No.28 歪んだ塔と蒼い剣 - 25
地下からの脱出は、あっという間に果たされた。
時間としては、10分ほどであっただろう。
ドアマンテ率いるプレイヤー達は、大蛇から逃げるべく地下に滑り込んだ後、取り敢えず首の皮一枚繋がったと安堵の笑みを浮かべていた。
ひとまずは必死に足を動かさなくていいことに、あの恐怖からなんとか逃れられた事に、喜びを感じていたのだろう。
しかしそんな穏やかな表情は、荒れる呼吸が平常に戻る頃には無くなっていた。
「よし、取り敢えず助かったな。疲れているだろうからゆっくりでいい。次は地上を目指すぞ」
そんな声が聞こえる頃には、強張った表情が張り付いている者もいた。
ドアマンテの指示に従って、ペースを落としながらも歩き始める。疲労はピークに達しようとしている。それでも彼らは歩き続けた。
アリスはベルと共にドアマンテの近くを歩きながらも、何も発することは無かった。何も話さず、涙を堪えながら、俯きながら変わらない薄茶色の景色を眺めていた。
最後尾。全プレイヤーの背中が見えるその位置で、誰にも気にされることなくスウェントルは1人のそのそと歩いていた。
腕に巻きついているログからは、何かが表示されている。地図かと思われたそこに書かれていた文章で、スウェントルは正気を取り戻すことになる。
歩く速度が早まり、まるで土の中でも見透しているかのように下へ下へと向いていた視線を、いきなり前へと変えたのがその証拠と言えるだろう。声を出すことは流石になかったが。
そうして、誰ひとりとして沈黙を破ることが無いまま、彼らは緩やかな坂道へと差し掛かった。急な坂道でなく良かったと思う反面、長く続いたその道は確実に彼らの体力を削っていった。
地上はまだかと、平坦な道はまだかと上を見上げながら機械のように同じ動作を繰り返す。
すると、その見上げる顔に上からじわじわと光が差し込んできた。地上であった。
彼らが辿り着いた空間は、先程の大広場に比べれば一回り小さいものであり、出口はこの道を除いては一つしか無かった。
ドアマンテが見ていた地図にも同じように示されており、この場所は、地下ダンジョンの左上の部屋。
逃げ道が少ないため、地上であれど、早く抜け出したい空間であった。
しかしそれほど思い通りに物事が進むことすら、この世界は許してはくれなかった。
「ギシュァァァァァァァァァァァアァ!!」
彼らプレイヤー全員が坂道から抜け出したその時に、待っていましたと言わんばかりにナーガリオンが姿を表したのだ。
「...ッッ!」
その時に、つま先の向きをすぐに変えるべきであったのかもしれない。また地下に潜って時間が経つのをもう少し待つべきであったのかもしれない。
しかし、それが出来なかったのだ。
なぜなら。
それを彼らが行動に移す前に、その道は大蛇によって塞がれてしまったからだ。
奴は、壁の中から出てきたのだ。地下へ繋がる、一同が出てきた出入口の丁度真上から。
それによりまたしても土が崩れ始め、道は瞬く間に封鎖。
残る逃げ道はたった一つとなってしまったのだ。
ジリジリとこちらへ近づいてくる。その目は、明らかに狩りをする獣の目であった。
「全員...1人でもいいから出口を目指せっ...! 誰でもいい...誰でもいいからっ! 生き残るぞ...!!」
ドアマンテが落ち着きながらも声を荒らげた。顔は、目は敵の方から逸らさぬままで。完全に追い詰められた。それでも、彼らは諦めなかったのだ。
スルスルと、天に昇る龍の様に上半身を上へと伸ばしていく。
そうして、ナーガリオンは集団へと狙いを付けて飛び込む準備をした。まるで弓を射る際の溜めの様な、そんな状態であるように体をググッ、と縮こませる。
そうして、来たるべく第1の攻撃に備えようとしていた時に。
その時に、スウェントルが壊れた人形へと変貌を遂げたのだ。
あの奇声を、笑い声を上げ始めた。髪をグシャグシャに掻き乱しながら、頬を剥いでしまう勢いで皮膚に爪を立てながら。
「あは...あはははははは、あはっ! あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
後ろにいた彼の狂った声を聞いて、前にいた全てのプレイヤーが目を見開きスウェントルを見る。その幾つのも瞳に写っていた彼の姿は、まさに奇人、怪人であった。
しかし、その瞬間をナーガリオンが待ってくれるわけも無く。
むしろ好都合であると、溜めた力を爆発させるかのように大蛇は彗星へと姿を変えてこちらへと襲いかかってきた。
──やべぇ! 早く避ける準備を...っ!
そう思った時にはもう遅かった。避けようにも時間は残されていなかった。
しかし、ドアマンテは助かった。確実に彗星は彼の方へと向かっていたにも関わらず、運命を遮るかのように違う影がナーガリオンの前へと飛び込んできたのだ。
飛び込んできたのは、誰と言うほど親しい中ではない、1人の男性であった。それこそ、この世界に来て1度も言葉を交わしていないような。
しかし、そんな彼がドアマンテを庇うかのように我が身を犠牲にしたのだ。
「うわ、うわぁぁぁぁぁぁぁあっぐぇっ......」
男性が、鋭く光る牙の供物となっていく。横腹を噛まれたその人は、上へと持ち上げられた後、下半身を口の中に入れられながら咀嚼され、咀嚼され、咀嚼され、そして、消えていった。
いきなりの出来事にヘタッ、と腰を落としてしまうドアマンテ。しかし、彼を庇ったわけではなかった。本当は、男性も一目散に奴から逃げるつもりでいたのだ。今まで自分らを率いてくれていたとは言え、自らの命を賭けるほどお人好しではもちろんなかったのだ。
では何が起きたのか。それは、事が起きた後の状況がわかりやすく親切に物語っていた。
「お、い。なに、何...やってんだよ...」
未だに起き上がれない彼の言葉を境に、辺り一帯の時が止まった様な気がした。大蛇は獲物を捉えたしばしの喜びに浸っている。しかし、それ以外の者は皆硬直していた。
それほどに、目の前の光景は衝撃的であり信じられないものであった。
「あははぁ...よし...これで1人目ぇ......」
パンパン、と手を払う音が響く。
そうして、清々しい下衆な笑みを浮かべながら、スウェントルは初めて息を吸うかのような喜びを1人噛み締めていた。
彼を中心に必然的に円が出来上がっていく。
男性が無残にも死を遂げたのは、この青年のせいであった。
彼が、大蛇が目の前に来る直前に、自分は大丈夫だと脳裏で油断していた男性の背中を押して、自らの手で絶望を生み出したのだ。




