グレープさんとの夜
「……起きちまった」
ホーホーとなんかの鳥が鳴く夜。俺たちは王都のとある宿に泊まっていた。
それぞれの部屋で寝てはいたものの、俺はなんとなく目が覚めてしまった。
「すぅすぅ……」
隣ではヤミがスヤスヤと寝ている。このまま俺も一眠りしたいとこだが、完全に眠気が無い。
仕方ねえ、一階のロビーにでも行くか。
部屋を出て、階段を降りる。淡く明かりがついたロビーの方へ向かうと、そこには既に先客がいた。
紫色の髪を三つ編みにしているその女性は、ロビーのソファに座って本を読んでいた。グレープさんである。
「グレープさん」
俺がそう声をかけると、グレープさんは読んでいた本を閉じ、立ち上がるとぺこりとお辞儀をした。
「おや、大河様。こんな夜更けにどうしました?」
「ああいえ、ちょっと眠れなくて」
「そうですか、ちょっと待っててください」
そう言うと、グレープさんは客が自由に使っていいお湯の設備や何やらを使い、温かい飲み物を作ってくれた。これはなんだ? ホットミルクみたいだけど。
「私特製のホットミルクです。それを飲めば、少しは眠気がくると思います」
「ありがとうございます。グレープさんも、眠れなかったんですか?」
「……ええ、まぁそんなところです」
なんか今間があったな。本当は何か理由があるのだろうか?
けどそこは詮索することでもないか。
ふとグレープさんが読んでいた本のタイトルを見ると、『恋戦2』と書いてあった。
「こいいくさ? って読むんですか? その本」
「えっ、あっ、こ、こここれは」
ばっと本を後ろに隠すグレープさん。なんだか恥ずかしがってるみたいだ。
いつもは冷静でキリッとしているグレープさんが赤くなっているのは結構かわいいな。
ちょっとからかってやろう。
「恋愛の小説ですか? グレープさんがそういうの読むの意外ですね」
「い、いえっ、その…………はい。実は、好きなんです、こういう本」
グレープさんは顔を真っ赤にしてうつむきながらそう答えた。
「へぇ。2って書いてありますけど、シリーズものなんですね。どんな話なんです?」
「えと……主人公の女の子が知恵と策略を駆使して想い人から他の女の子を遠ざけて、ゲットしようとする話です」
な、なかなか黒そうな話だな。グレープさんの性格的にもっとピュアな感じの小説かと思ったんだが。
けどそういう策略系の話って俺好きなんだよな。
「面白そうですね。それ1あるなら貸してくださいよ」
「えっ。大河様、本読まれるんですか?」
「ん? 読みますよ、そこそこ。結構読書好きですから」
「ほっ、本当ですかっ」
グレープさんの目がぱぁっと輝いて見えるのは気のせいではなさそうだな。
もしかしてこの世界だと本読むのって珍しいのか?
「貴族じゃなくて字が読める人でも珍しいのに、読書家だなんて……! 凄いですね大河様! 本なら是非お貸しします。私この本大好きでもう何回も読んでるんです。特に第4巻の主人公が強敵からスキルを駆使して僅差で打ち勝った時のあの高揚感といえば――はっ!」
自分が周りを見えなくなっていたことに気づいたのか、汗をダラダラ流し始めるグレープさん。
グレープさん、本のことになるとこんなに喋るんだなぁ。
「す、すみません。つい熱くなっちゃって。引きましたよね……」
「はは、全然引かないですよ。むしろグレープさんの意外な一面が見れて、俺は嬉しいです」
「そう言っていただけると、助かります……」
そう言って訪れる沈黙。
やべえな。これなんて言えばいいんだ。別に俺は全然引いてないんだが、グレープさんは気にしちまってるし。
そう思っていると、意外にも沈黙を破ったのはグレープさんだった。
「大河様って……いったい何者なんですか?」
「何者って、どういう?」
「いえ、判断力も行動力もありますし、頭も良いですから。奴隷になる前は何をしてたのかと」
何をしてた、かぁ。
そうだなぁ、この世界に来る前の俺か。
「――何も、してなかったんだと思います」
「え?」
「何かやろうと思えば出来たはずなんです。だけど俺は何もしなかった。才能だなんだって出来ない理由にあれこれ理屈を並べてね。怖かったんですよ。本気でやって、それでもダメだった時のことを考えるのが。そこが限界ってわかっちゃうじゃないですか」
言うつもりのなかったセリフが次々と飛び出して来る。
「そうやって逃げて逃げて逃げて。気づいたら、俺の心は偽りだらけになってました。こっちに来たのも逃げて来たんです。ここなら何か変わるかもしれないって。実際色々変わりました。全然違う環境で、新しい力も手に入って。がむしゃらに生きて自信も少しは出来ました。けど……怖いんです」
「怖い?」
「いずれまた俺の逃げ癖が出たら、どうしようって。また心を嘘で固めて、息苦しくなるんじゃないかって」
言いながら俺は涙を流していた。
こんなこと、言うつもりじゃなかったんだけどなぁ。
「はは、かっこ悪いなぁ、俺」
「大河様……」
「えっ?」
グレープさんは俺を抱きしめていた。柔らかく、そしてどこか懐かしい匂い。
「逃げる事は悪い事じゃありません。傷ついてなお立ち向かえる事は自分を強くしますが、立ち直れないほどの傷を負ってしまっては意味がありません。逃げても良いんです。そして自分が出来ると思った事を少しずつやればそれで良いのです」
耳元で囁かれる落ち着いた声。どこか安心できるその声は、俺を確実にリラックスさせていた。
「誰だって心弱い部分はあるはずです。かっこ悪くなんてないですよ」
グレープさんの声が段々と遠くなっていく。急速に眠気がやってきたのだ。
泣き疲れて眠るだなんて……まるで赤ちゃんだ俺は。
「今はおやすみなさい――」
何年ぶりだろう。人におやすみと言われたのは。
そう思いながら、俺は瞼を閉じた。




