01「異世界に来て、包まれた」
二十五歳の青年、鈴鹿洋介が目を覚ました時、視界に最初に入って来たのは、青空に混じる枝葉だった。背中には草むらの上に寝転がっている感覚、起き上がって周囲を見渡してみると、生い茂る草とそこらに立ち並ぶ木々、洋介は自分が森の中にいることを知った。
「どこだ、ここ……えっと……俺、なんでここに? なんでこんなとこに一人で?」
自分がなぜこのような場所にいるのかわからず、思い出そうとする。すると、脳裏に浮かんだのは、パソコン、ノート、自分のアパート、強烈な眠気……。それらを思い出し、出力された結果は……。
「そうだった、思い出した。確か、俺はあの時、パソコンに向かって小説を書いていて……寝落ちしちゃったのか」
洋介には、誰にも譲れない情熱を注ぐ対象があった。それは『創作』という趣味。物語を思い描いて、それを小説や漫画といった形で出力してネットなどに公開する。それだけではなく、自身の漫画や小説の書籍化を狙っていたのだった。忙しい日々を縫って、時には休日を一日潰してまで漫画や小説を書く。そして、漫画や小説を賞に応募したり、時には出版社に持ち込むことだって行っていた。結果は芳しくないが。
その日は休日で、たまの休みを利用してその日は一日中創作活動を行っていた。更新予定のネット小説を書き、漫画やイラストをSNSに投稿したりと、忙しい休日を過ごしていた。そして、小説をパソコンで書いている途中、睡眠時間を削っていたのもあり寝落ちしてしまったのだ。
しかし、寝落ちしてしまったとはいえ、洋介は自分がなぜこんな森の中にいるのかわからなかった。寝落ちする前までは、確かに自分はアパートで小説を書いているのを覚えていた。それなのに、目が覚めた時にはこんな森の中にいる。これらの要素から考えて洋介が出した結論は……。
「これってもしかして、異世界転生か転移!?」
夢だとも考えた。だが、頬をつねっても痛い、鼻をつく土や草木の匂い。そして風が吹けば感じる冷たさ。すべてが現実のものだとわかった。
「いやー、異世界に転生したりする漫画や小説を何度も書いては来たけど、まさか自分がこうなるとは思ってなかったなあ。ちょっとファンタジーには似合わない服装だけど。というか、部屋着のまま……」
自分の服装を見てみると、アパートで着ていた服装そのままだった。白のパーカー、黒のスウェットパンツ、その下にはTシャツとトランクスを着ていた。さすがに靴は履いておらず、裸足で土の感触を味わっていたが。しかし、まさかの異世界に洋介は少しワクワクしていた。
「異世界かあ、日本じゃありえないような大自然の中に、まさか身一つって訳じゃないよな……何かあるだろう。アイテムとか、スキルとか、能力とか。よし、まずは……ステータス、オープン!」
そう唱えるが、よく見るゲーム画面のようなものが出る気配は全くなかった。二回試してみたが、出なかったので諦めた。
(……だったら、魔法か?)
そして、今度は脳内に魔法や技を思い浮かべ、手を開いて両腕を突き出して叫ぶ。
「メガ・フレイム!」
手からは火の粉すら出ない。他にもいろいろやってみるが、何も出ないし体に変化もない。仕方ないのでスウェットのポケットに手を入れてみるが、何も入ってない。パーカーについてるポケットに手を入れてみると、手ごたえがあった。取り出してみると、小説を書いていた時に入れていたノートだった。年季の入った大学ノートで、開いてみれば小説や漫画の設定、キャラのデザインがノートいっぱいに書かれていた。落書きもたくさん書かれていた。もしかして……と思いノートの一ページを開いて叩いて叫ぶ。
「召喚!」
これでもまた何も起こらなかった。思い当たることが何もかも外れに終わったことに、ワクワクは静まって恐怖がじわじわと出てきた。
「ちょっと待って、こんな森の中武器もなく妄想書き連ねたノートだけしかないなんて……それってマズくない? おいおいマジかよ……異世界に飛ばされて、わけのわからないところに置かれてどうしろって言うんだよ……?」
こんな状態で怪物や獣にでも襲われたら、一瞬で殺される。もし人に出会えてもそれが良い人とは限らない上に、この恰好を見て怪しまれたらどうなるか……。そんな妄想や不安を抱えながら、とりあえず動くしかないと考え、ノートをパーカーのポケットに入れて歩き出す。歩みを進めると同時に、足裏に草や土、それに混じる石の痛さを感じていた。日はまだ高いが、いずれ落ちて暗闇にでもなったら……と、持ち前の想像力の高さが災いして、あれやこれやと考えどんどん不安が大きくなっていった。
あたりを見回しながら歩いていると、草木ばかりで何もない……と思っていたら、草に紛れて何かが転がっているのが見えた。それに向かって歩いていくと、そこにあったのは古びた宝箱だった。
「やった、なんかあった……宝箱の中に、この状況を打開する何か良いものが入っていますように……」
何が入っているかわからないが、少なくとも何もないよりはマシだと考えたので、洋介は宝箱を開けることにした。良いモノが入っていますようにという気持ちと、悪いモノが入っていませんように……ミミックとかじゃありませんように……という気持ちが半々だが。
「武器とか鎧とかならベストだけど、生き残りに直結するものならなんでもいい……行くぞ!」
そうして、勢いよく宝箱を開けたが、宝箱の中には、黒い光沢を持つ液体が溢れそうなくらい満ちているだけだった。
「なんだ……これ」
恐る恐る手を触れようとした時、宝箱がバキッと音を立てて割れると、中に入っていたはずの黒い物体が洋介に向かってきた。
「うおぉ!? なんだこのドロドロ!? の、ノート……!」
せめてノートが濡れたりしないようポケットから取り出してその辺に放り投げるが、強い粘性を持ったそれは体にまとわりついて洋介を包み込もうとする。粘着質に絡みつくその物質のせいで、洋介は身動きが取れなくなりつつあった。グチャグチャドロドロ、ネチョネチョズルズル。そんな嫌な感覚が洋介の全身を駆け巡っている。空気の逃げ道がどんどん塞がれていく。引きはがそうと手でつかむも、逆に黒い粘液が手を包み始めてしまう。
「やめ、やめ、ろ……」
そして、宝箱の大きさから考えられないほどの量があふれ出てきた粘液は洋介を飲み込んだ。中で必死にもがくが、体を覆い尽くしもがいている様子も見えないほどの多量なドロドロは、まるで意思を持っているかのように動き、中の人物を咀嚼するようにぐぶっ、ぬぶっ、どぢゅんっ、ばぢゅんっ、ぱちゅっと粘り気のある液体をかき混ぜるかのような気持ち悪い音を立てて上下に動く。
「んおっ、んあああっ、おっ、んんっ」
ドロドロの中で体がけいれんし、もはや動くことすらままならなくなる。やがて、山のようになった黒い粘液はゆっくりと動きを止めた。洋介は、体中に粘りつく黒いドロドロの中から震える体でやっと這い出てきた。
「あ、ああうう……や、やっと止まった……お、俺は……どうなったんだ……? うわあ、ベトベト……」
体を確認すると、自分が先程まで着ていた服が消えており、体中に黒い液状のネバネバがついている以外は、そこにはいつもと変わらない自身の姿があった。体に異常があるわけでもない。ただ一つ違うのは、胸の辺りに粘液と同じぐらい黒い、大きな染みのようなものがあるということだけ。
「……? なんだこれ」
首を傾げながら、胸の黒い染みを触る。だが、特に何も起こらないのを見て安堵した。
「……よかった、何も変なことは無さそうだ。全く、酷い目にあったよ……しかし、これは……」
液状のゴムみたいに粘着質な物質に包まれて、服は粘液に食われたのか溶けたのかわからないが完全に消えてなくなっており、パンツの一枚すらなくなっていた。流石に全裸というのはまずいと思っているものの、この全裸を隠せるのは目の前で小山のようになっている黒いタールみたいな液体ぐらいだった。しかし、どうにもできそうにないそれを見て、ため息をつく。
「せめて宝箱の中に入っていたのが鎧とかなら、それでよかったのに」
そうつぶやくと、急にドロドロがぐちゃぐちゃと音を立てて動き出した。
「な、なんだ!?」
驚く洋介をよそに、形を変え始める。巨大な黒いドロドロは、ぐちゅりぐじゅりと音をたてて、徐々に小さくなっていく。そして、最後には白銀の鎧へと変わって、仰々しい剣や盾も備えていた。
「これは……一体……!?」
おっかなびっくりしながら、鎧に触るとしっかりと金属質の感じがする。兜を手に持ってみると、意外と軽く、兜を恐る恐る被ると、意外と視界が開けていてちょうどよかった。
「ま、まさかこれ……」
兜を外し鎧に被せる。イメージを変え、今度は服をイメージしてみる。すると、鎧はうごうごと姿を変え、マネキンに着せられた豪奢な貴婦人の衣装になった。
「す、凄い……これって、もしかして……イメージ通りに何にでも変化する液体……いや、異世界だからスライムって言うのかなこれ。これがあればなんとかなるかも……!?」
スライムは貴婦人の服から、元の黒いタールみたいなスライムに戻った。そして、くいっと指を自分の方向に動かすと、スライムは洋介の体にべしゃっとはりついてうごうごと動いて服になった。先ほど着ていた白いパーカーと黒のスウェットパンツ、そして白と黒が混じったスニーカーになった。触ると普通の布の感触なのに、意識すればいつでも形を変えられる。まるで生きている第二の皮膚みたいだ。
「なんにでも変わるんだなあこれ。とりあえず、新しい服が手に入るまではこれを服代わりにしてみようかな」
靴をトントンと鳴らし、歩き出そうとする。すると、ふと思いついたことがあった。ひょっとしたらできるかもと思い、構えを取り腕にグッと力を込める。思い描くのは、とある剣士のキャラが使う技。
「真空斬!」
腕で切るように横に払うと、パーカーの袖が瞬時に黒い刃となって木々を真っ二つに切り裂いた! そして、腕が止まるとこれまたいつの間にかパーカーに戻っていた。それを見て、最初は驚いたが自分がすごいことをやったと気づき歓喜に沸き返る。
「すごいぞコレ! なんなのかわからないけど、このスライムっぽいの超便利! こういうことも、できるのかも……」
足に意識を集中させる。すると、スニーカーやスウェットパンツはうごうごと形を変えて黒い光沢を持つ獣のような足となった。走り出せば今にも目にもとまらぬ速さで走れそうな光景を感じるほどのパワーを感じていた。
「これで走ったりジャンプしたりすれば、ものすごい移動距離を稼げて町とかにたどり着くんじゃないのかな。よーし、今すぐにでも走り出せと言われているような感じがするから、このまま一気に……」
走り出そうとした瞬間、視界に先ほど放りだしたノートが見えた。洋介が創作したアレコレが全部詰まった、元の世界では大事にしていたノート。
「……役には立たなさそうだけど、一応持っていくか。俺にとっては大事なものだし。元の世界との小さな繋がりだもんな」
パーカーのポケットにノートを入れた後、力いっぱい地面を蹴って走り出そうとした……が。
「うわあっ!?」
走るどころか、高く飛び上がって空中に飛び出してしまう。そして、足をバタバタさせながら落ちていってしまい、一瞬死を覚悟した。だが、足から地面に着地したことで怪我一つなかった。
「ホッ、危ない危ない……次は力加減を考えないと」
そして、今度は慎重に走り出す。これにも慣れないとなあと思いながら、森の中を駆け抜けていった。




