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「いいんですか? もうネタばらしをしてしまって」

 短くなった煙草を消しつつ、緋村が問う。

「ええ。当時の話が聞けただけ満足です。すみませんねぇ、変なことに巻き込んでしまって」

 いったいどう言うことなのか。説明を求めようとしたところで、店主は教授に向き直り、

「ご無沙汰しております、古賀さん」

「は、はあ……えっと、申し訳ありませんけど、どちら様……?」

「覚えてませんか。まあ、仕方ないでしょう。ほとんど五十年ぶりにお会いしたんですから。私は()()宗二(そうじ)──()()()()()()です」

「ああっ!」老いた依頼人は瞠若(どうじゃく)し、大声を上げた。

 彼のことを思い出したのだろう。

「もしかして、あのそうちゃん? いやぁ、懐かしいねぇ。スッカリ立派になって──って当然か。お互いもうじいさんだもんなぁ」

 教授は無邪気に再会を喜んでいる様子だったが、すぐに例の小説のことを思い出したらしい。

「でもどうして君はあんな物を書いたの? ──よかったら、座って話を聴かせてくれるかな?」

 隣りの椅子に置いてあった鞄とザルをどけ、席を勧める。店主は素直にそれに従った──もう一人の常連客はすでに帰ったようで、店内には僕たちしかいない。話をするには好都合だ。

「不快な思いをさせてしまったかと思います。申し訳ありませんでした。ただ、どうしても確かめたいことがあったもので……」

「いいよいいよ、そこまで気にしていたわけじゃないし。何より実害のある物でもなかったからね。……まあ、不気味ではあったけど。──それより、確かめたいことって?」

「ええ、六年前に死んだ兄のことなんです。実は、その小説の()()を書いたのは、兄でして……今回使った原稿用紙も、兄が持っていた物の余りなんですが」

「煙井くんが? なんでまた」

「それなんですよ、私が知りたいのは。と言うのも、つい何日か前実家の兄の部屋を掃除した時に、たまたまそれを見付けたんです。兄が小説を書いていたことも意外でしたが、それ以上にその内容を読んで驚きました。中学時代の兄の友人たちや、田代さんが登場していたので……」

「と言うことは、小説に僕らが出て来ること自体は、原型と変えていないんだね?」

「ええ。タイトルもそのままですよ。何故こんな不思議な題名なのかも謎ですね。──それで、兄がこの小説を書いた理由には、古賀さんたち──特に田代さんの死が関係しているに違いないと考えた私は、緋村くんにこのことを相談しました。古賀さんが阪南芸術大学で芸術企画学科の教授をされているのは、風の噂で聞き及んでいましたから。彼に古賀さんを知っているかと尋ねると、ちょうどゼミを取っていると言うことでした」

 緋村は彼の要請に応じ、疑問の解決を手伝うことにしたらしい。単に店主と常連客と言う関係ではなく、彼らが大家と店子でもあったからこそ、知恵を貸す気になったのだろう。

 問題は、どうしてこのような回りくどい形での協力になったのか、だが。

「中学時代、私は病弱であまり学校に行けていませんでした。ですから、兄の友人たちのことや田代さんが亡くなった時のことは、あまり知らなかったんです。それで、初めは緋村くんに橋渡しをしてもらって、直接古賀さんに伺おうかとも思ったのですが、スンナリ話してもらえるかどうか不安になりました。こう言ってはなんですが、古賀さんは兄の葬儀にお見えにならなかったどころか、未だに線香一つ上げに来てくださらない。もしかしたら、兄のことをあまりよく思っていなかったのでないか、だとすると私の疑問にもまともに取り合ってはくれないのではないか、と。そう考えた途端、兄と古賀さんが仲がよかったと言う私の記憶にも、自信を持てなくなってしまって……」

「いや、それについては本当に申し訳なかった。あの時期はいろいろと立て込んでいたのと、煙井くんともすでに疎遠になっていたのもあって、完全にタイミングを逃してしまったんだねぇ。今度、是非伺わせてもらうよ」

「そうしてやってください。兄もきっと喜ぶと思います。──そんなわけで悩んでたところ、緋村くんがあるアイデアを出してくれたんです。古賀さんに小説を送って読んで貰ったらどうか、と。それもオリジナルではなく、一部だけ新たに書き直した物──つまり、登場人物の描写をデタラメな物に改変し、さらに緋村くんたちを作中に登場させた、別のバージョンを送ることによって、疑問の答えを得ると言う妙案です」

 この小事件を仕組んだのは緋村だったわけか。

 しかし、どうしてそれが「疑問の答えを得る」ことに繋がるのだろう? そこがまだよくわからない。

「要するに教授自身の口から当時の様子を教えてもらおうと考えたのさ」緋村が疑問に答える。「友人たちと同じ名前の登場人物でありながら、事実とは全く異なる描写がなされていたとしたら、実際はどうだったのかと()()()()()()()()だろ? そうしたら、より正確な情報が得られるんじゃねえかって期待したんだ。無論、覚えてないってこともあるだろうが、まあ、それは仕方ないと割りきってな」

「じゃあ、僕たちを登場させたのは?」

「俺のところに()()()()()()()()()()()()()だ。中学時代の友人たちに混じって俺たちまで出て来たら、不思議に思って俺に声をかけるはずだ。あるいは、この妙な悪戯に、俺が関係していると考えるだろう。でもって、ここで相談を聴くことにすれば、自然と俺たちの会話は煙井さんにも聞こえるからな。こうすることで、田代さんが亡くなった頃の話や古賀さんたちの関係を、煙井さんが知る機会を作ったんだよ」

 酷く迂遠なやり方だが、一応腑に落ちた。ラプラスの悪魔のオマージュなどではなく、ちゃんと目的があって仕組まれたギミックだったのだ。

 とは言え、それならそれで、緋村だけ出せばいい──僕まで登場させる意味はないように思えたが。

「そこはほら、若庭くんは緋村くんのサイドキックですから」店主はにこやかにそう言った。教授も言っていたが、またそれか。

「はあ。──ところで、そのサイドキックって何のことなんですか?」

「要するに、相棒と言う意味ですよ」

 相棒──だから緋村はあんなに嫌そうな顔をしていたのか。

 そして今も。

「やはりコンビで事件の謎に挑むと言うのは、推理小説の王道でしょう? だからどうしても出したくなってしまって。勝手に名前を借りてしまいすみません」

「いえ、それは構いませんけど……」

 と、そこで僕は、ふとあることに気が付いた。

 と言っても、とてもどうでもいい発見なのだが。

「あの、もしかしてこのお店の名前って……」

「あ、わかりましたか。そうです、自分の名前から取りました。もちろん、ウィリアム・ブレイクが好きなのは本当ですし、彼の詩のタイトルともかかっていますけどね」

 まさか駄洒落だったなんて……。どんなことにも意外な事実が隠されているものである。

「それで、どうかな? 私の話から、煙井くんがこの小説の原型を書いた理由はわかりそう?」

「残念ながら、サッパリですね。ただ、やはり田代さんのことが関係しているのは間違いなさそうです。古賀さんのお話を聞いているうちに思い出したのですが、田代さんは兄の初恋の相手でしたから。それも、ほとんど一目惚れだったのでしょう。彼女が転校して来た日に、体調が優れず学校を休んでいた私にそのことを教えてくれた時には、すでに熱があったようでした」

「そうだろうねぇ。言われてみれば、確かに煙井くんが一番彼女に夢中になっていた気がするよ」

「やはりそうでしたか。──それと、兄のことで気になる出来事がもう一つありまして……もしかしたら、これも何か関係があるのかも知れないいですが……」

「何ですか、それは」聞いてないぞ、とばかりに緋村が尋ねる。彼もまだ知らされていないことがあるのだ。

「緋村くんにも言ってませんでしたね。──あれは確か、今から二十五年ほど前の夏に実家に帰った時のことなんですが……」

 そう前置きし、店主はある印象的なエピソードを語った。

 そして、実はその出来事が、今回の一件の真の真相とも言えるべき事柄と直結していたのである。

「帰省した日の翌朝、起きてリビングに出ると、兄が一人で新聞を広げていました。実家には私たちの両親と兄の家族が暮らしているんですが、その時は誰の姿も見当たらなかったと思います。それで、私は普通に『おはよう』と声をかけようとしたのですが──」

 声が出かかったところで()()()()()()()()()ことに気付き、やめたと言う。

「兄は何故か、紙面を凝視したまま青ざめていました。何かに酷く狼狽している様子で──かと思うと、途端に笑みを浮かべたんです。こう、目は見開いたまま、口角だけを吊りあげるように。正直な言って、とても不気味でした」

 彼はわずかに迷ったものの、結局好奇心──あるいは怖い物見たさ──に負け、「何かあったのか」と尋ねる。

「兄はそこで初めて私が横に立っていることに気付いたようでした。驚いた風にこちらを見上げてから、やけに硬い声で『なんでもあらへん』とだけ言って、新聞を畳んでしまいました。それ以上何も尋ねられそうになかったので、私は仕方なく朝食を拵えに台所へ向かったのですが、リビングを出る間際、こう呟く声が聞こえて来たんです。──『()()()()()()()()()()やな。()()()()()』と」

 ──ざまあ見ろ、か。そんな言葉が零れ出ると言うことは、誰かに天罰が下った、とか?

 しかし、だとしたら、いったい誰にどのような罰が?

「ふうん、そんなことがねぇ。しかし、二十五年くらい前って言うと、確か一くんと沢長くんが亡くなったのもその頃だったなぁ……」

「そう言えばそうでしたね。急に不幸が重なったので驚いた覚えがありますよ」

 二人が話す間、緋村は口許を手で覆い黙り込んでいた。思考を働かせる時の癖だ。

 彼は今の話から、何か糸口を掴むことができたのだろうか?

 気になっていると、不意に死んだ瞳──の中にも、怜悧な光が見て取れた──を上げ、意外なことを言い出す。

「もしかしたら、田代さんの死は()()()()()()()()()()()のかも知れません。つまり、階段から転落したのは誰かのせいで、煙井さんのお兄さんはそのことを知っていた──それが起こった瞬間を目撃していたのでは? 確か、田代さんが亡くなった日の放課後、教授たち四人は校舎に残っていたんですよね?」

「そ、そうだけど……どうしてそう思うんだい?」

「大した根拠はありません。ただ、こう考えれば一応辻褄が合う、と言うだけです。──煙井さんは、おそらく友人たちの一人が何かをし、そのせいで田代さんが階段から落ちた瞬間を目にしてしまった。しかし、当時の彼はある理由から、それが誰なのか──要するに犯人の正体を告発できず、葛藤した末にこのような小説を書き、そこに事実を封印したのではないでしょうか?」

「でも、そんなことかあったのなら、さすがにその時言い出すと思うけど」

「煙井さんのお兄さんは、ある意味犯人のことを怖れていたんだと思います。()()()()だった犯人には、逆らうことができなかった。あるいは、目撃してしまったことを知った犯人から、脅されていたのかも知れません」

「ま、待ってくれ。ガキ大将ってことはつまり──君は()()()()()()()()()()()()()と考えているの?」

 答えは「ええ」だった。

「教授の記憶のとおりなら、煙井さんは一さんに頭が上がらなかったそうですね。こうした力関係は、学校のクラスと言う狭い世界では何よりも強い影響力を持っているものです。加えて、みなさんは犯人探しをすぐに打ちきってしまった。この一件はスッカリ事故死として処理される流れになり、余計に言い出し辛かったのでしょう。

 さらに憶測を重ねると、田代さんが階段から落ちてしまった原因は、一さんによる悪戯だったのかも知れません。よくちょっかいをかけていたそうですから、その時も何か驚かせるようなことをしたのでしょう。不幸なことに、田代さんはその拍子に足を滑らせてしまった……。つまり殺意はなく、過失だった」

 捲し立てるように言った後、「まあ、単なる想像にすぎませんが」とぶん投げるように結ぶ。

 確かに、筋が通ってはいるが……。

 しかし、どうして急にそんな考えに至ったのかが謎である。根拠のない想像にしては、何やら確信めいた物が感じられたのだが。

 すると、こちらの考えを見透かしたのか、彼は片頬を歪め、

「不思議そうだな。まあ、それもそうだろう。俺自身、少し戸惑ってるんだ。考えて答えに辿り着いたって言うよりも、天啓を受けたって気分だな」

「どう言うことかな?」と、教授が眉をひそめる。

「それを答える前に、もう幾つか質問させてください。まず、一つ目ですが、一さんは、二十五年前の()()()()()()()()んじゃないですか? それも、()()()()

 予想外の質問だった。

 教授たちにとっても同じらしく、二人とも驚いた様子で彼を見返す。

「あ、ああ、確かにそのとおりだよ。一くんは仕事中にたまたま引ったくりの現場に居合わせて、犯人を取り押さえようとしたんだけど、その時車道に突き飛ばされてね。運悪く通りがかった車に轢かれたてしまったんだ。警察官の勤務中の死と言うこともあって、当時は新聞にも載っていたよ。かく言う私も記事を読んで知ったほどで──」

 そこまで言ってから、彼は何かに思い至ったようにその先を吞み込む。そして、少しだけ血の気の引いた顔になり、

「もしかして、これだったのか⁉︎ ()()()()()()()()()()()()()()()()! 『夏に実家に帰った時』だったから、君はお盆だと言い当てたんだろ?」

「そう考えました。そして先ほど僕が言ったことが正しいのであれば、『ざまあ見ろ』と言う言葉を呟いた理由は明らかでしょう」

 緋村の声は鉄のように冷たく響いた。

 本当に天罰だったのだ。

 煙井さんにとっては。

 もし先ほどの緋村の「想像」が正しいのであれば、そんな呟きが零れ落ちるのも無理からぬことだろう。まさしく心から込み上げで来た言葉、会心の一言だったはずだ。

「しかし、それでは、その前に兄が言っていたことは? 『外れはしたが大当たり』とは、いったいどう言う意味だったんでしょう? ──緋村くんは、そこまでわかっているんですか?」

「一応、あるにはありますよ。答えだと思う物が。要するに、煙井さんのお兄さんはあることを()()しており、それは()()()()()()()()()()()()んです」

「何なんですか、それは……」もどかしげに目を細め、店主が尋ねる。

「その話をする前に、最後の確認です。──亡くなった時の一さんの階級は、()()()()だったのではありませんか?」

「そ──そうだったかも知れない。──いや、間違いないよ。彼は当時巡査部長だったはずだ」答えてから、奇妙な物を見るような視線を教え子に向ける。「しかし、何故そんなことまでわかるの? まさか、本当は別の誰かとも通じていたんじゃないだろうね?」

「簡単なことですよ。それが、煙井さんのお兄さんの予言だったからです」

 言いながら、彼は徐ろに膝の上のボディバッグを漁り、ペンケースの中からボールペンを取り出した。

 何をするつもりなのだろう? 横から見守っていると、テーブルの上の原稿用紙の束を、教授たちの方に見えるよう向きを変え、

「一さんは昔から刑事になりたいと話していたそうですね。と言うことは、将来彼が夢を叶えることを、煙井さんのお兄さんが予想していたとしも、おかしくはない。そして、実際に一さんは警察官になった。

 ただし、ある点において予想は外れました。彼は刑事ではなく、交番勤務だったからです。──その後、二十五年前の夏に殉職した。これにより、予想していたことは『結果的には大当たり』となった。殉職ですから、一さんは()()()()()したわけです」

 わかりそうでわからないことを言い、彼は表紙に書かれたタイトルの一部分を、ペンで丸く囲ってみせた。

「煙井さんのお兄さんがこの小説のオリジナルを書いたのは、おそらく一さんの訃報を知った後だったのでしょう。これがその証拠です」

 それから、緋村は印を付けた箇所──「田代・古賀、VK」までを、ポールペンの先で示し、

「これ、逆から読んでみてください」

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