第六話「小さな世界の大きな理」〈3〉
沈みかけた夕日に、弱々しく照らされている町並み。
日の光はかなり短くなっていたが、まだ歌い足りない連中もいた様である。
「もう日も殆んど沈んだのに、ずっと鳴いてますよね」
「あぁ、本当ですね」
ちかげがずっと鳴いていると言ったのは、今も鳴き止まないセミの声だ。ジージーと、油を揚げる様な声が耳に入る。
理屈で言えば土の中にいたセミの幼虫も、三ヶ月前、邪竜と共に蒸し焼きにされたと考えるのが妥当と言える。
しかし僅かではあるが、生き延びた個体も居たのだ。そして一匹一匹の声が大きいセミなら、僅かな数でも人の耳へ夏の音を届ける事は出来ていた。
恐らくこの坂を上る時にも、この声は響いていたはずだ。しかし、失ったものばかり探していた希人の耳には、聞こえていたのに届いていなかった。
――必死になり過ぎていたのは俺の方なのかもな……。
駅の外へ踏み出した時に違和感を抱き、坂道を上っている時にも、無くなったものばかり探していた。
坂の上から町並みを見下ろした時も、その美しさを何処かでバカにし、見下した。
必死だと、不自然であると、花々の持つ美しさにいちゃもんをつけ、自分が抱いた孤独や喪失感の中に引きずり込もうとしていた。
そんな数時間前の自分が、今はとても恥ずかしく感じられる。やかましいセミの声が、礼儀知らずなハトの糞が、きらめくトカゲの尻尾が、それを自覚させた。
どんな命も大きな流れの中で役目を持つのだ。それがどんな経緯で生まれたものであっても、人間の害になろうと益になろうと、それは変わらない。
……もちろん、意図せずにその理から外れてしまう命は存在するのだが。
「篭目さん?」
「あぁ、すみません! なんかボーッとしちゃってましたね」
「いや、ボーッとしてるのはいつもの事だと思いますけど」
「……えっ」
柔らかい笑みを浮かべるちかげに言い負かされてしまい、若干不機嫌そうに口を引き結ぶ希人。
下り坂も終わりに差し掛かった頃だろうか。不意に希人は何かを思い出した様だ。
「そうだ! ちょっと寄りたい所あるんだけど、いいですか?」
「えぇ、別にいいですけど……どこに行くんです?」
行き先を尋ねるちかげに、「すぐ近くだから」と、ロクに説明もせずに希人は彼女の前を歩く。『これがもっと親しい間柄なら手を取るのだろうか』と、もどかしい距離感を保ったまま希人はちかげを目的地へと案内する。
線路が上を走る高架下。いくつかの店がテナントとして入っており、小さな商店街の様なショッピングモールを作っている。中には露店に近いものもあり、規模よりも利便性や入りやすさを重視したコンセプトがある施設なのだろう。
「少し時間がかかるかもしれないんだけど、ちょっと待って貰ってていいですか? そんなに遅くはならない様にしますんで……」
「まぁいいですけど……私が一緒に行ったらダメなんですか?」
「えっ? あぁいや、ダメって訳じゃないけど、ちょっとその連れて行きづらいって言うか……でも翁さんの意見は聞かせて欲しいというか……ごめんなさい! ちゃんと早目に戻ってきますから、少しだけ待っていてください!」
何か隠し事をしているのか、希人の言葉は歯切れが悪い。はっきりしない彼の態度に、ちかげは若干の不満を感じる。しかし希人と話す機会は、もう無いかもしれない。
だからちかげは、彼の言う通り待つ事にした。自分の方から聞きたい事や話したい事は言ったのに、希人からの言葉はあまり聞いてない。それを考えるとここで彼を待つのが、道理であるような気がしたのだ。
「じゃあ私、あそこのカフェで待ってますね」
高架下のカフェを指差し、彼女は歩いていった。
* * * * * *
天窓から差し込む、沈みかけの西日。日溜まりと呼ぶには到底及ばないが、微かなオレンジ色をした小さな光の円がコンクリートの床に描かれている。
その西日を受け、鮮やかな黄色の表皮はより一層輝きを増していた。
「レモ……失礼、カルノタウルスの状態はどうでしょう? 実戦への配置にはどれくらいで投入できそうでしょうか?」
「う~ん……あんまり状態は良くないかな。一通り処置が終わっているとは言え、邪竜の毒牙が直接食い込んじゃったからねぇ……ちゃんと応急処置してなかったら、今頃は死んでいたと思うわ」
「そうですか……」
愛称を呼び掛けて止めた亘に、瀞は端的に状態を伝えた。
彼らの視線の先にあるモニターには、ケージの中に居るカルノタウルス、『レモン』の姿が映し出されている。レモンやサラの状態を把握しておきたい亘は獣医舎を訪ねていた。
力なく床に伏しているレモン。鼻先にある水皿から、栄養剤の添加された飲み水を飲んでいる。
長い舌で水を舐める彼の元へ訪れたのは、ガリミムスのミリーだ。ちかげが不在の今日は夕海が指示を出し、カートを引いてレモンの元へ餌を運ばせている。
現在、レモンのバディは空席状態である。前回の出撃までバディを務めていた男は、独断行動で作戦に支障をきたしたため、免職となっていた。
新しいバディへの引き継ぎを円滑にする為には、特定の人間への依存心が強くならない様に管理する必要がある。その理由からレモンの世話は人間が直接行わず、成熟した人造恐竜が行っている状態だ。
「はぁ……」
レモンの現状を見て何か思ったのか、亘は溜め息をついた。
精悍な黒豹を思わせる切れ長の瞳は、ゆっくりと瞼に覆い隠され、閉じられて行く。重なった上下のまつ毛は長く、瞳のラインの美しさを際立たせていた。
「ねぇ、疲れているみたいだけど大丈夫?」
瀞が亘を心配するのも無理はない。
閉じられた彼の瞳。その美しい弧に沿う様な形で、血色の悪くなった皮膚は変色していたからだ。見て直ぐ分かる程の濃いクマを作った亘の身を、瀞は案じていた。
「あぁ、別に大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。少し休みが取れていないだけですから」
瀞の気遣いに、亘は明るい笑顔を向けて答えた。しっかりと開かれた瞳には強い光が宿っており、彼の明確な意志を感じさせる。
だがその顔色は、あまり良好とは言えない状態だった。質実剛健を絵に描いたような亘ではあったが、やはり表面に出てしまう身体的な不調と言うのは、隠しきれるものではない。
艶やかな黒髪の下にあった薄橙色の肌は青白く、血の気が悪い。
「ちゃんと休めてないの?……」
「まぁ今は戦力の補強を考えないといけませんからね」
亘は低く押し殺す様な声で答える。彼が現状を危惧するのも無理はない。
現在、サラとレモンの二体が動かせない状態である。
もし仮にバディとなる人員が決まっても、レモンが前線に復帰できる状態まで回復するには、それなりの時間を要するのは明白だ。またサラに至っては、希人がバディを引き受けなかった時点でDFとして運用がそもそも難しい状態になるだろう。
そもそも希人や修大がバディになったところで、戦力として頭数に入れられるのだろうか?
もちろん、DFとの連携と言う意味では、この上なく優秀な人材だろう。しかし戦術面や体力面、また判断力などに未知数な部分は多く、不安材料は消えない。
仮に彼らがDFのバディを引き受けたとしても、それは不安の種がDFのバディになる人材の確保から、バディになる人員の適性へと転化するだけだ。
もっとも亘とて、希人や修大を過小評価している訳ではないが。
「どんな状況になるにしても、カルノタウルスが回復するまで戦力の穴を埋める必要があります。全国の支部や分隊から引き抜ける人材やDFを探しているところです。欠けたDFの役目を加味すると、中型から大型の肉食獣脚類がいいですね。アロサウルスやデルタドロメウスが有力な候補と言ったところでしょうか?」
亘は、引き抜きや応援要請を検討しているDFについて、瀞へ意見を求めた。
DFの数を増やす事になれば、彼女をはじめとする獣医や助手の負担も増える。運営に無理が生じさせないため、亘には瀞の見解が必要だった。
勇部亘と言う人物は、決して悪人ではない。
寧ろ使命感や責務に対し忠実で、自分自身にも厳しい面がある。
一方で、彼のDFに対する見方は非常にドライだ。しかしそれは悪い事ではない。
皆が皆、修大や希人の様に《無償の愛》をもって接するスタンスで居たら、どうなるだろうか?
産まれてきた人造恐竜の中には、DFとして人間を守り、邪竜と戦う為の適性を持たない個体もいる。また、育成の過程で基準を満たせなかった個体や、教育に失敗した個体が出てくる事はある。
これらの個体を、倫理観や慈悲から『生かしておくべきだ』と結論付けるのは、簡単である。
……しかしそれを実践するのは、決して容易ではない。人造恐竜を生かしておくためにも対価が必要だ。
餌や設備、広い敷地。成長しきった人造恐竜は邪竜と渡り合うか、それを凌駕するだけの力や体を持つ事になる。果たして彼らを無計画に生かしておく事は善だろうか?
善か悪か、単純に答えが出せる問題ではないのかもしれない。しかし、その理想が現実的ではないのは確かだ。
人の手で生み出された恐竜の命を取り囲む世界の現実は、決して公平で正しいものとは言い難いのかもしれない。
恐らく修大の様に優しく、正義感が強い人間には耐え難いものがあるだろう。
それでも希人なら、現実を【理解する】ことまでは出来るかもしれない。しかし現実を【受け止めきる】ことは、難しい可能性がある。強い倫理観は時として、持ち主自身を蝕むからだ。
見方を変えれば、亘は誰よりも人造恐竜を大切にしているのかもしれない。
人造恐竜と言う、自然下では絶対に存在し得ない命。それはDFと言う兵器として運用する為に生み出された。
人の手で、人の目的のために作られた存在。裏を返せば、必要がなくなった時にその命を生かしておく事は、どこかに矛盾を生じさせるのだろう。
その矛盾の数が一頭や二頭なら、まだ看過できるかもしれない。だが百や二百、千や万になれば話は別である。
――機械仕掛けの鎧を身に纏い、DFとして邪竜と戦う為に生み出された人造恐竜という存在。
彼らは人間の利益のために生み出された。その存在を世界に容認させる一番の方法は、人間が彼らの命に存在意義を与える事なのかもしれない。
「そう言えば最近、テリジノサウルスのストレスレベルが下がってきているわ」
「そうですか。一度、ご指摘いただきましたからね。それを実践に移したまでです」
メタリックブルーに輝く羽毛を持つ亘のテリジノサウルス。単に美しいだけではない羽毛は、麻紐を幾重にも編み込んだ様な強度を誇る。しかしその内部には、ダニ等の寄生虫が涌きやすいと言う想定外の難点を抱えていた。
故に羽毛の手入れをしつつメンタル面のストレスを軽減するのは、それなりの手間がかかるのは間違いない。
兵器としてなのか、動物としてなのか。存在の認め方に差異はあるのだろう。
しかしその在り様を軽んじていないのは、間違いない。人の社会の秩序を守るため、勇部亘にとってテリジノサウルスは重要な存在となっていた。




