第五話「ごめんねの後に……」〈1〉
《ちょっと篭目さん! しっかりしてください!》
彼の耳元のインカムからは、取り乱すちかげの声が聞こえてくる。十九歳という年齢の割には落ち着き払ったところのある彼女だが、目の前で親しい人間が倒れればそう落ち着いてもいられない。
「落ち着け、翁。まずは日陰に運べ」
《ハ、ハイ!!》
通信機の向こう側で狼狽するちかげへ、亘は落ち着いて対処する様に促す。状況を察した亘の指示により、救護班が既に希人の元へ向かっていた。
「ハァ……」
小さくため息を吐き、テリジノサウルスへ向き直る。テリジノが纏う濃紺の鎧は、邪竜の返り血を浴びて大部分が真紅に染まっている。鮮血が滴る特徴的な長いカギ爪。
カギ爪恐竜の背後には腹部を裂かれ、赤々とした長大な肉の管――邪竜の腸が飛び出ておいた。腸に引きずられる形で他の内臓もまた、邪竜の体外へと出されている。
「まぁ今回の目的は達成したのだから、良しとするか……」
――――……フゥウン。
十メートルを超える巨体の上から、亘を覗き込む朱色の瞳。ゾウガメを彷彿とさせる長い首の先にある面長の顔は、まっすぐ彼に向けられている。つぶらな瞳を持つ愛らしい顔立ちのテリジノは、何かを求める様に鼻を鳴らした。
亘の脳裏に、瀞からかけられた言葉が浮かぶ。
「……よくやった」
亘の呼びかけに応え、テリジノは膝を折り、長い首を彼の手元へ伸ばす。鎧の隙間から覗くメタリックブルーの体毛を、彼の右手がそっと梳かす。哺乳動物の体温を感じ、テリジノは気持ちよさそうに目を細めていた。
……だが、その姿を見つめる亘の視線はどこか冷たい。
今、彼の目の前で愛らしく巨体を縮ませるテリジノサウルス。その長いカギ爪には、引き裂かれた肉片と体液が染みついていた。
カギ爪の持ち主が本能のままに切り裂き、踏み荒らした巨体に亘は目を向ける。
テリジノの背後には、その二倍近い体格の生物の亡骸が横たわっていた。鮮血に染め上げられたグレーの表皮。飛び出た内臓。
溢れる臓物の中でも、太陽の光を浴びて鈍い虹色の光沢を放つゼラチン質の球体が一際目を引く。
産卵場所に向かう途中で斬殺され、卵巣さえも引き摺り出された雌邪竜の亡骸。その腹部からは、おびただしい数の無精卵が飛び出ていた。
無惨に引き千切られた肉の塊とは対照的に、爪痕を残した方の恐竜は目を細め、可愛らしく鼻を鳴らす。
血塗れになりながらも歓喜の声を上げる巨体。その姿を見つめる亘の目は、時間が止まったかの様に瞬きをしない。愛竜を優しく撫でる右手。対して彼の左手は、小刻みに震えていた……。
既に時刻は午後七時を過ぎていた。
陽の長くなった七月とは言え、空は濃紺に染まっている。
「しかしアルバートサウルスのバディはどうする? 人間の指示を受け付けない様では、もはや……」
パンゲア基地の会議室。
亘、夕海、ちかげの三人は、昼間に起こった不測の事態を受け、アルバートサウルス『サラ』および、カルノタウルルス『レモン』の処遇について話し合っていた。
「カルノタウルスのバディについては解任だな。アルバートサウルスの方はどうするかだが……」
「それなら、いい方法があるんじゃない?」
亘が提議した問題に対し、夕海が口を開いた。
自らが口にするその答えに、ほんの少し罪の意識を感じる彼女だが、覚悟を決めたその瞳に迷いは無かった。
対して、傍らで聞くちかげの表情はどこか暗い。
* * * * * *
『なぁ兄ちゃん、もう少し安くなんねぇの?』
「申し訳ございません。これでも精一杯お安くさせて頂いておりまして……」
『えぇ~……最後なんだし少しはまけてくれよぉ~』
――結局、五千百五十円だったところを、五千円にしたんだったな、この人。
『おつかれ様、篭目君』
「お疲れ様です店長」
ここは俺が半年前まで勤めていたペットショップだ。
黄色地に赤字で書いたPOPにも、店内のレイアウトにも見覚えがある。
『閉店まであと一週間か……。せっかく地元からこっち出てきてくれたのにこんな事になってしまって、申し訳ない!』
「いえ、そんなお気になさらないでください。店長と一緒にこの店で働けて、僕嬉しかったですよ」
『おっ、社交辞令も上手になったなぁ~! ここに来た時はマジメ一辺倒だったのに!!』
……いや、社交辞令でもなんでもないですよ。本当にあなたの下、あの店で働けて良かったですもん。
店長、いい人だったよな。〝ちょっと白髪交じりのナイスミドル〟ってあぁ言う人の事を言うんだと思うわ。
『篭目君は次の仕事見つかりそう?』
「えっと……まぁぼちぼち……」
『そっかぁ……でもまぁ、篭目君は若いし真面目だからいい所見つかるよ、きっと』
「あはは……ありがとうございます」
次の仕事は対邪竜国際機構でのブリーダーでしたよ。
これは『いい所』になるんだろうか? まぁ世間体が悪い仕事ではないけど、給料安いし……って言うか俺、正規職員じゃないんだよね。業務委託って形でブリーダーやってるし。
『そう言えば篭目君は、地元帰ったりしないの?』
「えぇ……僕の地元、田舎なんで帰っても仕事ないんですよ……」
『そっかぁ……まぁ俺は元々こっちの人間だからね。何か困った事があったら、言ってくれよ!』
「あ、ありがとうございます!!」
……結局、店を閉めた後、一回もこっちから連絡はしてないんだよな。
何回か店長の方から連絡もらって、一緒に飲んだりはしたけど。俺がまだ無職なの気にして、奢ってくれたりしたからさ、これ以上世話になるのが悪いだろ……。
いい人だったから、きっと俺が頼れば本当に力になろうとしてくれたんだと思う。
……でも、やっぱりそんなの悪いよな。
『はいいらっしゃいませー! じゃあ篭目君、俺ちょっと行ってくるね』
なんでこんな夢見てんだろう?走馬灯?俺、死ぬのかよ……。
そう言えばあの店って事はアイツも居るよな。
「おっ!いたいた」
【尻尾の先欠損のため30%OFF!!】……このPOP、俺が書いたんだったな。
結局買い手がつかなくて、俺が連れて帰る事になるけどね。この時に比べると、マリアもちょっとは大きくなったんじゃないのか?
『あっ……いたいた。おーい! 篭目君にお客さんだよー!』
俺にお客さん?
そんな事はなかったと思うけどな……。
『篭目君、彼女いたんだね~♪ 清楚そうな可愛い娘じゃないか!』
「えっ?」
……俺に彼女なんかいなかったけど? ……と言うか、今もいませんけどね。
* * * * * *
「……気がつきました?」
鈴を転がした様な声が希人の耳に届いた。
そっと瞼を上げると、彼の顔を覗き込むちかげと目が合う。
「翁さん? 一体ここ何処……って、うわぁ」
「あぶない! まだ動かないでください」
希人は立ち上がろうとしたが、足に力が入らずによろけてしまう。透かさずちかげは彼の腕を掴み、体を支えた。患者衣越しに感じた彼女の手は柔らかく、思わず希人は赤面してしまう。
「顔、赤いですね……もう少しゆっくり休みます?」
「い、いや……これはその、大丈夫だから!」
ちかげに促され、希人はベッドに腰を下ろす。鼻先まで近づいた彼女の髪から香ったシャンプーの残り香が、彼の鼻にはまだ残っていた。清潔感のあるミントの香りは、清純な彼女のイメージにふさわしい。
「篭目さん? ……やっぱりまだ具合悪いんじゃ……」
「いや! 本当、大丈夫だよ!」
鼻の下に指を当てて俯いていた希人の体調を、ちかげは気にかけた。ほんの一瞬でもやましい事を考えていた希人は狼狽し、左右の掌を彼女に見せて自身の好調をアピールする。
わざとらしい笑顔とオーバーなリアクションを示す彼を見て、ちかげは怪訝そうに首を傾げた。
「そう言えば俺一体どうしたんだ……」
独り言の様に希人は呟いた。
窓の外から見える空は既に闇に落ち、月の光だけが空で輝いている。背後の窓から射し込む月光が、ちかげの黒髪を青白く照らしていた。
「結構危ない状態だったんですよ、篭目さん」
「えっ?」
――思い出した。俺はサラと一緒にレモンを助けに行って、その後気を失ったんだ。
ちかげは希人に、彼が極度の熱中症と脱水症状の為に意識を失っていたことを伝えた。かれこれ五時間ほど、この医務室のベッドで眠りについていたらしい。
「ハハハ、なんかスミマセン……たかが熱中症くらいで」
「〝たかが〟じゃないですよ? 熱中症で亡くなる人もいるんですから、気をつけてください」
「そうですよね……失礼しました……」
へらへらと笑いながら礼を言う希人に、ちかげは少し語気を強めて彼を窘めた。
言葉を吐き終えた彼女の口元は、きつく結ばれている。僅かに寄せた眉間の皺は、希人に対して怒っていると言うよりも、悲しみや悔しさを精一杯押し殺しているようだ。
普段の礼儀正しくも明るい彼女の雰囲気が、今は感じられない。希人が横目で覗き込むと、ちかげはバツが悪そうに顔を下に向けていた。
「いえ……私の方も約束を守れませんでしたから……」
「約束って?」
「あっ、その……なんでもないですよ! どうしたんですか篭目さん!」
どうやら今希人の耳に届いたちかげの声は、彼女の独り言だったようだ。
無理矢理作っていると、見て直ぐ判るような強張った笑顔を向けるちかげ。その心中を察し、希人はそれ以上の詮索を止めた。
「…………」
「…………」
しばしの間、言い様のない微妙な沈黙が二人の間に流れる。
敵意でも嫌悪でもなく、緊張感とも少し違う。強いて言えば、遠慮や気遣いと言える行動原理が、二人の間から言葉を奪った。
時が止まったかの様に思える時間だったが、流れる雲が月光を一瞬遮り、希人たちのいる部屋を暗闇に包んだ。
……その雲の動きに合わせ、ちかげは大きく息を吐き、覚悟を決めた様な目で希人を見据える。重い口を開いた彼女は、震えを噛み殺した声で話し始めた
「こんな事、お願いできる立場じゃないのは百も承知です。……でも許されるなら、聞いて欲しい事があります」
夜空にかかる灰色の雲が、右から左へ流れて行く。再び室内に射し込んだ月の光が、潤んだ彼女の瞳を輝かせていた。




