第3話 魔法きたぁ!……と思ったんだけど
異世界に来たなら、やっぱり魔法ですよね。
剣とかモンスターもテンション上がるんですけど、
やっぱり一回くらい「ファイア!」ってやりたいじゃないですか。
今回はそんなお話です。
朝の光は、木の隙間から細くこぼれて、リナの家の板張りの床にまだらな模様を作っていた。昨夜は疲れ切って倒れるみたいに眠ったせいで、目が覚めた瞬間だけ自分がどこにいるのか分からなかったけれど、鼻に入ってきた焼いたパンみたいな匂いと、見慣れない天井の木目を見た途端、ああ異世界だ、とわりと最悪な事実を思い出した。隣では彩がもう起きていて、布団をきっちり畳んでいる。奏は窓の外を眺め、悠は壁にもたれて、眠そうにしていた。
階段を下りると、台所ではリナが朝食を作っている最中だった。手をかざして、鍋の下に赤い火みたいなものを出していた。火、に見えるのに、薪はないし煙も立っていない。お爺ちゃんはその横で、重そうな水桶を、押して運んでいる。台車に乗っているわけでもないのに、片手で軽く滑らせている。何それ便利。ちょっと地味だけど、昨日のケモノ退治だけじゃなくて、生活の中でも普通に魔法を使ってる。私は寝ぼけが一気に吹き飛んで、鍋の中身を確認するより先にリナに問いかけた。
「え、ちょっと待って、今の毎日やってるやつなの?」
「うん。朝ごはん作るときはいつもこんな感じ」
リナはそう言って、当たり前みたいに笑った。その当たり前が私にはとんでもなかった。もっとこう、選ばれし者だけの特別能力、みたいなものを想像していたのに、目の前で起きているのは、ガスコンロをひねるくらい気軽な動作だった。お爺ちゃんも、私たちの顔を見て少しだけ目を細める。
「村じゃ珍しくもない。上手い下手はあるがな。畑でも炊事でも、使えるもんは使う」
「魔法って、戦うときだけのものじゃないんだ」
私が呟くと、奏が後ろから静かに補足する。
「昨日の戦闘用の使い方が例外的に派手だっただけかもしれないね。日常インフラに近い」
「言い方が急に現実的すぎて夢が減るんだけど」
「夢もいいけど、ちゃんと食べないと動けないわよ」
彩がぴしゃりと言って、机の上に並べられた皿に目を向けた。その横で悠が、鍋の縁から立つ湯気を眺めながら肩をすくめる。
「でも、特別じゃないってことは、逆に僕らにもできる可能性があるってことだよね。昨日の石投げと炎だけ見てるより、希望はある」
その一言で、私の胸の中にじわっと熱いものが広がった。そうだ、見るだけじゃなくて、自分でできるかもしれない。昨日の恐怖のあとで、初めてちゃんと前向きな期待が湧いてくる。するとリナが、待ってましたという顔で身を乗り出した。
「そうそう、それ! 今日、役場で属性を見てもらえるよ。どの魔法が得意か、だいたい分かるの」
「属性診断!? 何それめちゃくちゃファンタジー!」
「ひなひな、顔が緩みすぎ」
「彩、こういうときくらいはしゃがせてよ!」
笑われても止まらなかった。昨日までは命の危機だった異世界が、今は急にゲームのチュートリアルみたいな顔を見せてくる。怖さが消えたわけじゃない。でも、もし魔法が使えるなら。この世界で生き延びる手段が、自分の中にもあるなら。朝の光が明るくなるにつれて、私の期待もどんどん大きくなっていった。
◇
村役場は、役場と聞いて想像したコンクリートの建物とは全然違って、太い木の柱と白っぽい塗り壁でできた、やたらのんびりした建物だった。窓は大きくて風通しが良く、外から子どもの声や、遠くで鳴く鳥の声がそのまま入ってくる。中に入ると、机の向こうには年配の職員さんが座っていた。優しそうな顔だけど、私たち四人を見る目は好奇心と仕事の真面目さが半分ずつ混ざっている。机の上には、丸い石みたいな板と、細長い棒、それから属性ごとの説明が書かれた札が並んでいた。私はその時点でもう、内心でガチャ結果発表前の気分だった。SSR来い。いやせめて使いやすいやつ来い。
「では、一人ずつ手を置いてください。反応した属性を見ます」
職員さんに言われて、まず彩が前に出た。板に手を乗せると、石の表面に淡い茶色の筋がふっと走る。職員さんはうなずいて、すぐ横に置いてあった小石をつまんだ。
「土属性です。ものを動かす力に関わる魔法が扱いやすい。たとえば――」
その小石が、何もない空間を弾かれたみたいに前へ飛んで、部屋の壁に当たって落ちた。私は思わず「おお」と声を上げ、彩は目を細めてその軌道を見ていた。
「安定していて、扱いを覚えれば戦闘にも作業にも向きます」
「戦えるのは助かるわね」
彩が即答する。頼もしい。なんかもう本人まで属性っぽい。
次に悠が手を置くと、今度は薄い青色というか透明に近い揺らぎが板の上をなぞった。
「風属性。こちらもものを動かす力に関係する系統ですが、土屬性と違ってあまり大きな力は出せません。ただし広範囲に影響を及ぼすことが出来ますね」
職員さんは、近くで別の作業をしていた女性を呼んだ。女性は窓から身をのりだし、風を起こして林を揺らしてみせた。
「普段はお掃除に使ってますわ。秋の収穫時期には結構役立ちますのよ」
といって元の作業にもどっていった。
「空気を操るわけか。敵には見えない広範囲攻撃ができるってわけだ」
悠が淡々と言うと、職員さんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「理解が早いですね」
三人目の奏は、手を置いた瞬間に板の一部が白く光り、さらにごく小さな黒い点のようなものが一瞬だけ浮かんですぐ消えた。職員さんの眉が少しだけ上がる。
「光属性……それから、闇属性もわずかにありますね」
「闇?」
私が反射で聞き返すと、職員さんは慎重に言葉を選ぶように答えた。
「光と闇の二重屬性ですか・・・。めずらしい。今ここでは代表的な扱いやすい方を見せましょう。私も光属性をわずかに持っているんですよ」
職員さんの指先に小さな光が灯る。ろうそくよりは弱いのに、昼間なのに輪郭がはっきり分かった。奏は身を乗り出し、その色や強さを観察している。
「発光、照明、信号。戦いより索敵向きです。普段の生活では…まあ使い方はわかりますよね。こんな田舎の村では非常に重宝がられます」
「暖かくはないな……これは面白い」
奏が本当に嬉しそうに呟くのを見て、私までわくわくした。最後はいよいよ私。手を置いた瞬間、板の表面に赤い光が広がった。来た。赤。強そう。派手。絶対主人公属性。
「火属性です」
職員さんがそう言って、私の期待は天井まで跳ね上がった。火だ。火魔法だ。最強では。すると付き添っていたリナが、職員さんの許可をとってから、机の上に置かれた紙に指先を向ける。紙の表面がふっと焦げて、端が黒く縮れた。
「熱を与える系統ですね」
「ひなひなはリナとおなじね。使い方はもうしってるよね」
「熱! 燃やす! かっこいい!」
「単純ねえ」
彩の呆れ声にも、私には全然刺さらない。だって火だよ。漫画で強いじゃん火。私は自分の両手を見下ろして、もう今にも何か出せそうな気がしていた。四人それぞれの違いが、目の前でこんなにはっきり出るなんて思わなかったし、それがますます面白かった。彩は土で前線、悠は広範囲攻撃、奏は索敵と分析、私は火でド派手担当。完璧なパーティーでは。勝ったな、異世界生活。
「すぐ使えるとは限りませんが、素質はあります。練習すれば、日常の助けにもなるでしょう」
職員さんのその言葉に、私は何度もうなずいた。練習する。絶対する。昨日までただの巻き込まれ被害者だった私が、今日からは魔法使い見習いになるのだ。気分が上がらないわけがなかった。
◇
村の近くの空き地は、朝露がもう乾きかけた草の匂いと、日向に温められた土の匂いが混ざっていた。少し離れたところには木が何本か立っていて、地面には小石や落ち葉が散っている。訓練場所としてはかなりそれっぽい。というか、私の中ではもう完全に修行イベントだった。お爺ちゃんとリナが先生役で、私たちは並んで立つ。風が頬を撫でるたびに、昨日この世界に来たばかりだという実感と、今から魔法を習うんだという高揚がぐちゃぐちゃに混ざる。
「難しく考えすぎるな。まずは小さくやる。できることを一つずつだ」
お爺ちゃんが彩の前に小石を置く。彩は真剣な顔でうなずき、小石を見下ろした。
「落ちる力、押す力、そういうもんをイメージしろ。飛べ、じゃなくて、ここから向こうへ押す」
彩は目を細め、右手をかざした。数秒、何も起きない。私はちょっと息を止めて見ていた。次の瞬間、小石がぴくっと震えて、跳ねるみたいに前へ飛んだ。ほんの短い距離。でも確かに飛んだ。
「できた……!」
一瞬だけ表情が緩むが、すぐに口元を引き締める。その切り替えがいかにも彩だった。
「小さいけど、感覚は分かった気がする」
「上出来だ」
お爺ちゃんが短く褒める。次は悠だ。地面に落ちていた木の葉を一枚、お爺ちゃんが指で示す。
「風は流れだ。揺らすだけでいい。動けと命令するんじゃない、流れを作る」
悠は葉っぱに視線を落とし、手をかざした。周囲の空気は静かなままなのに、葉がわずかに震え、端だけが持ち上がる。もう一度意識を向けると、今度はくるりと裏返った。
「へえ。本当に空気の流れを“作ってる”感じがある」
「いや、今ので『へえ』で済ませるんだ」
「驚いてはいるよ、内側では」
相変わらず外に出にくいだけだった。
次は奏。リナが前に立つ。
「リナもお爺ちゃんも光属性を持っていないの。でもリナの火屬性に近いって言われてるから、リナが教えるね、指先を光らせるやつ。難しく考えなくていいよ。暗いところで光ってほしいって思う感じ」
「曖昧だけど、やってみる」
奏が指を見つめる。何回か呼吸を整えたあと、爪の先くらいの小さな白い点が生まれた。昼間の光の中では弱いのに、それでも確かに見えた。奏の目が一気に鋭くなる。
「自分の意志で出せてる」
「すごい、すごい。コツを教えていないのすぐにできるなんて。」
リナが褒めると、奏は少しだけ照れた顔で光を消した。で、いよいよ私である。リナは乾いた葉っぱを一枚持ってきて、私の前にしゃがんだ。
「ひなひなは火ね。燃やそうって思うより、この葉っぱが熱くなって変わるって思った方が近いかも。手真冬で手がかじかんだ時、こすって温める感じかな」
「よし、任せて。私こういうのたぶん派手に向いてるから」
「根拠のない自信ってすごい」
彩のツッコミを背中に受けつつ、私は葉っぱを見つめた。燃えろ。いや、熱くなれ。いやいや、火属性なんだからボッていけ。
「行けーっ。ファイヤーストーム!!」
じっと見ても、手をかざしても、葉っぱはただの葉っぱのままだった。もう一回、もう一回と力むほど、何も起きない。リナが優しく言い直してくれても駄目。お爺ちゃんが「焦るな」と言っても駄目。最初は笑っていた私も、だんだん口数が減った。
「……なんで私だけ」
ぽつりと出た声が、自分でも情けなかった。彩も悠も奏も、それぞれ小さくても形になったのに、私だけゼロ。火属性って言われたときの高揚が、そのまま大きい分だけ落差も大きい。リナは困ったように首を傾げた。
「ひなひな、力はありそうなんだけどなあ」
「ありそうで出ないのが一番つらいんだけど」
「まあ、初日だ。できんこともある」
お爺ちゃんはそう言ってくれたけれど、慰めとしてはちょっと薄かった。だって他の三人はできてるから。私は葉っぱを睨みながら、こんな序盤で落ちこぼれ枠は嫌だ、とわりと本気で思っていた。
◇
昼が近づくにつれて日差しは強くなり、空き地の土は朝よりも乾いてきた。リナとお爺ちゃんが仕事に戻ったあとも、私たちはそのまま残って練習を続けた。草の間から虫の声が聞こえ、遠くの畑からは人の話し声が流れてくる。その平和な音の中で、私だけが一人で葉っぱ相手に苦戦しているのが、なんだか余計に情けなかった。
彩はさっきよりも安定して小石を弾けるようになっていた。飛ぶ距離は短いけれど、狙った方向に真っすぐ行く回数が増えている。悠も葉っぱだけじゃなく、地面の砂をふっと流すみたいな動きができるようになっていた。奏は指先の光を出したり消したりして、何かの条件を確かめるみたいに何度も試している。みんな地味に見えて、でも確実に前に進んでいる。それに比べて私は、葉っぱを前にして唸る係だった。
「むむむむ……燃えろ……」
「呪いっぽいからやめなさい」
彩の即ツッコミが飛ぶ。私はしゃがみ込んで膝を抱えた。
「なんでみんなできるの。ずるい」
「ずるくはないでしょ」
「正論で殴らないで」
奏は困ったように笑いながらも、私の前に座った。
「たぶんだけど、ひなひなは“火”って言葉に引っ張られすぎてる」
「だって火じゃん」
「見た目はね。でも、さっきのリナちゃんのコツとか使い方、少し違和感があった。薪がなくても鍋は温まってたし、炎らしいものは見えても煙が出てなかった」
そう言って奏は、地面を黒板代わりに何やら描き始めた。
「土と風屬性は、物を動かす方向で考えると分かりやすい。物体の運動に関わってる感じがある。光屬性は発光だから、電気とか光そのものに近い。じゃあ火は何か。炎を出す能力じゃなくて、熱を与える能力なんじゃないかって思う」
「熱……?」
「火を見るんじゃなくて、熱くなる結果をイメージする。葉っぱがどう変わるかを先に想像するんだよ」
なんとなくは分かる。分かるけど、できるかは別だ。私はもう一度葉っぱに向き直り、焦げる、乾く、熱を持つ、そういう言葉を頭の中に並べてみた。でも、やっぱり何も起きない。指先にぴりっとした感覚が来た気もしたのに、葉っぱはただ風に揺れただけだった。
「駄目だあ……」
「まだ時間はあるわ。諦めたときが試合終了よ。」
彩どこかで聞いたセリフを言った。悠も木陰からこちらを見て、肩をすくめる。
「一番出力が高そうなのに、初動だけ詰まってる感じだね。扱いづらいのかも」
「それフォローしてる?」
「してるつもり」
奏は少し考え込んだあと、空を見上げた。青空は高くて、雲がゆっくり流れている。彼の視線は、見えているものの向こう側まで測ろうとしているみたいだった。
「魔法って、もしかして“何が起きるか”じゃなくて“どういう力に干渉するか”が本質なのかもしれない」
「え、急に難しい」
「ひなひな向けに言い換えると、ファンタジーに染まりすぎるな、ってこと」
「悪い、それ俺もわからん」
私だけできない。けど、それだけすごいポテンシャルなんだ、とも言える。強がり半分でそう思い直しながら、私は何度も何度も手をかざした。
◇
夕方のリナの家は、朝よりずっと賑やかだった。煮込みの匂い、焼いた根菜の匂い、少し香草っぽい匂いが混ざって、空腹を強引に自覚させてくる。訓練で疲れた体にはそれが凶器みたいに効いた。テーブルには料理がどんどん並び、彩と悠の視線が目に見えて食べ物へ吸い寄せられていく。いや私もお腹はぺこぺこなんだけど、この二人の食欲は私以上にブレない。
「いただきます!」
私の声に重なるように、彩と悠がほとんど同時に手を伸ばした。彩はきびきびと皿を取り分け、悠は静かに見えてしっかり大盛りを確保している。
「二人とも遠慮なさすぎない?」
「動いた分、食べるのは当然よ」
「同意見だな」
「食欲旺盛コンビだ……」
私が呟くと、リナがくすくす笑った。食卓では自然と今日の訓練の話になって、彩の石、悠の風、奏の光の話が出るたびに、お爺ちゃんが短くうなずく。初日でそこまでできるなんて大したもんだ、と言ってくれた。で、当然、話題は最後に私へ来る。
「ひなひなは、どうだったの?」
リナに聞かれて、私はスプーンを止めた。
「見事にゼロでした」
胸を張って言い切る。
「そんなに威張ることじゃないけどね」
彩の優しくも鋭いツッコミが飛ぶ。私は煮込みの中の芋をつつきながらため息をついた。
「火属性って一番分かりやすそうなのに、全然分かりやすくないんだもん。燃えろって思っても燃えないし」
「そうだよねえ。でもね」
リナはそう言って、自分の指先にいつもの赤い火みたいなものをふわっと灯した。夕方の部屋の中では、それが昼間よりずっと綺麗に見えた。小さな赤い光が揺れて、いかにも熱そうなのに、リナは平気な顔のまま反対の手を近づける。さらにそのまま、ぺたっと触った。
「私の魔法の火は火じゃないんだよ。ほら触っても熱くない。これは私の中のイメージが勝手に出てきてるだけなんだよ」
私は目を丸くした。熱くない。今、確かに触った。
「じゃああれは何なの。炎の形をした飾り?何を熱くしたの??」
私のはてなだらけの質問にリナは、
「温めたのは、指先のもっと先。ひなひなのスープだよ。ちょっと冷めちゃったかな?って思って」
スープを飲むと確かに今鍋から注がれたように熱かった。
じゃああれは何なの。炎の形をした飾り? でも鍋は温まる。葉っぱは燃える。頭の中で、朝からの光景が急につながりかける。
「見えてる火と、起きてることは別ってこと?」
「たぶんそう。リナは火っぽい方が分かりやすいから、勝手にこんな感じで出るだけ。土属性や風属性の魔法みたいに目で見てわかりにくいし」
お爺ちゃんが腕を組んだままうなずく。
「見た目に引っ張られると、逆にやりづらいこともある。自分にとって分かりやすい形が出るだけだ」
奏がそこで静かに口を開いた。
「やっぱり……」
その声は小さかったけれど、昼間から考え続けていたものが形になり始めたみたいだ。私はその横顔を見ながら、さっきまでの落ち込みが少しだけ薄れるのを感じた。私だけできないんじゃない。私の頭の中の“火”が、たぶん邪魔をしている。もしそうなら、変えればいい。そう思うと、悔しさがそのまま次のやる気に変わっていく。食卓のあたたかい空気と、鍋から立つ湯気と、みんなの会話が混ざる中で、私はもう一度明日の、いや今日の続きをやる気になっていた。
◇
四人で使わせてもらっている部屋は広くはないけれど、布団が並んでいて、木の壁が夜気を少しだけ遮ってくれる。昼間の熱が抜けて、空気はひんやりしていた。小さな灯りの下で、彩は先に座り込み、悠は壁にもたれ、私は布団の上に転がって足をばたつかせていた。今日一日の情報量が多すぎて、頭の中がずっとざわざわしている。魔法がある。属性がある。私は火属性。なのに使えない。でも、ヒントはある。そんな私たちの真ん中で、奏が膝を抱えて考え込んでいた顔を上げた。
「たぶん、分かった」
その一言で伸び切っていた部屋の空気が変わる。彩がすぐに視線を向ける。
「魔法の? 何が?」
「魔法の原理の一部。少なくとも、今日見た範囲では説明できる」
「え、ほんとに? じゃあ私にも分かる言葉でお願い」
「努力はする」
奏は床に指で線を引きながら話し始めた。彼が何かを説明するときの声は、落ち着いていて、断定しすぎず、それでも筋道が通っているから不思議と聞ける。
「土属性、風属性は重力を操る魔法、火属性、光属性は電磁気力を操る魔法何だ」
私は一回まばたきした。彩も悠も黙って続きを待っている。
「重力……電磁気力……?」
「この世界に来てからずっと感じてたけど、物の重さとか暗くて見えないとか、そういった物理法則は元の世界と変わらないんだ。魔法も不思議な力だけど、何もないところから物が現れたり、瞬間移動できるわけでもないらしい。それなりの法則に従っていると思う」
「と、ということは?」
彩、悠、そしてわたしが、異口同音に先を促す。
「自然界は4つの力で成り立っているけど、僕たちに関わっている力は「重力」と「電磁気力」で全部説明できる。魔法はおそらく第5の力で、重力もしくは電磁気力に干渉しているのではないかと思う」
奏はちょっと誇らしげに言いきった。でも私には何を言っているかわからない。私だけかと思って、彩と悠をそっと見ると、へのへのもへじ顔になっている。よかった、私だけじゃなかった。
「奏、もう少し俺達にも分かるように説明してくれないか?」
悠が代表して、言ってくれた。奏は少し恥ずかしそうに咳払いして続けた。
「簡単にゆうと、土屬性と風属性は物体…というか物を動かす魔法が使える屬性。目に見えるのでわかりやすいね。火属性と光属性は、おそらく電磁波を発生させる魔法なんだと思う。電磁波の中で波長が380nmから780nmまでの波が「光」なんだ」
「私は土属性だから物を飛ばす。わかりやすくてよかったわ」
「俺の風属性は空気を広い範囲で飛ばしている、って解釈か」
「そう、そして僕の光屬性は…そのままだよね」
彩と悠はそれなりに納得した。私もそこまでは分かった…なんとなく。
「で、私は?」
期待を込めてきいた。
「火属性の魔法、リナが使っていたのはおそらく電磁誘導加熱だと思う。電磁波の振動で物体は加熱されるんだ」
「『Induction Heating』約して『IH』。リナは文字通りIH調理器で調理してたのね」
「さすがは帰国子女」
「だから火で加熱するイメージでは、魔法が使えなかったんだと思われる」
数秒、部屋がしんとした。異世界の夜に急に生活感がすごい。
「……IH調理器?」
「そう。外から火をつけるんじゃなくて、対象そのものを熱くする。だから見えてる炎は、本体じゃない。リナちゃんの言った通り、イメージが勝手に出てきてるだけなんだと思う」
「じゃあ私は、炎を出そうとしてたから駄目だったの?」
「たぶん。ひなひなは炎のイメージが強すぎて、本当に起こしたい現象の方をイメージできてなかった」
彩がそこで小さく息を吐く。
「なるほどね。それじゃあ強く思えば思うほど真逆の効果だったのね」
「たぶんそう。魔法って、願望をそのまま叶えるんじゃなくて、どういう力に干渉するかを選ぶものなんだと思う」
悠が薄く笑う。
「夢が減ったようで、逆に面白くなったね。魔法なのに、雑じゃない」
私は膝を抱えた。急に火魔法のイメージが、火球とかドラゴンのブレスじゃなくて、キッチン家電寄りになる。かっこよさは多少減った。でも、できる気は少しだけ増した。
「じゃあ、葉っぱを“燃やす”んじゃなくて、“中から熱くする”って思えばいいんだ」
「そういうこと」
「なんか急に生活臭が出たなあ、私の主人公感」
「最初からそんなに主人公っぽくはなかったでしょ」
彩がさらっと言い、私は抗議の声を上げた。でも、その軽口の裏で胸は高鳴っていた。できるかもしれない。今度こそ。理屈が見えた瞬間、魔法は遠い奇跡じゃなくて、手を伸ばせば届くものに変わった気がした。奏
「行く、今から試す」
失敗したまま寝るなんて、もう無理だった。
◇
夜の空き地は、昼間とは別の場所みたいだった。月はまだ高くなく、村の灯りも少ないから、空は驚くほど暗い。そのぶん星がやたら近く見えて、草の上には夜露が降り始めていた。足元を踏むたびにしっとりした感触が伝わってきて、ひんやりした空気が熱くなりかけた頭を少し冷ましてくれる。
「焦らなくていいよ」
奏が小声で言う。
「うん」
私は地面に落ちていた細い小枝を拾って、少し離れた土の上に置いた。葉っぱより分かりやすい気がした。小枝。乾いてる。軽い。これを、炎で包むんじゃない。中から熱くする。水分を飛ばして、温度を上げて、変化させる。私はしゃがみ込み、小枝をじっと見た。昼間みたいに“火よ出ろ”とは思わないようにする。見た目はあとでいい。起きることを先に考える。小枝の中が熱くなる。熱がたまる。変わる。焦げる。
でも途中で、頭の中に余計な映像が入ってくる。キャンプファイヤー。ゲームのキャラが飛ばす火球。いや違う違う。私はぶんぶんと首を振った。
「どうしたの、ひなひな」
悠が少し呆れた声を出す。
「頭の中に余計な火が出てくる」
「難儀だね」
「もっと具体的にイメージしなくちゃ」
彩が短く言った。
「彩と悠はいいよね。具合的にイメージできて。奏はどういうイメージなの?」
近い屬性なのに、苦労なく魔法が使える奏にアドバイスを求める。
「職員さんの光をみたとき、思ったんだ。LEDみたいだって。だから、半導体上の電子が励起状態から基底状態に戻るときに光子を放出する、そのエネルギー準位の遷移をイメージして再現してみたんだ」
しれっとした顔で奏はいった。さらに
「誘導加熱なら、振動するコイルのイメージか? いや、マグネトロンの方がいいかな? それならマイクロ波が…」
「もういい。そのイメージはもっと無理。もう少しわかりやすいイメージないの?」
「マイクロ波=MicroWaveって電子レンジのことよね」
「さすが帰国子女…」
電子レンジ。また家庭的なイメージに…
でもなんとなく思い浮かぶ。学校帰り、冷えた肉まんを温めるときの、あの何でもない音。中が先に熱くなっていく感じ。外から火をつけるんじゃない。中を熱くする。再び小枝に向かって手をかざす。私は思わず小さく呟いた。
「むむむ、レンジでチン」
小枝の先端がふっと赤くなった。ほんの一瞬、見間違いかと思うくらい小さな変化だった。でも次の瞬間には、そこからぱちっと乾いた音がして、黒い焦げ目が広がった。私は息を呑んだ。小枝の端に、小さな火が、今度こそ本物みたいに灯っている。
「……ついた」
声が震えた。火はすぐに大きくはならなかったけれど、確かに小枝を焦がした。見えているだけの飾りじゃなくて、変化が起きている。熱が生まれている。私がやった。私の魔法で。
「やった、やった、やった! 出た! 出たよ!」
私は立ち上がって、その場で跳ねた。彩が少しだけ口元を緩める。
「おめでとう。やっとね」
「最初の台詞がそれ!?」
「事実でしょ」
悠は肩をすくめながら笑っていた。
「でも、ちゃんと成功だ。ひなひなが一番うるさく喜ぶのも予想通り」
奏は小枝の燃え方を見ながら、それでも目だけは優しく細めていた。
「自分なりのイメージができたんだね。たぶん次からはもっと早いよ」
「奏先生! ありがとう!」
「先生ではないけど、役に立ったならよかった」
その言い方がいかにも奏だった。私はもう一度小枝を見た。暗い空き地の中で、その小さな火は信じられないくらい綺麗に見えた。昨日まで魔法なんて存在すら知らなかったのに、今は自分の手で世界の法則に触れている。怖い世界だと思った。理不尽だとも思った。でもそれだけじゃない。この世界には、観測して、理解して、体験して、自分のものにできる面白さがある。胸の奥が熱くて、足先まで軽い。高揚ってこういうことを言うんだと思った。
私はまだ小さく燃える枝を見つめながら、思わず笑ってしまった。異世界、最悪の始まりだったけど、ちょっとだけ、かなり、面白くなってきた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第3話は「魔法の楽しさ」と、
この作品ならではの“理系魔法”を意識して書きました。
次回からは、
「便利で楽しいだけではない魔法」
が少しずつ見えてきます。




