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4・無駄な戦いは突然に

 退院する日を迎えてもなお、俺達が元に戻ることはなかった。

 俺は後ろ髪を引かれる思いで病院をあとにしながら、最後に病室で交わした神崎との会話を思い返していた。

『トノちゃーん。やっぱ俺達、互いを演じるの?』

 神崎はあの時、漫画を読みながら不満そうに尋ねてきた。その日ほど、この期に及んで漫画を読めるだけの図太い神経がうらやましいと思えた日はなかった。

『それしかないだろ。だって、結局元に戻れなかったんだから』

『じゃあ、この際聞くけどさ、入れ替わって生活している間のことってどうする?』

『は?』

『ほら、家とか』

『なんだ、そんなことか』

 俺は「その質問、待ってました」と言わんばかりにノートを取り出した。実は、戻れなかった時のために、夜中にネチネチとルールを考えていたのだ。

『まず、互いの家は交換。持ち物は、どうしてもって物以外は相手に渡す。次に、互いの家にあるものは……』

『ちょ、ちょっと待って。お願い、覚えきれないからもう少しゆっくりと』

 それから数分。ようやくルールを理解した神崎が要点だけをまとめた。

『はいはいはい。くしゃっと言うと、家と持ち物は基本交換。家の物は極力いじらないように心がける。仕事やプライベートにおいて、互いのキャラはなるべく壊さない。で、入れ替わってることはこれ以上誰にもばらさない。合ってる?』

『まあ、大体な』

 本当は神崎と話し合って決めるべきことだったのだろうが、こいつと話していると度々話題が明後日の方向に飛んで行ってしまう。なので、簡単なことは俺が考えて神崎に一方的に伝えるというスタイルをとった方が、スムーズに事が進むのだ。

 幸いにも(?)俺達は独身で、とっくの昔に実家から離れて暮らしているため家族に正体を看破される可能性は低いと考えて問題はない。この程度の決め事で充分だろう。ただ。

『でもさあ。やっぱちょっと心配だよねえ』

『?』

 いつもは超がつくほどポジティブな神崎が、悩ましそうにしている。

『どういう意味だ』

『ほら、白鳥君も言ってたけど、俺達マジで演技とか無理だからさあ。何もしなくてもバレるんじゃないかなって。それに……』

『それに?』

『いや、何でもない』

 あの時の神崎は、何かおかしかった。もしかして、俺達が入れ替わった原因について心当たりでもあるのかと思ったのだが、責めるに責められなかった。それはあくまでも、自分で思い出すべきこと。そんな声が、どこからか響いてきたような気がして。

 回想が終了した直後、ちょうど神崎の自宅に辿り着いた。

 そこはあまり見栄えがいいとは言えない古びたアパートで、下手をすれば人外の者が出そうな雰囲気まで醸し出している。

「ここに来たのは、ロケで突撃した時以来だなあ」

 上京してすぐに借りた賃貸アパートらしいが、神崎いわく荷造り以下等々が面倒くさいため引っ越さないとのこと。今に始まったことではないが、あいつのものぐさは異常だ。金はあるんだから、もう少しまともなところに住めばいいのに。

「ギャラは俺と大差ないくせにこんな……うわっ」

 神崎から借りた鍵を使って中に入るなり、俺はつい身震いをしてしまった。

「な……なんじゃこりゃあ」

 俺の目に映ったもの。それは、狭いワンルームの部屋に、服やら漫画やらが至るところに散乱しているという、だらしないにもほどがある風景だった。俺は特に潔癖症というわけではないのだが、これには耐えかねた。

「どこまでズボラなんだ、あいつは」

 こんなのは、人間が住むところじゃない。こうなれば……。

 覚悟を決めた俺はアパートを飛び出し、近所の店で掃除用具一式を買い揃えて再び部屋に戻った。エプロンとバンダナを身に着け、気合いを注入する。

「いざ……」

 それから、俺と神崎の部屋との戦いが始まった。

 まずは、何か月分溜まっているのかわかったものではない洗濯物の処理。ブラック企業並に、洗濯機を従業員に見立てて酷使した。

 次に、フローリングの床の雑巾がけ。拭けども拭けどもきれいにならず、何枚もの雑巾が戦場に散った。

 最後に、万年床をベランダに干し、布団叩きで全力でしばく。ほこりが無制限に飛び出してくるものだから、気が遠くなりそうだった。

 そんなこんなで時間は過ぎ、どうにか人が生命を維持できるレベルになった頃には既に夜。俺は一応、物をあれこれ動かしてしまったことを伝えるために神崎に電話をかけることにした。

「もしもし?」

 ――あ、トノちゃん? 電話越しに自分の声を聞くってのも新鮮だなあ。

「はいはい、そうかそうか。お前、今は何してる?」

 ――ふっかふかのソファーの上でくつろいでる。いやあ、バラエティの自宅紹介でちらっと見たことあったけど、本当にいいところ住んでるねえ。広くて、ピカピカで。でも、何でわざわざ電話なんて? もしかして、退院早々合コンでもしてると思った? 大丈夫だよ、トノちゃんの身体で勝手なことはしないから。そもそも、トノちゃん俺よりモテなさそうだし。

「……」

 今、頭の中でブチッという音が聞こえたのですが。

 堪忍袋の緒が早くもはじけたため、俺は暴言を吐く前に用件だけを伝えて電話を切ることにした。

「そうか。じゃあ、さっさと用件だけを伝えることにする。事後報告になるが、お前の部屋が汚過ぎたから、掃除させてもらった。ゴミらしきものは捨てて、それ以外の物は段ボール箱に詰めといた」

 ――は? え、ちょ、ええっ。

「あと、明日番組の収録があっただろ。それは時間がないから仕方ないとして、その後は今後に備えてネタの打ち合わせと練習な」

 ――ええええっ! 急過ぎない? ねえ、何か嫌なことでもあって、俺に意地悪してる?

(この男、練習嫌いだからって露骨に嫌がりやがって……)

 俺はこみ上げてくる苛立ちを必死に抑えながら、最後にこう言い放った。

「ただでさえネタを飛ばすのが得意な神崎さんが、練習もなしにツッコミができるのでしょうかねえ?」

 ――あうー……。

 筋金入りのズボラ男も、これは論破できないようだった。

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