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クールな義妹の心は()の中に住んでいる  作者: 創綴世 優


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19/20

(18)氷のお姫様
















































 ――幼い頃のわたしは、何も興味が持てなかった。



 周りの子たちはみんな光を持っているのに、わたしの世界はいつも灰色だった。


 みんながそれぞれの世界で輝いているなか、その眩しさの中で、わたしの心だけが凍りついていた。



 ――薄情なのか、人に興味が持てなくて、友達ができない。


 ――無気力なのか、物事に興味がなくて、趣味を作れない。



 このまま一生、楽しさとも愛情とも無縁の人生を送るのだと思っていた。


 ――わたしはずっと、自分がつまらない人間なのだと諦めていた。



 だけど、幼稚園と小学校で、それぞれ一度だけ手に取ったものがあった。


 幼稚園のときは絵本。

 小学生のときは少女漫画。


 どちらにも共通していたのは、『お姫様と王子様』が出てくることだった。


 それは〝興味〟というほどはっきりしたものじゃなかったけれど――どうしてか、絵本も漫画も、そのページだけは閉じられなかった。


 物語の世界にも、登場人物にも、心を動かされることはなかった。


 それでも、ページをめくるたびに、胸のどこかがかすかに揺れたような気がして。



 ――結局最後まで、その本やキャラクターに興味を持つことはできなかったけど。


 王子様に恋して、結ばれて、幸せそうな女の子のことは――なぜだか、少しだけ羨ましいと思った。


 けど、わたしはそんなふうにはなれない。


 わたしの世界はいつだって氷(こお)っていて、いつだって黒(くら)いから。


 唯一手に取った本の登場人物すら好きになれないわたしが、誰かを好きになれる日なんて――くるはずがない。


 ――そう思っていた。




 だけど、王子様は突然現れた。


 その日の朝も、窓から差し込む光は褪せて見えた。


 お父さんに呼ばれてリビングへ行くと、見知らぬ人が二人いた。


 一人は、背の高い女の人。


 も(・)う(・)一(・)人(・)はその人の隣に立っていて、わたしより少し年上の男の子だった。


「黒羽。この人が、これからお前の新しいお母さんになる人だ」


 お父さんがわたしに何かを説明している。


 結婚すること。これからその新しいお母さんと同じ家で暮らすこと。隣にいる男の子が、わたしのお兄さんになること。


 言ってることの意味は分かった。


 けれど、胸の中には何も浮かばなかった。


 知らない女の人がお母さんになっても、知らない男の子がお兄さんになっても、昨日までと何が変わるのか分からない。


 わたしはソファの端に座ったまま、膝の上に置いた絵本へ視線を落とした。


 偶然本棚から取り出した、王子様とお姫様の物語。


 開かれていたページの中では、白い馬から降りた王子様が、お姫様に手を差し伸べていた。


「初めまして、黒羽ちゃん」


 女の人が笑いかけてくる。


 優しそうな声だったけれど、わたしは何も返さなかった。


 だって、返したい言葉がなかったから。


 笑顔を向けられても、同じように笑う方法も、その意味も分からない。


「――おい、黒羽。挨拶くらいしなさい」


 わたしの反応を見て、お父さんの声が少しだけ低くなった。


 叱られていることは分かっても、やはり口は動かなかった。


 どうして知らない人に、嬉しそうな顔をしなければならないのだろう。


 ――そんな、いつもと変わらないことを考えていたとき。


「いいですよ」


 静かな声が、お父さんの言葉を遮った。


 わたしは、おもわず顔を上げた。


 さっきまで女の人の隣にいた男の子が、わたしを見ていた。


「急に家族が増えるって言われたら、困るのは当たり前ですから」


 その声には、怒っている様子も、わたしを可哀想だと思っているような響きもなかった。


 ただ、本当に当然のことを言っているようだった。


「でも、黒羽は……」


「挨拶くらい、したくなった時でいいんじゃないですか?」


 男の子はそう言ってから、わたしの前に少しだけ腰を落とした。


 近づきすぎない場所で、視線の高さだけを合わせてくる。


 その動作に驚いて、膝の上の絵本を持つ指に力が入った。


「俺は雪透。氷川(ひかわ)、雪透」


 透き通った声で、男の子は自分の名前を告げた。


「今日から君の兄になるらしいけど、すぐに兄だと思わなくてもいいよ」


 わたしの顔を覗き込もうとはせず、無理に返事を求めることもしない。


 ただ、わたしが言葉を見つけるまで待つように、そこにいてくれた。


「でも、困ったことがあったらいつでも言ってくれ。俺にできることなら手伝うから」


 そう言って、雪透さんはほんの少しだけ笑った。


「これからよろしく、黒羽」


 ――その瞬間。


 胸の奥で、何かが大きく鳴った。


 今まで一度も聞いたことのない音だった。


 息を吸ったはずなのに、空気が喉の途中で止まる。絵本を握っていた指先と、彼の声を聴いていた耳が急に熱くなって、目を逸らしたいのに、雪透さんの顔から視線を外せない。


 それまで人の顔なんて、どれも同じだった。


 誰が笑っていても、誰が泣いていても、わたしには何の違いもなかった。


 けれど、雪透さんの目も、声も、笑った時にわずかに緩んだ口元も――なぜか一つも見逃したくないと思った。


 そんなことを考えている間に、雪透さんが立ち上がろうとする。


 ……わたしの前から離れてしまう。


 そう思った途端、身体が勝手に動いていた。


「……」


 伸ばした手が、雪透さんの服の袖を掴む。


 自分が、何をしているのか分からなかった。


 ただ、この人が遠くへ行ってしまうことだけが、どうしようもなく嫌だった。


 雪透さんは驚いたように足を止めたけれど、袖を掴んだわたしの手を振り払わなかった。


「どうした? 黒羽」


 また、優しい声でわたしの名前を呼ぶ。


 何かを言わなくてはいけない。


 そう思うのに、胸の中に生まれたものは大きすぎて、言葉にする方法が分からない。


 唇を何度か動かして、ようやく出せたのは――


「……ゆきと、さん」


 さっき教えられたばかりの名前だけだった。


 それでも雪透さんは、嬉しそうに目を細めた。


「ああ。ちゃんと覚えてくれたんだな」


 雪透さんの手が、わたしの頭へ伸びる。


 逃げることも忘れて固まっていると、大きな手のひらが、髪の上にそっと触れた。


「ありがとう、黒羽」


 初めて触れた雪透さんの手は、温かかった。


 あの時まで、わたしは世界に色があることを知らなかった。


 カーテンが薄い水色だったことも、テーブルの木目が淡い茶色だったことも、開いた絵本のお姫様が桃色のドレスを着ていたことも。


 全部、あの日に初めて見つけた。


 世界のすべてが変わったわけではない。


 お父さんにも、新しいお母さんにも、学校にも、相変わらず何の興味も持てなかった。


 ――ただ一人。


 雪透さんだけが、わたしの灰色の世界に色を持っていた。


 そしてあの日から、もう一つ変わったことがある。


 お父さんが再婚したから変わっただけの、名字。


 きっと、他の人にとってはそれだけのことなんだろう。


 だけど、わたしにとっては違った。


 雪透さんと同じ名前をもらったあの日、初めて自分の名前を好きになれたから。


 ――わたしはあの日から、氷川黒羽(ひかわくろは)になった。


 あれが一目惚れだったのだと、今なら分かる。


 そのあともずっと優しくしてくれたことも。


 いつでもわたしを守ってくれたことも。


 わたしのために小説家になって、たった一人で養ってくれたことも。


 今の気持ちをこんなに大きくした理由なら、いくらでも挙げられる。


 けれど、それは全部、恋をした後に積み重なったもので――きっと、後付けの理由に過ぎない。


 わたしは雪透さんがどんな人なのかを知るより先に、もう恋に落ちていた。


 きっと、どんな出会い方をしても同じだった。


 だって、わたしの目も、鼻も、耳も、指先も、心臓も、全てがあの人に反応してしまったから。


 雪透さん〝だけ〟に。


 ――お姫様が王子様に恋をする瞬間に、理由なんていらない。


 わたしにとっては、あの日がそうだった。




 中学に上がってからは、私を『氷のお姫様』なんて呼ぶ人もいた。


 〝お姫様〟はよく分からないけど、〝氷〟のほうはよくわかる。


 私は生まれた時から、心も、表情も、全てが凍りついていたから。


 けれど、本当の氷は、あのときに溶けている。


 今の私に張っている氷は、あの人への感情を隠すための作り物。


 ――それは、あの人が触れただけで簡単に溶けてしまうけど。



 それくらい、この気持ちはわ(・)た(・)し(・)にとって絶対で――


 ――私(・)の世界は、あの人だけを中心に回っている。



(♡♥)
















































「黒羽、じっとしてどうしたんだ?」


 俺は、隣で動きを止めた彼女に声を掛けた。


 黒羽は、アルバムの上に指を置いたまま、しばらく動かない。


 光を受けた髪がわずかに揺れて、伏せた瞳に影が落ちていた。


「…………」


 顔を上げた黒羽が、ゆっくりとこちらを見る。

 その表情には、どこか遠くを見ていたような静けさがあった。



「……ううん。なんでもないよ」


(……雪透さんと出会えなかったら……私は一生、氷の中に閉じ込められたお姫様のままだったんだろうな)


 そう言って目を閉じた彼女の横顔を、ただ見つめる。



 ページの端が風にめくられて、写真の上を光が滑った。



 ――。



「……私(わたし)、雪透さんと出会えて良かった」



 一瞬、時が止まった気がした。



(……今はこれくらいしか言えないし、心の中で妄想することしかできないけど……いつか、絶対に)



 さっき見ていたアルバムの中の黒羽は、今よりも瞳の灰が強く見えた。


 けれど、いま俺の瞳に映る少女の瞳は――。




 光が差し込む窓の向こうで、風がやわらかくカーテンを揺らす。


 ――黒羽が一度だけ、はっきりと微笑んだ。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


18話で、書籍一巻想定ではラストの回となります。

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― 新着の感想 ―
普通にボロボロ泣いちゃった。
灰色の世界で生きていた彼女にとって、雪透さんとの出会いは文字通り「運命」だったんですね....
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