18 好奇心の足音:境界
翌日も、学校の空気は何一つ変わらなかった。
白を基調とした教室の前面モニターには、いつも通り機律イドの笑顔が浮かんでいる。
朝の体調チェック。
本日のカリキュラム。
適性スコア向上のための推奨学習項目。
すべてが予定通りに、誤差なく進んでいく。
「……あー、ねむ」
ライトは頬杖をつき、手元の端末をつついた。
画面には、昨晩イドと一緒に終わらせた自習タスクの評価が表示されている。
イドは怒らなかった。
お説教らしいお説教もなかった。
ただ、門の近くへ行った理由を尋ねられ、適当に誤魔化しただけだ。
オズのことを言わなかったのは、やっぱり正解だった。
ちらりと、斜め前を見る。
オズは端末に向かい、淀みなく数式を打ち込んでいた。
誰が見ても、集中して授業を受けている模範生そのものだった。
けれど、昨日あの門の前で消えたのは事実だ。
オズのさらに向こうでは、ノアが背筋を伸ばしてノートを取っている。
サユは真面目に課題を解き、一番後ろではトウヤが机に突っ伏していた。
いつもの教室。
いつもの退屈。
それなのに、胸の奥の引っかかりだけが消えなかった。
放課後。
終業のチャイムが鳴ると同時、オズは手早く端末を鞄に収めた。
「じゃ、俺ちょっと用事あるから」
ノアやサユが声をかける間もなく、オズは席を立つ。
「またかよ」
ライトが声をかけると、オズは教室の扉の前で一度だけ振り返り、片手をひらりと振った。
「自主学習だよ。復習は大事だろ?」
それだけ言って、廊下へ出ていく。
「あいつ、絶対自主学習なんかしてないわよね」
サユが呆れたように息を吐く。
「前回の小テストも満点だった。復習の必要性自体は僕も認めるが……彼の行動には一貫性がない」
ノアが淡々と告げ、鞄を閉じる。
トウヤは机に突っ伏したまま、腕の位置を少しずらしただけだった。
「……なあサユ、俺ちょっと購買寄ってから帰るわ!」
ライトは鞄を掴み、教室を飛び出した。
「え、ちょっとライト!? 購買は反対側でしょ!」
サユの声を背に受けながら、足を速める。
校舎を出て、連絡通路を駆け下りる。
校門へ向かう生徒たちの向こうに、白いパーカーの背中が見えた。
オズだった。
昨日と同じ、外周区画へ向かう路地へ折れていく。
昨晩の注意は、もう頭になかった。
ライトは距離を取り、物陰を縫うようにして追った。
白い建物が途切れ、防護フェンスが続く外郭区画へ入る。
人の姿が消える。
頭上を自動巡回ドローンが通り過ぎたが、オズは歩調を崩さない。
やがて、シンギュラリ・シティ第四外郭ゲートが見えてきた。
オズは昨日と同じように、搬入用デッキの影へ回り込む。
ライトは息を殺し、デッキの角へ駆け寄った。
壁から顔を出す。
――けれど。
「……は?」
そこには、誰もいなかった。
吹き抜ける風の音だけが鳴っている。
足元にも、物陰にも、人影はない。
あるのは見上げるほど高い外郭壁と、分厚い金属の門だけだった。
「嘘だろ……」
ライトはデッキの周囲を探し回った。
隠れる隙間もない。
飛び越えられる段差もない。
昨日もここで消え、今日もここで消えた。
「……消えた?」
ライトは口を開けたまま、巨大な外郭ゲートを見上げた。
高さ二十メートルの壁。
都市の内と外を分ける門。
ふと、イドの言葉が頭をよぎる。
『門の向こうは、人間が安全に暮らせない場所だから』
外には何もない。
世界は滅んでいる。
そう教えられてきた。
けれど。
あいつ、まさか。
ライトの目が、ゲート脇の操作コンソールへ向いた。
この街では、外への出入りは禁止されていない。
申請さえすれば、一般市民でも開けられるはずだった。
これは、開くのだろうか。
ライトはコンソールの前へ歩み寄った。
端末を取り出す。
認証パネルにかざす。
ピッ、と乾いた電子音が鳴った。
モニターが青白く光り、文字が浮かび上がる。
《外郭外縁環境:汚染警戒レベル》
《生命維持の保証はありません。都市防衛プロトコルによる保護対象外地域となります》
《それでも退出しますか?》
画面の中央に、二つの選択肢が表示されていた。
[はい] [いいえ]
審査中の表示はない。
引き止める声もない。
文字だけが、静かに明滅している。
ライトの指先が、画面の上で止まった。




