2・色々な意味で面倒なことになってますが
しばらくして再び目覚めると、そこには俺の姿があった。頭に包帯を巻いていて、口元が切れているのが痛々しいが、ケロッとした表情で俺の顔をしげしげと眺めている。
「何度見ても、やっぱ俺だよなあ……。一体どうなっちゃったんだ? うーん」
それを聞きたいのはこっちの方だ。
「あのさ。もしかして、トノちゃん?」
俺の姿をした何者かが、眉をひそめながら尋ねた。
このアホみたいな口調には、心当たりがある。そう、俺の相方の。
「そう言うお前は、神崎か?」
神崎武雄。高校時代からの腐れ縁で、どういうわけか一緒にお笑いの道にまで進むことになってしまった男。それがどうして、俺の姿をしてるんだ。
「そうそうそう。で、何でトノちゃんは俺の姿してるわけ?」
「あ……」
そういえば、さっきから神崎は俺のことを自分だって言ってたな。
手を見てみると、俺の華奢なものとは違い、大きくて筋肉質。鏡で確認しなくてもわかる。これは、神崎の手だ。
「俺達、どうなっちまったんだ」
「普通に考えて、入れ替わったんじゃない?」
「簡単に言ってくれるな」
薄々理解しつつあったが、受け入れられないから困ってるんじゃないか。ああ、神崎の能天気というか、楽天的な性格がうらやましい。
「簡単って言うけどさあ、それしか考えられないじゃん。だって、俺がトノちゃんで、トノちゃんが俺になってるんだよ? それしかありえないでしょ」
「あのなあ。入れ替わりっていう現象が、身に降りかかるっていうのをすんなり受け入れる方が至難の業だろ」
「でも、ドラマとか小説とかでは手垢がつきまくるほどよく出てくる話なわけで」
「これは現実だ! 単なる物語とかとは違うだろうが!」
「もう、トノちゃんはおつむが固いんだから」
「固い、柔いの問題じゃねえ!」
何で、客がいない病室で即興漫才なんてしなきゃいけないんだろう。面白いかどうかはともかくとして、身体が入れ替わっていても役割に変化もなくスムーズに進んでしまうところに職業病が垣間見えている。とほほ。
「でも、どうしてこんなことに。俺達、さっきまでコントの収録をしてたはずだよな」
俺は少しずつであるが、自分の身に何が起きたのかを思い出し始めていた。
確か、Aテレビ局でのことだ。俺達はレギュラーで出演しているコント番組の収録に参加していた。その内容というのは、神崎が階段落ちのスタントが出来ないヘタレ俳優で、俺がそれを何とかなだめようとする監督役。それで、最後のオチとして神崎に「手本を見せろ」と言われた俺が仕方なく階段落ちをしようとしたところ、神崎がその隙に逃げ出すという場面を撮ろうとした時、あいつは俺がスタントを試みる直前に置いたメガホンにつまづいて転んだんだ。そして、倒れ込んだ先には俺がいて、神崎はガタイがいいから小柄な俺じゃ支えきれなくて……。
「俺達もしかして、階段から落ちたのか?」
「うん。用意されたセットではあったけどね」
「ゴロゴロゴロって、一緒に?」
「うん。何か、ずいぶん密着してたんじゃない?」
階段落ちって、入れ替わりの中でも一番ベタな奴じゃないか。よりによって、そんなことになってただなんて。
……ん、ちょっと待て。よく考えたら、その原因は。
「あのさ。お前がコケなきゃこうならなかった気がするのは、俺だけか?」
「いやいやいや。それはないと思うよ? だって俺、トノちゃんが置いたメガホンにつまづいたんだよ? トノちゃんがあんなとこにメガホンを置かなかったらこんなことには」
「は? じゃあお前、俺のせいでこんなことになったって言うのかよ。人のこと巻き込んでおいて、自分の失態を棚に上げてんじゃねえよ」
「はあ⁉ トノちゃんだって、メガホンの件については絶対悪いって。てか、むしろそっちの方に間違いなく非がある! 俺は悪くない!」
「何だと!」
「お、やるの? 俺の身体の方が体格はいいけど、怪我の度合がひどいみたいだから不利だと思うけど」
迫力はないが、それなりに剣幕を放つ自分の顔に向かってガンを飛ばす俺。これが漫画ならば、二人の視線の間にバチバチと火花が散っていることだろう。
まさに一触即発の状態。そんな時、病室のドアが何者かによって開かれた。
「戸野部、神崎。お前ら、もう動けるんか」
関西独特の訛りに振り向くと、そこには長身で色白な男が立っていた。
彼の名は白鳥。お笑いコンビ『四分の一ライス』のボケ担当。事務所は違うが芸歴がほぼ同じで、俺とはそれなりに仲がいい。
「し、白鳥。何でここに」
「何でって、見舞いに来たに決まっとるやろ。次の仕事場、ここから近いもんでな。ところでお前ら、自分達の身に何が起きたのかわかっとんのか? 全く、俺の目の前で階段からゴロゴローって落っこちよって。ありゃあ見てて、背筋が凍るような感覚が走ったわ。世間でも事故のことは騒がれとるし、笑いごとじゃ済まされへんで」
「はあ……」
ああ、確かコントには『四分の一ライス』も参加してたな。
それにしても、外の世界ではそれなりに大変なことになっているらしい。
「はあ。何せお前ら、怪我は奇跡的に打ち身くらいのもんやったはずなのに、丸二日も目を覚まさなかったんやからな。駄目元で見舞いに来てみたら、まさかここまで元気になっとるとは」
「なっ!」
丸二日? 俺達は、丸二日も眠り続けてたっていうのか? ということは、その間にあった仕事に穴をあけてしまったってことになるな。ううむ、今が大事な時期だというのに。
「はあ~なるほど。こりゃあまずいね。事務所の偉い人に怒られるよ」
「元はといえば、お前のせいだろ」
「んなことないって。あの時メガホンがあんなところに置かれてなかったら」
「俺は間違いなく、リハーサルで指示を受けた場所にきちっと置いた。誰が何と言おうと、百パーセントお前が悪い」
「はあ⁉ 百はないでしょ、百は。これはフィフティーフィフティーだって。互いにコケて怪我しちゃったんだからさあ」
「だから、あれはお前が俺を巻き込んだから……あ」
何だか、妙な目線を感じる。ふと横を見ると、白鳥が俺達のことを困惑した表情で交互に見比べていた。
「あの。俺が言うのもアレやけど、何かおかしくないか? ええと、二人とも雰囲気としゃべり方が逆というか。顔つきも違うし……」
まずい。白鳥の前だってことを忘れて、すっかり地でしゃべりまくってた。
「え、い、いや。ちょっと俺達、目覚めたばかりで混乱してて……」
「うんうん。さっきなんて、お医者さんに鎮静剤打たれちゃったし。頭もガーンと打っちゃってるみたいだし。ね、トノちゃん?」
「は⁉ 戸野部お前、自分で自分をトノちゃんって!」
神崎の馬鹿野郎! 俺にも反省しなきゃいけない部分が多々あるが、自爆するにもほどがあるだろうが!
「もしかして、思ってたよりも頭を強く打って……今、医者呼んでくるから待ってろ。な?」
先程は取り乱してるだけだと思われて鎮静剤をブスッとやられるだけよかったが、今度はそれだけじゃ済まされないかもしれない。
深く考える間もなく、俺はこの場から去ろうとする白鳥の腕を掴んでいた。
「ま、待ってくれ。こんな状態、話したところで信じてもらえるわけがない。だから、医者は呼ばないでくれ。頼むよ、白鳥」
「……戸野部? お前やっぱ、神崎やなくて、戸野部なんか?」
既にバレバレ同然だったとはいえ、自ら正体を明かしてしまうことになるとは。俺の姿をした、神崎からの視線が痛い。
「俺も俺だけどさあ、トノちゃんもトノちゃんだよねえ。白鳥君、正解だよ。そっちがトノちゃんで、俺はこっち。目が覚めたら、こんなことになってたんだよね。もう、何が何だか」
「いや、でも、こんなことって……」
神崎。何が何だかって言いたいのは、白鳥の方だと思うぞ。
俺は額を手で押さえながら、軽く息をついた。