No.16 杖を求めて - 7
額には大量の汗が滴り、着ていた黒の服はどこからか吹き出してくる風によって、バサバサと音を発しながら靡いている。
「間に合って、よかったぁ...」
こんなにも入り組んだ迷宮を走り回り、やっとの事でこの入口に立つことの出来た少女は、その空間の奥に弱々しくも何とか立っている少年の姿を見て安堵の表情を見せた。
その声音を耳に響かせ、その姿を見て驚きを隠せない少年は未だに立ち尽くしたままで、そのすぐ近くにいる黒の怪物はいきなりの襲撃をまともに受けたために、体制を立て直していた。
彼女、アリスが放った魔法 アルボスタは中位の攻撃魔法である。放とうとする本人が杖の先に魔力を溜め、黄色のボヤけた光がそれに比例して大きくなっていく。それを名前を呼ぶ事を合図に相手に放つという魔法だ。その上、攻撃を受けたものは痺れ状態になるため足止めにもなる。その分の魔力は減ってしまうが、下層でもよく使われる一時的な捕縛魔法だ。
中級プレイヤーであるアリスが瞬時に導き出した対抗策に一番有効な魔法であるため、上級モンスターであるグランドルムでもすぐに戦闘を再開するということはないだろう。
「......ふぅ、」
何にせよ、時間を稼ぐことは出来た。それを確信したアリスは一呼吸置いた後、今度は回復魔法を使いソーマのHPを元に戻そうと彼の方へと近づいていった。
今も変わらずに立ち尽くしているソーマのところへ少しずつ歩を進めて行く。すぐ後ろには過去のパーティーメンバーを葬った邪悪な化け物が存在感を放っているが、バチバチと体に電気を纏い今はまだ身動きが取れないのを理解しているため、その目に迷いはなかった。しかしそれでも、もって3分程度。ほんの少しの緊張感が体中を刺激した。
そして少し駆け足気味で数十歩進みソーマの元へ辿り着いた時。
「なんで、どうして...」
未だに正常な状態に戻っておらず、深い絶望と恐怖がべっとりと張り付いて離れていないソーマは半ば放心状態になりながらも、予想外の事態に言葉を漏らした。ずっとそのままでいてもらっては困ると言うように、アリスはその場で立ち尽くしているソーマの手をとり、近くの岩陰へと引っ張って行った。
その道中。アリスは後ろの方など見向きもせず、前だけを見ていたが──、
「もう、誰もいなくなって欲しくないから。」
それだけを、ポツリと言った。
その言葉には言い表せないほどの複雑な気持ちが込められていたのだろう。その言葉を聞いて、その寂しそうな背中を見て、ソーマはやっと自我を取り戻したが、アリスに返す言葉もその資格もなく、ただただ俯く事しか出来なかった。
それから何も言葉を交わすことも無いまま急ぎ足で岩陰に隠れた後。アリスは手に持っていた杖をかざし、回復魔法を唱えた。
「ウル・ヒーラー」
その言葉によって、癒しの光が身体中に与えられる。先が少し尖った杖からは細いライトグリーンの光線がゆらゆらと軽く上下を繰り返しながら彼に向かって出ており、その光は途中で小さな粒となって周りを踊るように回り始めた。
その粒たちが踊るたびにHPゲージは回復していき、それとともにソーマはアリスが来たことによる絶望感からの解放と、彼女の事を考えずに自己中心的な行動をとった自分への嫌悪を噛み締めていた。
そして怪物は、仰け反っていた体制を少しずつ直し始めた。
※
──数十分前。
「ふぅ、、ここにもないかぁ、、」
軽く折り曲げていた腰と、膝をヨイショと小さく呟きながらも元に戻し、貸してもらった杖を右手でしっかり握って離さずにいたアリスは黒のマントについた砂を払いながらも、辺りを見回してソーマの姿を探していた。
ノエルが地上へ戻ってから数分後、ソーマが下層へと足を踏み入れてから10分前後経っていた頃だ。
「ソーマー? どこにいるのーーっ?」
一応危険を承知しながらも、ここら辺のゴブリンは一掃したという確証のない確信を持って、アリスは彼の名前を大声で呼んだ。
構造上地面に埋まっている上に、周りが壁に覆われているこの空間では発声元を中心にその声が波紋のように広がり響いていったが、少しの岩陰しかないために見つけやすいその姿はいくら目を凝らしても写される事はなかったのである。
名前を呼んでも返事はなく、辺りを見回しても見えるのは先程と変わらない景色。
この層にはまだゴブリンが残っていて、これからまた沸いてくるモンスターもいるだろう。しかし、たった3人であれほどの数を星屑にされてしまったため、一人でいようともそうそう出てこないだろう。ソーマなら尚更だ。
──でも、嫌な予感がする...
安全と言う事を理解していても、嫌な予感がアリスの中から消えない。最悪ここで会えなくても、ソーマなら無事に帰ることは出来るだろうと思っているのにも関わらず。
そんな事を考えて、額に冷や汗が少しずつつたい始めたその時。嫌な予感は的中する。
「え、?これって...」
そこにあったのは柄の部分が黒く、刃の方は銀色に光り輝いている小さなナイフだった。
それを見た時、アリスはその物の持ち主をすぐに割り出すことが出来た。なぜならそのナイフは、ソーマが戦闘時に投げていた普段は腰周りにしまってある物だったからだ。
──でも、どうしてこれがこんなところに?
そう思いながら、他に落ちていないかと周りを見回す。そうして頭を左右にゆっくりと動かしていた時、視界に入った一つの闇に目がいった。その闇をしっかりと見るために、視線と共に顔を上げる。
闇が視界の中央に来た時。その正体は、第40層への入口だと言うことに気づいた。
ソーマは40層へと下る時、腰周りにあった一つのナイフが滑り落ちるのに気づいていなかったのだ。
アリスはナイフを拾い上げた。そのナイフを少し傾け、鏡のように綺麗な刃の表面を自らの顔へと向けた時、それに反射して写る彼女は酷い顔をしていた。
不安、恐怖、焦りと様々な感情が伺える顔だ。
その顔を見た瞬間。アリスは一目散に走り出した。中級プレイヤーが来てはいけないエリアに向かって、全力で階段を下っていった。
彼女の脳裏にふと過ぎった、最悪の想像が現実にならないように。




