No.20 歪んだ塔と蒼い剣 - 17
「そ、ソーマぁぁぁぁぁぁあぁ!!」
裏声にも近いような、甲高い悲鳴が辺りを包み込む。ベルを庇って自らの腕を捧げたソーマに向かって、アリスは涙を零しながら彼の名前を呼んだ。
「へ...え、え......?」
そんな彼女とは異なり、体を張って命を救ってもらった張本人は一体何があったのか状況を飲み込めていなかった。目の前に映る光景と先程感じた衝撃と恐怖。
一体何がどうなってこのような展開を招いたのか全く理解出来ていないようであった。
「...ッッ!」
─グジュ、グジュ、と目と耳を覆いたくなるような光景が逃げ道に隠れ終えた者達も含め、全員の目の前に映し出される。
ソーマの左腕は、ナーガリウスの鋭く太い牙に深々と刺さっていた。怪物が口元を小さく動かす事に、血が吹き出るかのように光の粒たちが放出されていく。
それに伴って、満たんだった少年のHPは黄色へと変色されていった。
「ハァっ...ハァッッ!!」
冷や汗を滲ませながら、美しかった銀色の髪をくしゃくしゃにしながら、アリスは急いで杖を抜き取り、魔法を繰り出そうと意識を集中させ始めた。
嫌だ。こんな所で彼を失いたくなんかない。もう...誰もいなくなって欲しくない。
そんな感情だけが彼女を覆い尽くしていた。
しかし──、
「来るんじゃねぇ! 俺がここまでした意味がなく何だろぉが!」
自分の事を助けようとしてくれているのだと気づき、集中しようと瞼を下ろし始めていた少女に彼が放ったのは、顔を引き攣らせながらの「逃げろ」の一言だった。
助けに来ようとしてくれるのは有難い。しかし、それによって必ずしも二人共が助かる訳では無いのだ。
ソーマは身をもって知っている。
前回、グランドルムと対峙した時はたまたま運が良かったと。あの時助かったのはそれだけの話であったと。
だからこそ、今回は彼女の安全を優先したかったのだ。
彼女のことを、最後までしっかり守り抜きたかったのだ。
そして、それに合わせてドアマンテが道の中から迎えに来る。
「アンタら本当に死にてぇのか!? 心配なのはわかるが、あの兄ちゃんが命張ってんだ。早く逃げるぞ!」
そう言いながらアリスの腕をとる男性。
それでも頑なにアリスはその場から離れようとしなかった。
無理に引っ張ってくる男性の手を強引に振りほどいてソーマの元へ駆けつけようとする少女。銀朱に染められた双眸には、大粒の涙か溜まっていた。
「いいから行けって言ってんだよ! 危ねぇからこっち来んじゃねぇよ!!」
「だってソーマが...このままじゃソーマが死んじゃうからぁ......」
今すぐにでも泣き崩れそうなアリス。そんな彼女を見た少年は、痛みで半ば閉じていた目を無理やり大きく開いてこう言った。
それは、最後の力を振り絞って放った言葉だった。
「必ず戻る、追いつくから! 絶対に生きて帰るからっ!」
その開いていた目をゆっくりと閉じる。そして瞼が完全に閉じた瞬間、もう一度それを上に引き上げる。
最初のような乱暴な、荒い言葉遣いではない。
ソーマは、ただただ優しく、精一杯の穏やかな表情で言った。
「俺を、信じてくれ」
彼と彼女の信頼関係なんて、またまだ浅はかなものだ。小さな運命の悪戯一つでも起きようものなら、簡単に無くなってしまいそうな程に、薄っぺらいものだ。
しかし、その言葉には心が篭っていた。信念が宿っていた。
これが言霊とでも言うのかは、わからない。
その言葉を聞いて、グッと涙を堪えるように口を噤み逃げ道へと静かにかけて行くアリス。
彼女は、彼の強い意志を信じて走っていったのだ。
また、必ず自分の元へ戻ってくると信じて。
そうして、無事逃げ道へと到着したソーマを除いた生存者達。
それを確認すると、ソーマは腕を掴んで話さない大蛇に向かって小さな抵抗を開始した。現在、怪物は既に顔を上げており、ソーマは腕1本を噛まれた状態で宙に浮いているということになる。
「う、ぉぉぉぉおぉぉっ!!」
体を必死に捻ってナイフを引き抜き、ナーガリウスの目と目の間、鼻の方へと刃を連続して突き刺していく。
「シャァァアッ!」と口を閉じながら顔をしかめ、悲鳴を上げる怪物。
その位置にナイフを突き立てた事が幸か不幸か、果たしてどちらだったのかと聞かれれば言葉を濁してしまうだろう。
その鼻の部分は、ナーガリウスの弱点の一つであった。
少しずつスピードを上げながらその部分だけを指していくソーマ。彼自身は何の意味もないと思っていたかも知れないが、その切り傷は確実に大蛇を苦しめていた。
段々と顎の力が緩まっていく。何度も集中的に弱点を付かれて、一時的に弱ってきているのだろう。
そうして、牙からも腕がスルスルと抜けていった──、
その時であった。
「シャァァッ! グシャァァァァアァァ!!」
蛇に腕を解放されて、空から落ちてくる寸前だった展開から一転。ナーガリウスは、落ちそうになった、正確にはもう牙からは離れて落下途中だったソーマの腕をもう一度掴もうとしたのだ。
そしてもう一度、今度は服の袖を掴まれてしまった。
「くっ、そ!」
1度逃れる事の出来た安堵感を得てから元の状態に戻さた為、何とも言えない悔しさが心に残る。それでも、ソーマは何としてでも生き残ってやるともう一度同じ様にナイフを握りしめた。
しかし、相手も同じことを繰り返される程無知ではなかったようだ。ナーガリウスは黒の布で出来た服をしっかりと噛むと、今度は左右に頭を揺らし始めた。
まるで振り幅の激しいブランコに自分自身がなっているのではないかと思うほどに左右に、段々と揺れ幅が大きくなっていくソーマ。
そして、相当な速さと勢いが付いてきたその時であった。
──ヒュッ...
ソーマは、謎の疾走感と浮遊感に包まれた。下を見れば先程まで地に足つけて走っていた場所が良く見える。
腕の痛みは相変わらず続いているが、その腕や服が掴まれているという感触は感じられない。
ソーマは、文字通り宙に浮いていたのだ。
自分は、大蛇から逃れることが出来たのだろうか。
そんな思った瞬間であった。
──ドゴォォォォォォオォンッ!!
何かが、何か重いものがとてつもなく速い速度で近くの壁にぶつかる音がした。近くの石や砂がその衝撃によって外へと強く弾き出される。岩なども転がってきていた。
そしてその音はこの大広場だけでなく、比較的遠くにいたモンスター達、そして逃げ道の中にいたプレイヤー達の耳にも深く響いていた。
そして次の瞬間。それを機に更なる負の連鎖が彼らを襲った。
「嘘だろ...こんな事も起きんのかよ」
逃げ道の入口に一番近い所に立っていたドアマンテが、それを見た瞬間に一歩後ずさりしながらそんな声を漏らす。
壁を型どっていた石と砂がパラパラと小さな音を立てながら地面へと転がってくる。そしてその音が合奏の様に段々と重なっていき、石の大きさもその音量に比例して大きくなっていく。
挙句の果てには巨大な岩が落ちてくる。
そして壁が壊れて砂や石よりも圧倒的に量の多かった土が濁流のように流れ込んでくる。
つい先程の衝撃を受けたことがキッカケなのであろう。誰も予想だにしなかった災害演出「土砂」が発生したのだ。
これは元の世界でも極めて稀な現象であり、二つの条件が重なり合わない限り起きることのないものである。
一つ目はその壁や崖等か相当な柔らかさか相当な脆さでなければならないということ。
そして二つ目は、壁を一瞬にして粉砕することの出来るような強い衝撃を与えなければならないということだ。
それが起きたということは、このダンジョンは例の様な状態の物質が多いのだろう。土砂を起こすには最適な空間だったのだ。
では、二つ目の衝撃とは一体何だったのだろうか。
先程の出来事からして、何となく仮説を立てることのできたプレイヤーが大体だったのではないだろうか。
「さっきの音って...多分、あの人だよな......?」
「相当でかい音だったぞ。あんなんで生きてられるのか?」
誰かの小さな呟きから、まるで波紋が広がっていくかのように言葉が広がっていく。焦る声が聞こえ始める。
先程、ダンジョン内のどこにいても耳に届くような大音量を放ちながら、土砂崩れを起こすほどの衝撃を与えたのはソーマであった。
彼は大蛇 ナーガリウスに体を左右に揺らして勢いを付けられた後、自分が隕石にでもなっているかの如く凄まじい速度で急降下しながら壁に激突させられたのだ。
─シン、と静まり返った大広場をドアマンテがゆっくりと覗いていく。覗いた当初は、空間内が砂埃に埋め尽くされていた為に状況を視覚から捉えることは出来なかったが、土砂は広場の半分以上を塞いでしまうほどに大規模なものであった。
今も少しずつ、壁や天井からパラパラと砂や石が落ちてきている。
つい先程まで安心して休んでいた場所が、あっという間に怪物に脅かされ、挙句の果てにはその場所自体が消滅してしまった。この世界に安らぎを得ることの出来る場所など無い、その事をプレイヤー達は痛感させられてしまっていた。
そして砂埃や土砂によって隠されている可能性も見過ごすことは出来ないが、今のところは黄色く輝く欠片を確認することは出来なかった。
その場所に一人の少年の影を見つけることは、叶わなかったのだ。




