外は快晴、日本晴れ
昼頃には大会を後にし、一度家に帰ってから俺たち男子剣道部三年生はお菓子や飲み物を持って川原のベンチにやって来た。
ここなら少々騒いでも問題ない。各自飲み物を持ち、
「「「「「「おつかれっ」」」」」」
乾杯――俺たちだけの引退式を始める。
「終わったね」
「二年半もよくやったぜぇ、俺たちはよぉ」
「俺は今、一つの青春を達成した気分で感無量だ! うおぉぉぉおぉぉおっ!」
泣くなよ、トシハル。まあお前の言う通り、ナルミもシンタも一つの達成感で清々しい顔してるけどな。
「ポテチの袋開けるぞ。バリバリ……」
「もう食べているのに誰に許可を取ってるのさ、ヒサト」
「気にすんな、フェル。食えよ、フェル」
「あ、ありがとう」
フェルは差し出されたポテチの袋から一枚取って口に運ぶ。
ヒサトはやり切った感とかそういうのとは皆無な奴だな。俺も大して変わらない感じ……、トシハルのように男泣きするほどじゃない。ていうか、あれは少し気持ち悪い。
「いたいた。おーい」
「あんだぁ?」
シンタが見上げる。俺たちは後ろ手にある堤防の道の方に振り返った。
堤防の道――そこにいたのは新橋姉弟。
「何であいつらが? 誰か呼んだのか?」
「あ、大会終わって帰り道、『どこにいる?』って訊かれたから『川原にいるよ』って俺が答えたんだ。どうやら女子も終わったようだね」
シンタの問いにフェルが言った。
「おいおい? んなこと教えんなよ、フェル。せっかく俺たちだけの引退式なんだぜ?」
「いいんじゃね? 二人も飲み食いするなら金取りゃいいだけだし」
ヒサト、そういう問題じゃないと思うぞ、シンタが言っていることは。
新橋姉弟は土手にあるコンクリートの階段を下りてきて、俺たちの許にやって来た。
「みんな探したわよ」
「何の用だよぉ?」
こらこらシンタ。いきなりケンカ腰口調はやめなさい。
「ほら、スオウ」
「う、うん」
新橋弟が俺たちに用らしい。
「あ、あの、先輩のみなさん、ありがとうございました」
頭を下げる新橋弟。なぜ頭を下げられたのか俺はわからなかった。
「大会終わった後、あの四人が私たちに頭を下げに来たの。これもみんなのおかげ。ありがとね」
そのことを言いにここまで来たの? ご苦労なことするねぇ。
「それはよかったね」
「ええ。これで私も安心して引退できるわ」
「え? ちょ待って? 俺ら何したの?」
「え、何、その反応?」
シンタが水を差した。、というか、こいつはすっかり忘れているようだ。
「もう、シンタ。新橋さんの弟がイジメられていたの、忘れたの?」
「何ぃ? そんなことがあったのかっ?」
おいおいトシハル……お前もかよ。
「もしかして忘れてたの?」
「シンタとトシハルはバカだからしゃーねぇべ」
「あんだとっ、ヒサトッ」
「こらこらやめなさい、サルども。――新橋姉、そんなこと一々言いに来なくてもいいよ」
「え、どうして、湊くん?」
「どうしてって……俺たち三年生が原因の一つでもあるからな」
「どういうこと?」
「俺たちが一年の頃の男子剣道部の印象覚えている?」
「ええ。すっごく厳しい稽古していたわね。先輩たちも体育会系のノリが強かった印象がある。本当に中学生? って思ったていたわ。女子はそうでもなかったからよく覚えているわよ」
「俺たちの時は、そんな誰かをイジメるとかそんなことしてる暇というか気力なんて起きなかった。しごかれて良いことも悪いこともあったけど、部活は部活と俺たち六人はそれに集中してた。それがまあ、俺たちが三年なって生ぬるい部活動になったから、後輩は気が弛んじゃったんだろうさ」
「……ああ、そっか。だからなんだぁ……」
「何?」
「え? ああ。私も原因の一つなんだなぁっと思って……」
「どういうこと?」
「四人が言っていたわ。スオウをイジメた理由っていうのが、私の弟だかららしいの」
これまた下らなそうな理由っぽそうだねぇ。
「ほらこの子、女の子みたいな顔立ちしてるじゃない? けっこう女子剣道部の中で人気なのよ」
ああ、はいはい、わかったわかった。ようするに女子に気に入りられているのがムカツクってパターン。うん、どっかで聞いたことがある話しだ。
「私の弟だから話しかけられることも多いわけ」
「下らねぇ理由だなぁ、それ。女にモテないバカのひがみだ」
「なあ、ナルミ? シンタ、ブーメラン投げてる? 気のせい?」
「放っておきなよ」
ヒサトとナルミがヒソヒソと話す。説得力は無いよなぁ、シンタが言っても
「まあそう考えていけば、たぶんだけど私が一年の朱鷺尾さんと試合して負けたのも一つかなって思うわけなの。三年生の先輩としてかっこ悪いところ見せちゃったもんね」
そういえばお前、モモカと試合して瞬殺されたんだっけ。
なるほどだからか。恐らく、あの四人が調子乗って溜まっていたものを一気にブツけたんだな。
「そうなんだ。スオウくんは何か覚えてる? イジメられていた時に何か言われたこと?」
フェルが新橋弟に訊ねた。
「え、あ、はい。……イジメられ始めた頃、『お前の姉ちゃん弱いな』って言われたことあります」
恐らく通りかよ。あの四人、マジで小者すぎだろ。
「そういうやぁ、あの四人どうなったんだぁ? フェル、何か話してだろ?」
「ああ。『辞めます』ってさ」
「マジ? あいつら辞めたの?」
「うん。辞めるか続けるか訊くって前に言っただろ? で、大会終わって訊いたら『辞めます』って言ったんだ」
つくづく小者感が半端ないな。そこで頑張れば少しは見直されるのに。
けど、これで新橋弟には手を出さないでしょう。もう剣道部内でバレているからあとは勝手に学校の噂として広がっていくだろうし。
「やっぱり俺たちのようにはならなかったね」
ん? 俺たち?
「そうだな。俺も、あいつらは俺たちのようになるのかと思っていたが……。青春はそう簡単ではないということだな」
何の話しをしているの、キミたち?
「あいつらと俺たちを一緒にするほうがおかしいんだよぉ」
シンタ、お前も分かっているのか……お前が分かっているのは腹が立つな。
「俺もそれは期待していたけど、こればっかりは本人たちの意思だからね。仕方ないさ」
フェルもかよ……。
「ねえ? 何のこと?」
おお、新橋姉、代わりに訊いてくれ。
「あいつらがやってたことが俺たちに似てるってこと。俺、シンタ、トシハル、ナルミはさ、小学校の頃フェルをイジメていたんだよ」
「「そうなのっ?」」
新橋姉と一緒に俺も驚く。ヒサト、マジかそれ?
「何でレンヤまで驚いてんだよぉ?」
「フェル。やっぱり忘れてるよ、レンヤは」
「だね、ナルミ」
フェルがイジメられているのは俺は知っているが、お前らがイジメていたのは本当に初耳だぞ?
「レンヤ、てめぇ、俺たちをしばいておいて忘れてるって何だよぉ?」
「ボコボコにされたな、俺ら」
「ああ。でも、あれで青春の何たるかに俺たちは目覚めた」
「それはてめぇだけだよぉ」
「何ぃ!?」
――――――……。
「あれって、お前らだったの?」
「ホント、レンヤって気にしないことはしないよね」
フェルが苦笑気味に言う。
「マジで忘れてるとかすげぇな……」
「いや、シンタ。レンヤは俺のイジメのことは覚えているんだよ」
「……そのイジメしていた奴をボコボコにしておいて忘れるって、どんな記憶力してんだぁ?」
「フェルが○ャイアン四匹にイジメられていた、って感じで覚えている」
「おい。俺ら○ャイアン扱いかよ、こら」
○ャイアン四匹に対して○び太一匹。○ラえもん、毎日大変です。
それは冗談だけど、俺は俺のやったことはよく覚えてんだよ。相手のことってあんまり……。フェルはその後すぐによく話すようになったから覚えてはいる。
「仕方ないって。俺たちはその後、レンヤのことが怖くて避けていたからね。仲良くなったのってけっこう経ってからだもん。でもヒサトだけはすぐ仲良くやっていたのは覚えている」
「こいつはノリで生きているところがありやがるからな」
「まあな」
ヒサトの場合は本能で生きているという節はある。良くも悪くも子供っぽいけど、この新橋弟の問題に関しては見直すわ。というか、こいつもしかして……。
「そっか。みんなにはそんなことがあったんだ。だから今回のこと、みんなのようになるかもってことでやったわけね」
「うーん。俺たちは、まあ俺は部長として先輩のように厳しくできなかったからね。最後はしっかりと部長の務めをしたかった。それだけさ」
「へー。千歳くん、何だか男らしい。部長になる前はカッコいいとは思っていたけど、部長になってからは頼りない印象があったわ。ごめんなさい」
「ううん。それは間違いなかったからそう思われても仕方ないよ。それに、みんなもやってくれた。最後の大会をフイにしてまでもね。それに比べたら大したことないさ」
「ふーん、そうなんだ……。みんな、カッコいいね」
新橋姉から褒め言葉を受けました。なぜ?
「ハ、ハン。そそ、それは、あったりめぇ……」
「俺は青春の伝道師だからな!」
「はいはい。トシハルは好きな者になってていいから大きな声で叫ばないで」
「ナルミもなるだろ?」
「遠慮しとく」
「みんな食わねぇの?」
「てめぇっヒサトッ。一人でバグモグ食ってんじゃねぇよっ」
「ツンデレシンタはモエギちゃんに褒められたんだからデレデレシンタになっとけ」
「あ、あんだとっ!?」
新橋姉の褒め言葉を一人マジで受け取ったけど、その他三人の一切訊かない奴らに潰された。
てか、当たり前のことを当たり前にやっただけだから、カッコいいのかどうかはわからん。
「ふふふ。おもしろいね、みんな」
自由人だからバカのやりすぎは勘弁してほしい時があるよ。
「そっか。じゃあ、そろそろ私たち行くね。邪魔するのも悪いし。ありがとうね、みんな」
「あ、ありがとうございました、先輩がた」
新橋姉は晴れ晴れと微笑み、新橋弟は緊張しながら頭を下げる。
「さようなら、新橋さん」
「気つけてな、新橋姉弟よぉ」
「もう帰るのか? 俺の青春物語をたっぷり聞かせてやろうと思ったのに」
「ばいばーい」
「おつかれ」
新橋姉は手を振り、新橋弟を帰るよう促して土手にあるコンクリートの階段を登って行った。俺たちはそれを見送る。
「……新橋弟の奴はあれで大丈夫なのかぁ?」
二人がいなくなって開口一番シンタが不安げを口にする。
「でも、前みたいな新橋さんの後ろに隠れてオドオドした感じはなかったよ」
「まだまだだろぉ、あんなもん」
「シンタはもう少し新橋弟の気弱さを持った方がいいよ」
「んなもんいらねぇよぉ。俺に必要だと思うか、ナルミ?」
「必要だと思うよ」
「はあ?」
「ガッツと勇気と友情があれば新橋弟も青春を謳歌できるさ!」
「てめぇは何でもかんでも青春に結び付けんな」
「あはははは。でも、最初だけださ。次第に強くなっていくよ。剣道の腕は中々の筋しているからね。自信がついていくはずさ」
「と、元○び太くんのフェルが言ってる」
「誰が○び太くんだよ、ヒサト」
「え? 違ったっけ?」
「いや、違わなかったけど……」
予定に無かった新橋姉弟が来ても、また和気藹々(わきあいあい)と場が盛り上がっていく。
けど、俺はちょっと気になっていることをヒサトに訊いてみることにした。
「なあ、ヒサト」
「なんだ?」
「お前、新橋弟がイジメられている奴らのこと、最初から確信を持っていただろ?」
「あったりめーだろ? 元イジメっ子なめんなよ」
と思ったよ。手際良すぎだもん。イジメのこと知ったその日にイジメの現場見つけるとかイジメっ子ホイホイの達人かと思ったわ。
「てめぇ、ヒサトッ。初めっから確信もっていたのに言わなかったのかっ?」
「うるさいです、シンタ。今は俺が訊いているの」
「あ、悪い」
本当に有り余った血気盛んな血を献血してきなさい、キミ。
「すっげー迷ったんだ。言おうか言わないでおこうか。結局ズルズルとなって言わなかったけどな」
「俺も迷うと思う。ヒサトの気持ちは良く分かるよ。何たって三年生だもん。最後だから、下手したらその時点で剣道部は終わるって考えると、ね」
「意見が合うじゃん、ナルミン」
「誰がナルミンだよ」
「俺も迷うだろうな。最後の青春……それが終わると思うと……」
「青春ヤロートシハルでもそんな愁傷なこと考えんの?」
「バカにするなよ、ヒサト。俺だってそれぐらいは考えるわ」
「そかそか。でも今、ちゃんと考えれば失敗だったと思う……」
ヒサト、どうした? いきなりそんなしおらしくなって?
「イジメをしていた俺なのに、他人がやっているイジメには何も言えない卑怯もんだったんだな、ってな……。だからさ、フェルが最後の大会出なくて話しをするって言った時、身震い起こして決意したね。ここでできなきゃ俺、クズヤローになっちまうって。ありがとな、フェル」
「そうだね。フェルが決意してくれなかったら、俺もそうなるところだった。ありがとう」
「ヒサト、ナルミ……」
「お、俺もよぉ……フェルには感謝……」
「うおぉぉおぉぉぉぉおっ! 青春だぜ! ありがとう、フェルッ! 一生お前についていくぜっ!」
「ト、トシハル。そんな男泣きしないでよ」
トシハルに遮られるの今日二度目だな、シンタ。お前はそういう星の下なのかもな。ツンデレだし。
「そういやさー、昨日やるって決めた時、レンヤの決断早かったなー? もう止む終えないって考えたとか?」
「ん? そんなもん考えてないよ、ヒサト」
「え? そうなの?」
「ああ。俺、別に大会はどうでもいいと思っていたから」
「マジ?」
ヒサトが驚くとみんなも驚いて視線を向けてくる。だから、俺を見ても作り笑いの一つもしないよって。
「どうでもいいってどういうことだよっ、レンヤッ」
「俺たちとの青春がどうでもいいと言うのかっ」
「説明してやるから一々でかい声出すな」
一々感情を起伏させないといけないの? サル二人本当に献血行ってきなさい。
「あ、そっか。レンヤはレンヤだね、ホント」
一人納得したフェル。ずっと前に話したことを思い出したようだ。
「どういうことさ?」
「ナルミ。『剣道は勝ち負けを争う為のものじゃない』っていう、俺とレンヤが剣道を教わった人から教えてもらった言葉があるんだ」
「『勝ち負けを争う為のものじゃない』?」
「そう」
「ようするにだ、ナルミ。俺にとって剣道は、心と身体を鍛えるものと考えているの。自分自身のね。そら試合したら勝ち負けがあるから、やるからには勝ちたい。試合に出れば勝ち負けには拘るよ。けど」
「けど?」
「新橋弟と大会出場、どっちかを捨てるなら俺は大会出場を捨てる。中学最後の大会は一生に一度だけど、新橋弟はその後の人生が関わってくるから。俺たちが出場しないで、その後のイジメを止めさすことができるならそっちを取る」
関わらずにイジメがその後も続いて、自殺とかされたらかなわないからな。最悪、幽霊としてばったり出合った日には頭抱えてどうしようかと思う。
一番いいのはどっちも取れたら良かったんだけどねぇ……。まあ未練をタラタラ言っても仕方ありません。
「へー」
「レンヤって武士? 潔すぎだろ? 切腹とかできるんじゃね?」
「いやヒサト、腹切りは無理だわ」
怖いし、そこまでの潔さ俺は持っていません。
「でも良かったよ、みんなこう言ってくれるのは。正直、自分が出した選択が良かったのか不安だと思っていたところもあったから」
「ジョリ頭にしたのにか?」
「うん」
坊主頭って言ってあげなさい、ヒサト。
「意気込み見せてカッコつけたわりには弱気だったてことかよぉ?」
「そうだよ、シンタ。俺はいつも自信と不安のせめぎ合いなのさ。だけどこれからは違う。断言できる」
「と、フェルくんが言ってるけど、レンヤくんどう思うよ?」
「一年早く断言してくれたらなぁ、と思いますよ、ヒサトくん」
「うっ……。それについては、ごめん」
「まあまあいいじゃない。ある意味思い出になったと思うよ。大会出場しない宣言」
「ああ。こんなことないと思うぜ、俺も。まさに型に嵌らない俺たちの青春だ」
お前の『青春』っていう言葉は型に嵌って定番化してやがんなぁ。
「よっしゃぁ。さあ、思う存分騒ごうぜっ。昼メシ食わずに来たから腹が減ってしょうが……って、あれ?」
どうした、シンタ?
「く、食い物がねえぇ……」
はい? ……もしかしてヒサト? と俺たちはヒサトに目をやる。
「ごちそうさん」
一切の悪気を微塵も見せずに言いやがった。けっこう買ってきたのに、よく食いきりやがったなぁ……。
「ちょっと待ってよ。俺も昼メシ食べてきてないんだよ」
「俺もだ。一つの青春を締めくくる引退式のために食っていない!」
「フェル食った?」
「いや、食べてない」
全員食べてない。というか、ここで食べること前提だったから当たり前だけどな。
「ヒ~サ~トォ~! てめぇっ!」
「食わねぇの? って訊いたじゃんかよ、ボケナスども」
「うっせぇー! てめぇ、今すぐ何か買ってこいっ!」
「ヒサト、買って来てもらうよ」
「俺たちの分まで食べたわけだからな。青春パシリをするべきだ」
「満腹で動けましぇん」
「張り倒すぞ」
「叩くよ」
「青春の一発を食らうか」
「よし。ジャンケンで決めようぜ」
「「「なぜそうなる(の)!?」」」
よくもこんな癖のある奴らと二年半も部活動やってたなぁ、俺。良い思い出にはなったけど。
まあ……、良くも悪くも有終の美ってところか? 騒いでるこいつらを見てると、何やってんだと思いつつも、それが別にイヤな気分にならないのが不思議。
中々おもしろい奴らと仲間になったもんだ、と俺はフェル目を合わせて苦笑のような笑いが零れた。
――翌日。
朱鷺尾家――モモカの家の道場を使わせて貰ってフェルと稽古をしていた。
「せやぁぁぁあっ! 胴ォォッ!」
フェルの胴が俺に決まって勝負あり。その瞬間、俺は竹刀がを持つ手に力が入らなくなった。
……体力の、限界です。
「はあ、はあ。そろそろ良い時間だね。終わろうか、レンヤ」
「はあ、はあ、はあ……。ああ、そうだな……」
向かい合い一礼して稽古を終える。
やばい、完全にボコボコのフルボッコにされた。と面を外しながら思う。
実力差ありすぎだ。小一時間ほど真剣にやって一本も取れないなんて……。大会出なくてホント良かったじゃないか、俺?
「レンヤ、今日は調子が良くなかったみたいだね」
「いや、すこぶる良好なんだけど」
とても全力必死でやっていましたよ。
「え……?」
何? その本気ですか? と言わんばかりの目? 本気でやっていましたとも。
「前にここでやった時より楽に一本取れていたんだけど……」
「そっか。さらに強くなったね。おめでとう」
「あ、ありがとう」
もう俺じゃフェルに敵わないな。俺弱すぎ。ホント大会出なくて良かったわ。
「レンくーん? チーくん?」
お、モモカが帰ってきましたね。
トタトタと小走り気味な足音――道場の扉が開くとモモカと分身女が姿を現した。
「お帰り」
「お帰り、モモカ」
「あれ? もう終わっちゃったの?」
【ほらー。だから早く帰らないダメダメのダメだって言ったじゃないですかー】
「だってぇ。新しく二年の先輩が部長になってその挨拶があったんだもん」
【その所為でレンくんとフェルさんの稽古が見れなかったんですよ】
「そうだけど仕方ないじゃない」
分身女は分身の分際で本人にケチをつけてる……。キミたちは同じ存在なのに、家の中ではいつもそんなやり取りをしてんの?
【こんなことなら私一人で帰ってこればよかったです。そうすればレンくんの稽古姿を堪能できましたのに】
「独り占めは許さないよ」
怖いです、モモカさん。急に声の口調を冷淡にしないでちょうだい。あとその顔……とても見ていられないよ。
【――……。じょじょ、冗談に決まってるじゃないですか! やだなぁ! 本気にしちゃダメですよ!】
「なぁーんだ。冗談かぁー」
上下関係はやっぱり本人さんの方が上なのね。
「さて、フェル。さっさと片付けて帰りますか」
「え? レンくんもう帰っちゃうの?」
「うん。受験生ですから俺たちは勉強しなくちゃいけません」
三年生ですもん。大会終わったら一気にお受験モードに切り替えましたよ。
「……わ、私も一緒に勉強してもいい?」
え? 来るの?
「まあ、いいけど。フェル、いいか?」
「うん。かまわないよ」
「えっ? チーくんも一緒なのっ?」
「うん。そうだけど? 何か不味い?」
「うん? ううん! 何もないよっ! 全然何もないのっ!」
【残念でしたねー】
「――……」
【ひっ……】
ヌギロっとモモカの目が鋭くなり、分身女が怯む。だから急にそういう顔つきは止めなさい、怖いから。
「ねえ、モモカ?」
「うん? 何、チーくん?」
「帰る前にスミレさんに会いたいんだけど、どこにいるのかな?」
「曾お祖母ちゃんに用?」
「うん、ちょっとね」
「曾お祖母ちゃんなら私の部屋にいるよ。最近ずっと私のパソコンで何か見てるから」
パソコンを扱える幽霊……。人類もここまでくるとすごいもんだ。ある意味この朱鷺尾家って最先端にいるんじゃないだろうか。
てかあいつは最近、朱鷺尾の力について蔵でお調べ中のはずでは?
剣道の防具や竹刀を片付け、着替えてモモカの部屋へ向かう。
モモカの部屋のドアを開けるとピンク色のノートパソコンを前にして、ヘッドフォンを付け、ちょっと露出度がある夏服姿のスミレがいた。
現代人として物凄く適応してやがんなぁ。夏の暑さとか全然無関係くせに。
そのスミレは食い入るようにディスプレイを見つめ、両手のこぶしを握り締めて、
【そこじゃっ。そこで突っ張るのじゃっ。】
と一人エキサイティングしている。
「最近、いっつもこうなんだよぉ。私がノートパソコン使えないの」
占拠されてるわけね。曾孫の持ち物だっていうのに……可哀想なモモカ。というか何見てんの?
俺たちに気づかないスミレの横に立ち、ディスプレイを覗く。
古い画質の動画――ごっつい男の人が廻し締めて土俵の上で張り手の応酬を繰り広げている。相撲だとすぐに分かった。
【ええいっ。あっ。おっ。ぬぬぬ。あぁっ、やられたっ】
一方が相手を投げて決着がついたようだ。
どんなけエキサイティングしてんだよ、こいつは。
【ふー、負けてもうた。うむ。次じゃな、次】
「おーい? もしもし?」と俺はスミレの肩を叩いた。
【うわぁおいっ!? 誰じゃっ!?】
「俺だ」
【レンヤッ? いつの間にっ?】
「一分ほど前から居たわ。てか、何で相撲なんて見てんの?」
【旦那……いや、旦那様のことを思い出してのう。よく一緒に見ておたった。旦那様は相撲が好きじゃったからなぁ】
アケトモさんか。確かに相撲の構えをやっていたなぁ、確か。
【で、何かワシに用か?】
「ああ、俺は用はないよ。用があるのはフェル」
【フェ、なぬっ!?】
スミレがフェルに目を向けた瞬間、目を丸くして驚いた。
あ、こいつ知らないのか。フェルが坊主頭にしたことを。
【どうしたのじゃ、その頭!?】
「えっと、ちょっと心境の変化で切りました」
【そうなのか。ほう、似合っておるのうではないか。男らしさがグーンと上がり、どこか旦那様を彷彿とさせるのう】
「ありがとうございます」
アケトモさんの影響をすごく受けていますからね、フェルは。
「で、スミレさん。ちょっとお願いがあるんですが、いいですか?」
【何じゃ?】
「アケトモさんの写真を見せてほしいんです」
【旦那様のか? うむ、まあよいぞ】
そう言うスミレはモモカの部屋の棚を探る。
おいおい。この部屋に置いてんのかよ? まあ自分の部屋なんて持ってらっしゃらない幽霊の身分だもんな。
スミエは木箱を取り出し、
【ほれ】
中から一枚の古びた白黒写真を差し出す。
背筋を伸ばし、威風堂々と直立不動で立つ昔の軍人のような格好をした若い男性、アケトモさん
写真を受け取ったフェルはそれをどうするつもりだろうか?
フェルは腰を下ろして正座すると、写真を丁寧にテーブルの上に置くと、目を閉じて手を合わせた。
「ありがとう、ございました」
――……。
間違いなく断言できることがある。今まで優しさの中に弱さ、脆さがあったフェルはもういない。
自然に変わったのか、考えて変えたのか、それはフェル本人しかわからないし、もしかしたらフェルにもわからないかもしれない。
だからもう一つ断言する。
フェルは自分の信じれる道を自身で切り開いたんだな、と……。
俺はフェルの横に正座し、手を合わせる。
「……レンヤ」
「俺も上手くやれたとは思ってないよ。ただ昔の人から受け継いだ何かは、きっと俺たちの中にも受け継がれていると思う。それが広がって他の人にも影響を与えているさ」
シンタ、ナルミ、トシハル、ヒサトたちがそうであったように。
剣道部の後輩、新橋姉弟、新橋弟をイジメていた奴らにも、な。
「……そうだね」
「ああ」
スミレ、モモカ、分身女は不思議に思っているだろう、俺とフェルが何を言っているかを。
ただ、命を懸けて残してくれた先人に俺たちは少し学んだだけ。
――窓の外は快晴――。
夏の晴れ晴れとした日本晴れの空が眩しかった。
これにて一章分、String link・Ⅴを終了致します。




