第五話「ごめんねの後に……」〈2〉
『こう言う事は誰かと相談してじゃなく、自分で考えて決めないとな』
そう言い残し、木野修大は一人で旅行へ出かけて行った。ある事について打診された彼は、一人で熟考する時間が欲しかったのだ。
それは篭目希人にも当てはまる。……だが、彼の方は少し不安げだった。
遡ること四日前の夜。希人はちかげからある提案を持ちかけられた。
* * * * *
「どうしたの? なんでも言ってくれていいんだよ?」
〝聞いて欲しい事がある〟と言ったものの、口を噤んでしまったちかげ。
思いつめた様な表情で押し黙る彼女に対し、希人は穏やかな表情で話しかける。それは同僚と言うよりも、仲のいい兄と言った様子だった。彼の言葉を受け、ちかげは小さく息を吐き、ピンク色の薄い唇を開く。
押し黙っていた時の申し訳なさそうな表情とは打って変わり、今の彼女にはハッキリとした覚悟が見て取れる。月の光を映し出された彼女の瞳は、獲物に狙いを定めたイタチの様だ。
そっと囁くような、それでいてハッキリと聞き取れる声で、ちかげは語りかける。
「篭目さん……もし篭目さんさえ良ければ、アルバートサウルス……サラのバディを引き受けていただけませんか?」
――望むところです! 任せてください。
そう言いたかったが、言えなかった。
やはり現実的な問題として捉えた場合、不安が残る。その事が希人の喉まで出かかった言葉をせき止めた。
サラのバディとして並び、共に戦うと言う事は、サラの価値に自分の行動が直結すると言う事だ。
果たしてそれだけの能力が希人にあるかは疑問が残る。現にこの時ベッドで寝込んでいたのも、体力的にサラの動きに着いていく事が出来なかったからだ。
確かにあの時は、不測の事態により著しく体力を消耗していたのも事実だが、そんな理由付けをしたところで持久力の面での不安は消えない。
消極的な選択をするなら、サラにはDFとして任務を引退させ、ホルモン注射により体構造をメス化させて母体にした方がいいかもしれない。
……だが、二代続けて失敗作になったサラでは、その需要もない可能性が高い。
それでも邪竜との戦いで惨たらしく死ぬよりは、施設の中で薬殺された方がいいのかもしれない。その方が結果的に与える苦痛は少なく済むと希人は考えた。
高い知性を持つ人造恐竜の事だ。最後に人を呪い、恨みながら死んでいくかもしれない。
だがもしそうなるのなら、その咎は自分が引き受けてもいいとさえ、希人は思い始めていた。
無論それは、彼の本意ではないが…………。
「えっと……」
希人の口からは言葉が出ない。
承諾する事も拒否する事も、今の彼には重すぎる決断だった。
流れていく雲が再び月を覆い隠していく。
「ごめんなさい……こんな事、今話すべきじゃなかったですよね……」
つい先ほど意識を取り戻したばかりの希人に、この選択を強いるのは流石に酷である。その事を自覚していたからこそ、ちかげもなかなか話を切り出せなったのだ。
窓を背にしている彼女の顔は、暗闇に覆い隠されている。ただでさえ暗い室内で俯いてしまっているのだから、その表情を希人が窺い知る事など出来なかった。
「もちろん、直ぐに決める事なんかできないとは思ってます。だから暫くお休みを取って、ゆっくり考えてから決めてください」
それはパンゲアからの命令であり、譲歩案だった。一週間の休暇の後、最終的な判断を問うらしい。
「それじゃあ、私もう外しますね……。あと、もし良かったらこれどうぞ。お腹空いてるんじゃないかと思って」
ちかげは木製のバスケットを希人へ手渡した。中にはハムやレタスが挟み込まれたサンドイッチが入っている。ご丁寧に保冷剤も一緒に入れられているそれは、不均一なパンの大きさから手作りだと見て取れた。
「ありが――」
「じゃあ長々とお邪魔しました。どうかお大事に。お休みなさい」
希人が言葉を言い終わるのを待たず、ちかげは足早に去っていた。去り際に残した言葉を話す口調は早く、目を合わせる事もなかった。
彼女が去った事で、窓の全面が見える。除々に姿を現した月は、希人のベッドを照らしていく。青白く光るシーツが、彼の目にはひどく冷たいものに感じられた。
* * * * *
『じゃあ俺はしばらく留守にするわ』
そう言い残し、修大はしばしの一人旅に出かけていった。希人と同様に彼も、カルノタウルス〝レモン〟のバディに就くことを打診されていた。
『こう言う事は誰かと相談してじゃなく、自分で考えて決めないとな』
三日前に見送った彼の言葉が、希人の脳内を駆け巡る。
見慣れた自室の天井を見上げ、自分の考えを整理してみようと試みるが、どうにも捗らない。
篭目希人は木野修大を尊い友人だと思っているし、信頼できる仲間だとも思っている。それは修大の方も同様だ。
しかしだからと言ってすべてを共有し、分かち合える間柄という訳でもない。彼らは一度、意図しない形で対立してしまった経緯がある。
〝情〟を持ちながらも、それを〝理性〟で押し殺し決断することが出来る希人と、それがなかなか出来なかった修大。
決して希人も好き好んで活き餌という選択肢を取った訳ではない。少なくとも、小動物を痛めつける事に快楽を見い出す様な人間ではない事は確かだ。ただ、躊躇う事を良しとしない彼の判断が、誤解と軋轢を生んだ。
幸い、その事に関しては修大からも後に理解を得られる事ができた。
感性の面で見たくないと思う一面でも生物のあるべき姿を理解し、受け入れる――不器用で言葉足らずではあったが、その事を伝えようとした希人の意を汲み取り、修大は彼に理解を示した。
同時に修大から希人へ与えたものもある。
生物のあるがままの姿を受け入れる事を良しとするが故、サラに対しての調教へ不安を感じていた希人。そんな彼を修大は支え、共にサラやレモンをDFにする為の訓練を成し遂げようとした。
人であれ動物であれ、相手を尊重するがあまりに自らの思いを自縛し、封じ込めようとする希人。そんな彼を修大は解き放てるよう、その枷を外す手助けをし続けた。
『……あと悪かったよ。俺が先走ったせいで、お前にまで辛い思いさせちゃったな』
「……良いよ、その事は」
『そう言ってくれて助かるよ……でも、あんまり無理すんなよ』
「ん? 今なんか言った?」
『……いや、何でもない。とにかく、お互いきちんと考えて結論出そうな!』
別れ際に修大が見せた表情。それは、普段の彼が見せる明るいものではなかった。
目を逸らし、俯きがちな彼の顔。太陽を背にし、逆光で顔色は窺いづらかったが、力なく地面に落ちていきそうな声色が彼の心中を物語っていた。
最後に修大が希人に見せたのは笑顔だ。しかし、その瞳は希人を真っ直ぐに見据えてはいなかった。盛り上がった頬の筋肉が彼の目を細めていても、真っ直ぐに見つめる希人の目は誤魔化せない。
『じゃあ、もう行くわ』
希人の言葉を遮るようにそう言って、修大は背を向けて行った。
特に言葉をかけるつもりもなかったが、小さくなっていく彼の背中を見て、今までにはない距離を感じたのはもう四日前のことだ……。
「なんかだるい……」
いつもより遅い目覚めをした希人。気だるい体に指令を出し、寝返りをうつ。ベッドのスプリングが軋み、彼の体を支えた。
天井から目線を移して確認した時計の短針は、十一時の少し手前だ。ゆっくりとベッドから起き上がると、窓へ向かいカーテンを開ける。この日の太陽は、これ以上ない程に眩しかった。