第16話:帰還 ── 迎え入れる覚悟と【コミュニティ・バッファ】
谷の入口に足を踏み入れた瞬間、空気の密度がふっと変わった。
森の湿った匂いが薄れ、黒石の鉱物臭が、風に乗って微かに漂ってくる。
地面が、ぽこりと盛り上がる。
「……コォ……?」
きらりが、土の中から顔を出した。
七色の外殻が夕光を受けて淡く揺れ、
蔦が“おかえり”と言うようにふるふる震える。
僕は思わず微笑んだ。
「ただいま、きらり」
きらりは蔦を伸ばし、僕の足首にそっと触れた。
その触れ方は、まるで“無事を確かめる”ような優しさがあった。
谷の奥から、焚き火の橙色が揺れる。
その前で、美園が立ち上がった。
「……春斗さん!」
声に安堵が滲んでいる。
胸元を押さえた指先が、かすかに震えていた。
そして──
「はるとおにーちゃん!!」
しのんが、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
小さな足音は、谷の静寂に弾むように響く。
「……ただいま。心配かけてごめんね」
しのんは顔を上げ、涙の跡を指でこすりながら笑った。
「ううん……かえってきてくれたから、いいの……」
◇◇◇
焚き火の前に座ると、美園が湯気の立つ木の器を差し出した。
「……まずは、これを。体、冷えとるやろ?」
「ありがとうございます」
器を受け取ると、手のひらに温度がじわりと染み込んだ。
温かさが、張り詰めていた神経をゆっくりと解いていく。
美園は、僕の表情を読み取るように静かに尋ねた。
「……春斗さん。向こうで……なんかあったと?」
焚き火の火が、彼女の瞳に揺れて映る。
その揺れは、不安と覚悟の両方を映していた。
僕は深く息を吸い、出会った大学生グループのことを話し始めた。
半年間逃げ続けていたこと、女王アリの大群に追われていたこと。
そして、僕が彼らを救ったこと。
話を聞く間、美園の指先は震えていた。
「……そげな……半年も……。
春斗さんが……助けてくれて、
ほんとに……よかったねぇ……」
その声は、母としての痛みと安堵が混ざっていた。
◇◇◇
「それで……6人の“OS傾向”も見てきました」
僕は日記を開き、ページを指でなぞる。
全員、迎え入れ可能です。
危険度は低く、OS差も安定しています」
美園は真剣な眼差しで僕を見つめた。
「……春斗さんがそげん言うなら、信じるよ。
でも……しのんに危なかことのなかようにだけは……」
「もちろんです。僕が責任を持ちます」
しのんが僕の袖をつまみ、上目遣いで聞いてきた。
「おともだち……くるの……?」
「うん。怖くないよ。
みんな、頑張って生きてきた人たちだから」
しのんは少し考え、きらりの外殻に頬を
寄せながら小さく笑った。
「……じゃあ、しのんも……がんばる……」
◇◇◇
迎え入れの準備が始まった。
僕は谷の入口に黒石を並べ、魔物避けの“境界線”を広げていく。
きらりは地中から黒石を押し上げ、蔦で器用に僕へ渡してくれる。
「助かるよ、きらり」
「コォ……!」
美園は寝床を増やし、しのんは果実を運びながら、
時々こけそうになっては笑っていた。
谷が少しずつ“人の気配”を受け入れる形に変わっていく。
焚き火の煙が、谷の上空へ細く昇っていく。
◇◇◇
その時だった。
地面の奥から、低い唸りが響いた。
ごぉ……ん……
ごぉぉ……ん……
きらりの外殻が一瞬で刺々しく逆立つ。
蔦が震え、地中の入口を塞ぐように広がった。
「……春斗さん……今の音はなんね……?」
美園の声が強張る。
しのんは、果実を抱えたまま固まっていた。
僕の視界は、自然とモノクロの構造線へ切り替わっていた。
森の“呼吸”が、また一瞬だけ止まった。
(……嫌な揺れ方だ)
「とりあえず、彼らを迎えに行く前に……確認してきます」
美園は唇を噛み、しのんは不安そうに僕の服を掴んだ。
「はるとおにーちゃん……いかないで……」
「大丈夫。すぐ戻るよ」
僕はしゃがみ込み、しのんちゃんの頭をそっと撫でた。
きらりが蔦を伸ばし、僕の手首に軽く触れた。
「行ってきます」
僕は谷を背にし、森の奥へ走り出した。
森の深層で──何かが、また動き始めていた。




