第8話 夜と実験
魔力量を調べるためにわざわざ新しい魔法を覚える必要があるのか、どっかの鑑定士にでも見てもらえばいいのではないかと思うかもしれないが、鑑定士に依頼するとべらぼうな金額を請求される。
庶民が彼らに仕事を依頼するのは14歳になる成人の儀のときのみである。金額ゆえに成人の儀すら行わない貧乏人もいるが。
で、魔力量を調べる方法としてギルド入団試験などで代用されるのは、火炎球の威力測定である。シャノンが言っていたように、魔術師の魔法の威力は魔力量によって左右される。測定基準として火炎球が採用されているわけである。
俺たちは路地裏を出ると、その足で魔術用品店に向かった。
店主は顎髭を生やした団子鼻の男で、火気厳禁のはずなのにタバコをふかしていた。その時点でこの店で買うのはやめようかと思ったが、ほかに店も知らないし、仕方ない。火炎球の羊皮紙を銀貨1枚で買う。
シャノンの服を買うのに時間をかけすぎたせいか、すでに太陽は沈みかけており、実験は明日にしようと家に戻った、二人で。
そうだった忘れてた。
シャノンは当たり前のように俺の家に入り、俺の向かいに座ってパンをかじっている。
「なあ、シャノン。今日どうやって寝るつもりだ」
シャノンは俺のベッドを指さした。
「二人で寝るのか」
「あ」
シャノンは顔を真っ赤にした。
「床で寝ます」
「まだ寒いだろ」
俺が言うとシャノンは頬を膨らました。じゃあどうしたらいいんですか、俺はその言葉を予想していた、が、
「じゃあやっぱりベッドで寝ます」シャノンは言った。
「え」
「ルベル様詰めて寝てくださいね」
うっ。こいつの性格を忘れていた。妥協とか折衷案とか全く考えらんないんだったこの子。
やらかした。
そう思いながら、俺はベッドに仰向けで横になっていた。
全然眠れねぇ。
シャノンははじめこそ俺に背を向けて横になっていたが、すぐに寝息を立て始め、俺のほうに転がってきた。彼女の腕が俺の胸の上に乗り、頭は肩にくっついている。
いつもはその特攻する性格が面倒で気にしないが、やっぱりこいつきれいな顔してる。
魔王討伐のとき、ともに行動していたエルフであるリリスとはまた違った美しさがそこにある。
まつ毛は長く、目は大きい。小さく低いが通った鼻。肌はなめらかで白い。釣り目だからだろうか、まるで猫のように無邪気な印象を受ける。
無防備な顔は保護欲をかき立てられる幼さを残している。いつもの彼女とは違うそのギャップにドキッとしてしまう。
心臓がうるさい。
体が密着してるところから伝わってくる人肌の温かみが心地いい。シャノンは、寒いのか、さらに体を押し付けてくる。俺は身を固くする。
――襲うぞ
――望むところです
昼の会話が頭に響く。
心臓がうるさい。
彼女に触れたい。その欲求が膨れ上がる。
俺はシャノンのほうに体を向ける。
彼女の髪に触れる。耳が現れる。やわらかそうな耳たぶに触れるとひどく熱い。頬も同じくらい熱かった。部屋は暗く、はっきりとは見えないがきっと真っ赤に染まっていることだろう。
「シャノン起きてるのか」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で俺は話しかける。
彼女が目を開く、そらす。
「おきて……ます」下唇を噛んでどこか悔しそうに恥じらうシャノン。
体を離すのかと思いきや、さらに力を入れて抱きしめてくる。
彼女は俺を上目遣いで見ると
「えへへ」
微笑んだ。
くっそ。かわいいなこいつ。
抗いがたい感情が心を支配していくのを知った。
俺は反抗したかった。かつて命を救ったということだけで、シャノンに好かれることをよしとしない自分がいた。それは違う感情だ、愛じゃない、そう信じたかった。
シャノンが俺の胸に顔をうずめた。深く息を吸うのを感じる。彼女がまた小さく笑う。
俺は…
俺は……くそ、
シャノンを抱きしめた。
彼女が俺を見上げて驚いた、がすぐに表情がほどけて、また胸に顔をうずめた。
俺はシャノンの頭に鼻を近づけにおいをかいだ。
太陽のにおいがした。
翌日、目を覚ますと、シャノンはすでに目を覚まし、ドレスを着ていた。
俺に気が付くと、少し気まずそうに微笑んでおはようを言った。
俺はといえば、なんとなく罪悪感を胸にして、しかし、満ち足りた気持ちでおはようを返した。たぶん微笑んでいたと思う。
俺たちは何もない草原に赴いた。デートでもピクニックでもないぞ。ここに来る途中、シャノンは俺の隣で何度かにやけていたが。
広がる草原と、向こうには岩肌丸出しの山。あとは何もなし。絶好の実験場所である。
「あの……本当にここでやるんですか」シャノンは尋ねた。
「ああ」
俺は昨日買った羊皮紙を取り出した。この通り呪文を唱えれば火炎球が放てるはずだ。
「あの岩山に当てる。あれなら火事になることもないだろ」
「まあ、そうですけど……」
「下がってろ、危ないから」
シャノンは俺の遥か後ろに歩いて行った。
俺は右手を上げ、岩山の方に狙いを定めた。シャノンは手を前に出して、何かから身を守っている。
「いくぞー」
「はい!」
「いいかぁ」
「はい!」
「やるぞぉ」
「はやくしてください!」うるせぇ、こわいんだよ。
俺は羊皮紙に書かれていた通りに意識を集中し、呪文を唱える。
呪文が終わる、
と、
俺は後ろに吹っ飛んだ。ゴロゴロと草原を転がり、シャノンの後ろで止まる。
火炎球は三階建ての建物を飲み込むほどの大きさに膨れ上がっていた。球の周りを螺旋を描くように小さな炎たちが走り回る。すさまじい熱気と轟音。あたりが真っ赤に染まる。
草原にまっすぐな焼き跡を残してドラゴンの並みの速度で進んでいく。
「早く消してください!」シャノンは震える声で叫ぶ。
「消し方なんてわかんねぇよ!」
巨大な火炎の球は恐ろしいスピードで山まで到達すると岩肌にぶち当たり弾けた。岩肌はべっこりとへこみ、あたりに破片が飛び散る。シャノンの足元まで飛んできやがった。
近くの森で鳥が大量に飛び立ち、何やら動物たちが、黙示録でも起こったかのように、世界の終りがきたかのように、聞いたことのない叫び声をあげている。
俺は震える足で立ち上がり、言った。
「もう二度とやんない」
「ええ。お願いします」
シャノンは死んだ目をして、そう言った。