ムクサと灰色の子
扉を開き踏み出すと、本に囲われた。
館内はお椀を伏せたようなドーム状となっており、各階ごとに壁に沿って本棚が設置されている設計となっている。
意外と文明が発展しているのかも。
前世の頃に出入りしていた市立図書館と同じくらいの蔵書数ではないだろうか、全体を見回しながら、そう推測した。
これなら、もしかしたら異属性の魔法陣について書かれた本があるかもしれない。
そう思い、私はそれらしき本を片っ端から集めて中央にある閲覧机の上に山を作り、読み始めた。
魔法がしっかり研究されているようだ。私の独学よりずっと深い知識と知恵が詰まっている。魔法陣の構成や配置についての考察が殆どで、異属性の魔法陣について特に記載はなかったが、その理論について学ぶことはとても勉強になった。
私がそうして一息つくと、先ほどから後ろに立っている人物を確認する。
後ろに立っていたのは、ムクサと呼ばれる種族だった。ムクサは世界のあらゆる物事を記録する事を種族命題とし、各国に一人から二人が常駐している。国の方でも、ムクサ達の広く深い知識を得ているため、ウィンウィンの関係なのだ。 一方でムクサは保守的であるため、常駐しているといっても、他種族とは関わろうとしないのだが、なぜか私の後ろに突っ立っている。
ムクサは目を持たない。その感覚器官がない代わりに、発達した脳を持っており、頭部は大きく後ろに垂れている。肥大化した脳によって外界の様子を瞬時に把握できるらしい、そして、彼らは把握できたことを自分の体液をインクとしたムクサ文字で永久紙に記録していく。ムクサの体液で書かれた文字を彼らが触れれば、脳内にありありとその内容が浮かぶのだそうだ。全く想像はできないのだが、そうらしい。さらに驚くべきなのは、ムクサは同族間の場合、言葉を発さなくとも意思疎通ができる。よって、特有の発話言語を持たないのだが、なぜか発声器官を持っているので、異族との意思疎通は可能なのだ。というように、彼らの構造的な特徴の一つに、異種族との交流ありきであることが挙げられるというのに、思想としては保守的なのが興味深いところではある。
振り返って、ムクサの様子を見ていたのだが、全く反応がないので私から話しかけることにした。
「異族嫌いのムクサがどうしたの?」
先ほどまでの無言はどうしたのか、ムクサはすぐに答えた。
「同じ事を問おう。怨子よ。何故、神山から降りてきた?」
「用はそれ?」
「………、いや、ついて来てくれ。」
ムクサが頼むことは非常に珍しいことだ。それだけややこしい頼み事なのだろう、しかし私は好奇心の方が勝り、このムクサについて行くことにした。
ムクサの後ろにつきながら、垂れた頭が歩くたびに揺れる様子をぼんやりと眺めながら、先ほど得られた魔法陣理論について自分なりの応用のしかたを考えていると、いきなりムクサの背中に頭をぶち当ててしまった。
「うわ、ごめん。」
ムクサの顔を見上げてそう言うと、ムクサは少しイラッとしたようだ。多くは目でわかることだが、ムクサの場合は肌に伝わる空気感でわかる。
ムクサは無言で目の前の扉を開いた。その先は螺旋階段が続いている。多分塔のようなものなのだろう。私たちは暫く登り続けていると、階段が途切れたところにある扉をムクサは開いた。
中はニコの部屋とは比較するべくもなく、カオスであった。永久紙が天井にくっつくかのように積み上げられている。一方で、ある一角には本の山があった。
ムクサは異種族の本を読むことはできないので、はてな、と首を傾げていると、ムクサはついて来いと言うかのように、私をその本の山へと導いた。
山の中には、小さな子供が本を読んでいた。私たちに気づいたようで、こちらに目を向けた。
「初めまして。おっちゃんが誰か連れてくるなんて珍しいね。」
ムクサをおっちゃんと呼ぶこの子供は、灰色の髪と瞳を持ち、その髪は薄く耳の高さほどしかない。顔色は悪く、肌が青白い。頬も痩けていた。
「初めまして……。」
この子は、灰色の子だ。
灰色の子は魔力を持って非常に低い確率で生まれてくる。体力がなく、すぐに死んでしまうと言われ、殆どの子供が生まれたと同時に間引かれてしまうのだ。親がそれを拒み、何とか育てられたとしても、待っているのは差別だ。世間は、彼らを穢れた子として接触を拒む。
何となく、このムクサの意図が分かってきた。私はその子から離れ、ムクサに尋ねた。
「おっちゃん、この子、助けたいの?」
私の質問に対して、隣にいるムクサは頷いた。
「ムクサが私に頼むほど異族を助けたいなんてね……。」
と、考えていることがつい言葉に出てしまった。
「怨子の知恵を借りたい……。理屈はわかっておるのだろう。」
ムクサはそう言って、私を探り出した。彼らは頭を覗けるのだ。多分そのせいで異族種が嫌いになったのだろう。
勝手に探りやがって、と思いながら、ムクサの問いに頷く。
先ほど分かったことだが、魔力は、生命力に還元できる。だからこそ、自然と魔力の多いものほど寿命が長い。父上がいい例だ。父上は空間と時間ができた頃から生きている。しかし、魔力を意図して生命力に還元するには、全ての属性を持たなければならない。つまり、人間にとって不老不死の魔法は不可能である、と昔の不老不死を夢見た魔法学者たちは述べている。
一方で、私は全属性を持っている。そして、今回の魔法陣の理屈をある程度、把握はできた。もしかしたら何とかゴチャゴチャやれば全属性の魔法陣を子供の身体に描くことで救えるかもしれない。
しかし、だ。
これは、自然の摂理に逆らう行為だ。
弱きものは淘汰され、強きものが支配する。
その摂理に、果たして、反していいのだろうか?
と、ニコを助けた私が思うのも、矛盾している。
つまり、私は弱いのだ。
心が弱い。
そのように割り切りたいが、割り切れないのだ。
ああ、ままよ。
「分かった。何とか考えてみる。」
私がそう頷いた時、いや、決断した時、ムクサは皺くちゃな顔をさらに皺くちゃにして、微笑んだ。
微笑むと、取り繕うようにして私から顔を背けて、その子どもの元へ向かい、長細い手で頭を撫でた。
「おっちゃん、どうしたの?」
「何でもない。」
そのように言葉を交わす彼らは、彼らだけの空間を作り出していた。
私はその様子に、胸がチクリと痛み、つい視線を外す。
何故痛むのだろう……。
首を傾げて胸のあたりをさする。服の中も覗いてみるが、蕁麻疹でもないようだった。