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リアル御伽草子・正伝、桃太郎!  作者: グリーンティー
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桃太郎とその仲間たち

「歩けば長途(ちょうと)の道のりも、飛べばすぐだったな」

 とガロウ。

「そうですね。どうやら、ここから入るみたいですね」

 桃太郎一行は『鬼が島』の裏側にある『(あか)(しま)』という小さな島に来ている。

 桃太郎とガロウは竹簡を広げて確かめる。その地図には目的地と、そこへ行くための道のりが簡単に記されている。

「そうみたいだな。地図を見るまえから、噂では聞いていた。『鬼が島』へ入るには二つの道があると」

「そのようですね。私達が通るのはその二つのウチの一つ、裏の道になります」

 桃太郎とガロウは竹簡に書かれた地図をのぞき込みながら話しこんでいる。カヌラとホウランと言えば、

「……」

 今もまださっきのが続いているようだ。ただ、ホウランの姿はほか同様、今は『怪鳥』から打って変わり、小さくて可憐(かれん)(すずめ)のような姿になっている。

「しかし、この地図を見る限り、正面から突破しないぶん『人数』を相手にする必要がなくなるが、これだと一つ一つの『関所(せきしょ)』にはなんらかの防御対策が行われているのは間違いないだろうな」

「まずそうとしか考えられませんね。関所は全部で四つ、『火の池』・『風の橋』・『土造壁』、そして最後の難関『水鏡門』とあります」

「はたして、待ちうけるのは強力な鬼の手練(てれん)か、それとも虚を()陥穽(かんせい)か、あるいは両方か……」

「気をつけなければなりませんね!」

 ここから先は、なにが起こるかわからない。彼らは自ら敵の(ふところ)奥深(おくふか)くまで食い込もうというのだ。むしろなにも起こらぬ方が不思議だ。なのに、四人いる仲間の内半分は互いにいがみ合い、なおかつ建設的な会話さえ一つもないのだ。これで敵の懐に入り込もうなど、自殺行為と言わざるを得ない。

「よし! とにかく、まずは『火の池』だ。これはカヌラに任せることになるだろうな。たのんだぞ、カヌラ」

 ガロウは腕組みしながら相変わらずそっぽを向いているカヌラに言った。カヌラは返事をしなかったが、頼りにされたことが嬉しかったのか、ちょっぴり口元がゆるんでいた。

(わかりやすいやつ……)

 ホウランもそれを見て、自分の口元がゆるむのを感じ『イケない!』と思って真一文字に口をむすんだ。





「ぐつぐついってらあ!」

 久方(ひさかた)ぶりに、カヌラから威勢の良いセリフが聞かれた。四人はマグマの吹きだまりを前にして足を止めていた。

「いや~、壮観(そうかん)ですねえ」

 あっけにとられたがごとく、桃太郎は目の前に広がる光景を見て言った。

「『火の池』たあよ~く言ったもんだねえ、まったく。……で、どうすんだい桃?」

「気やすく桃なんて呼ぶんじゃねえ!」

 と言ったのはカヌラ。じゃあ、お前はなんなのだ。ヤツ当たりここに極まれり。

「なにさ! べつにいいじゃないの! いちいちアタシのやることに目くじら立ててさ! アンタそれでも男かい! キ~! 腹が立つ~!」

「か、勘弁して下さいよ二人とも……」

 ココまで来ても、この二人のしょうもない(いさか)いは止む気配がない。

「そら、頼むぞカヌラ。ここはお主の出番だろう? この『火の池』の底にはせん()があるらしいのだが、それを抜いてきてくれ」

 ガロウだけはそんなことはお構いなし、といった具合に話を進める。桃太郎にとってはありがたい存在だ。

「おうよ! 『火』とくりゃあオレ様よ! まあっ、任しときな! どっかの鳥公よりもきっと役に立つからよ!」

 そう捨て台詞(ぜりふ)を残し、カヌラはザブン! とマグマの中に(もぐ)って行った。

「まだ言うかこのエテ公!」

 ホウランの情緒(ヒス)不安定(テリック)な叫び声が、むなしく響いた。




(……しっかし、なかなか熱いなこりゃ。オレじゃなきゃ一瞬で(まる)()げ、どころかあとかたものこりゃしねえな……)

 ここのマグマはほかの所のモノよりもさらにうんと熱かったから、さすがのカヌラも早いとこせん()を見つけようとした。目的のモノをキョロキョロと捜索しているうちにふと、『火の池』の底に黒い点が見えた。

(あれか!)

 カヌラはそれを目ざとく見つけると真っ先に向かったが、それは誤算(ごさん)だった。

(いや……違うぞ! あれは……!?)

 勢いよく鉄砲水となったマグマが()き上がる。一緒にカヌラも出てきた。

「おお、早いな。もう抜いて来たのか」

 三人が感心しかけたその時、もう一度マグマが噴き上がり、そこから見たことのないモノが出てきた。

「やはり……!」

 ガロウが声を上げる。やはり敵の奥深くへなど、簡単に通してはくれぬようだ。

「とんだ来客だな。『鬼王』さまはどうやら、このために私達を関所に配したらしいな」

 四人の前に現れたのは、美しい金髪をなびかせた、キツネの顔をした鬼だった。それがただのキツネではない証拠に、頭には角が一本、それにしっかりと二本の足で立っている。

「へっ! まっさか、あの熱い所に誰かがいやがるなんて思いもしなかったぜ! ……で、もう一人はどこよ?」

 カヌラは尋ねる。もう一人?

「ふっ。ここを任されたのは私ひとりだ。さきほど貴様が見たのも、むろん私だ」

「バカ言え! 全然さっきと(ツラ)がちげえじゃねえか!」

「ふふっ。まあ無理もないな。貴様がさきほど見たというのは……」

 キツネの鬼は、全身の毛を逆立たせてヒョイとトンボ返りをするとドロン! とひとすじ煙が上がり、その中から、

「赤い……鬼!」

 四人が同じ言葉を口にする。

「ってえ事はだ、お前が鬼の大将ってワケか。おい桃!」

「はい!」

「もしやコイツがおめえの仇じゃあるまいな?」

「……わかりません」

 桃太郎はそう答えるしかない。なにせ見たことがないのだ。その仇であるはずの相手を。

「仇? 貴様たちは仇討ちのためにここまで来たというのか?」

「おうよ! 『赤鬼』ってえ野郎の息の根を止めにきたのよ!」

「『鬼王』様の勘というのは、なるほど恐ろしいものだな」

 キツネの鬼は独り言を言う。が、すぐにカヌラへと顔を向けて、

「ならば、絶対に貴様らを通すわけにはいかないな。手加減はせぬぞ!」

 キツネの鬼は全身に殺気をみなぎらせた。

「手加減? おうよ! そんなもん必要ねえ。オレ達はみんな自分の欲望を叶えるためにテメエらんとこの大将の首をとろうってんだ。はなっから大義(たいぎ)なんてねえんだよ。オレなんて、さっさと『桃』かっ食らってちょっとばかしチカラのある猿になってよ、ほかの(きょう)(だい)と面白おかしく過ごそうって腹だからなぁ。『異界』に(しば)られることなくよ。第一、オレはテメエよりツエエしな」

「そうか。ならば、心おきなく、本気を出させてもらうとするか!」

 トンと地面をひと蹴りしてキツネは猛烈な勢いでカヌラに突進する。カヌラも負けじ地を蹴ってキツネに突進する。空間内で二人の時間だけが早く流れてしまっているかのような速度だ。

「バカが。はええからって一直線に攻めりゃあいいってもんじゃねえぜ」

 ぶつかる直前にカヌラは柔らかく地を蹴り、自分のカラダの線に隠れるように背中にあった棒を振り下ろした。

「おう?」

 勢いよく振り下ろされた棒は、鬼の真っ赤な左腕に防がれていた。

「虚を衝こうというのは兵法(へいほう)の基本だが、それにしても動きが緩慢すぎやしないか?」

 キツネは口を(ゆが)ませて笑い、今度は唸りを上げたキツネの右腕が思いっきりカヌラへぶち当たった。

「ぐほっ!」

 当たる瞬間に身をよじり、その衝撃を流したカヌラだったが、それでも十分な威力を、キツネの攻撃は感じさせた。

「なんだい、口だけだね。あのエテ公は」

 相変わらずカヌラには手厳しいホウラン。

「いや、あの赤い鬼はかなり強いんじゃないか?」

 ガロウは言う。

「まあね。それにしたって、噂に聞く『赤鬼』ってのがあの程度なんて、なんだかちょっぴり安心しちゃったわよ。『異界種』なら、一度は『赤鬼』の恐ろしさを耳にした事があるもんねえ」

「まあな」

 どうやらホウランやガロウ、それにカヌラも、『赤鬼』についてなにか知っているようだった。知らないのは、いつも桃太郎だけだ。

「やろう!」

 カヌラは吹き飛ばされながら『すぅ―っ!』と息を吸い込み『フッフッフッ!』と短く切るようにして息を吐いた。口からは、勢いよく火の(たま)が飛び出す。

「はぁー!」

 キツネは両腕を交差して頭を守りながら、お構いなしに突進をしかけてくる。火の弾は容赦なくキツネの体で当たっては爆ぜる。

「ぐぬっ! 猪口才な! が、今度こそ終わりだ」

 キツネは、火の弾を受けきってカヌラへとまっしぐらに接近すると、その鋭すぎる爪でカヌラの胴体(どうたい)(つらぬ)こうとした。

 キツネの右腕が空気を裂き、カヌラの胴体を、貫く……!

「ぐへえ!」

 情けない声を上げるカヌラ。悪そうな顔には苦悶の表情がありありと浮かぶ。

「どうだぁッ!」

 怒号を発するようにいうキツネ。赤銅色の腕は確かにカヌラの胴体を貫いている。

 しかし、胴体を貫かれたままカヌラはキツネの右腕をシッカリと押さえていた。信じられぬ気力だ。

「腹を貫かれながらも……大したものだが、この勝負すでに決したぞ!」

 キツネは高らかに勝利を宣言する。

「な~んてな」

 舌を出しながら、カヌラは口もとを歪めた。薄く笑うその表情の悪いこと。

「ばかな!? どうなっているのだ! 不死身か貴様!」

 気味が悪くなったのか、腕をカヌラの体から抜こうとする。しかし、その腕はしっかりとカヌラに掴まれて全く動かない。

「くっ!」

 キツネは狼狽する。

「おらよ、オレにばっか気いとられてていいのかよ? ほら、うしろ」

「なに!?」

 キツネが振り向くと、そこには……もう一人のカヌラがいた。

 ガン、と鈍重な音がしたかと思うと、現れたもう一人のカヌラは振り向いたキツネの頭めがけ思いっきり棒で殴ったのだった。しかし、よほど頑丈なのか、渾身の力を込めた不意打ちにもめげず、キツネは残った左の腕で不意を襲ってきた方のカヌラへ攻撃を加えた。

 しかし、攻撃が当たる直前にボワン、と一筋の紫煙(しえん)がもうもうと立ち上り、キツネのそばにいた二人のカヌラがあとかたもなく消えた。

「消えた!?」

「ここだよノロマ」

 頭上からカヌラが()ってくる。

 もう一度、カヌラの棒がキツネの頭をとらえた。

「ぐはあっ!」

 地に(ひざ)を着いてよろめくキツネ。

「おいしょ!」

 トドメとばかりにカヌラは再びキツネの脳天に棒を見舞う。

「はぁ!」

 右腕でカヌラの棒の一撃をなぎ払うキツネ。

 鈍い音を立てて、右腕と棒がブツかる。

「おい鬼」

 戦いの真っ最中だというのに、カヌラはごく自然にキツネへ話しかけた。

「なんだ!」

 その律義(りちぎ)さが、この鬼の命取りになった。

「ぐあっ! なんだ? なにかが口の中に??」

「ぺっぺっ!」と必死でキツネは口の中に入ったものを吐き出そうとしたが、それはもうずっと深い所に入ってしまったのか、なかなか出てこない。

「さあて、鬼さんよ。ここいらで終りにしようやぁ」

 カヌラが不気味な顔で(わら)う。その(つら)(がま)えときたら、正真(しょうしん)正銘(しょうめい)の悪党そのものだ。

 すぅ~! カヌラが大きな息をひとつ吸うと、彼の腹はみるみる内に大きく膨れ上がり「はぁ~!」と渾身の力でそれを吐ききった。

「うぉぉぉおぉぉぉ!!」

 大きな断末魔の叫び声を上げ、目や口、それに耳の穴から真っ赤な炎を噴き出して鬼は倒れた。黒焦げになったキツネの体から、小さい姿をしたカヌラが幾人も這い出てきて、それが各々一筋の煙になったかと思うと、あとに残ったのはカヌラの毛ばかりであった。

「……いっちょあがり!」

 少しキザな感じで決め台詞を吐くカヌラ。

「やった!」

 桃太郎はカヌラの勝利を確信し、無邪気に喜ぶ。

「ご苦労さん」

「やったなカヌラ」

 ホウランとガロウもカヌラをねぎらう。

「……おう!」

 短い戦いではあったが、かなりギリギリの戦いだったのだろう。カヌラは笑っているが、息も()()え、それに腹部からは血が出ている。傷口を見る限り、決して浅くはない。

「へへ! これでよ、これからの戦いがウンと楽になったってもんだな。……オレ様のお陰でな!」

 カヌラは得意そうな顔で三人を見る。

「どういう事だい?」

 ホウランが(たず)ねる。

「ニブイ野郎だな。相手はあの『赤鬼』だぜ。ウワサじゃあアイツが一番強いはずだろ?」

 カヌラは自信たっぷりに言う。

「……ちょっとはアンタのこと見直したつもりだったけど、やっぱりアンタバカだわ。普通に考えてアレが『赤鬼』なワケないでしょ?」

「じゃあなんだってんだ!?」

「あのキツネの姿から見てさぁ、ありゃあ『コンコン山』の異界種を親にもつ、変化のチカラを受け継いだ鬼ってところだろ? それなら、自分が今まで見た相手に『()ける』ことができるはずさ。そのチカラも全部とは言わないが、多少なら近づけるくらいには模倣(もほう)できるって話さ。……なあ、アンタ。図星(ずぼし)だろ?」

 ホウランは、向こうの方で黒焦げて仰向けになっているキツネに聞いた。

「……当然だ」

 キツネはそのままの体勢で答えた。

「私ごときが我ら鬼の総大将であるはずがないだろう? そこのお嬢さん(ホウランのこと! ちなみにホウランの一族に性別はない)の言う通り、私の母親は『コンコン山』の異界種で、鬼である父親とのあいだに生れたのが私だ。……さっきのは変化(へんげ)して『鬼一郎さま』のお姿をお借りしたに過ぎない。……サルのお前、勘違いするなよ!」

 キツネは自分の出生を明らかにしたのちに、カヌラに(くぎ)をさす。

「……まっ、知ってたけどよ」

 ちっ、と舌打ちをしてから、カヌラはさっさと『火の池』に再度もぐろうとしていた。せんを抜く仕事が、まだ残っている。

「……おっと。そういやあ、お前の名前を聞いていなかったな」

「……()()だ。忘れていい」

「いや、覚えておいてやるよ。お前オレが戦った中ではかなり強い方だったぜ。それと、運がよけりゃあ仲間がきてお前は助かるかもな。言っとくがオレ達は忙しいからよ。先行くぜ?」

 カヌラは狐鬼にそう言ったが、返事を待たずにザブン、とグツグツ煮えたぎった火の池へ再度もぐって行った。




 マグマの奔流が一点の小さい穴に吸い込まれていくやかましい音のあと、『火の池』を満たしていたマグマはどんどん穴の中に吸い込まれていき、ついには全てがその穴の中へ呑み込まれてしまった。空間を満たしていたマグマがなくなったあとには、地下へ行く階段がひっそりと不気味に姿を現していた。

「おら、行くぞ!」

 空になった池から上がったカヌラは威勢よくみなを急かしたが、

「はい」

「うるさいよアンタは」

「うむ」

 と、なんだか()()がなかった。とにかく『火の池』は無事突破した一行。

 実は狐鬼を倒して池のせんを抜いたあと、

「そういやアンタさ、さっき言ってたことはホントかい? ほかの猿達と乱痴(らんち)気騒(きさわ)ぎをしたいから『桃』を食べて異界種をやめたい、ってのは」

「おうよ!」

(あき)れた。それに『分身の術』なんて、ありゃあ『仙術(せんじゅつ)』の(たぐい)じゃないの?どうしたのよアレは?」

「ふっふっ。アレか? アレはな、紫雲のじっ様がオレの所に来た時に『お前の言う通りに桃太郎の助けになってやるから、その見返りに簡単な仙術をオレに教えてくれ!』って頼んだわけよ! そうしたら、あのジイサン、(こころよ)く教えてくれたゼ」

(快く、か……)

 そんなやりとりが一行のあいだでは()わされていた。

 次は『風の橋』だ。





「ひゅ~! こりゃあ落ちたらひとたまりもねえな! 底なんて全然見えやしねえ!」

 カヌラがやかましく実況(じっきょう)してくれる。『火の池』を無事通過することのできた一行は、池の中にあった地下への階段を(くだ)ったはずなのに、出た先はどこか山のような場所で、それも二つの山の頂上を結ぶ橋がある所に出た。

「まったく、不思議な場所だな。異界というのはなるほど不思議な場所ではあるが、ここはその中でもさらに特別とみえる。『鬼が島』か……やはり油断はできんな」

 ガロウも感想をもらす。口振りは落ち着いているが、やはり驚いているのだろう。

「『風の橋』か……。名の通り、風の強く吹く場所だな」

 身を圧するような強くて冷たい風が一行の顔に当たる。

「しっかしよ、この橋ときたら手すりもねえぜ! それにオンボロで今にも崩れ落ちちまいそうだし、おまけに風で『グワングワン』揺れてやがる! おかげでまったく渡る気がおきねえな!」

 カヌラはつまびらかに状況を描写し、絶望的であることを強調するかのように言ったが、そのくせ顔は笑っているのだ。まったく、なにが楽しいのだろう。

「ふん! 最初(ハナ)からこの橋を渡らす気なんてないんだろうさ! もっとも、アンタたちは私がいるお陰で、こんなのひとっ飛びにできるんだけどね!」

 ホウランは胸を突き出し、羽でドン、と胸を叩く仕草をした。これほど絵に描いたような得意げな顔というのもなかなかないほどの表情だ。

(カヌラさんとホウランさんは少し似ているな……)

 当の二人が聞いたらすぐさま反駁(はんばく)をくらいそうなことを桃太郎は思った。

「さあさあ! アンタらアタシの背に乗りな! ……行くよ!」

 ホウランは嬉々(きき)としてみなを急かす。なんとも嬉しそうな顔だ。

「ちっ。しゃくだがよ……。いっちょ頼むぜ!」

「あいよ!」

(この二人は仲が良いのか悪いのか分からんな)

 ガロウは不思議そうにカヌラとホウランを見る。ただ、その顔には少々あきれた色もある。

「よlし! 出発だよ、アンタたち!」

 ホウランは『怪鳥』の姿に変身すると、その大きな両翼を左右に目いっぱい広げた。

 が、大空へ羽ばたこうとした瞬間、橋の向こう側から赤い糸を虚空に引きながら火の弾が三つも飛んできた。

「あぶねえ!」

 こちらも負けじとカヌラが前面に火炎の(まく)()(めぐ)らす。火炎の幕はそのまま火の防壁となって火の弾をはね返した。

「やろう何もんだ!」

 カヌラが怒声をまき散らす。言ってからすぐに「コホッ、コホッ」とカヌラは辛そうに(せき)をする。

(さっきの戦いの影響ですか?)

 心配そうに桃太郎がカヌラを見る。『仙術』はカラダに自然の『神気』を取り込んで養い、それを体内で練り上げて形にすることで発動することが可能だという。だが、それには長く辛い修行がいる。その長く辛い修行を、カヌラがしていたとは思えない。

(相当無理をしているのかもな)

 桃太郎がカヌラの心配をしていると、

「おやまあ、客人とはめずらしい。それも一人はどうも『親戚(しんせき)』の方とお見受けいたす」

「こ、コイツいつの間に……!」

 『炎の幕』が上がると、そこにはビツクリ、どこかで見たことがあるような、猿の顔をした鬼がいた。白い道士服に、とても柔和な表情を浮かべ、鬼のしるしである角が頭に一本。

「アンタがここの門番かえ?」

 ホウランが優しげにたずねる。

「左様。私がここ『風の橋』を担当する(えん)()と申す者。御客人方(ごきゃくじんがた)は?」

 猿鬼と名乗った鬼は、どこかの猿とは違って礼儀正しすぎるぐらいの言い方で()いた。

「アタシらは名乗るほどのモンじゃないさ。単刀直入に言えば、用件はアンタらの大将の首さ。これだけ言えば十分だろう?」

 涼しげに言うホウラン。目を半眼(はんがん)に閉じ、口もとには笑みすらこぼれている。

「左様ですか。これは悲しいことです。そういうことならば私はアナタ方と戦わなければなりません。よろしいですかな? さっそく始めても?」

「来な……!」

 ホウランは完全に目を閉じ、静かに宣言する。猿鬼は右手に持っていた(じょう)(はす)に構えて気息(きそく)を整え始めた。大きく息を吸い、細く長く息を吐く。どうやらカヌラ同様、この猿鬼も仙術を心得ているようだ。それもカヌラのように()焼刃(やきば)ではなく本格的な修行を積んだがごとき貫禄(かんろく)をそなえている。

(これは……(あなど)れん!)

 (そば)で見守っているほかの三人も、猿鬼のただものではない雰囲気(オーラ)を感じ取っていた。

「はいやぁ~!」

 空間を震わせる凄まじい気合を発するやいなや、猿鬼はホウランに向かって突進し、しながら彼のカラダは十の身に分かれた。しかも、その分身の全てが一糸(いっし)(みだ)れぬ統率をもって迫ってくるのだ。

「まだまだ~!」

 猿鬼はそう言うと両手で素早く『(いん)』を結び、そのカラダの表面を『メラメラ』と炎でおおった。十体の猿鬼はさながら十個の炎の弾丸と化したのだ。

「仙術と杖術を組み合わせて創り上げた我が武技(ぶぎ)、とくとご覧あれ!」

 猿鬼が()え、同時に身にまとった炎が勢いを増す!

「受けよ! 奥義(おうぎ)火弾(かだん)(じゅっ)進撃(しんげき)』!」

 火の弾と化した総勢(そうぜい)十体の猿鬼がホウランめがけて襲いかかる!

『カッ』今まで目を閉じて全くの静寂(せいじゃく)だったホウランの目が、裂けるように開いた。

「オラぁぁぁぁあああああ!」

 気合の入った怒号を発して、ホウランはもうメチャクチャに両の翼を(はね)()った。

 瞬間、ホウランの中心に向かって強い引力が働いた。

「なんだなんだなんだ! どうなってんだこりゃあ!」

 カヌラは近くにあった木につかまっているが、その足はすでに宙に浮いている。桃太郎は岩にしがみつき、ガロウはいつの間に掘ったのか、地面に穴を開けてそこに隠れている。

「ほほっ! よろしい! 受けて立ちましょう!」

 猿鬼が微笑(びしょう)し、さらに速度を上げる! 十の炎の塊はさらに勢いを増してホウラン目がけて殺到する。

「ぬぬぬぬ、ぬん!」

 ホウランの(うな)る声があたりに響き、最後に短い気合を発した。

「おっ、やんだ……」

 あれほど強かった引力が、止んだ。

 が、ホウランの羽撃ちだけは止んでいない。気のせいか、ホウランの胸の真ん中あたりの空間が歪んで見えた。

「しゃらくせえぇぇぇぇぇえええええ! ……くたばりな!!」

 急に口汚くなったと思うと、ホウランは大きな両の翼で通り道を作るようにして胸の前を覆い、

「よっしゃあぁぁぁああ!」

 と青筋(あおすじ)を立てながら全身にチカラを込めて『風』を撃ち出した。

 ボッ、目に見えるだけの空間が一瞬にして崩れたような錯覚に(おちい)ったあと、これ以上はないというぐらいの轟音が響き、それからすぐに音は静まり、しん、と時間が止まってしまったようになった。

「おいおいおいおい、なんだってんだ」

 カヌラは毒気を抜かれ、

「……」

 桃太郎は岩にしがみついたまま茫然(ぼうぜん)自失(じしつ)

 ヒョコと穴から顔を出したのはガロウ。

「どうなってるんだこれは……」

 数瞬前にはたしかに存在したはずのものが、穴の中から出てくると消えていた。

「す、」

 三人は声をそろえて、

「すげえ~!」

  驚いて目を丸くした三人の前には現れたのは、いや消え去った()のは、橋の向こうに悠然(ゆうぜん)とそびえ立っていたはずの山の頂上だった。

「ふう、疲れた……」

 ホウランはしおれたように羽をたたみ、その姿も雀のように小さな姿へとみるみる変身していった。

「す、すごい……!」

 桃太郎はまだ驚いている。無理もない。さっきまで自然の偉大さをまじまじと見せつけるように、桃太郎一行を(あっ)していた山の一方が、まるで巨大なさじ()でくり抜いたように消え失せてしまったのだ。

「しっかし、デーハ―(派手)にやったもんだな! なんかこう、胸のすく技だな!」

 めずらしくカヌラがホウランを手放しでほめる。

「あんがと……」

 ホウランも返事をするが、かなり元気がない。よほどの力を使ったのだろう。山を一つけし飛ばすほどの力だ、一体どれほどの消耗(しょうもう)だろうか?

「しかし信じられない程の威力ですね……。これではあの『猿鬼』とかいう鬼も、ひとたまりもありませんね」

 桃太郎はホウランに素直な感想を述べた。その口振りでは、猿鬼が可哀そうだと言っているようにも思える。

「アハハ……、アタシのとっておきだからね、今のは。ホントはもしもの時までにとっておくつもりだったんだけど、なんだか頭にきちゃってさ。……思わず我を忘れて使っちゃたのよ」

 ホウランは気息奄々(きそくえんえん)。

「頭にきた? あの猿鬼がなにかを?」

 した、ようには見えなかったが。むしろ、至極ていねいだったようにすら思える。

「いやさ、あの猿顔でバカ丁寧にされてさ、それにいちいち技名を言いながら攻撃してきやがったろ? 嫌味たらしかったし、なんだか知ってる『猿顔』とカブちゃってさあ。無性に腹が立っちゃったのよ、これが!」

 ホウランは桃太郎と話しているがその視線は、

「よおしホウラン! あとはオレ達を向こうまで乗っけてくだけだぞ! なんせ橋はもうねえからな。お前のせいで!」

 と、がなりたてる『猿顔』の方を見て笑いながら言った。

「あいよ! 言っとくけど、もう力が全然残ってないんだから、乗り心地は期待すんじゃないわよ?」

(まあ……結局この二人は仲が……いやウマが合うのかもな……一応)

 桃太郎の中では、この件はそういうことにしておいた。





「のわわわわわわぁ~!」

 ズシャア、と地面に向かって思いっきり滑り(スライド)んでしまったのは桃太郎一行。

「いてて……。まったくよ、まともに飛べないんなら先に言っとけよな!」

 もうすんだことに対する、カヌラの主張。こういうのを愚痴(ぐち)というのだろう。

「いったぁ~い! だから言ったろ! ……乗りご心地は期待するなって」

 いつもならこれで、カヌラとホウランのあいだでどうしようもない言い争いが始まるのだが、今回はホウランが疲れているせいか、案外すんなりいった。

「おい、どうやらまた階段を(くだ)るらしいぞ」

 ガロウはいつも通り落ち着いた口ぶりで、先へ進むために必要な情報をみなに伝えてくれた。

「またかよ! まっ、とにかく先へ進んでサッサと用事をすまそうぜ! なんだかおりゃあ疲れてきちまったよ!」

 ちょっと面倒臭そうにカヌラが言うと、

「アタシもだよ。もう疲れた疲れた……」

 ボウンともや()がたちこめたかと思うと、ホウランは小さな姿に変わった。

「桃やい、ちょいと肩を借りるよ」

 そう言ってホウランはちょこん、と桃太郎の肩に乗った。少し眠たそうだ。

 ボウン、ともう一度も()や()がたちこめる。今度はカヌラが小さな猿に変身だ。

「桃、オレも肩を借りるぜ」

 と言い、こちらは空いていた右肩に乗り、すぐに寝息をたてはじめた。

(お二人とも、よほど疲れていたんだな……よし!)

「あとは私とガロウさんの出番ですね! 頑張りましょう!」

 気合を入れなおす桃太郎。

「うむ。……次は私だろうな。『土造壁(どぞうへき)』か……。無事に通れたらよいな」

「ええ。頑張りましょう!」

 一行は再び、下へ下へと続く階段をゆくのだった。





「これまた大きな門ですね~!」

「うむ。偉観(いかん)と言ってもよいだろうな」

 山の頂上、その地面にぽっかりとあいたように存在した階段を下りきった先は、地下も地下、洞窟の中に通じていた。

 そして、その洞窟のさらなる奥には見るからに頑丈で神秘的な感じのする土づくりの門。名こそ『土造壁』というが、実際に目にすると、それは案外土づくりの立派な門の体をなしているのだ。

「しかし、この門には(じょう)もなければ……」

 桃太郎は肩を門に押し当てて「よいしょ、よいしょ」と開けようと試みる。

「そもそも土でできた形だけの門ですので、押そうが引こうが結局(けっきょく)微動(びどう)だにしませんね……」

 土づくりなのだ。言わば、童子が砂でつくった城と同じだ。例え形は城でも、それが城としての機能を持たぬように、この門も、ただ門の形をした土に過ぎない。無理に押せば、その砂の城が壊れるように、この門もまた壊れるのだろう、と思われた。

「これでは門ではなく『壁』ですね」

 桃太郎は他人が気付かないぐらいの小さなため息をひとつ()いて、ガロウの方を見る。

 ため息をしたのは、べつに諦めの気持ちなどのせいではない。自分の力だけではどうしようもないことの歯がゆさがその最たる理由だと言ってよい。火の池も、風の橋も、そしておそらく今回も……。またしてもこの『仲間』たちの力によってのみ道が開けることになるのだ。

「まあ、大丈夫だ。この程度なら。桃太郎、少し下がっていてくれないか? 私の『チカラ』で開けてみる」

 ガロウがそう言うと、

「お願いします」

 と存外涼やかな声で桃太郎はガロウに言い、その様子を見守った。両肩に乗っている残りの二人は、さっきから寝息をたてているばかりだ。

「……!」

 ガロウが目を閉じて集中すると、洞窟の地面が強い力でゆっくりと『門』が開き始めた。

「ふぅ」

 ただの土くれの塊であるはずの土の門が開いた。それは、砂でつくった城がそうであるように、中身は空洞であるというような細工はもちろん有り得ない。しかし、こうやってガロウが『チカラ』をつかったあとには、開いた場所から中の空洞、その中の暗がりが見えるのだ。

「壊さないように動かすのは余計にチカラを使うな。しかし、これだけのモノだ。壊すのもなんだか忍びないというものだろう?」

 ふっ、と微笑するガロウ。

(ガロウさんはなんだか違うな。まるで人間に接している様な心地がするから不思議だ)

 桃太郎には以前から感じていたことがあった。このガロウという、元はオオカミだったという異界『土々滅忌神社』の守人(もりびと)奇縁(きえん)があって異界種のチカラを手にしたが、そんな彼は、桃太郎が知る数少ない異界種たちと比べても、どこか人間のにおい()がするのだ。明確な理由を答えろと言われても、桃太郎には答えられないであろうが。

「さぁ、行くぞ! 目的の場所まではもうすぐだ」

 ガロウが桃太郎をうながし、門をくぐろう、とした時だった。

「やはり……簡単には通してくれぬようだな」

 『ピタ』と足を止めたガロウの視線の先には、

「馬!」

 桃太郎は現れた者を見てガロウに言った。

 ガロウは桃太郎の方を見ずにうなずく。彼の中ではもう、戦いは始まっているらしかった。ほんのひと時さえ、相手から視線を外す気はないらしい。

「驚きだな。まさかここまでやってくる者がいようとはな。つまりは狐鬼と猿鬼が敗れたということか……。驚嘆(きょうたん)、すべきであろうな」

 今度の相手は、今までの相手とは少し違った。鬼のしるしとも言える角が一本、その頭には立派に生えてはいるが、『馬』は二本足ではなく、本物の馬同様、四足(よつあし)で立っていたのだ。

「それで御客人方にお聞きするが、やはり通られるのかね、ここを?」

 『馬』は鷹揚(おうよう)な話し方で桃太郎一行にたずねる。その話し方や態度からは、ずいぶんな余裕を感じる。

「『御客人』、か。さきほどの鬼の時もそうだったが……」

 ガロウにはめずらしく鼻でふん、と笑った。

「鬼と言うのはたいそうキザなものだな。侵入者に対して『御客人』などとは。だから足元をすくわれるのではないか? 貴様も……これからその根拠のない余裕のせいで、足元をすくわれることになる」

「はっは!」

 ガロウの挑発(ちょうはつ)ともとれる(げん)をうけて、馬は高笑いした。その余裕は、いささかも崩れた気配がない。

「そうかも知れぬ! いやはや、ほかの二人もあなた方を『御客人』と言ったか! まったく浮華(ふか)なる態度だ。厳しく戒めねばならぬだろうな」

 馬は笑っている。

「『まさか』、だったろうな」

「なにがだ?」

 馬の一言に、ガロウが返す。

「まさか『鬼』である自分たちが負けるわけがない! そう思っていたに違いないのだ。あの二人も。そしておそらくは他の鬼たちも。『自分たちが!?』とな」

「……」

「人間や野の獣たちよりもずっと強くて不思議な『チカラ』を持つ異界種。それを食らい生きる我ら鬼。そこに思い上がりが生まれていたのだ。『赤鬼』と言えば、誰からも恐れられる存在だが、それを自分たちのことだと錯覚(さっかく)していたのだ。……だが」

 暗い洞窟の天井を見上げ、嘆息(たんそく)するように話していた馬だったが、やがてガロウの方を真っすぐに見据え、

「私は違う。もはや、あなた方を格下だとは思わない。『御客人』と言ったのは、あなた方が私の立っている高みと同じ場所にいる相手だと認めたに過ぎない。その相手に対する礼儀、と受け取って頂きたい」

 馬は首だけを動かして軽く礼をする。

「そうか。しかしそれでも、貴様が私に負けることは変わらない」

 ガロウは頭を下げた相手に(ごう)(ぜん)と言い放つ。らしくないことだ。

「ふっ。なら、試させてもらおう!」

 顔を上げた馬の顔は、もうさっきまでの柔和で紳士的な鬼ではなく、もう単なる一個の武器と化してしまった。戦って、勝つ。こうなれば、その肉体と精神は勝つための手段でしかない。

「はんっ!」

 変わった気合を入れると、馬はその四本の足を鳴らしながらデコボコで薄暗い洞窟の中を縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆け回り始めた。

(はや)い!」

 桃太郎が叫ぶ。馬はまるで重力から一人だけ解放されたように天井や横壁(よこかべ)を駆け回るのだ。

「はんっ!」

 馬は単に壁走りだけが(のう)というわけではなく、加えてゴムまりのように(はず)んでは目も(くら)むほど複雑な動きを見せる。

「はんっ!」

 そこら中を跳ね駆け回りながら、隙をみては頭の一角を武器に馬は突っ込んでくる。だが、簡単にはガロウも一撃を許さない。

(まずい! あの馬はここでの戦いに慣れきっている!)

 これがもし森やなにもない空間なら、ガロウももっと楽に戦えたことだろうと桃太郎は分析してみせる。現にガロウはなす術もなく後手に回ってばかりだ。

「はんっ!」

 気合と共に上や右や左から、馬は自由に突進を仕掛けるのだ。それを負けじとかわすガロウ。さっきからこれの繰り返しだが、いつまでもこれが続くわけではなかろう。

(同じことの繰り返しだが、(ぼう)御一辺倒(ぎょいっぺんとう)のガロウさんはこのままだと……)

「はんっ!」

 桃太郎の嫌な予感が当たった。馬の一角が、身をよじってかわそうとしたガロウの腹をかすめた。

「ガウッ!」

 ガロウは歯をむいて威嚇(いかく)する。腹部からはすでに血がしたたり、銀の毛並みを(あけ)に染めはじめている。

「はんっ!」

 その威嚇をあざ笑うかのように、馬は例の気合を発しては攻めてくる。

(ああっ! このままではジリ(ひん)だ……!)

 桃太郎の脳裏に絶望的な予測が展開される。

「はんっ!」

 無情にも、馬の気合が洞窟にこだまする。

「ガアッ!」

 ガロウがうなりを上げた。あとに続いたのは……馬のいななきだった。

「やっ……た!」

 桃太郎が思わず両の拳を天に突き上げる。いななきを上げて地に転がる馬の腹部にはザックリと(あか)い裂け目が生まれていた。

「狙いすました一撃だ! ……すまぬがセコイ手を使わせてもらったぞ。私は『喧嘩(けんか)』というものを生まれてこの方ほとんどしたことがないのでな」

 ガロウのシンプルな作戦だった。とはいえ、馬の動きは複雑(ふくざつ)怪奇(かいき)そのもので、上下左右に跳ねまわる、まるで重力などお構いなしとでもいう驚くべき攻撃だった。しかし、馬の一角がガロウのまさに眼前へ迫った時、ガロウのすぐ足元から地面が(やり)のように突き出されたのだ。それは、土を(つかさど)る異能のチカラだった。

「貴様のあの独特な掛け声、とでも言えばよいのか、あれは止めた方がいい。迎撃(げいげき)のための拍子(ひょうし)がとりやすいからな。それに言っただろう? 『足元をすくわれる』とな」

 ガロウは平生(へいぜい)の彼らしく、実に淡々(たんたん)とした口調で言った。

 口惜しかったのか、馬はさっきよりも高いいななきを上げ、前足で地を蹴ると勢いよく上体を持ち上げ、それからさらに一段と高いいななきをした。

「やるな。地の利は我にありと思っていたが、その土を自由にいじる()力があれば、そんなものは私の思い上がりに過ぎぬな」

 馬はしならせるように首を振って、少し長いたてがみをなびかせる。

「ふっふっふっ……」

 痛みが苦しみとなって絶えず自分を襲ってくるのだろう。馬の呼吸は明らかに乱れている。

「よいのか? 今手当すれば助かる傷に見えるぞ?」

 ガロウは棒立ちの馬へ情けの一言をかける。

「うむ! ……もとより、私は先ほどの自らの(げん)(にん)に命をもって当たるのみ。情けは無用なり!」

「よくぞ言った! ならば、我が渾身の力を持ってお相手致そう」

 ガロウはそう言うと、この戦いが始まって初めて自分から攻撃を仕掛けた。今度は馬のおカブを奪う様に、

「ガウッ! ガウッ! ガウッ!」

 と、けたたましく()えながら壁や天井を跳ねつつ馬に迫っていく。

 岡目(おかめ)八目(はちもく)と言おうか、戦っている当事者ふたりよりも、そばで見守っている桃太郎の方が戦局を予想しやすかった。その桃太郎のみたて()では、馬の方はすでに万事休したように映る。

 あのオオカミ特有の遠吠えが洞窟内に響きわたった。

 ガロウの異能のチカラによって連続で地の割れる音がし、いくつもの小さな刃が馬を囲む。もう下と横には逃げ場所がない。だが上には……、

「ガウッガアッ」

 ガロウは発達した犬歯をむき出しにし、馬の逃げ場を奪いつつ真上からただ一点、その首筋をめがけて飛びかかる。

 ギラリ、と不気味な音でも立てそうな輝きを伴って馬の目が妖しげな光をはなつ。それは、勝負をあきらめた者には持てぬ輝きだった。

「はんっ!」

 馬は首をいったん上に振ったあと、そのタメ()をつかって一気に首を振り落とした。

 首の振り戻しと同時に後ろ脚が猛烈な勢いで振り出された。その跳ね上がった脚は、トドメの一撃を刺そうとしたガロウに向けられた。

「……ああっ!」

 桃太郎は思わず声を出す。もはや逃げ場のなくなった馬になす術はないと思いきや、ここにきて馬は窮地(きゅうち)を好機に(てん)じたのだ。……その折れない心によって!

「!」

 一番驚いたのはほかでもないガロウだった。すでに地を蹴って宙を泳ぐガロウのカラダが方向転換などできようはずがない。

 唸りをあげる馬の、強力で鉄のように硬いひづめが、ガロウのアゴへ叩きつけられる。

「ふん!」

 ガロウが腹に力を込めて集中する。だが、このままでは……。

 ガロウは足で地を蹴った。地? 宙にいたはずのガロウが?

「くっ……そお!」

 馬が悔しさを爆発させる。その瞬間、彼は己の敗北を悟った。

 ガロウは体勢を少しも崩すことなく着地を決めた。

 全てのチカラが尽きた馬は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。彼を取り囲んだ岩肌の刃のひとつが、ほかのに比べて上へ上へと伸びていた。ガロウはこれを利用して急造(きゅうぞう)の『着地台』を作りだしたのだろう。

「なんとか、勝てたみたいだな。トドメは、どうやら刺す必要がなくなったな」

 ガロウは馬が崩れ落ちるのを確認すると、安堵(あんど)の表情を見せた。

「やりましたねガロウさん!」

 桃太郎が喜色(きしょく)満面(まんめん)に浮かべて駆け寄ってくる。裏を返せば、それだけギリギリの勝ちを拾えた、と言えるのかもしれない。それは、そばで見ていた桃太郎が一番感じていたに違いないのだから。

「強い相手だったな。いや、それとも私が弱かったのかな……?」

「いえいえ、とても手強い相手だったと思います。終わってみれば、今度の相手はガロウさんが適任だったように感じました」

「そうか。もう金輪際(こんりんざい)こういう戦いというのは勘弁(かんべん)してほしいな。私には向いていないという事が、今回でイヤというほど分かった。……n疲れた」

 ガロウはそれだけ言うと、前足を折ってその場に腹をつけ、()()してしまった。

「お疲れ様です。しかし……」

 桃太郎は疑問がある、と言いたげだ。

「あの最後の一撃、よくアレをかわせましたね。全く、ガロウさんの危機を察知する能力に心から脱帽(だつぼう)いたします」

 桃太郎は言いながら深いお辞儀をガロウにする。

「ああ、アレか。実はな、むかし一度似たような事を体験したことがあってな。まだ私の歯が完全には生えそろってない頃の話さ。人里から逃げ出してきた馬の尻に、遊びで噛みついたことがあって、その時に少々痛い目をみた。それからというもの、馬の後ろ脚には気をつけろと(きも)(めい)じてきた。……狩り経験の少ない一匹オオカミの、数少ない教訓さ!」

 はは、と愉快そうにガロウが笑う。快活で陽気な感じのする笑い声と、表情だ。桃太郎が初めてみるガロウ。疲労と傷で体に力が入らないせいもあるだろうが、力の抜けた良い表情だった。

 ボウン、も()や()がたちこめ、ガロウが小さくて可愛らしい姿になる。

「桃、すまぬが、しばらく頼む……」

 ガロウが桃太郎にそれだけ言うと、

「はい」

 桃太郎は持っていた布で小さくなったガロウのカラダを包み、それを背におぶってやった。

「……あとは、私の番ですね」

 桃太郎は虚空(こくう)にむかって宣言した。そう、あとは桃太郎を残すのみ。次が最後の(とりで)水鏡門(すいきょうもん)』だ。そこに待っている者こそがおそらく……。

「恐ろしい相手だったな」

「はい?」

 すでに開いている『土造壁』を通り抜けようした桃太郎に、ガロウが言う。門の横には、すでにこの世のモノではなくなった、あの馬に似た鬼が横たわっている。

「もし、私の最初の一撃をもらった時に『参った』をしていれば、助かったかもしれないのだ。なのに、あの鬼は命と引き換えに私と刺し違えようとした」

「……」

 桃太郎は背中でそれを聞きながら、歩みをつづける。

「恐ろしいよ。私にはそれが。私はもう一度、普通のオオカミに戻り、今度こそは人間達と、かつてコウタと過ごした時のような心休まる日々を送りたいと思っている。思っているからこそ、このような『無謀(むぼう)』ともいえる行いにも参加できた。できたが、戦いで命を落とすなど、とても私には考えられない。命を奪うのも、奪われるのも、勘弁願いたい。なぜなら、それが私の願いではないからだ。私には、戦いに勝つというのは手段に過ぎないのだ。あの、楽しかった満足いく日々を手に入れるための。いや、私だけじゃない。全ての者がそうだと思う。だがな、時々いるのさ。戦いに勝つことが目的になってしまった者が……! なぜそうなるのかな? 私にはわからないが、辛い日々を過ごしてきた者や、困難に苦しめらた者は、その中に(ひた)っているうちに、本来の目的と手段が逆転してしまうのかもな……」

「……」

「今のは独り言さ。私は少し眠るよ……」

 まったく、ない()ことだった。いつも無駄なことは言わない話さないガロウが、今度ばかりは饒舌(じょうぜつ)だった。

「……」

 ガロウは『独り言』だといったが、もちろん桃太郎には聞こえていただろう。しかし、桃太郎が言葉を返すことは、なかった。

「……」

 桃太郎は黙ったまま、土でできた門を通り抜けた。




「着いた~!」

 だしぬけに、桃太郎の肩のあたりから声がした。

「ふぁ~、ああ、よく眠った!」

 どうやらカヌラとホウランが目覚めたようだ。

「抜けたようだな」

 背中のガロウも、起きたみたいだ。

「みなさんお目覚めですね! 着きましたよ。最後の場所に……!」

 桃太郎は『ビシっ!』と姿勢を正し、(りん)と言い放つ。

「やっとだねえ」

 ホウランも感慨深(かんがいぶか)げだ。

「最後か。ってーことはガロウの出番はもう終わっちまったのか!?」

「もうとっくに終わったさ」

「なに~!? ったくガロウ! なんで起こしてくれなかったんだよ! せっかくおめえの晴れ舞台だったってのによ!」

「はは。いや、見るほどのものじゃあなかったさ。なあ、桃?」

「いえいえ、素晴らしい戦いっぷりでしたよ!」

「くぅ~! 見たかったぜえ! お前さんの勇姿(ゆうし)をよ!」

 カヌラは起きたてだというのに、もううるさい。まあ、元気とも言うが。

「それより、ついに来たね、桃!」

「はい!」

『土造壁』を抜けた一行の目の前には、最後の砦である『水鏡門』が立ちはだかっている。

「えらく不思議な場所だなあ。壁一面が()き通った水面(みなも)のように見えらあな。これも、鏡っちゃ鏡だわな」

「そうですね……」

 桃太郎は懐中(かいちゅう)の竹簡を取り出し、それを広げて見る。

「台座にある水晶へ手を当て、真実の姿を映す時、最後の扉は開く……」

「……て書いてあんのかい?」

 ホウランもそれをのぞき込む。

「台座……。どうやらアレのことみたいだな」

 ガロウがアゴをしゃくって指す。

「……アレのようですね」

 一番奥の水の壁の前に、台座がある。その上に、なにか丸いモノが置いてあるのが、ここからでも分かる。

「よっしゃあ! 気合入れていかねえとな。最後の仕事だぜ、桃!」

「はい!」

 四人は堂々と真っすぐ台座へと歩み出した。

 ピチョ―ン、と水がしたたり落ちる音。見ると、すみ切った湖面のようだった水の壁に、小石でも一つ投げたかのように一点から波紋が起こっていた。その様はなんとも神秘的だった。

 スーと、糸でも引くように音もなく波紋の起点から垂直に線が入る。

「やっぱり来やがったか。……桃、頼んだぜ!」

 線はやがて左右に開いて行き、水の壁の中から歩いてくる者がひとりあった。

(あれが赤鬼……!)

 壁の中から現れた人物は、脇目(わきめ)もふらずにこちらに向かって進んでくる。その顔やカラダは、鮮血がほとばしったような真紅の色をしていた。体格は巨躯の桃太郎よりもさらに一尺(約三十センチ程)大きく、どこか神々しさすら感じる。

「待っていたぞ! 私の名は『赤鬼』鬼一郎! 『鬼が島』の次期(じき)統領(とうりょう)にして、今はここ『水鏡門』の門番を務めし者!」

 赤鬼は桃太郎一行の十間(じゅっけん)(約十八メートル)離れた所でようやく立ち止まり、凛然(りんぜん)と名乗りを上げてみせた。

 その時、ぽん、と桃太郎は誰かが自分の背を軽く押すのを感じた。

「そら、今度はお前の番だ!」

 とは誰も言わなかったが、桃太郎の背を押した手は、そう言っていた気がした。

「私の名は桃太郎! 仇討ちに参りし者! 貴殿(きでん)こそは、その仇とお見受けいたす!」

 単刀直入で簡潔(かんけつ)な名乗り。

「仇? そなたはどちらの生まれか?」

 赤鬼、鬼一郎と名乗った鬼は桃太郎にたずねた。桃太郎を一見しただけでは、まるで心当たりがないのだろう。

「私は『天仙』紫雲さまが異界において生を受け、縁あってそこに居を構える老母と老父の世話になりし者。そう申せばお分かりになるでしょうか?」

「あの……! そうか、あい分かった。そういう事ならば、その申し出、(つつし)んでお受けいたそう」

 鬼一郎はうやうやしく礼をした。

 鬼一郎の礼を受けた桃太郎は、同じくこちらも礼をもって返し、それからゆっくりと鯉口(こいぐち)を切り、抜刀した。

 鬼一郎も、桃太郎に続いて抜刀する。

 辺りには、抜刀した刀身が放つ青白い光が不気味に閃く。

 二人のあいだにはピン、と糸が張ったがごとく、なんとも言えぬ緊張が満ちた。

 桃太郎と鬼一郎だけではない。カヌラ、ガロウ、ホウランの三人にも、二人が生み出す緊張が伝わっていた。だが、ほかの三人にはそれ以外にも気がかりな事があった。いや、鬼一郎が現れた時から、三人の胸中には同じ一念が湧きおこっていたのだ。

(なんとこの二人の似ていることか!)

 人間と鬼。その違いは厳然とあるが、それを考慮しても、この二人の剣士はそっくりに見えた。桃太郎がもし鬼ならば、鬼一郎がもし人間だったならば……、かくあろう! としか思えぬほど、二人は良く似ていた。

「……」

 剣を構えたまま、互いの隙を見つけ、誘いをかけ、と沈黙の攻防を繰り広げる二人もまた、

(どういう事なのだ、これは?)

 と、腹の中だけで思っていた。

「おい……、似てるな、アイツら」

 カヌラが腕組みしたままつぶやく。

「……似てるね」

 ホウランが返す。

「……だが二人もとっくに気付いているのだろう? 桃が、元は人間ではないということを?」

 今度はガロウが二人に聞く。

「ああ。あいつの『感じ』はどこか『異界』を感じやがるからな」

「私の方は、(にお)いだった。桃には人間の匂いもするが、それがなんだか……あとからついたモノのような気がしてな」

「ったく、あの仙人のジイサンったら、なにを考えてこうなるよう仕組んだんだろうねえ!?」

 三人がそんな事を話しているうちに、

()っ!」

()っ!」

 桃太郎と鬼一郎は沈黙を破り大きく踏み出す!

 鋭く剣が鳴き、二つの刃は(くう)を切る。

 二人は忙しく左右の足を組みかえ、踏み出し踏み出し、大地を蹴る! それは剣技というよりは足さばきを(きそ)っているようにも見えた。

 スッ、スッと音もなく滑る(スライド)するように動く桃太郎。

 ダン! ダン! と、踏み込む度に力強く足を踏みならし、その度に腰を深く沈めるようにして動く鬼一郎。双方とも素晴らしい動きだが、どちらも相手にかすり傷すら与えられないでいる。

「でやあっ!」

「おうっ!」

 桃太郎が気合を発すると、それに応じるようにして鬼一郎もまた返す。二人の剣は目にもとまらぬ速さで空を切る。当たれば一撃必殺の威力がそこにはこめられている。

「破っ!」

「覇っ!」

「さあっ!」

「とおっ!」

 と、拍子よく互いに刃を交換し合うその(さま)は、事情を知らぬ者が見れば事前にしめし合わせたように映ったかもしれない。そうでなければ、あのような速度で斬りかかってはそれを全部とっさの所で避けるなど、到底(とうてい)できるワケがない。

「せいやっ!」

「とりゃっ!」

 舞踊のようにも見える。文字通り『(つるぎ)(まい)』ということだ。しかし、当然のこと、二人が必殺の一撃を相手に見舞おうと必死になっているのは言うまでもない。

「……ふぅ~」

「……はぁ~」

 二人はパッと後ろに跳び退()いて、互いに構えたまま呼吸を整える。

「やるな!」

「そちらこそ!」

 鬼一郎が褒めると、桃太郎も賛辞(さんじ)で返す。

「楽しそうに戦いやがるっ!」

 二人を見てカヌラがひとつ叫ぶ! 仇討ちの悲願(ひがん)を持つ者とその仇敵(きゅうてき)なのだが、二人のある(しゅ)(さわ)やかな戦いぶりから悲壮(ひそう)な雰囲気はまったく感じない。むしろ、待ち焦がれ楽しみにしていた玩具(おもちゃ)が手に入った童子のごとき歓喜(かんき)すら感じる。

「そろそろ、こちらも本気で行かせてもらおう!」

 鬼一郎は『トンボ』に構えて、腹に気合を充実させる。

「受けて立つ!」

 桃太郎は一喝し「受けて立つ」という言葉とは裏腹(うらはら)に自ら仕掛けた。

「破ッ!」

 小さく鋭い踏みこみと剣の振り! 意表(いひょう)()いた一撃。

「ふんっ!」

 しかし『トンボ』に構えられた鬼一郎の剣はそれよりも速く振り下ろされた!

 凄まじい速度(スピード)で振り下ろされた剣は一切の無駄な軌道(きどう)をとらずに桃太郎の剣の(つか)あたりを襲った。

「くっ!」

 間一髪、剣を握っていた両手を離し、鬼一郎の一撃をかわす桃太郎。手からこぼれ落ちた刀が地面に当たって無情な音を立てる。

 だが、安心する暇などない。振り下ろされた刃は()きの良い魚のようにブルン! と身を震わせたかと思うと、刃の方向を一瞬で桃太郎の方へ向け再び襲いかかった。

「!」

 どう見ても、桃太郎が返す刀を避けられる道理(どうり)はなかった。だが桃太郎はその一撃が避けられぬと見るや、

「フッ!」

 と鋭い息を吐き、自分からさらに鬼一郎の方へと一歩踏み出し、左手を使い逆手(さかて)で腰の脇差しを抜いた。

 「くっ、はぁ……!」

 刃と刃とがぶつかり、火花が飛ぶ。

 返す刀は桃太郎の左腰を襲い、桃太郎はそれを半分に抜いた脇差しで防いだが、その威力は凄まじく、とっさのことで重心が沈みきらずに踏んばりのきかなかった桃太郎を吹き飛ばした。

 が、くるり、と桃太郎は吹き飛ばされながらも小気味よく受け身をとった。

(脇差しが……!)

 落ちてしまっている。()き手ではない左では、あの斬撃に耐えられなかったのだ。

 それに気付いた鬼一郎は落ちた脇差しの方へ近づき、無造作に拾い上げる。

「……」

 不思議なことに、彼はその拾い上げた脇差しを(いぶか)しげに見つめるのだ。

(……?)

 せっかくの好機だというのに、この鬼は桃太郎の落とした脇差しを手に取り、動きを止めた。

 鬼一郎は拾った脇差しを鞘から抜く。

「同じだ!」

 その表情は胸の中の驚きが、そのまま表れたような表情だった。




(なにが同じなのだ?)

 声にこそ出さないが、桃太郎はそんな鬼一郎を見て不可思議に思う。

 そこでやっと鬼一郎は顔を上げて、

「これはどなたかからの貰いものかね?」

 と、だしぬけに訊ねた。

 桃太郎はそう問われ、少し間をあけてから、

「……(くわ)しいことは分かりませんが、私が育ての親に拾われた時、身に着けていたモノと聞いております」

「ふむ」

 鬼一郎はもう一度脇差しへと視線を落とす。

「銘はなんというかご存知か?」

「その脇差しの(なかご)には『鬼助』という名が切られております」

「……なんと!」

 鬼一郎は口から心臓が飛び出さんばかりに驚いた。

「これは……確かめねば!」

 のぞき込むような鋭いまなざしを鬼一郎は桃太郎にくれた。威嚇ではない。桃太郎の目の奥の奥、それをのぞき込まんとしている風にも見える。

「そういうことか!」

 鬼一郎は一人だけで、得心(とくしん)がいったという表情をしている。

「これは……いやはや……なんとも言い(がた)奇縁(きえん)だ。まさかこの様なことが世にあろうとは……」

 鬼一郎が依然(いぜん)ひとりで納得していると、

「おうおうおうおう! 一人で納得してちゃ俺らにはなんも分かんねえだろう!? サッサとオレ達にも教えねえか! その『まさかこの様なこと』ってのをよ!」

 カヌラが鬼一郎に怒鳴る。

(普段ならやかましくて耳ざわりだけど、こんな時には頼もしいね)

 ホウランがほんのちょっと感心したように、カヌラの毛むくじゃらの横顔を見る。

「おお! これはあいすまぬ。いや、あまりにも唐突(とうとつ)で意外なことだったのでな。驚きのあまり……」

「チッ!」

 礼儀正しく弁解する鬼一郎に舌打ちするカヌラ。「そんなことはいいから、はやく必要なことだけ言え!」とその顔は言っていた。

「……失礼」

 鬼一郎は律義(りちぎ)にカヌラへ非礼を()び、頭を軽く下げた。それから顔を上げると桃太郎の方へ居直(いなお)り、

「ならば、単刀直入に申し上げよう。そなた、桃太郎と言ったな。おそらく、その名前は、育ての親から授かった名であろう? そなたの本当の名こそ、この刀に刻まれし銘と同じ『鬼助』。…そして私の双子の弟だ!」

「……え、ええ~!」

 鬼一郎がそう言ってから少しの間があり、外野から三つの声が聞こえた。

「いや、そりゃあねえだろう!」

「いや、でもまさか……」

「そんなことがあるのかい!?」

 カヌラ、ガロウ、ホウランの三人は驚きつつ、桃太郎の反応をうかがっている。全ては彼の反応次第だ。

「……」

 しかし、当の桃太郎は黙ったままだ。だが、かまう事なく鬼一郎はつづける。

「詳しいことは、残念ながら私にも分からない。ただ、私には『鬼助』と呼ばれる弟が存在したことは確かだ。ただし死んだ、と聞いていたが……」

 鬼一郎はさらに説明を加える。

「私と、その父である『鬼王』は、『赤鬼』だ。むろん弟もそうだったと聞いている。そのせいで、弟は命を奪われることとなった」

「なんでだ!?」

 カヌラがいちいち外野から口をきく。

「『赤鬼』だからだ。『赤鬼』とは、その肌の色からきている呼び名だが、大事なのは肌の色ではない。赤鬼こそ、『真の鬼の系譜(けいふ)』を受け継ぐ者なのだ。かつて鬼はすべて赤い鬼だけだったというが、それは次第に他の種と交わり変わっていった。そして、赤鬼は例外なく『好戦的過ぎる性格』と『強すぎる肉体』を持っている。それは同時に旺盛(おうせい)な戦闘意欲と食欲を生んだ。同じぐらいの力を持った者を見れば腕を試さずにはいられぬし、その大き過ぎる食欲は、時に他の種を食い散らかし絶やしてしまうこともあったという。それは結果的に他の鬼たちの餓えを招くことになった。我らは鬼の血を引く者以外の異界種しか食せぬゆえ。それに、赤鬼は他の赤鬼と力を競い合い、互いにその命を奪い合うことも頻繁にあった。またそのせいで力の劣る赤鬼は力の優る赤鬼の手にかけられて瞬く間にその数を減らしていったという。そして、我らが一族の『(かしら)』になるべき赤鬼、もしそれが双子だった場合は、双子同士で力を争われては一族の害悪になりかねん。だから……」

「『間引(まび)かれた』ってことかよ!」

 カヌラが鬼一郎にむかってどなる。このお猿さんの言う事は全部が全部、怒ってなじられているように感じるから不思議だ。が、カヌラは別段、怒っているワケではない。

「そうだ。『鬼王』になれるのは赤鬼のみ。それも一人だけだ。だから、後に生まれたというだけで弟は……!」

 鬼一郎は意外にも悔しそうに言うのだ。

「私の母上、つまり『(おに)(ひめ)』さまは、我が子である私と『鬼助』に、あらゆる災厄(さいやく)から身を守ってもらえるようにと、それぞれに一振りの短刀を与えた。それが」

 鬼一郎は桃太郎の脇差しを抜き、その白刃(はくじん)をあらわにする。

「この脇差しというワケだ。私もまったく同じモノを一振り持っている。それに、その目の奥に感じる『血』。我らと同じモノを感じる。鬼同士は無論のこと、異界を故郷とする者なら誰であっても感じ取れるはずだ。おそらく、ココに来るまでに出会ったほかの三人も……どうだ? 思い当たるフシが、あるのではないか……?」

「……」

 八つの目が桃太郎に向けられる。

 黙ったまま、桃太郎はうなずく。彼は覚えていた。小さい頃の自分の肌が赤く岩のように(こわ)かったことを。『旺盛な食欲』というのも、今思えば異界種であったお婆さんを食べたいと思った原因はそうとしか思えない。

「そうか」

 鬼一郎も、桃太郎がうなずくのを見て、それに応えるようにうなずく。

「それで、どうする? 元はと言えば我々は兄弟、そして鬼同士。答えは、そなたに任せよう。私は、そなたのどんな選択をも受け入れる用意がある」

 鬼一郎の顔は優しかったが、その言葉には断固としたひびきが感じられた。

(どうするんだ? ……桃!)

 三人も固唾(かたず)を飲んで桃太郎の返事を待つ。

「……やはり、戦おうと思います。たとえ相手が兄弟であろうと、一度立てた悲願は(くつがえ)せませぬ。ご容赦(ようしゃ)くだされ!」

 桃太郎は目を伏せたまま言った。しかしそれは鬼一郎同様、その言葉には断固としたひびきがある。

「……残念だ!」

 鬼一郎は『カッ!』と目を開き、一度は鞘におさめた自身の愛刀を再び鋭く抜き放った。

「それと、これは……、返しておこう」

 鬼一郎の左手から脇差しが投げられ、虚空を泳いで桃太郎の手に渡った。

「かたじけなし!」

 桃太郎は愛しむようにそれをしっかりと(つか)み、再びその腰へ脇差しを差した。

「続きだ。参るぞ!」

「……おおっ!」

 鬼一郎が呼びかけると、気合一声、桃太郎もそれに応じる。

 正眼(せいがん)に構えた桃太郎は、鬼一郎をその場で(むか)()つ。

 鬼一郎は高速で踏みこみながら深く腰を沈めて剣を振るい桃太郎に襲いかかる。

「むんっ!」

 二つの刀が悲鳴を上げる。本気になった鬼一郎の剣は、桃太郎を防御(ぼうぎょ)一辺倒(いっぺんとう)にさせた。

「……っ!」

 無声の気合を発し、鬼一郎の攻撃はさらに激しくなる!

 桃太郎は鬼一郎の強烈すぎる斬撃をかろうじて受け止める。いまだかすり傷さえも許さぬ桃太郎の見事な防御だったが、それでも、徐々にそのカラダは後退(こうたい)余儀(よぎ)なくされた。しかも先ほどと違うのは、これまでお互いに刃を虚空へ虚空へとかわしていたのが、今回ばかりは刃と刃を合わせて鬼一郎の斬撃をかろうじて捌く桃太郎なのだった。

「……っ!」

 声にならぬ気合を発して、鬼一郎の斬撃はその苛烈(かれつ)さをいよいよ増していく。その斬撃方法は振り下ろし、返す刀で追撃(ついげき)を加えるという至極単純なものであったが、その単純な攻撃が息つくヒマを一切与えぬほど、凄まじい速度と威力とを備えていた。

「………っ!」

 鬼一郎の攻撃に、もう一段凄まじさが加わる。もはや、

「な、なんて速さだい……! あれじゃとても反撃なんて……!」

 とはた()で見ているホウランも絶望的な観測しかできない。

(い、いつまで続くのだ……! この攻撃は!?)

 それが桃太郎の誤算(ごさん)だった。さっきまでの攻防で、鬼一郎の膂力とその斬撃の速さは自身の肉体に覚え込ませたつもりだった。それは桃太郎が受けたことのないほどの凄まじさだった。実際、鬼一郎よりも強く、速く、重い攻撃を仕掛けてくる者など皆無だろう、と桃太郎は思った。それでも、受けに回れば致命傷を負うことなく鬼一郎の斬撃をさばききることができる、そう思ったからこその防御作戦だった。鬼一郎の斬撃が疲労でとまった時、その一瞬のスキを衝いて必殺の一撃をお見舞いする……はずだった。

(威力が衰えるどころかこれでは……!)

 鬼一郎の攻撃は時間が経つごとに加速し、さらに威力を増強していくような気さえした。普通全力を出せば、呼吸を止めハラに力をこめる。だが、呼吸をしないではいられないというのが世に生きる者の道理だ。それが激しい攻撃となれば、なおさら力を発揮できる時間は少なくなろうというものだ。なのにこの鬼ときたら、

「………っ!」

 と無声の気合を発し続け、一向にチカラの底を見せてはくれない。桃太郎も、いや、カヌラやホウラン、それにガロウも、世に聞く『赤鬼』の恐ろしさを肌で感じ始めていた。

 刃と刃がキンキンと耳に迫るような音を立て始めていた。

 音が、さっきまでとは違う。先ほどまでは、鬼一郎の斬撃に対し、桃太郎は自分の刀を斜めにして流すように受けていた。それが今は相手の攻撃をモロに受け止めてしまっている。

「ああっ……!」

 ホウランも心配のあまり声を上げて戦いを見守る。

(仕方がない!)

 防戦一方だった桃太郎の目に、鋭い光が走る!

「ふぅッ!」

 桃太郎は激しい斬撃の中、息をひとつ吐きながら腹に重心を落とした。同時に腰が深く沈む。

 二つの刀身がぶつかり金属音があたりに響いた。そこまではさっきと同じだった。が、

「……なにっ!?」

 ぐんっ! と鬼一郎のカラダが崩れ右斜めへ前のめりになる。突如として平衡(バランス)を失ったのだ。

「破ッ!」

 桃太郎はさらに気合を加えて、さらに深く腰を沈める。ただでさえ崩れていた鬼一郎の体は、さらに大きく崩れてついには大きな体は地面に叩きつけられるような格好になった。

「くっ!」

 ゴロンとたまらず鬼一郎は前転しながら受け身をとる。

 その一瞬のスキを、桃太郎は逃さない。

「はい、やあっ!」

「くあっ……!」

 鬼一郎のカラダが完全に起き上がる前に一撃を加えようと、鋭い踏みこみを披露した桃太郎であったが、さすがの鬼一郎もすばやい反射運動を見せ、間一髪それを避ける。

 腕をたたんで小さく(コンパクト)繰り出されたのは桃太郎の(みぎ)袈裟(けさ)の一撃。その一撃は音までもが鋭かった。

 ツツ、と血が頬をつたう。桃太郎の一撃を一瞬の判断で、頭を左に振り斬撃をかわすことに成功した鬼一郎であったが、その切っ先がわずかに、彼の頬をかすめていた。

「あ、あてやがった!」

 カヌラが腕組を()いておどろく。

「やったぞ、桃!」

 ガロウの冷静な顔にも喜色がみえた。

「最高だよアンタ!」

 ホウランが黄色い声援をとばす。

「……やるな!」

 立ち上がった鬼一郎は開口一番、実に爽やかに敵をほめた。

 それがあまりに爽やかでなんの嫌味もない言い方だったからか、桃太郎は少々照れたように頭をほんの少し下げた。その瞬間だけは、どこか普通の兄弟が、兄がその弟を褒めるような光景にも見えたが、真実は命を()けた決闘の最中なのだ。兄と弟、鬼と人間、仇討ちと仇敵、二人のあいだには、複雑な事情が入り込んでいる。

 ペロ、と鬼一郎は頬から伝う血を()め、

「が、私の方もまだまだ元気だ。参る!」

 言うなり桃太郎に飛びかかり斬撃の雨あられを御馳走する鬼一郎。頬から伝う血を舐める姿は、獲物を前に舌なめずりをする強力なバケモノにも見えた。

「……っ!」

 無声の気合を発し、またしても最初(ハナ)から最大出力で桃太郎に襲いかかる。鬼一郎の剣筋には、緩急だとか、奇を(てら)うだとかが一切見られなかった。いつでも、標的に向かって最短で、直線的に襲いかかってくる。

「……っ!」

「……ふぅっ!」

 二人の呼吸が、重なった。




「……本物だよ、アンタは!!」

 ホウランが歓喜の声をあげる。

 桃太郎は剣を正眼にかまえ、鬼一郎はと言えば、右ひざを地に着けて桃太郎の真っすぐな視線を受け止めている。

 完全に、形勢(けいせい)は逆転した。なにが起こったのか。

 鬼一郎は、さきほどと同じように、

「……っ!」

 と無声の気合とともに攻撃を開始した。それはさらに厳しさを増した凄まじいものだった。それを、桃太郎が破ったのだ。それも完全に。

「……はぁはぁ」

 鬼一郎の呼吸が乱れている。

「……ふぅっ!」

 鬼一郎の斬撃が襲うその瞬間、桃太郎は例の呼吸法を行いながら重心を真下に落とし、それから鬼一郎の攻撃に『合わせる』のだ。そのあとは刃と刃が重なる音が鳴り、不思議なほど簡単に、

「くそっ!」

 と鬼一郎がコロコロと転がされる。

「どうなってやがんだ!? 桃のやつ!!」

 カヌラは嬉しくてたまらない様子だ。

 鬼一郎も、まるで何かに()かされたような顔をしている。

(なんという不思議な技だ。渾身のチカラを込めた剣だというのに、二人の剣が衝突した瞬間、まるで勢いを殺されてしまい、そうかと思えばさらにこちらのカラダのチカラが抜け、気付けば平衡(ばらんす)を失い崩されている……!)

「その技に、名はあるのかね?」

 桃太郎の視線をただ黙って受け止めていた鬼一郎がきく。

「奥義『崩しの太刀(たち)』! 和術を剣に応用した一手にございます」

 構えを解かず視線を外さず、桃太郎は答えた。

和術(やわら)? 世には不思議な技もあるものだな」

 そう言った鬼一郎の頭の中には、山で戦ったあの老人の姿が浮かんだ。

「で、どうなんだいカヌラ?」

「どうなんだいってなんだ?」

 ホウランはめずらしくカヌラになにかを尋ねたが、どうやらその質問の内容が、このお猿さんにはイマイチ分からなかったらしい。

「今の技さ! アンタも棒術を(つか)うんだから、武術には精通(せいつう)してるんだろ?」

 ホウランはカヌラを持ち上げるようにして聞いた。本当はカヌラが「どうなんだ?」と質問に質問を返してきた所で『イラッ!』ときていたのだが。

「そうだな。たぶんありゃあ相手の重心を崩すための技だな。相手と自分の体が触れ合った瞬間に、相手の重心の傾きや流れを瞬時に読んで、相手の重心が崩れるように自分の重心を『流し込む』ってところ、かな」

「ふーん」

 ホウランは感心している。が、相手がカヌラだからか、興味がなさそうな態度を装ってしまう。

「で、そりゃあ凄いのかい?」

 ホウランは原理を説明されてもイマイチぴんとこないようだ。

「すげえな! 理屈が分かっても出来るヤツはまず世にいないだろう。なにせ相手はあのバケモンだからな。相手の攻撃に合わせて、なおかつ一瞬で相手の重心を読みとり、その中で相手の重心が崩れるように自分の重心を操作するんだ。まず人間技とは思えんな」

 カヌラにしては、殊勝(しゅしょう)なことを言った。

「へえ! じゃあ、アンタよりスゴイってことかい!?」

「……うるせえ!」




「こちらも、奥の手を披露する必要があるようだな」

 そう言ったのは鬼一郎。『崩しの太刀』によって形勢を覆されたというのに、その口元には余裕の笑みが見える。

(やはりか)

 桃太郎は疑問に思っていた。『崩しの太刀』を見せてからも、鬼一郎はしばらく何かを試すように同じ攻撃をつづけてきた。そのつど桃太郎にそれをはね返されては、懲りずにむかってきた。

(さらなる奥の手があることで、私の力量を測ることに専念し、こちらの手の内を探ろうとしていたのか?)

 そしてそれが済んだことで、今度は鬼一郎が『奥の手』を見せる気でいる。もう、なにかを試す必要は認められないということだろう。

 鬼一郎は剣を鞘におさめ、左手を鞘の横腹に、右手を柄にかけたまま左足を後ろへ引いた。腰は、チカラをためるようにして沈めている。

(あの構え、居合(いあい)? 抜刀術(ばっとうじゅつ)か!?)

 鬼一郎は目を半眼(はんがん)に閉じ、呼吸を整え、爆発の瞬間(とき)を待つ。

(なんて雰囲気のあるヤツなんだ!)

 外野の三人は構えた鬼一郎を見て息をのむ。その姿は、一幅(いっぷく)の絵になるかと思うほど(どう)()ったものだった。

 今度は桃太郎が構えを変える。正眼に構えた剣を、垂れるようにして下段へと構えた。切っ先が前に出した右足のやや上に位置する。

(居合だ! 間違いなく。だが……)

 なにが来るか分からない。どんな恐ろしい『危険』が自分を襲うのか。頭ではない、桃太郎のカラダが自然と反応し、防御に優れた下段の構えをとらせた。

 鬼一郎が息をひとつ吸い込み、それから、例のごとく、無声の気合を腹にみなぎらせた。 

 一瞬、鬼一郎の右手が消えた。

 「なにっ!?」

 桃太郎が防御のために剣を振る。しかし、彼の前面に鬼一郎はいない。

 何か固い金属が一瞬にして爆ぜた様な、耳をつんざく鋭い音がした。そしてその凄まじい金属音の澄んだ残響が尾をひくように余韻を残す。

「ぐあっ!?」

 桃太郎ははじけ飛ぶようにして後退する。

 上体が後ろへのけ()ったが、なんとか踏ん張ったのは桃太郎。

「……」

 鬼一郎は、さきほどと同様の体勢を保持する。

「な、なんという早業(はやわざ)なのだ!」

 恐ろしい斬撃の速度と伸び。あの遠間(とおま)から一瞬で、それも一歩踏み込んだだけで……。

「い、今のはなんだい!? まったく見えなかったよ! それに、なんだか桃が吹き飛んだあとに音が聞こえた気が……」

 ホウランが目を丸くする。

「まったく見えなかったぞ」

 ガロウも心底驚いた表情。しかし、

「……」

 カヌラだけは腕組をしたまま冷静そうな顔で戦いを見守っている。

(いや、大丈夫なのかもしれないぞ。桃は、今の凄まじい攻撃を受けてみせた。カヌラのこの落ち着きようも、それなら納得がゆく)

 カヌラの様子を見て、二人は勝手にそう考えた。そして黙ってもう一度戦いの方へ顔を向けた。本当は、

(いや~、なんだ今のはよ……! あまりにも凄すぎて度肝(どぎも)()かれちまったぞ!)

 驚き過ぎて声を出すのを忘れていた、というのが、実際だったのだが。

(なんと凄まじい居合だ! これでは『崩しの太刀』ができない)

 桃太郎は、下段から再び正眼へと構えをもどした。これなら自分の正中(せいちゅう)(せん)、人間の急所を上手く剣で隠す(ガード)事ができる。万が一相手の攻撃に反応できなくとも、致命傷は防げるかもしれない。

「まるで『(かみなり)』だな」

 カヌラが静かに言った。

「かみなり?」

 ホウランとガロウが返す。

「あいつの抜刀術のことよ。音よりも速く斬撃が飛んできたろ? それが雷とおんなじだってことよ」

「つまりそんだけ速いってことかい? あの鬼一郎って赤鬼の攻撃が?」

「ああ。はんっっっぱじゃねえな! 雷はもともと『神鳴(かみな)り』なんて言われててよ。そりゃあもうスゲえもんさ。『ピカっ!』って光ったあとに遅れて音が聞こえてくる。音を置き去りにする早業なんざあ、この世にはその『カミナリ』ぐらいしかねえもんだ、と思ってたがよ。そりゃあオレの勘違いだったようだな」

「……」

 カヌラの話は、桃太郎にとってはどうも明るくない話だった。

(どうする桃? おめえの兄貴は半端(はんぱ)なヤツじゃねえぞ!)

 カヌラはぎゅっと拳を握る。

「っ……!」

 鬼一郎が、無声の気合を発する。万事休すか、桃太郎。

「はいやあっ!」

 桃太郎は腰を落として剣の柄を強く握る。強い衝撃のあとに遅れて刃が鳴る。しかも今度は。連続で斬撃が桃太郎を襲う。居合の連続斬りなど、見たことも聞いた事もない。

「おうッ!」

 なんとか持ちこたえていた桃太郎だったが、そのあまりの凄まじい攻撃で遂に押し切られ、一撃をもらってしまった。すぐさま後ろへ転がりながら逃れる桃太郎。

(……斬られた!)

 左肩の部分が大きく裂けている。しかし、

鎖帷子(くさりかたびら)がなければ、今頃使いものにならなくなっていたところだ! おじい様、ありがとうございます)

 切れた肩口の中からのぞいたのは桃太郎の日焼けした肌ではなく、いかにも丈夫そうに()まれた鎖帷子だった。昔、お爺さんが使っていたモノらしいのだが、桃太郎は、旅立つ前にそれを拝借(はいしゃく)してきたのだ。

(それにしても、このままでは……)

 (いち)(なん)しりぞけてはまた一難。あのうるさい居合をどうにかしなければ、桃太郎に勝つ道はない。今度また先ほどのように、鬼一郎の攻めを受けきって疲労を誘おうなどと考えれば、まず命はない。

 それにしても、驚くべきは鬼一郎だ。

(なんという完成された居合なのだ。毛ほども無駄のない円滑(えんかつ)な動き、太刀行きの速さ、威力。全てが揃っている!)

 同じ剣士として桃太郎は、脱帽(だつぼう)の気持ちを禁じ得ない。

(腕のチカラを使わずに腰を切り、肩を落とした勢いで剣を走らせ、それが終点に達すると今度は使っていない腕のチカラを用いて剣を引くのだ。その素早い繰り返しが、信じられない居合の連続斬撃を可能にしている)

 桃太郎は鬼一郎の抜刀術の根本を瞬時に看破(かんぱ)してみせた。だが、それが分かったところで、桃太郎にも他のだれにも、あの居合ができるとは到底思えない。

「すばらしい腕前でございますな、兄上殿」

 他人には聞こえない、()の鳴くようなつぶやきだった。

「……」

 なのに、鬼一郎にはそれが聞こえたのか『にっ』と口角をあげて笑ったのだ。

「……っ!」

 深く力強い無声の気合を、自分のカラダの内側で爆発させた。

 フッと鬼一郎の右手が消える。一度剣を抜くごとに、拳五つ分ほどの前進を加えながら、鬼一郎は桃太郎を攻めていく。

「ふんっ!」

 ここで、桃太郎が前に出た。

「くっ、うおお……!」

 迫る斬撃の壁をなんとか進んで行く桃太郎。肩をすくめ少しでも(まと)をへらし、正中線に沿()うよう剣を構えて急所が隠れるようにする。それはほんのわずか被弾(ひだん)する可能性を(おさ)えるぐらいの効果しかないが、それでも、この『わずか』が勝負を左右するかもしれないのだ。

「……っっ!」

 ぎりと歯を食いしばり、腹にチカラと気合を込め尽くす鬼一郎。桃太郎の決死の前進を見て、それをさらなるチカラで上回ろうというのか。

「いいよ桃!」

 バサバサ羽を鳴らしてホウランがよろこぶ。

 足を引きずるようにも見えるすり足で、わずかに、わずかに、桃太郎は激しい斬撃の中をゆく。

 幸いなのは、諸手(もろて)で行う斬撃とちがい、居合の場合は片手で剣を振ることになる。いくら鬼一郎の膂力が人間離れしているとはいえ、これなら両の腕で剣を構える桃太郎も受けきることができた。それでも、常人の何人分のチカラに匹敵するのか、この赤鬼のチカラは。

「……っっっ!」

 鬼一郎のこめかみに稲妻(いなづま)のような動脈が走る。それは人間と同じ青い隆起(りゅうき)を、その赤い肌に浮かび上がらせた。

 二人の剣がぶつかり合い、その音はどんどん激しいモノになる!

 桃太郎ももう、そのあまりに厳しい攻めに『崩しの太刀』を(つか)う余裕がない。鬼一郎の居合はあまりにも速く、剣と剣との接触時間が極端に短い上に予測もできない。だからこそ、剣を合わせ、呼吸を合わせて初めてつかえる『崩しの太刀』は彼の居合の前で無力化した。

「うおおおっ!」

 桃太郎は自分を叱咤(しった)するようなうなり声を上げて猛然(もうぜん)と鬼一郎に迫る!

 近づけば、なんとかなるかも知れない。外野の三人もそう感じているし、なにより遠間からではなにもできないのだ。

「……っっっっ!」

 鬼一郎の赤い肌に浮かび張り巡らされる青筋。鬼一郎もまた限界のチカラをもって桃太郎を攻め抜く。

「うおおおっ!」

 爆ぜるような高音が響き、二つの刃が生み出す音は今最高潮(クライマックス)に達した。

 二人の距離はおよそ三間(さんけん)(五・五メートルほど)。両者の間には刃の嵐が吹き荒れる。

「ああっ! 桃っ!」

 ここまで迫っておきながら、桃太郎の足が止まる。

「……さあっ!」

 桃太郎は思い切って正眼から上段へ構えを移す。

 鈍いが澄んだ嫌な音が聞こえた。ガラ空きになった腹に二回の斬撃をもらってしまった。

「破あ~!」

 気合一閃! 桃の上段打ちが鬼一郎の……。

 唐突に耳をつんざくような衝撃音。

「おお~!」

 外野から三つの声。

「ぬん!」

「でいやっ!」

 二人の眼前で剣が交差する。桃太郎の上段の一撃を、鬼一郎が受け、ちょうど(つば)ぜり合いの格好になった。

「ふぅっ!」

 桃太郎が重心を真下に落とす!

「……!」

 鬼一郎が前のめりに平衡(バランス)を崩す。その巨体は完全に自由を失い、大きく前方へ泳ぐ。ここにきて『崩しの太刀』。鬼一郎の重心は完璧に乱され、これでは受け身をとろうにもとれない。

「もらった!」

 ついに生まれた絶対の好機に全力を注ぐ桃太郎。

 平衡を失ったまま鬼一郎のカラダは体当たりをするように桃太郎の方へむかい、刹那、刀をつかんでいた左手を離し、その手を貫手(ぬきて)に変えて桃太郎の腹をぶちぬく!

「野郎! やっぱり接近された時の対策もしてやがった……!」

 カヌラが悲痛な叫び声を上げる。最短距離を描いて放たれた鬼一郎の左貫手は、桃太郎の腹部を直撃した。

「ああっ!」

 ホウランは『もう見てられない!』と翼で目隠しをする。

「……」

 二人はそのままの格好で、固まったままだ。三人の方向からは、桃太郎がどうなっているかよく見えない。

「……ぐはあっ!」

 止まった時が動き出した途端に苦しそうなうめき声を上げて地に膝をつく桃太郎。

「く、くそっ!」

 カヌラが悔しそうに怒鳴(どな)る!

「い、いや……! あれは!?」

 ガロウがなにかに気付いた。

「ま、まさかこのような技を隠し持っていたとは……不覚!」

 一瞬天を仰いで、チカラが抜けたように大の字に倒れ込む鬼一郎。その胸には、脇差しが深く深く、奥深く……食い込んでいた。

「『()太刀(だち)瞬光(しゅんこう)』!」

 言葉を、桃太郎は吐き出すように言った。

「やりやがったぜ、あの野郎!」

 カヌラをはじめとした一行が桃太郎の元へ駆けよって来る。

「やったねえ、桃!」

「うむ、本当にすごい!」

 ホウランとガロウが続いてほめる。カヌラは桃太郎に近寄って肩を貸す。

「しっかし、ひどくやられたなあ!」

 カヌラは陽気に言う。

「大丈夫か、腹は?」

「はい。おじい様の鎖帷子のおかげでなんとか……」

 二発の斬撃と、一発貫手をもらった桃太郎の腹は、着物がきれいに裂け、鎖帷子も見事にひしゃげ、もう使い物にならなくなっていた。しかし、よほど丈夫なのか、腹にもらったせいで桃太郎は足にきているようだったが、命に別条はない。

「そっれにしても、いつのまに脇差しを?」

 カヌラが桃太郎にたずねる。一人の武芸者として『瞬光』という技が気になるのだろう。

「『崩しの太刀』をしかけてすぐに左手を剣から離し、逆手で脇差しを抜刀してそのまま胸に突き立てたのです。アレはもともとはすれ違いざまに相手の不意をついて暗殺するためのワザ。仇討ちという後ろ(ぐら)所業(しょぎょう)には似合いの技かと思います」

 チカラなく笑う桃太郎。「へへ……」と鼻をこすって笑うカヌラ。とにかく、どうあれ勝ったことが嬉しいようだった。桃も、他の三人も。

「これで、終わったんだねえ!」

 ホウランが快哉(かいさい)(さけ)んだその時だった。後ろで音がした。音に気付いた一行が振りかえるとそこには……!

「きゃあああああ―!!」

 ホウランが悲鳴を上げる。

「し、しつけえぞテメエ!」

 カヌラも怒ったように声を上げる。

「み、見事だ……。まったく見えなかったぞ」

 自らの剣を杖代(つえが)わりにして立ち上がったのは鬼一郎。

「……」

 桃太郎は立ち上がって来た鬼一郎を一瞥(いちべつ)して、

「お、おい桃……!」

 借りていたカヌラの肩から離れ、もう一度ゆっくり剣を抜き放った。

「よくわかっているな」

 その様子を見た鬼一郎が一言。

「続きだ」

 鬼一郎も剣を構えなおす。胸からは、赤い鮮血が見える。

 地が揺らいだかと思うほど強く足を踏みならし、鬼一郎は桃太郎へ襲いかかった。

「ふんっ、はっ!」

 腹から絞り出すような声をだす鬼一郎。それは気合か、それとも苦痛をこらえるための気付けか。

 空を切り裂く音と、空気の(まく)を突き破る音がした。

 右手のみで剣を振り、そのあとからは剣に隠れるようにして第二撃が間髪入れずに飛んでくる。ここにきて、鬼一郎は初めての攻撃を見せた。

「剣と爪の二連撃かよ!?」

 カヌラが言った通りだ。その圧倒的な膂力があればこそ、片手で小枝でも扱うように剣が振れる。空いた左手をつかって、あとは何でもできる。しかも、鬼一郎の無手の攻撃力は、当たれば普通の刀剣とさほど変わらぬ殺傷能力を有するのだ。

「し、しかも、なんだかさっきより速い気がするよ!?」

 ホウランがそう思うのも無理はない。鬼一郎の動きが速くなったという事はないが、先ほどと違う点はたしかに認められる。今は進んでその身を危険にさらし、代わりに自分の刃を桃太郎の身に()びせる可能性を増やそうというのだ。

「それに桃の方が」

 疲れている、とガロウは見てとった。桃太郎は傷こそ浅いが、体力・気力ともに今まさに尽き果てんとしていた。

「ふんっ!」

 鬼一郎は気炎(きえん)を吐く! 一体、この力はどこからくるのか。

「ぐぅ」

 桃太郎は小さくうめき、なんとか鬼一郎の猛攻に耐える。剣を剣で受け止めれば、今度は鬼一郎の貫手に構えた左手が桃太郎を襲うのだ。それも、己の安全を賭けに投げ出し全力で。

「ああっ!」

 ここにきて、形勢が鬼一郎へと再び傾き始めた。三人も、心配でたまらない表情を浮かべて桃太郎の戦いを見守る。

(なんだ??)

 カヌラだけが、桃太郎の変化に気付いていた。それはほんの少しずつではあるが、桃太郎のそなえ()が柔らかくなっているのだ。それに動きもだんだん小さく……。

 鬼一郎の鋭い爪が桃太郎の頬肉をかすめる。いや、頬だけではない。剣と貫手の連絡技によって、桃太郎のカラダは少しずつ削られていく。ただ、

(合ってきてやがる!)

 とカヌラが見抜いたように、桃太郎は鬼一郎の動きに同調し始めている。鬼一郎が右に動けば、それに合わせて桃太郎も左に動き、常にお互いが正面を向きあうように、そして『あ』・『うん』とはかったがごとく攻撃の拍子(テンポ)までが絶妙に重なるのだ。

(どうなってやがんだ!?)

 カヌラには、その結果がなにをどう迎えることになるのか、まるで見当がつかない。

(こ、これは! 覚えがあるぞ。たしかあの老人の……!)

 それはまるで洗練された二人一組の舞踊を見ているようだった。あうんの呼吸に滑らかで美しい所作と、心地よい拍子(リズム)。決まりきった型の中で自らの動きを洗練させていった完成形。だが、真実は違った。これは舞踊でもなければ、決まった型に沿っているワケでもない。命を懸けた戦いであり、一秒後には何が起きるか分からない筋書きなしの戦場なのだ。

(なんという不思議な技だ! オレはオレの思い通り自由に動いているのに、相手に全ての動きを掌握(しょうあく)されている気がしてならぬ!)

 鬼一郎は必死だった。なのに、その必死の攻撃が、桃太郎に誘導されている様な気がするのだ。今だって……!

「フッ」

 息を短く切って桃太郎が攻撃をすると、それに合わせて鬼一郎も左腕を伸ばす。だが、やはり違う()のだ。左腕を伸ばさざるをえなかった、そんな気がした。

「破あぁぁぁあぁあ!」

「グオオ~ッ!」

 腹の底の底から絞り出す桃太郎の咆哮(ほうこう)は、次の一撃が勝負の一撃だとつげていた。

 鬼一郎も、それに呼応するように猛獣のごとき咆哮をあげた。

 上段に構えた剣を右袈裟に斬り下ろす桃太郎。その踏み込みは、今日一番の鋭さとチカラが込められていた。

 その桃太郎と同時に、鬼一郎も大きく右足を踏みだして片手だけで右手の剣をつかい、大きく()を描いた。左手は脇下(わきした)に構えられ、次の攻撃に備えてある。

 加速した剣は、交差する。

 二人が創り出した瞬間は今ぴたりと符合した。しかし、その最後の瞬間に、桃太郎のカラダはバネが(はず)むような勢いでカラダを左に開き、美しいまでに同調(シンクロ)した二人の拍子と攻撃の軌道に『崩し』をかけた。

(ああ)

 鬼一郎はその瞬間諦念の気持ちが頂点に達した。

「せやあぁあ~!」

 パッと二人が交差し、おたがいの位置を入れ替える。

「……」

 頬から血が流れる桃太郎。その後ろでは、背中を見せる鬼一郎の左手爪先(つめさき)からわずかに血がしたたり落ちる。

 ガシャリ、鬼一郎の右手を離れた剣が音をたてる。

 少し遅れて、どう、という鈍い音とともに地に倒れ伏す鬼一郎。

「……」

 だが、桃太郎だけは残心の体勢を保ったままだ。

 ゴロン! うつ伏せに倒れた鬼一郎は、寝がえりをうち、左右に手足を投げ放って大の字になってみせた。その顔には、なぜか満足そうな笑みを(たた)えている。

 やっと、桃太郎は残心を解いて剣を鞘におさめた。

 それから桃太郎は一直線に鬼一郎の元へ歩み寄る。膝を折り、鬼一郎のそばで腰を下ろす桃太郎。

「……強いな『鬼助』」

 鬼一郎は、桃太郎とではなく、あえて桃太郎をもう一つの名で呼んだ。

「いや、兄上殿の方が」

 桃太郎は首を横に振って、兄を褒めた。

「ふっ。私の方が強いなら、こうやって地に倒れてなどいないさ……」

 鬼一郎は笑う。

「……会ってみたかった」

「はい?」

 鬼一郎はだしぬけに言う。

「自分の……弟にさ! 父からは、死んだ、と聞かされていたからな。だが、こうして会えた。まことに、世の中とは不思議だ」

「……」

 桃太郎は、大の字になっている鬼一郎の顔に視線を落としたまま、その話を聞いている。

「思い残すことはない、と言えばウソになるが、どうしてなかなか、悪くなかったな。私の『生』は」

 鬼一郎は目を閉じ、しみじみ言う。

「鬼助はどうだ? 鬼として生まれ、人間として育ち、それから……」

「幸せでした」

 桃太郎は答える。

「なにより人に恵まれたと、『鬼助』は思っております」

「……そうか。だが、その幸せを、私がお前から奪ってしまったのだな……すまぬ」

 天を仰ぐ鬼一郎の目から一筋の滴が流れ、そのあとが彼の頬を濡らしていた。

「いいえ。私はその私怨(しえん)であなた様のお命を頂戴(ちょうだい)したのです。……謝られることなど、何もありませぬ」

「……そうだな。ならば、謝るのはナシにしよう」

『ニッ』と白く鋭い歯を見せて笑う鬼一郎。

「……最後に、一つ聞いてよいか鬼助?」

「どうぞ」

「私を(ほふ)ったあの技に、名はあるのか?」

「ございます。兄上殿を破った技の名は『(あけ)(はな)』、『(つい)太刀(たち)・朱の花』にございます。互いの剣が交差した瞬間に双方から鮮血が飛び散り、それが赤い花を咲かせたように映るので、その名がついたと聞いております」

「『朱の花』か。よい冥土(めいど)土産(みやげ)になりそうだ。本来ならば、私はあの老人からその技を受けて死んでいたはずだったがな……。これが」

 鬼一郎は懐から一枚の布切れを取り出した。

「それは! おばあ様の!?」

「ああ。私はこれに救われた。それ以来、どうにも手放せなくてな。だが、その理由がようやく分かったよ。お前に、これを返すためだったのだな」

 鬼一郎は桃太郎へと布切れを差し出す。それは、絹でできた上等な腰帯(こしおび)だった。

「……ありがとうございます」

 桃太郎はお礼を述べて腰帯を受け取った。

「『朱の花』か……。私にはできぬ技だな」

 鬼一郎は、自分を屠った技がよほど気になるものと見える。

「あれはおじい様がかつて『赤鬼』と戦った経験を基に創り出した技だということです。己よりも体格・膂力・速度で圧倒的に優る相手に勝つために、工夫に工夫を重ねて生み出した技と聞いております」

「なに? 『赤鬼』とな?」

「はい」

「道理で。それは、私に有効なはずだな」

 鬼一郎はそう言って笑ったが、その笑みには微塵の覇気も感じられない。

「はい。あの技は絶対不敗を目指し完成された技なのです。最悪でも相討ちに持っていく事を理想としております」

「なるほど、相討ちとな。しかし、あくまでもそれは最悪の場合ということで、尋常ならば最後の最後で自らは変化して致命傷を逃れ、相手には必死の一撃を見舞う技か……」

『ゴホッゴホッ』と鬼一郎は苦しそうに喋る。傷は、深い。

「はい。『朱の花』は型なき技。その極意は相手の意図、呼吸、動きを読み、それに合わせることにございます。それは、一人きりの鍛錬では決して完成されませぬ。『心許せる友』の協力があってはじめて成せる技かと思います」

『心許せる友』と言った桃太郎の頭の中には例の『だみ声』が響いていた。

「一人きりの鍛錬では成せぬ技か。それこそ、私にはできぬ技だな」

「兄上殿は強すぎたのです。だれよりも大きく、速く、重く、強い。だからこそ、相手のことなど考えずに、ただ己のチカラを上げることにのみ腐心(ふしん)していられたのです」

 桃太郎はだんだん熱っぽい口調になっていく。

「しかし、私達『人間』はそうではありません。だからこそ、相手との関係性を念頭に置いて技を()るのです。剣とは……、少なくとも『勝負』を制するための剣とは、あくまでも相対的なものである、と私は思っております」

「そうか」

 鬼一郎はそれを聞いて、ゆっくりと目を閉じた。

「ならば、私の負けは『崩しの太刀』とやらを受けた時にもう決まっていたのかも知れぬな」

 頭を垂れる桃太郎。

「あれは『崩しの太刀』で私に警戒を抱かせると同時に、剣を合わせ接近する事を封じ、その上で『瞬光』によって相手の戦闘力を削ぐ。そしてそれでも勝負が決しない場合には、『崩しの太刀』で攻撃の幅を削がれ、『瞬光』で体力を削られた仕上げに『朱の花』をはなつ。計算され尽くした流れの技だな」

「……」

 桃太郎は否定もせずに素直にそれを聞いていた。

「……それと、兄上殿には、始めから不利な点がひとつございました」

「不利?」

「はい。兄上殿が振るっていた刀は『日照久』と申しまして、おじい様の愛刀のひとつでございましたが、おじい様はもともと二刀流の剣士。一本は攻撃用、もう一本が防御用と明確に使い分けていたということでございます。そして私の『御剣(みつるぎ)』こそ攻撃用、そして兄上殿のモノが……」

「私のがその防御用というワケか」

 桃太郎はうなずく。

「そうか。なら、私は健闘したのかもな。……もう疲れた。喋るのもおっくうに……」

「!」

 鬼一郎の動きが止まった。その目は優しく開かれている。……桃太郎はそっと兄の目を閉じてやった。それから立ち上がって、

「行きましょう! この先に、私達の求めた答えが待っているはずです」

 振り返らずに言った桃太郎の背を見て、

「……」

 ほかの三人はなにも言わずにただ、桃太郎に歩み寄り、その後をついて行った。


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