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画面で点滅するカーソルを眺める。
カーソルは点滅している。
点滅したカーソルがそこにはある。
目前の棚から本を手に取る。
頁を繰る音だけが響く。
「作家は・・・”自分がやっていること、書いているものが一番正しい。他の作家は多かれ少なかれみんな間違っている”という考えに従って日々の生活を送っている」
Google Chrome
<点滅カーソル 名前>
<点滅するカーソルは「キャレット」と呼ばれます。キャレットは文字間で識別しやすい縦棒の形状をしており、たいていの場合は点滅で表示されています>
残念ながら僕は、古今東西多くの作家、マルセル・プルーストもジェームズ・ジェイスもデレク・ハートフィールドもヘミングウェイもフィッツジェラルドも、フョードル・ドストエフスキーすら読んだことが無い。きっと多くの文学少年が抱く憧憬とは無縁の生活を送ってきたし、記憶をその**ま**まに生まれ変わっても名門校の文学部に通うことを志すことはまず間違いなく無いだろう。今生の今この瞬間ですら「てにをは」もままならない文字の羅列を生み出す自分に少々怯えている。
一定数の女性がある年齢から、歩けばまとわりつくホコリのあしらい方と、その性質そのものにこびりつく嫌な力場への対処に多くの関心を払わなければならなくなるように、優れた感性と良質な言葉を所有している人格への回禄は傍目に見ても良いものではない。するとむしろ必要に迫られて本を手に取るまで多様な価値観と美的創作の深淵に触れず、自分の内的空間の開拓に務めることができたのは良かったことなのかもしれない。しかし往々にして、僕らの被る機会損失があちらから知らせてくれたことがあるろうか。
「君はあのとき、『海辺のカフカ』を読んでいれば、『血の轍』を踏まず、ピザマンを食べられていたのかもね」
ピザマン…?
僕は黒いワークベンチの上で点滅するキャレットを眺め始めた。