第五話「ごめんねの後に……」〈5〉
「翁さん?」
「奇遇ですね……どうかしたんですか?」
「別にどうもしないですよ。何となくここに来ただけです」
休日に何をして、何処に居ようと個人の自由だろう。たまたま同じ場所に居合わせただけで、必然性や意味を考えるのも可笑しな話だ。
しかし人があまり来ない高台の公園で、しかも近隣の住民でもない顔見知り同士が鉢合わせになれば、何らかの理由を考えてしまうのは自然な反応と言えるのかもしれない。
ちかげは胸元にフリルのついたチェック柄のブラウスにデニム地のショートパンツを合わせていた。頭には小さめの黒いハットがちょこんと可愛らしく乗っている。
彼女は恐らく着痩せするタイプなのだろう。普段目にする格好とは違い、幾分かそのバストも豊満なものに見えた。薄手のブラウスが持つ透明感が彼女の白い素肌をより引き立て、可憐で清潔な魅力を引き出していた。
「翁さんこそどうかしたんですか?」
「……私は、あの日の事を思い出したのでここに来ましたよ」
一呼吸おいてから、彼女はその薄桃色の唇を動かした。言葉を吐きだした後、ちかげの口元は真一文字に結ばれ、少し目尻が下がった瞳から送られる視線は真っ直ぐ地面に落ちる。
ほんの少し、ほんの少しだけ俯いた彼女の表情はどこか寂しげだと、そして悲しげでもあると希人は感じ取った。視線を逸らされたちかげの顔色は窺えないが、彼女の放つ雰囲気が皆まで言わなくても、思いを伝えてくる。
「…………」
希人もまた、その口を一文字にしていた。平たくて大きい口は真横に結ぶとカエルの様である。
彼もまた、同じ日の事を思い出していた。正確には『思い出させられた』と言ったところだろうか?
最初にサラと出会った日のことを思い出したからわざわざ来たわけでもないのだが、歩く度に映り行く景色が、彼の思考と記憶を邂逅させた。
特に出かけたい場所もなかったので、なんとなく来てみた自分の古巣。故郷と呼べるほどに幼い頃から住んでいた町ではないが、そこには確かに以前まで希人が慣れ親しんだ景色があった。
懐かしくもあり、しかし何処か変わってしまった事が寂しくもある町並み。その気持ちを言い表す言葉も、ちかげにかけるべき言葉が思い当たらず、希人はただ口を噤んでいた。
「そういえばその帽子、前も被ってましたよね? 気に入ってるんですか?」
「あぁ、まぁ……」
一瞬だけ場の雰囲気を支配していた沈黙を打ち破ったのは、ちかげの声だった。
ほんの少しだけ表面化した寂しさを覆い隠すように、元々大きなその瞳を更に見開く。下から覗き込でくる一対の黒い宝石には、微かに頬を紅潮させた希人の顔が映りこんでいた。
――お気に入りになったのは、翁さんが似合ってるって言ってくれたからだよ。
そんな言えるはずもない言葉を頭の中で反芻させ、希人は視線をあちらこちらへ散乱させた。まさか帽子の事まで覚えていてくれたとは思っていなかった希人の心は、気恥ずかしさに大部分を支配されてしまう。
「立ち話も難ですし、座りましょうか」
ちかげの視線を追うと、その先には木製のベンチがあった。大人二人が腰掛けるには余裕があり、かと言って三人で座れば手狭になってしまう様な小ぶりの長椅子。
近くにいた希人が先に腰を下ろす。ちょうど木陰に入っているため、真昼間のこの時間でも暑くはなかった。ちかげも続いて座ろうとしたが、何かを思い出し、立ち止まる。
「そうだ、のど渇きません? 私ジュース買ってきますよ。何にします?」
「あっ、それなら僕が行ってくるよ」
「いいですよ。篭目さん、病み上がりみたいなものですし。また倒れられても困りますからね」
最後にクスリと、少しだけ意地悪そうに笑う。そんな彼女の表情があまりにも可愛らしく、発せられた言葉の小憎たらしさを打ち消して愛嬌に変えた。
「スミマセン、お言葉に甘えますね。じゃあ、僕はメロンソーダで」
「えっ……あぁ、メロンソーダですね。わかりました、じゃあ行ってきます」
少し切れ長の目の中にある黒い瞳が、恥じらいながらも真っ直ぐな眼差しを彼女へ向けてくる。大人びている容姿の割には子供っぽい味覚なのかと、ちかげは彼への親近感をますます強くしながら自動販売機へと向かって行った。
彼女を待ちながら、背もたれに寄りかかる希人。坂の上の辺鄙な場所にある事もあり、自動販売機が近くにはなかったのか、ちかげはなかなか帰ってこない。
ボーっとしながら、視線の先を地面に向ける。
空から降り注ぐ太陽光線は強いが、公園に植えられた木々が影を作り出していて、それ程熱そうではない。陰に入らない部分が白く輝いているが、手近な範囲はライトグレーの影が落とされている。
点在する短い雑草の緑を眺めていた時、不意に視線の端から端へ青い閃光が横切る。素早く大地を駆けるその小さな光の正体に、希人は心当たりがあった。
雑草の合間に入り込んだ青い光の主は、あっという間に姿を消した。
「ごめんなさいGoo!メロンしかなかったんですけど、いいですか?」
振り向くとちかげが立っていた。右手には「Goo!」のメロン味、左手にはオレンジ味が握られている。
「あぁ全然構いませんよ。寧ろ買いに行って貰っちゃってスミマセン」
「いえいえ、お気になさらず」
「そうだ、今小銭出しますね。ちょっと待ってください」
「そんないいですよ。のど渇いたって言い出したの、私が先ですし。今日のところは私の奢りってことで!」
背中のボディバッグを手繰り寄せ、財布を取り出そうとした希人を、ちかげは優しい口調で止める。希人が少し申し訳なさそうな顔で見上げると、眉を八の字に下げた彼女の顔が目に映った。明るい満面の笑みを浮かべている。
……にも係わらず、その奥には何かを押し込めている様に感じられて、希人の胸の中を滑りついた違和感の様なものが這って行った。
「そう言えばさっき何見ていたんですか?」
「あぁ、ニホントカゲが走っていたんでつい見ちゃいました。それよりも折角買ってきたんですし、ジュース飲みましょうか」
「そうですね。ハイ、これどうぞ」
差し出されたメロン味を希人の右手が受け取る。微炭酸飲料の缶が確かに渡った事を確認すると、ちかげも彼の左隣に腰を下ろした。
「ありがとうございます……(アレ? ちょっと温いぞ)ひょっとして翁さん、結構遠くの自販機まで買いに行きました?」
「えぇまぁ……メロンソーダ売ってる自販機が見つかれなくて……」
「マジすか……なんかスミマセン……」
「あぁいいんですよ! こう言うのは第二希望まで聞かなかった方の責任でもありますから」
この場合、「なんでもいいですよ適当で。強いて言えば炭酸系がいいですね。後はおまかせで!」と言って送り出すのが優しさではなかっただろうか?
〝メロンソーダ〟等と言う具体的すぎる希望を伝えた浅慮さをほんの少し……ではなく、かなり強く後悔しながら、希人はメロン味の炭酸飲料を口に運んでいった。
時刻は十五時三十分を過ぎていた。
朝の予報で伝えられていた最高気温のピークは過ぎ、風が少し涼しく感じられる。少し汗ばんだ素肌にあたる空気は爽やかさを感じさせる。
「なんだかのどかな景色ですね」
「まぁ、そうですね」
彼女の視線の先には、所々小高いショッピングビルが点在した町並みが見える。つい先程まではアスファルトから照り返される熱が揺らす空気に阻まれ、蜃気楼の様に遠く見えていた。しかし今は、その景色が川一本を隔てた先にあるごく近い場所なのだと見て取れる。
まっすぐに伸びた背筋の先にある小さな顔。太陽の光に当てられて、ほんの少し赤みを帯びた白い肌の上にある黒い瞳はどこか寂しげだ。
(どうしたんだろう? そんな寂しそうな顔して……)
横目で覗き込んだ先にあった横顔。真正面からその表情を覗き込んだ訳でもないのに、伝わってくる彼女の寂しさがある。きっとそれは訴える為に出たものではなく、恐らく精一杯抑えた末に溢れ出したものなのだろう。
「これもあの子が守った町並みなんだ……」
「あの子って、サラの母体だったアルバートサウルス?」
「あっ、ごめんなさい! 口に出しちゃってました? ……そうです。サラのお母さんだったあの恐竜です」
ひとり言にしては随分はっきり喋っていたと、希人は思った。ひょっとして疲れているんじゃないかと、少し心配にもなった。
そんな事を考えながら怪訝な視線を送る彼に、ちかげは慌てて取り繕った笑顔を向けて答える。もっとも、サラの名前を出した時、その笑顔には若干の陰りが見えたが。
「……でもここから見えるのって、荒川を挟んだ対岸の景色ですよね? あの恐竜と邪竜が戦ったのって、坂を下った駅の近くじゃありませんでしたっけ?」
この町に邪竜が出現した日、葬りさる事を可能にしたのは坂の下の低地に展開されたマイクロ波フィールドだ。フィールド内に邪竜を引き止める為、アルバートサウルスもその中にいた。そしてそれは、今さっき上ってきた坂の下に展開されたものである。
「そうですよ。あの子が注意を引き付けたから、邪竜はこちら側に来たんです」
「あっ、そっか……」
DFと言う兵器、もとい人造恐竜が邪竜との戦いにおいて最前線にいる理由。
それは彼らの存在自体が邪竜のテリトリー意識を刺激し、その注意を引き付けるからである。
自分たちの縄張りに進入したDFに対し、邪竜は強い敵意を向け、徹底的に排除しようとする。その習性を利用し、向かってきた邪竜をDFに直接排除させる……もしくは〝囮〟として利用し、より強大な兵器でその存在を抹消する等、状況に応じた作戦が取られていた。
なぜ邪竜がDFに対して強い敵対心を持つのか、未だにその原理には未知の部分がある。
だが、その事実が存在するだけで、邪竜への対抗手段としては上出来だった。
「……もしかして、最初からあのアルバートサウルスは殺される予定だったんですか?」
「…………」
この場合の沈黙は肯定と受け取っていいのだろう。もし事実と違うのなら、希人のやり切れない気持ちを案じ、ちかげは否定する可能性が高いからだ。職務に実直で、守るべき秘密は決して漏らさない彼女だが、仮に守秘義務が生じていても、否定の意なら伝えていただろう。
それでも黙りこくっている彼女の口元が、無言のまま事実を伝えていた。眉を八の字に下げた伏し目がちな表情が、その現実に対するちかげの気持ちを表していた。
「だから私、篭目さんには本当に感謝しているんですよ。サラを助けてもらった事……本当にありがとうございました」
「いや、その事はもういいですって! 前も同じ事言ってもらいましたから、そんな改めて言われなくても……」
それは以前にもちかげから希人へと伝えられた純粋な感謝の言葉。
恥らいながらも躊躇いながらも、時には泣きそうになりながらも、伝えられたその気持ち。
誠実であるが故に思い悩みやすい希人へ、しつこい位に彼女はその言葉を伝えていた。それは彼がサラの傍に、そしてそのついででもいいから自分の傍にも居てほしいとう願いから出ている言葉だった。
……だが以前と違い、彼女の表情には晴れやかさがない。
今かけられている言葉の真意は、今までのそれとはまったく異なるものだった。
薄い唇が開いて告げられる次の言葉が、その真意を明確なものにする。
「だから…………もういいんですよ。無理しなくたって」




