山羊飼いの罠
少年が河原に突っ伏している。白と黒の立派な毛並みの尻尾を付けて――。
「これは不幸な事故だ。こいつを放してくれないかなぁ? 痛でっ」
「嫌ですっ」
「なんて言うかさ? 君は早く水から上がった方がいいと思うぞ? 身体を冷やすから」
「覗き魔さんがいるから出れないんですっ」
「気にしなくていいのに」
「プラムっっ」
尻に喰らい付いている尻尾、その正体である少女の牧羊犬が、ぎりぎりと鋭い犬歯を剥き出して顎に力を加えた。
「痛っ!? 消えるから緩めて下さい。お願いします」
尻に生えている尻尾を恨めしげに見つめて言った。
「早く何処かに消えてくれません?」
少女が控えめな胸の膨らみを両手で、しっかり隠して水の中にしゃがんで背中を向けている。
「早くこいつを放してくれません?」
「私の視界から消えてくれたら考えます」
「うん、分かった。茂みの向こう側に行くから」
「……覗いちゃ駄目ですよ」
「しない……と思うぞ。そんな事したら尻が食い千切られそうだから」
「と思うですって! の、覗いたらお尻じゃなく今度は喉笛いきます」
「喉笛は勘弁。死んでしまう」
「……」
少女に無言のまま、矢を射る様な眼で睨まれ、痛みを堪え、這ように森の茂みに入った。
「なあー。こいつ牧羊犬だろ? 君は羊飼いなんだろ?」
茂みに入った少年は尋ねた。しかし少女からの返事はない。
「なぁってばぁー」
返事は返ってこない。聞こえてくるのは川のせせらぎだけだ。
「お前……、牧羊犬だよな?」
切なくなって尻に生えている尻尾に話し掛けると「ガルゥゥ」と低い唸り声を上げられる。
「痛っ、なんったけ? そうそう、プラム放しなさい。痛いから……、あ、あのプラムさん? ものすごーく痛いんですけど。そ、そうだ餌やるから放してください」
少年は肩に掛けた鞄から黒いパンを取り出した。
「このパンは俺の全食糧だ。これをやる良い子だから放しなさい。プラム」
プラムは変わらず犬歯を剥き出し、唸り声を上げている。
誰が見知らぬ人間に、ましてや主人の沐浴を覗いた覗き魔なんぞに苦いライ麦パン如きで懐柔されるものか! 麗しい御主人様を守る事が、今の自分の役目と言わんばかりに牙を喰い込ませてくた。
「おまっ!? い、痛たいって! パンやるって言ってただろうがぁ! 俺の全食糧を! すなわち俺の明日を――あっ……」
何が気に入らない? 言い方が気に入らなかったのか? プラムが更に顎を締めた。
「ぎゃぁぁ―――――――――――――――――――――――――」
少年は断末魔の雄叫びを上げながら、もんどり打って地面を転げる。激しく転がりまくった結果、ついに茂みを突き破り河原の方に転がり出した。
そのお陰かどうか解らないが、尻尾は離れてくれた様だ。
ほっとしたのも束の間、手に持っていたはずの黒いライ麦パンが川の方に勢い良く転がり視界から遠ざかって行く。
「待ってぇ!? お願いっ、待って……、俺の明日――」
尻に残る痛みも忘れ立ち上がり追い掛けた。
ライ麦パンに手を伸ばしたが、願いも空しく川の流れに飲み込まれていった。
「あぁー、待って、言ったのにぃ―――――――――――――」
少年は「はぁ」と溜息を吐き、地面にへたり込んだ。
「そうだ……俺には、まだあれがある」
暫し茫然となったが、気を取り直す。平静を取り戻した少年の耳に大きな石の陰から、衣擦れの音が聞こえて来る。
身体に着いた水気を綺麗に拭き取って衣服に手を伸ばそうとしていた少女が、ぽかんとした顔で見ていた。
「あの……どうも」
「えぇ!?」
少女は慌てた様子で身体を拭いていた布で身体を隠し、石に立て掛けられていた節くれた杖を取り小気味良い音色を立てて振り回している。
「プラム殺れ」
紫水晶の瞳を潤ませ牧羊犬の名前を呼んだ。
「これも事故だ! 見てない見てない。決して覗いてた訳じゃないんだ。君のちっぱいなんて、見えても見えたと言えるもんじゃない。寧ろ残念な気持ちになってくる」
首をぶんぶん首を振った。なにだか色々、取り返しのつかない言葉を言ってしまった様な気もするけど、混乱して思考が回らない。
「なっ……なんですって!? ち、ちっぱい……ちっぱいっ……プ、プラムっ」
「痛てぇー!?」
先程離れたばかりの尻尾がまた生えた。
「うおぁぁぁぁ! 痛っ。ほんと、ごめん、ごめんしてっ。見るつもりはなかったんだ。こいつを振り払おうとしたら、弾みで転げ出ちゃったんだ」
「見るつもりはなかった? じゃあ見たんですね? わ、私の裸……。に、にに、二度も覗かれた……見られた。しかも……ちっぱいってちっぱいって何よっっ」
「覗いてたんじゃないっ見えたんだって」
「見たんだ……私の裸。ちっぱいかぁ……はぁ。見たんだね?」
「ち、ちょっと……」
少女の微妙な誘導に少年はうっかり「ちょっと」と答えてしまった。
「ちょっと? うそ、ちょっとじゃないです。二度も見たくせにっ」
「ちょっと……、まるっきり見えました。控え目な桃二つ」
開き直った。
少女の瞳から滴が零れた。
「も、もも」
「桃?」
「もうお嫁にいけない……。バカっ覗き魔っっ」
少女が涙混じりの声で、そう叫びながら節くれた杖を真っ直ぐ突き出した。杖に括られた鐘が、からん♪ と音を響かせた。
クリーンヒット。股間に命中。
「もぎゅ」と不可解な音を立て、気を失い地面に倒れた。
目を覚ますし上体を起こそうとして、身体が自由にならない事に気が付いた。
自分が持っていた毛布でぐるぐる巻きにされ、更にロープで縛り上げられている。
まったく厳重にしたものである。
少女が身形をすっかり整えて、少年の前に仁王立ちしている。
「俺は、こんな趣味は持ってないんだけど……、どちらか言うと――」
少女の声で言葉は掻き消された。
「うるさいっ覗き魔、変態っ」
からん♪ と鐘の音を響かせる杖で頬を突きながら言った。
覗いた訳じゃない見えてしまったんだから仕方がない。とんだ誤解だまったく酷い言われ様だと少年は思う。
と同時に事故とは言え、少女の裸を見てしまった。少女が泣き出して言い訳をした時と開き直った時もとんでもない事を口走ってしまった様な気がして、己の愚かさを呪った。
「ここで魔物か獣の餌にでもなってください」
少女は言い終わると木々が広がる方向へ歩き出した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待った!」
「なんなのですか? 私、忙しいのですが?」
少女が足を止め振り返った。
「忙しい人が沐浴してたのかよ?」
「こ、これから忙しくなるんですぅ! プラムも呼んじゃったし、長い時間あの
子(羊)たちを放っりぱなしで心配です。それに野宿の準備もありますから」
「やっぱり羊飼いだったんだ。俺は山羊飼い。名前は――」
「覗き魔さんの名前なんか知りたくもないです。それに私は羊飼い魔物を扱う山羊飼いなんかと一緒にしないでっ」
少女が声を荒げて言うと再び歩き出した。
「これ解いて、それにそっちには――」
「知らないっ」
少女が獣道に足を踏み入れ茂みを払いながら森の中に消えていった。
「きゃぁー、助けてぇー」
森の中から少女の悲鳴が聞こえて来た。
「だから、言おうとしたのに……」
簀巻きにされた不自由な体を、尺取り虫の様に地面を這って少女の下に向かった。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もお楽しみに!
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