あなたは魔術を信じますか?
「人の話を聞かないから」
少年が縄に足元をすくわれ木に吊るされた少女に言った。
「こ、こう言う事は早く言ってください」
「言おうとしたら君が森に入っちゃたから、はぁはぁはぁ」
「ちょっと! 『はぁはぁはぁ』じゃないっ。 森の中の道に罠を仕掛けるなんて危ないでしょっ」
「この道が獣道だからに決まってる。君も何故、獣道なんかを通るかなぁ? あっちに細いけど、ちゃんとした道があるのに」
少年が顎をしゃくって方向を示した。
「知ってますけど、ここを抜ける方が草原まで近いんですっっ! まったくもうなに覗き魔さんはいったいなにを捕ろうとしてたのですか? 一応聞いておきますが獣ですよね? 食料のするためですよね? こんな森でまさか女の子を捕まえるためじゃないですよねっっ! まったく……放牧に出たら野営をすることもあるでしょ? 覗き魔さんも仮にも放牧者を名乗るなら、それなりの準備をして……」
少女は言い掛けると、はっとした。
「立ち寄った街で食糧を分けて貰う事ができなかった」
「……」
――少年は山羊飼い。
『彼ら山羊飼いは邪神たちが使わした魔物使いであり、山羊は豊穣を喰らう魔物である』
唯一神の教えが広まった世の中、誰もが知っている記述だ。
「夕飯に兎でも捕ろうと思って、食糧が無くなりそうだったし夕べ仕掛けておいた。あっ!? ちょっと前に無くなったけ、君の犬にあげようとして川に落とした。魚の餌かな? 今頃は」
――少女は羊飼い。
『羊は羊飼いに導かれ広野を歩き、羊飼いは人を導き、神に導かれ楽園に導かれる』
「先程は酷いことを言ってすみませんでした。……よろしければ私の食糧をお分けします……」
少女は思い直し控え目な声で謝った。
「それはうれしい。ありがとう」
少年が微笑を浮かべて言った。
「そ、その前に助けてくれませんか?」
少女は天地逆様で木に宙刷りになっている。
「どうやって?」
少年は毛布にぐるぐる巻きにされ縛られている。
少年は縄を緩めようともぞもぞ動き回ったているが、きっちり縛られた縄は緩まない。
地面に擦りつけ摩擦で切ろうとしても簡単に切れるものでもない。
「君さ、刃物持ってるかなぁ? ナイフとか剣でもいいけど」
少年がはたと気付いて尋ねた。
「持ってはいますが? 今はちょっと……」
「それは良かった。俺が君の手が届く所までなんとか縄を近付けるから切ってくれ」
少女の言葉を遮って少年は言い立ち上がろうと身体を動かし、必死で立ち上がろうとしては転ぶ。
「なんだか……私気持ち悪くなってきました」
少女の訴えを聞いて少年は顔色を窺うと、顔色が幾分か悪くなってきていることが分かる。
長い時間逆様の状態でいるのだから当然の結果だ。
「頑張って」
少年は声を掛けた。
何度転んでも立ち上がろうとしても上手くいかない流石に疲れてきた。受け身が取れない状態で転び、したたかに頭を地面に打ち付ける。 顔の擦り傷から滲んだ血と汗と土で汚れ、ひりひり痛むし息も大分、荒くなってきていた。
「絶対……、はぁ、はぁ、助ける……」
少年は唇を噛みしめ、額で地面を支え身体をゆっくり近付け、面積の狭い両足の裏でしっかり地面を感じながら、首を揺する反動と背筋の力を一気に使い跳ねるように立ち上がった。
勢いを失った駒のように回りながら必死でバランスを取り、ふらふら揺れていた身体が徐々に安定させていく。
「だぁっ――! 成功」
少年は慎重にしていた息を一気に吐き出した。幸い少女の近くに立ち上がる事が出来たので僅かに近寄るだけで手が届く。
少年は慎重に細かく刷り足で近寄った。
「さあ縄を切ってくれ」
眉目秀麗な顔を満面の笑みに変えて言い放った。
「すいません……、ナイフなのですが草原の鞄の中なんです」
少女が申し訳なさそうに紫の瞳を閉じた。
「……」
「……」
両者の間に暫しの沈黙の時間が流れる。沈黙を静かに破る様に小さな声で少女が口を開いた。
「覗き魔さん? 覗き魔さんは魔術を信じますか?」
少女が荒唐無稽なことを言い出した。
「魔術ねぇ……」
少年は暫く黙り込んだ。
「他の羊飼いたちはそんなの“まじない”だって言いますが、覗き魔さんも山羊飼いなら放牧者の間で、遠い昔から伝わる術式をなにか知っているはずなんじゃぁー……」
少女が不安そうに見ている。
「魔術が存在していたことは知っている。母さんに聞いたことがあるし実際、一度だけ使われたこともある。しかし魔術はもう随分昔に封じられたと聞いているが、今日まで残った魔術には現代語が混じっていてその効力はまじない程度だとも聞いているけど」
「使えないんですか? なんかこう――、バァンと」
少女が大きく両手を広げた。逆さまのまま。
「俺は魔術の存在を知っているだけで使える訳じゃない、君は使えないのか?」
「私は……」
少女がなにかを言い掛けて唇を固く結んだ。
「私が使えるのは魔除けの術式だけですから、なにかを造り出したり破壊したり変化させたりはできません。魔除けのまじない程度の火くらいしか出したりできません」
「火? それで十分だ」
「でも私が知っている魔術? かもしれない魔除けのおまじないでどうやって?」
「火が出せればそれでいい。魔術は応用だと母さんは言っていた。君は使えるんだろ? 魔術」
「今まで誰にも……、ある人にしか見せたことはないです……、怖くて」
「教会?」
少女は小さく頷いた。
「もし魔術が使えることを知られれば……、考えるだけでどんな仕打ちを受けるかと思うと……」
「分かった。大丈夫、誰にも言わない。もしなにかあれば俺も力を貸そう」
「……ちからを貸す?」
「今は封印されていてほとんど使えない力が俺にはあるんだ。その封印を解けるのは魔術師だけだ」
「もしかして魔――」
少年が声を重ねた。
「内緒だ」
少年は微笑んで少女を見た。
少女は逆様になっても手放さなかった節くれた杖で、地面に小さな五芒陣を描き出した。
「逆様だと難しいですね」
少女はそう言いながらも陣を描き終えた。
「kano・uruz」(火よ。力を)
古語を口にし鐘の音に乗せると描かれた五芒陣の中に火が熾った、小さな焚き火程の火が揺れている。
少年がゆっくりしゃがみ、慎重に身体を火に近付ける。幸い毛布は動物の皮を剥いだもので火が直ぐに燃え移りそうにないようだ。
少年の毛布は、湧いたダニや蚤の駆除に湯で煮詰め、天日に干しを繰り返している内に毛もほとんど抜け落ち、最早毛布と呼んでいいのか分からない有様だった。
火に炙られ麻縄が、じりじりと音を立て始め、次第に身体の戒めを緩めた。少年が戒めの緩んだことを感じ取り、渾身の力を込めて腕を開いた。
やがて麻縄は、パチンと弾ける様に少年の戒めから解放した。少年が自由の戻った身体で、少女の身体を背中側から自分の体で支えながら抱え、腰に帯びていた山鉈で罠の縄を叩き切った。
少女の足は糸を切った操り人形の様に地面に落ちる。
「大丈夫か?」
少年が尋ねると少女は下を向いたまま震えている。
「どこか痛むのか?」
少年の言葉に少女が強く節くれた杖を強く握り締めわなわな震えながら言った。
「……手」
「手がどうした? 腕のどこかが痛むのか?」
少女は節くれた杖を徐々に持ち上げている。
「手……、どこを掴んでるのです?」
少年は手の平を握ってみて。手の平にちょうど納まるやわらかい感触が広がる。
「ピーチパイ?」
少女が身体を震わせながら節くれた杖を高く振り上げた。
「なっ! 覗き魔さんは私の胸がピーチ程度の大きさだって言いたいのですかっ! ……ひ、酷いですっ」
森の中に、からん♪ と小気味良い鐘の音色が響き渡った。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もお楽しみにっ!><b




