霊のいないアパート・5
それは忘れた頃に起こった。
不動産会社の社員でもある少年の携帯が鳴る。
「坊主、なんか知らんがお前さんのことで問い合わせが来てるぞ」
以前、霊のいないアパートで除霊の真似事をした。
ただアパートの住人を安心させるための形だけのものだったのだが、盗撮と盗聴の被害に遭い、犯人を見つけて証拠品は没収したはずである。
しかし、その時の画像が動画サイトにアップされたらしい。
「どういうこと?」
少年は、その時の犯行を行った動画制作会社に押し掛けた。
応接用のガラステーブルに足を乗せ、眼鏡の社長を睨んでいる。
「いやいや、うちではありません。 あの時、ちゃんと刑事さんに全てお渡ししました」
「ふうん」
でも動画を制作した責任がある。
「何でもいいから動画を徹底的に消してね、そっちの責任で」
「分かりました、それはこちらでやらせてもらいます。
その代わりにですね、何とか一本だけでいいので動画を撮らせてもらえませんか」
「やだ」
「今後一切関わらない」と書いた念書があるのだ。
「そこをなんとか!」と縋り付く。
制作会社の眼鏡社長は、もう二度と彼には会えないと思っていた。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
少年はふと考えた。
はっきり言えば、一度ネット上に上がってしまったものを消す作業はイタチごっこになり易い。
人気があるものなら尚更だ。
「じゃあ、今後、俺に関する噂や画像が出たら、すぐ元を調べて消去してくれると約束するなら、一度だけ動画に出てもいい」
「ほ、ほほほ、ほんとですか!、やったあああ!!!」
小躍りして喜ぶ眼鏡に少年はイラっとした。
「ちゃんと出来たら、だからな!。 一回だけだぜ」
「分かってます!、出てもらえるなら何でもしますよ」
そして、不動産会社のおやじにも連絡を取り、打ち合わせに入った。
少年は警察は嫌いだが、どうしても必要があって、あの若い刑事に連絡を取る。
「そろそろ連絡が来る頃だと思っていたよ」
刑事はそう言って、呼び出された公園にやって来た。
まだ暑さが残る日暮れどき、人々は足早に通り過ぎていく。
「言い訳を聞こうか」
少年の言葉に刑事がぐっと唇を噛んだのが分かった。
「すまない。 たまたま処分してなかったものを訪ねて来た彼女に見つかってしまって」
本当にただの言い訳にすぎない。
あれから一ヶ月は経っている。
その間に処分出来なかったはずはないのだ。
制作会社のスタッフは有能で、以前から社長が少年に目を付けていたのを知っていたらしく、普段の生活の様子も撮られていた。
「お蔭でこっちは迷惑してるんだけど」
不動産会社に問い合わせが何度も来ている。
「あのアパート、おたくの物件だよね。 紹介してよ、イケメン霊媒師」
は、まだ業界内なので話はつけ易い。
問題は、
「あのカッコイイ人ってどこのモデルさんなんですかー?」
「あれは除霊じゃない!、紛い物だ、訴えてやる」
一般からの問い合わせや怪しい界隈の言い掛かり。
こっちのほうが厄介だった。
周りをウロチョロされると仕事がやり難い。
公園のひと気の無いベンチに離れて座る。
「まだ持ってるなら出せ」
「彼女が、持って行った」
確かに動画をアップしたのは彼女かも知れないが、この刑事がそれを回収していないとは思えない。
「アンタさあ。
俺は他人の性癖に文句を言うつもりはないけど、相手が嫌がることをしたら、嫌われるってことぐらい分かるよな」
いい大人のくせに。
若い刑事は段々と汗をかき、握り締めた手に力が入る。
身体がブルブルと震え始めた。
「そっちが悪いんだ。 そんな画像を撮られる隙を見せたんだから。
僕は悪くない!」
隣の少年のほうを向いて大声を出した。
少年は施設でも、保護された警察署内でも、不当な扱いを受けた。
「職権濫用、警察がやっちゃダメでしょ」
学校に行っていないから、保護者がいないから、こんな目には遭うのだと言われ続けた。
見かけがこんな容姿だから、仕方ないのだと。
「今、自分がどんな顔してるか、分かる?」
冷たく笑う少年に若い刑事はビクッとした。
いつの間にか、公園は夜の闇に包まれている。
「言い訳ばかりの醜い化け物の顔だよ」
自分勝手なことをしておいて、仕方ないと言い訳。
挙げ句の果てには、相手が、世間が悪い。
「この世の中、綺麗なもんって、もう無いのかもなあ」
預かり物の白い球。
あれは誰かが綺麗なモノだけを詰め込み、この世に縛り付けた呪物だ。
少年は立ち上がる。
許されたと勘違いした若い刑事がホッと息を吐く。
「知ってる?。 今さ、動画撮られてるよ」
「えっ」
刑事が立ち上がり、周りを見回しながら怒鳴る。
「盗撮なんて犯罪だ!、逮捕するぞ!」
当然、どこからも返事はない。
「ついでに、彼女に許可を取って、合鍵でアンタの部屋に入ってる頃だ」
少年はすでに警察に被害届けを出して捜査してもらっている。
「な、なんで」
ぐるりと少年は振り返って刑事の後ろを指差す。
「俺の本職、忘れた?。 アンタの後ろに色欲に溺れた霊が見えるんだけど」
追い詰められて肥大化していく霊が。
「爺さん、頼む」
「ああ」
ガサリと背後から腰の曲がった老人が姿を現す。
ジャラリと長い数珠が鳴る。
「ま、待て、何のことだ。 僕には霊に憑かれるような心当たりはない」
ふうん、と少年は顎に指を当てて若い刑事を見た。
「じゃあ、最初から話してみて」
ウンウンと頷き、刑事は話し出す。
「押収した動画を資料として確認していたんだ。
そしたら誰かが後ろを通って、そのとき声が」
ブワッと刑事の背後から肥大化した霊が少年に襲いかかる。
【ほしぃ、ほしぃ、がぁまぁんできなあぃ】
ジャラジャラと鳴る数珠を伴奏に、老人の念が篭った読経が始まる。
【グギギ、グギョェ】
苦しむ霊が分裂し始めた。
「チビ!」
少年の声にチリンと鈴が鳴る。
ピシリと尻尾を霊に当てては逃げ、近寄ってはピシリと叩き、数珠の範囲に追い込む。
老人が、数珠の音に縛り付けられた霊を刑事の身体から引き離す。
少年は座り込んだ刑事の横に立ち、肩を叩いた。
「アンタにも一時的に見えるようにした。 これがあの警察署に巣食ってる悪霊ってヤツだ」
一部であって、全てではない。
「アンタみたいな悪意や殺意と隣り合わせの仕事してると憑かれ易いんだ。
特に人に言えないような秘密があると、付け込まれる」
だから警察や保護施設は嫌いなんだと少年は呟いた。
「ぼ、僕はこれからどうしたら」
「さあね」
少年は老人に声を掛け、グルグル巻きの霊を引き摺りながら去って行った。
後日、ネットに上がった画像は夜の公園、蹲る若い男性。
そして、フードを深く被ったスラリとした体型の少年の後姿が写っていた。
動画では読経と数珠の音が音楽のように流れ、ときたまチリンと可愛い鈴の音が入り込む。
「何が面白いの、これ」
不動産屋のおやじは、動画制作会社の事務所で契約の確認をしながら見ていた。
「ううっ、そう言わないで下さいよー。 後姿だけでもやーっと許可もらったんすから!」
実は視える人にしか視えない画像らしい。
「視えないほうが幸せらしいですよ」
事務所にいた映像係の男性が二人に声を掛けた。
「視える人にはめっちゃホラーで、トラウマ級だと話題になってます」
しかし、それを視えない大多数の人たちに説明出来ないのだ。
「そういえば、画像の中にたまに白い子猫が視えるそうで、唯一の癒しらしいです」
「そうか」
不動産屋のおやじは納得したように微笑む。
『成仏させた子猫をまた預かっている、それを伝えたいんだ』
少年は、どこかに行ってしまった親猫を安心させるための動画を撮らせたと話していた。
〜 終 〜
お付き合いいただき、ありがとうございました