇ~。でも、このテントウムシがアブラムシをやっつけてくれるのは本当よ」

 延々とテントウムシの種類について解説する父を尻目に、母は端的にナミテントウがアブラムシを食す事を娘に説明する。

 作物や園芸植物から栄養を奪い、人間と利害の衝突する【害虫】であるアブラムシ。

 そのアブラムシを食し、人間と利害の一致する【益虫】であるテントウムシ。

 彼らと人間の関係を、小さな子供にも解りやすい様に言葉を選び、母は娘へ伝える。

「ふーん……じゃあ、テントウムシが世界中のアブラムシを食べてくれたら〝ばんじかいけつ〟だね!」

「いつの間にか難しい言葉を覚えたのね。お利口さん♪……でも、世界中から全部って言うのはどうかしらね?」

 『万事解決』と言う、小学校低学年がおおよそ覚えそうにない四字熟語を覚えた娘の頭を母は撫でる。しかしその前提条件に同意しかねた母は、娘を試すように質問を投げかけた。

「えっ? なんで?」

「それはね、テントウムシのご飯が無くなっちゃうからだよ」

「もう! パパってば、急に入ってこないでよ!! でも、言ってる事は正解よ」

「そうだぞ~! このテントウムシが今日ご飯を食べられたのも、僕らがアブラムシの食べるお花を育てたからかもね」

「ふ~ん……でも私、アブラムシはやっぱり嫌い!」

「……まぁ、それは仕方ないわよね」

 夏の夕焼け空。明るいオレンジ色の光の中、親子はテントウムシとヒマワリ、そしてアブラムシを見つめていた。


「そう言えば、翁さんも昔似た様な事があったんでしたっけ?」

「えっ? 何の話です?」

 二人の間にある沈黙を押し破ったのは希人だった。気まずさから押し黙ってしまったちかげの気持ちを察し、彼は横広の大きな口を開いて言葉をかける。

 パンプスで底上げされているが、五センチ程下にあるちかげの視線。少し恥ずかしながらも、彼女の瞳と自分の視線が重なり合う様に希人は覗き込んだ。黒い宝石にも似た美しい瞳。それは彼女の不安を和らげるやさしい声色と共に、夏の夕焼けを浴びて輝いていた。

「ホラ、前に言ってたじゃないですか。子供の頃、花壇がナメクジに荒らされて泣いていたら、ヒキガエルが助けに来てくれたって」

「あぁ~! そう言えば篭目さんにも話しましたね」

 話題探しに苦戦していた希人にとって、やたらと話し声の大きい植物好きの親子は助け舟となった。

 まだ幼かった彼女の前に野生のヒキガエルが現れ、彼女の涙を止めたこと。

 その経験があったから、希人にとって一番付き合いの長い『ぶふぉ太』を好きだと言ってくれたこと。

 話の引き出しが少ない彼にとって、以前彼女から聞かせてもらった昔話は貴重な手札になっていた。それを自然な流れで切り出せたのも、あの親子の会話があったからに他ならない。

「……でも、なんでそんな話覚えてくれてたんですか?」

「そりゃそうですよ! ヒキガエルの事を『好き』だとか『格好いい』って言ってくれる女の人、なかなか居ないですからね! 嬉しくて覚えちゃいました♪」

「そっか……そういう事か。でも、何だか嬉しいです」

「(……?)じゃあ、そろそろ行きましょうか。ここにずっと立ち止まってるのも変ですし」

 花壇へ水やりをする家族を尻目に、彼らは歩き出した。

 ちかげの言葉の中にあった〝でも〟が何に対するものなのか、希人はイマイチ理解できない。しっかりとした男性らしい腕を組み、首を傾げて考えるが答えは思いつかないようだ。

 だが、『嬉しい』と喜んでくれた彼女のはにかんだ笑顔が自分に向けられたものである事は、彼にも理解できた。

 夕陽に優しく照らされた彼女の白い肌と黒い髪。そのコントラストが作り出す清楚な笑顔は非常に愛らしいものだった。


* * * * *


 大衆向けのとあるファミリーレストラン。時刻は午後六時の少し手前と言ったところだろう。学校帰りに立ち寄ったと思われる制服姿の少年少女たちは、おもむろに席を立ち始めていた。恐らくこれから帰路に着くのだろう。

 まだ夕食を摂るには少し早い時間ではある。しかしながら修大たちの着いたテーブルには、もう既に中身がなくなったジョッキやサラダの盛りつけらた皿が乗せられていた。

「本当さ、あの時はびっくりしたんだ」

「えっ? あの時って何時の話ですか?」

「パンゲアに入って邪竜と戦うって言い出した時だよ! こんなビビりのちっちゃい男の子が大丈夫なのかなって思ったわよ」

「そんな、ちっちゃい男の子って……」

 ケラケラと意地悪そうに笑いつつ修大をからかう美紗。生ビールを一杯飲み干していた彼女は酔いが回っているのだろう。頬は微かに紅潮している。

 そんな彼女の言葉を、修大は眉間に皺をよせながら受け止める。情けなく八の字に垂れ下がった眉毛が、美紗との主従関係を物語っていた。

 女性にしては長身で、尚且つ職場の先輩だった相手である。姉弟の様な関係性が既に確立されており、彼女にウィークポイントを突かれても、修大の方から反論する事は少し難しかった。


「んぅ~……で、どうなのよ? 新しい職場の方は」

「そっすねぇ……まぁ人間関係は今のところいい感じです。ただ、今ちょっと人事的な問題で色々と環境が変わるかもしれない……みたいな状況ですね。ハハハ……」

「へぇ~……そうなんだ」

 少し話疲れたのか、美紗はテーブルの上に作った腕枕に顔を伏せていた。少し酒が抜けてきたのか、鮮明になった美紗の視線。それは、乾いた笑いを浮かべる修大の本心を見透かさんとばかりに、細められた彼の目に突き刺さっていた。

 明るく社交的な性格で、人前に不安をさらけ出す姿など殆んどなかった修大。そんな彼が、見て直ぐに見破れる様な愛想笑いを浮かべている状況に、美紗は違和感と不安を抱かずには居られなかった。

 修大が警戒しない様に、明るくはつらつとした声で美紗は語りかける。威圧感を与えない様に、それで自分をしっかり見つめていると解らせるため、彼女の視線は修大の鼻の辺りに落とし込まれていく。

 なだらかな丘の様に高すぎず、しかし骨がまっすぐに通った修大の鼻梁へ美沙の視線は注がれていた。


「あっ、そうだ! ねぇねぇ、前にメールで言ってた〝アイツ〟はどうなったの?」

「んっ? アイツって誰っすか?」

「ホラ、前言ってたじゃん! 『クールぶってんのか知らないけど、いっつも空かしてるいけ好かない奴が同期に居る(怒)』って」

「あぁ……そんな事も言いましたね……」


 ――クールと言うか、シャイ? ……いや、意外と話す様になると面白い奴ではあるんだよな。ん〜……あいつを一言で纏めるのは難しいなぁ……。

 遠く離れた東京都の北部で、その〝いけ好かない奴〟は爆音を立てていた。傍らに立つ彼の知人女性からは、「濡れた帽子なんか被ろうとするから……」と半ば呆れられている。大きなくしゃみをした彼に、彼女はポケットティッシュを差し出していた。


「どうした? 急に難しい顔して」

「あっ、いえ、なんでもないっす! ソイツの事なんですけど、実はそこまで悪い奴じゃなかったんですわ」

「ふ〜ん……」

「寧ろいい奴って言うか……欠かせない相棒みたいな? 実際ソイツが居たお陰で色々助かりましたし」

「へぇ〜、良かったじゃん」

「ハイ、本当助かりました。……それなのに俺、ちょっとソイツに嫌な役回りを押しつけちゃって……勿論わざとじゃないんですけどね! ただ、俺が勝手に先走ったせいでソイツが今まで頑張ってきたもの……と言うか、二人で一緒に頑張ってきたものですね。それを台無しにしちゃったと言うか、なんと言うか……」

 DFのブリーダーである事に守秘義務はない。

 勿論、パンゲアに所属し、人造恐竜の育成にあたる者として、組織外に漏らしてはいけない機密事項というものはある。

 しかし、『自分の職業がDFのブリーダーである』という事実は、その機密事項には含まれない。……にも関わらず、修大は自分の受け持っている仕事内容を明かそうとしない。寧ろ、そうできないと言った方が適切だろう。


 ――自分の身勝手な行動がサラと希人を惑わせ、苦しめた。そして問題は今も解決されていない。

 その事実だけで彼の良心は痛み、ブリーダーとしての誇りは失われていく。

 修大の笑顔は徐々に曇り始めていた。美紗に情けない顔は見せまいと、なんとか踏ん張ろうとするが、どうにも力が入らない。少しずつ顔は下がり、視線はテーブル上の手拭いに落とされていった。鼻梁に向けられていた彼女の目には、丸みを帯びた綺麗な形の額が映っている。

 うな垂れる彼に、美紗は語りかける。伏せていた上体を起こし、真正面に修大を見据えて口を開く。コンタクトレンズ越しの柔らかい視線と、ささやく様な声が修大へ向けられた。

「ねぇ、木野くん」

「ハイ」

「木野くんはさ、どうしたい? 私、詳しい事情はわからないけど、もう無理だと思ったら逃げたり、他の人に助けを求めたっていいと思うんだ」

「えっ……」

 修大は意外だった。そんな言葉をかけられるとは思っていなかったのである。

 関係性としては姉の様な存在の美紗。今の自分の情けない姿を見たら、叱咤されるとさえ思っていたからだ。

「だってさ、いくら必要な事だって解っていても、誰もがそうできるわけではないじゃない」

「それはそうですけど……」

「例えばそうだな……うまい表現ではないかもしれないけど、仮に泳いで行けないほど遠い海の沖で、溺れている人がいるとするじゃない?」

「あぁ、ハイ」

「その状況を見たらね、誰だって助けなくちゃいけないと感じると思うんだ。もちろん、私や木野くんもね。……でもさ、自動車やバイクの運転しかできない私達が、その溺れている人を助けに行けるかな?」

「…………」

 美紗の問いかけに修大は黙り込む。真っ直ぐと自分を見据える目。質問を投げかけた彼女の顔は、酒に酔っている様には見えない。

 その問いかけは遠まわしではあるものの、修大自身の本質に迫るものだった。


 ――この質問の溺れている人とは、一体誰を指すのだろうか?

 自分が勝手な行いをしたせいで、情緒が不安定になっているレモン。

 そのレモンを救う為に自らの育てた恐竜を苦しめる選択をし、今も苦しんでいるかもしれない希人。

 希人が選んだ選択肢によって、レモン以上に不安定な状態となったサラ。

 更には貴重な戦力を二頭同時に失ったパンゲア。もしかしたらその戦力を失ったせいで、これから守れない命が出てくるかもしれない。

 きっと考え出したらもっと多くの人や物、数え切れないだけの存在が質問の中で出てきた〝溺れている人〟になるのだろう。

「それは、そうですけど……でも、」

「でも?」

「それでも俺は……俺は、溺れている人を助けに行きたいです。仮に遠くたって、何もしないでいる事なんて出来ない。モーターボートやヘリコプターが操縦できないなら、手漕ぎボートで行ったっていい。だから……逃げたくは、ないです」

 震える声で修大は答える。喉の奥につっかえた重たいものを、精一杯押し出すように声帯を震わせ、小さな喉仏を動かして。

 〝逃げても構わない〟と言う選択肢を与えられた。それは、諦める機会を与えられたのと同時に、『自分は諦めて逃げたいのか』と言う問いかけを、自らに向ける事になる。


 結果、彼自身が出した答えは逃げない事だった。

 それは彼の独善なのかもしれない。しかも彼は自らの善意や正義感で先走り、周囲を巻き込んでしまった前科がある。

 だが、独善の中にも善意はある。

 彼は正しくありたいのだ。もう既に、溺れている黄色い恐竜を助けに行き、自らも溺れかけてしまった人間を知っていた。

 その彼が救ってくれた命。それに自分は意味を与えたいし、また自分自身にも守りたいものがあった。だからこそ選択肢を与えられたのだし、今投げかけられた問いかけの中で答えを見出せたのだ。

「……もちろん、いつまでも手漕ぎボートってわけにも行かないです。だから、モーターボートで助けに行ける自分になれる様、頑張ろうとは思います」


 ――自分が手を伸ばし、救う事が出来る命があるのなら守りたい。たった一つのかけがえのない命が目の前にあるのなら、駆け出していける自分でありたい。

 木野修大は既に決意していた。退路を用意された事が、結果として彼の背中を押す事へ繋がったのかもしれない。

 不安がないと言えば、嘘になるのだろう。寧ろ自分が選んだ選択肢の中にある恐怖に、押し潰されそうな部分だってある。

 しかし、もう迷いはなかった。修大は自分の正義を信じ、歩み出す事を選んだ。まだ少年らしさが残るまぶしい笑顔で、彼はビールのジョッキに手をかける。

「そっか、なら応援するよ! でも、昔のことに引きずられ過ぎないでね。お腹の中で溶かされちゃった私達の子は、いくら仇を討ったってもう帰ってはこないから……」

「わかってますよ、それは……。でも、同じ思いを他の誰かにさせたくないから、今頑張っているんです」

「そうだよね……よし! 木野くんの話聞いたんだから、今度は私の話を聞いてもらうわよ♪ すみませ〜ん! 生二つくださ〜い!」

「二つって俺の分も入ってんなかなぁ……。ってか美紗さん、ここボタン押して呼ぶんですけど、忘れちゃいました?」

 やはりこの人は酔っていたのかもしれないと、修大は半ば呆れながらサラダを口に運ぶ。

 今日と言う日は、木野修大にとって、自分の過去や本心と向き合う為の日となった様だ。


 ――数十分後。

「……でさ〜、そろそろ彼氏が欲しいなぁって思ってんのよぉ〜」

「あー、ハイハイ」

「木野くんの周りで、なんかいい人いない?」

「俺の周りですか? ん~、そうだなぁ……(希人は多分合わないだろうし……)。そうだ! 部署違うんであんまり話したことないんですど、背が高くて格好いい人いいますよ!」

「部署違うんじゃ、木野くん紹介できなくね?」

「そうですね……失礼しました……」

「も~!! 真剣に考えてよぉ!」

 徐々に酒が回り始めた美紗。結局その日修大は、深夜まで美紗に付き合わせられる羽目になるのだった。

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