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邂逅

 一人の少年が、白雪降る病院の表門で歩みを進めていた。凍えるような寒さの夜、一面の銀世界の上、頭を下に垂れ、ただ一人、漫然と門を出ていく。背負った馬鹿でかいリュックサックは、一体何キロあるのだろうか。

 時はある年の冬。地球上は、とてつもなく、どす黒い雰囲気をまとっていた。原因は、誰の目から見ても明らかである。

 ……………………戦争。

 地球上を、「戦争」以上に、どん底に突き落とせるものはない。

ただただ兵士が死に、罪のない民間人が死ぬ。

 日本もまたその例外に転がり出ることは出来なかった。

 第二次世界大戦の恨みを一気に発散させるかのように、ただでさえ年々減少している日本人を、躊躇いもなく戦争へと駆り出した。政府は、第二次世界大戦の反省を露ほども活かしきれていなかった。

 日本国民は、そんな政策に不満を募らせ、それでも戦場へと旅立たなくてはならなかった。自分はどこに向かうのか。どの軍隊と戦争するのか。それさえも知らされずに。

 少年も、決して例外ではなかった。少ない人口、昔年の恨みを晴らそうと試みる政府、そして、度重なる外国との衝突により、徴兵は老若男女問わずに適用されていた。日本国内に存在するのは、自分が戦争に出るわけでもないのに戦意が最高点まで達している政府上官、ガタガタ異国人に震えながら国内に閉じこもるその下っ端、スパイとして国内に潜り込んだ異国人、使い道のない児童と老人、そして死に損なって用のなくなった人たち。

 少年は、今から死地へとおもむくのではない。少年こそが死に損ないの一人だった。彼は、異国人何人かの命と引き換えに、あるものを失っていた。それは極寒の中でのTシャツ一枚という格好からも推測できる。

 そう、触覚を失ったのである。

 銃撃戦のさなか、何物かが彼の頭を殴打してしまったため、脳の感覚機能が狂ってしまったのが原因である。

 そのため、少年は、身体に太刀が突き刺さろうとも、銃弾がねじり込まれようとも、平気でいられる。そして……他人の温もりを感じることが出来ない。

 だが、この世界では、触覚のある人でさえ温もりというものを感じることが出来ないのであった。この感覚障害こそが、少年が自国へと送り返された理由でもある。生活さえ不自由なくやっていけないのだから。

 少年から少し離れたところには、政府のお偉いさんの息子と娘がいた。二人は、仲睦まじく、雪に興奮し、抱きついていちゃついていた。すると、戦争での死に損ないがTシャツ一枚で歩いているのに気がつき、二人して手を口に当て、人差し指で少年を指差しながら、何かを囁き合った。くすくすと、意地の悪そうな嘲笑。

 現日本には、負傷して帰ってきた兵士は極めて少ない。仕方ないことだろう。兵器が大幅に改良された今、ほとんどが即死なのだから。

 少年は、無表情を貫き、黙々と足を動かす。

 少年は自覚していた。自分は、人間として欠陥品に成り下がってしまったのだと。

 少年は、そんな惨めな気持ちを忘れ去ろうとするように、どこからか一個の風船ガムを取り出すと、ひょい、と口の中に放った。

 ガムをぷくーっぷくーっと膨らませながら、少年は思う。

 病院での検査を済ませた今、やっと家に変えれるのだ。家族は、母親含めて全員戦争へと駆り出された。一人暮らしとなるだろう。一人は嫌いじゃない、むしろ好きだ、気を使わなくていいのだから。

 そう自分に言い聞かせ、足を自然と速めた。

 自宅はもう、すぐそこだ。辺りは真っ白に変わってしまっているけれど、やはりどこか故郷の面影を残していた。何年間も異国の地へと旅立っていたのにも関わらず、電柱や、ゴミ捨て場の位置まで正確に覚えていた自分が、不思議に思えてくる。

 しかし、運命というものは、そうも簡単に平穏を提供してはくれなかった。

 それは突然やって来た。記憶の中では、電機屋が建っていたはずの場所の前を通り過ぎようとした時のことである。

 そこに、ビルの姿はなく、変わりに駐車場が建設されていた。その奥の方から。

 ゴォォォオオオオォォオオッ!!

 ものすごい勢いで、一台の自動車が、少年目掛けて突っ込んできた。雪をどけたのであろう、車体に雪はなく、黒光りした車体をのぞかせていた。

 少年は、振り向いた。

 自動車は、すぐそこだ。ものすごい速度で走っているだろうから、もうコンマ何秒も持たないだろう。

 だが、少年は、無表情を崩さなかった。おもむろにスクワットの体勢をとると、雪を踏みしめ、

 バァッ…!!

 垂直跳びをした。

 馬鹿でかいリュックサックを背負っているのもおかまいなしに。

 人間業ではなかった。この少年が戦争で、どれだけその体を鍛えられていたかが伺えた。

 いや、もしかしたら、痛みを感じないがゆえに、筋肉の力を最大限に引き出せるのかもしれなかった。

 びゅん、と少年の足元を黒い風が走り去る。その風は、もともとどうするつもりだったか知らないが、電柱に、その車体を強打し、夜の街に思いきり響く轟音を上げた。。果てには、燃料タンク空いた穴から、ちろちろと液体が漏れる音がした後、業火を上げて炎上した。

 少年は、炎が怖くなかった。何せ、戦場で毎日飽きるまで見せつけられたから。

 赤々と、背景の闇に浮かび上がるように立ちのぼる炎は、少年に、核に汚れた異国の廃墟を思い出させた。

 あちこちに散らばるライフル。隅から隅まで張り巡らされた掘。そして、無惨に血を外界に放した、無数の屍。そんな気の狂いそうな記憶を掘り返され、少年は顔をしかめた。

 やがて、例の黒い車の運転席ドアが、ガバッと開く。足を車から出し、やがて全身を露にした人物は、暴走族でもなく酔っ払った政府上官でもなく。

 なんと一人の少女だった。

 少年と同い年くらいだろうか。全身には、明らかに重量のある完全防寒のコート。そして、首にはピンク色のマフラーが巻かれている。マフラーからはみ出た、長い、サラサラの茶髪が、夜風になびいた。

 そんな少女は、顔を驚きに染め上げ、パニック状態でこちらに走り寄ってきた。

 少年は、命の危険を感じた。同い年くらいの少女は、異国の地でも数多く見かけた。少年は、何人もの少女を傷つけ、そして傷つけられてきた。

 少女というものは、もはや守るべきものではなく、敵であった。戦場には、愛情や同情など存在しない、少年はそう思い続けてきた。そして、この少女が、自分を殺し損ねたが故にこんなにも頬をひきつらせてパニックになっているのだと、咄嗟にそう思った。

 することは決まっていた。

 その刹那、

 ……少女は宙を舞った。

 突然腹に響き渡ったその痛みに、端正な顔を悶えに任せた。長い茶髪が、雪降る夜の街に乱れ散る。

 少年は、拳を空に突き出したまま、「お、クリーンヒットしたようだな」とうそぶいた。

 少年は、自らが繰り出したそのアッパーの当たり具合を、視覚だけでのみ判定することが出来た。

 少年は、どすん、という少女の身体が地面についた音で、やっと拳を元の位置に戻した。

 そして辺りを見回す。

 電柱に衝突して大炎上している車、その傍らで、アスファルトの地面に倒れ伏し、気絶した少女。

 ……自分が、犯罪者みたいじゃないか。

 辺りでは、野次馬が集っている。人口が減少したからか、夜だからかは知らないが、大事故にもかかわらず二、三人程であった。

 そろそろ警察官と消防士が駆け付けてくる頃だろう。

 少年は、ガムを、ぺっと道端に吐き捨てた。

 本当は、こんなことは金を貰ってでもやりたくないが、少年は地面に転がって服も乱れていた少女を抱き上げ、すぐそこの自宅まで運び入れた。いわゆるお姫さまだっこというやつである。   



               #



 「まったく、帰国して早々とんだ災難に見舞われたな…」

 少年は、安っぽい革で作られた、ぼろぼろのソファにどっかりと腰を下ろしていた。

 その隣には、先程拾ってきた少女が横たわっている。頭はソファに入りきらずに、見事な茶髪をだらんと垂れ下げていた。

 目視したところ、脈は健在であるようだ。触っても何も感じられないので何とも言えないが、まだ目覚めていないだけのようだ。

 少年は、マグカップを持ち上げ、コーヒーをぐびっと飲み干した。

 味覚は無事なので、その味は分かる。だが、それが苦いのだとわかるだけで、温かいかは分からない。

 そして、バンッと、飲み終わったマグカップをちゃぶ台に叩きつけた。

 

「さて、と」

 意味をなくそういって、ふぅっ、と肺から白い息を吐き出した。

 (そういえば、同年代の女の子と、こんなに接近するなんて始めてだな)

 少女は、まだ目覚めてはいなかったものの、その寝顔を苦痛に満たしていた。瞼を硬直させ、唇の端は、鼻に到達しようかというほどつり上がっている。

 少年は、少女の身元に思いを馳せながら、少女が起きるのを楽しみにしていた。この少女は、自分と同じ、死に損ないなのだろうか。それとも、政府上官の娘なのだろうか。それとも、また別の理由?

 さらに、起きたらこの状況をどう思うのだろうか。初めての経験なのだろうか、男とこんなに接近するのは。

 少年は、目の前の少女のことに、頭をいっぱいにしているのだった。

 決して色男ではない。女の子になんて、関わったこともなかった。むしろ、異性には疎い方なのだ。

 先程は、いやいやながら少女を連れて帰ったのが嘘のように、少年は少し顔を赤らめていた。

 なぜだろうか。

 答えは簡単。

 生まれて初めてじっくり見た女の子というものに、一目惚れしてしまったのである。部屋を満たす光の中、やっとその美貌に気付いたのだ。

 全く少年らしくもない。あれほど冷静沈着な少年が。

 周りに、人気はない。目の前には、ソファで気絶している少女。さらには、それが一目惚れした少女となると、男ならなんらかの感情を出さずにはいられないが、少年はそうしなかった。少年は、悟った。どんなに可愛い少女であれ、その温もりを、自分は感じることができない、と。

 そして、少女は政府上官の娘かも知れない、そうでなくてもこんなに可愛い女の子に、自分なんかの、死に損ないの欠陥品が近づくのはまずいのではないか。

 少年は、本気でそう思った。いくら戦時中であるからとはいえ、見事なまでのネガティブ思考であった。

 その時、ふと少女は目を開いた。目を何度かぱちぱちさせると、自分の服のはだけ具合に気がつき、慌てて直した。特にマフラーを直した。

 そして、はっとしたように部屋を見回す。視線が少年の顔に重なると、まるで今までの全てがよみがえってきたように、唇を震わせた。

 すると、何を思ったのか、分厚い毛皮コートの内ポケットから、小さな手帳をおもむろに取り出した。

 かきかき……かきかき……。

 同じく取り出した、鉄製の、重そうなシャープペンシルで、その紙面上になにやら文字を書いていく。

 まだ自分は何も言っていないのに、この少女は何をメモしているのだろうか。

 かきかき……かきかき……すっ。

 少女は、最後に華麗にペン回しをすると、ずいっとその手帳を少年に突きつけた。

 少年は、不思議そうに首をかしげながらも、一目惚れした少女の文字を目で追う。

 『寒い』

 「あ、ごめん」

 少年は、ちゃぶ台から暖房のリモコンを手に取ると、ぴっとスイッチを入れた。

 少年は、この部屋内の寒さを微塵も感じられないのだから、仕方のないことだろう。

 それにしても、一目惚れの相手からの、最初の言葉が、「寒い」って…。

 少年は、くくっと苦笑を漏らそうとしたが、ふと、その口を止める。

 ……それは、最初の、言葉、ではない。そう気づいたから。

 少女は、自分の意思を、どういうわけか紙面上で伝えた。

 暖房をつけて欲しいのなら、口で「寒い」と言ってくれればいいのに。

 もしかして、この少女は自分を怖がっているのかもしれない。不審な男に口を利きたくないのかも知れない。

 少女の側からすれば、駐車場から出て(突進して)いったら、神業に近い垂直跳びを見せつけられた後、腹を殴られ、気付いたら家まで連れてこられている、というありえないような状況だ。

 正直、恐ろしい。この欠陥品である自分を、怖がっているのも無理はない。

 だとしたら、それは悲しいことだ。

 「……っ」

 少年は情けなくなって、リモコンを乱暴にちゃぶ台の上に放り投げた。

 自分は、どうするのだろう。

 もし仮に、この可愛い少女が、本当に自分を殺そうとしていたと判明したならば。

 ……己は、多分少女を傷つけ、亡きものとしてしまう、と。そう思うのである。

 戦争は、人の慈愛までもを、ゼロに還元してしまう。人たるものが、鬼と化す世界。それを改めて実感する。

 少年の心は、政府への憎しみと、平和への羨望と、二つの感情が、ぶつかり合い混ざり合い、複雑な情操を織り成していた。まるで二つの糸が目まぐるしく絡み合っているかのように。

 悲しげな少年の形相から、何かに気付いたのか、少女は優しく微笑みかけると、手帳のページを捲ってさらなる文字を書き記しだす。

 先程よりかなり長い時間が経った。

 そして、天使のような笑みと共に、再びそれを差し出してくる。

 『心配しないで。そしてごめんなさい。久しぶりに運転したから、アクセルとブレーキ、間違えた』

 少女は、ぺこりと頭を下げた。

 少年は、顔をほんのり赤くしながら恥ずかしそうに頭を下げ返した。そして、続きを読み始める。

 『……私、声を失った。戦争に駆り出されて、喉に銃弾がかすめたから。だから、マフラーには触らないで』

 突然の、衝撃の事実だった。

 少年は、紙面から目を離した。

 その顔から、驚き半分、同情半分の動揺を隠しきれないでいた。

 「………自分も、戦場で負傷した。だから、触覚がないんだ」

 呟くように、でもちゃんと少女の耳に届くように、少年は言った。

 その時、少年の目から、つー、と一筋の涙がこぼれた。どれほど戦争というものが、負の遺産となって心に溜まってしまっていたか。

 そんな少年の様子に、少女は、まだソファの上にあった自分の身体を持ち上げて、立ち上がった。そして、その両手を少年の首に回すと、ゆっくり抱き締めた。似たもの同士だからか、初対面でもおじけることはなかった。ピンク色のマフラーが揺れる。それはまるで、息子をあやす母のようでもあった。

 少年の顔の赤みは、ついに限界を突破した。世界のどの赤よりも赤らしいと言って過言ではなかった。

 しかし、少年はその事実を視覚を通して認知しただけで、少女の体温、そして心の温もりを全く感じることが出来なかった。折角の抱擁を身体で感じることが出来ず、少年は心の中で地団駄を踏んだ。

 同じ死に損ないである二人は、妙に気があったようである。

 その片割れの少女は、もう片割れの少年の首の後ろで、手帳の続きをささっと書いていた。

 『人間は身体じゃない。心が大事。身体が傷ついても、心があれば幸せ』

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