その7
リスは目を開いた。魔法使いたちの浮かんでいた場所を見上げれば、小船が火を噴きながらゆっくりと上昇していくところだった。男たちは船べりにしがみつき悲鳴を上げている。やがて、ぶら下げていた糸が切れたかのように船は森に向かって落下した。
「ずいぶんと古いものを使っているのだな」
蔑むような男の声にリスは振り返った。キリムの『船』の入り口に、彼と同じ姿をした生き物が立ち、小船が落ちて行った方向を眺めていた。生き物の手には小さな金属の道具が握られている。彼があれで小船を撃ち落としたのだとリスは気づいた。 彼女はまだ震えの止まらない足で立ち上がり、彼に声をかけた。
「キリムが怪我をしたんです。助けてください」
彼は急いで駆け寄ると、キリムの隣に膝をつき傷を改めた。
「父上、お陰で助かりました」
男を見上げてキリムが弱々しくつぶやく。
「お父様?」
リスは驚いて男を見つめた。
「ええ、私はラグナキリムの父です。あなたはリスだね?」
「はい。でも……彼は大丈夫なんですか?」
「幸いわき腹をかすっただけのようだ。もうすぐ救助の船が着く。このまま眠らせて『中央』まで運べばいい。しかし……」
キリムの父は息子とそっくりな笑顔を浮かべた。
「これでは親子で入院することになるな。あなたが退屈してしまわなければいいのだがね」
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キリムの父は小部屋の一つに息子を運び込んだ。リスの入ったことのない部屋だ。キリムは部屋の中央の棺のような箱の中に横たえられた。彼の傷は深く見えたが、損傷したのは厚い脂肪の層だけだという。父親が処置を行う間、彼女はキリムの手を握りしめていた。
「あなたが無事でよかったよ。私と一緒に死んでしまうつもりだったのかい」
キリムが尋ねた。薬が効いてきたらしく琥珀色の瞳は今にも閉じられそうだ。
「どこに行くのも一緒だって言ったでしょ?」
リスの言葉に彼は微笑み、安心したように眠りに落ちた。
大部屋に戻るとキリムの父はコーヒーの器をリスに手渡した。
「あなたが来てくれると息子から聞いたよ。勇気のある娘さんだ」
「私、あなたは亡くなったんだと思っていたんです」
「病が重くなったので進行を遅らせるために眠っていたのです。迎えが来ると知り、ラグナキリムが私を目覚めさせるように『船』に命じた。世間知らずな彼には煩雑な手続きは荷が重いですからね」
魔法で人を眠らせる話は読んだことがあったので、リスは黙ってうなずいた。
「あなたが彼を好いてくれて本当によかった。一人残される息子のために、あなたに無理強いをさせてしまった。心苦しく思ったものの、彼を一人にはできなかったのです。それに……」
彼はおかしそうに笑った。
「彼には国に戻っても、もう毛深い女性を愛することはできないだろうからね。毎日村の生活ばかり見て育ったものだから、あなた達の美的感覚を植え付けられてしまったようだ。我が国の跡取りが、嫁を迎えられないのでは大問題ですからね」
「跡取りですか?」
「私は一星系の王なのだよ。ラグナキリムは私の長男です。豊かな国ではないが人民は幸せだ。あなたにも気に入っていただけるだろう」
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村の男達は雪の積もった沢沿いの道を競うように登っていた。若者達に抜け駆けされたと気づいた彼らは、ひどく焦っていたのだ。だが巨大な白い球体が音も無く空から降りてくるのを見て、我先にと村へ逃げ戻った。
キリムの父の要請で、救助の船は予定よりも早く到着した。キリムを移動させると、船はすぐに舞い上がった。船の乗員は皆リスと同じ姿をしており、彼女に優しく接してくれたけれど、彼らの話す言葉はさっぱり分からなかった。
キリムの父は、しばらく小さな装置に向かって話しかけていたが、船が上昇を始めるとリスのそばにやってきた。魔法の鏡には彼女の村がどんどん小さくなっていく様子が映し出されている。やがて、それは白く幾重にも連なる山々の合間の小さな点になった。
「あれが都だよ」
彼が指した先には大きな町が映っている。リスはその上空に大小様々の数十の球体が浮かんでいるのに気付いた。比較するものが無いので分からないが、この救助船よりもずっと大きく見える。
「あれは軍艦だ。中央より軍が派遣されてきたのだよ」
「あなた達を迎えに来たのですか? あんなにたくさん?」
そう言ってしまってから、リスは隣にいる穏やかな男性が一国の王だということを思い出した。赤くなった彼女に彼はおかしそうに笑い出した。
「いやいや、辺境の星の長などたいした身分ではないのだよ。そんなことでは軍は出動しない。彼らは犯罪者を捕らえに来たのだ」
「犯罪者……ですか?」
「王都の魔法使いたちだ。彼らは私達の世界の者だったのだよ。正確に言えば、この星にやってきたのは何代も前の先祖だ。それ以来、彼らの一族はこの国の人間を搾取してきたのだ」
キリムたちの船が故障したのも、『中央』に連絡が取れなかったのも、彼らがこの星の周囲に張り巡らせた魔法の網の仕業だという。この星の存在自体を『中央』から隠そうとしていたのだろうと彼は言った。
「でも、どうしてそんなことを?」
恵まれた魔法の国の人間が、わざわざこんな不自由な星で暮したがる理由がリスには想像できなかった。
「世の中にはね、権力に憧れる輩もいるのだよ。人々の上に君臨し崇められることに快感を覚えるのだろうね」
「あの人達はあなたがここにいることを知っていたの?」
「いや、彼らはすでに相当の知識を失ってしまっていたようだ。彼らの先祖の残した仕掛けは半永久的に動く仕組みだった。だが、彼らは私たちが不時着したことには気付かなかったのだ」
キリムたちの救難信号を受けて、『中央』からこの星に向けて呼びかけが行われた。先祖の残した魔法の装置が呼びかけに呼応するの見て、魔法使い達は驚いた。その時初めてこの星に遭難者が……自分達の世界の者がいる可能性に気付いたのだ。
「彼らは『中央』から船が来ると知り、慌てふためいた。自分達が罪を犯しているのは知っていたからね。そして、やっと北の山に現れるという化け物がただの噂ではない可能性に気付いたのだろう。急いで刺客を差し向けたのだ。危ないところだったのだよ」
「あなた達を殺しても、彼らの罪は隠せはしないのでしょう?」
「おそらく、彼らの行いを私たちに観察されていたと思ったのだ。証人を消そうとしたのだな。愚かで意味のない行動だが、彼らもどうしてよいか分からなかったのだろう」
「これからどうなるの?」
「この星の政治に『中央』が干渉することになるだろうね。彼らはこの世界をゆがめてしまった。あなたの村のようなやり方は、私達の世界では許されないのだよ。これからはずっと暮らしやすい場所になるだろう」
彼女の世界はみるみる小さくなり、やがてぼんやりとした薄紫の円盤になった。それは昔、行商人に見せてもらった宝玉を思い起こさせた。
「故郷は恋しくないのかな?」
彼の質問にリスは首を振った。
「覚悟は出来ています。とても遠い所に行くんだってキリムは言っていたから」
「そうだな。移動は通信よりもずっと時間がかかる。この星系から出るだけで半日はかかるんだよ。星系内での跳躍は許されていないからね。今回は『中央』を経由して戻らなければならないが 通常、私達の星までなら跳躍八回の距離だ。二日はかかるだろうな」
彼が何を言っているのかよく分からなかったが、リスにも最後の言葉だけは理解できた。
「二日?」
「あなたの世界の二日よりは若干長いけどね。遠いといえば遠いが、恋しくなったら遠慮なく言いなさい。次の休暇に遊びに来ても構わないよ。国民が私にこれ以上の休暇をくれればの話だがね」
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『中央』の大きな都市で彼らを待ち受けていたのは、キリムの母だった。真っ白い毛で覆われた彼女の話す言葉はリスには分からなかったが、父親との涙交じりの再会が終わると、何も言わずにリスを抱きしめてくれた。
キリムが治療を受けている間、リスはずっと彼のそばにいた。息抜きに街を散策してくるように言われたが、どうしても最初の感動はキリムと一緒に味わいたかったのだ。
彼の回復は早かったので、その時はすぐにやってきた。リスは彼と手を取り合って街を探索した。憧れていた魔法の世界は確かに存在していたのだ。その上、隣には大好きなキリムがいる。彼女にとってそれは夢のような時間だった。
キリムの母が彼女を連れ出してくれることもあった。魔法の装置のお陰で彼女と会話はできるようになったが、彼女が美しい装身具や衣装を惜しみなく買い与えるので、リスは戸惑った。
「まるでお姫様にでもなった気分だわ」
大きな髪飾りを見つめてリスはうっとりと息をついた。見知らぬ花の形に組み合わされた色とりどりの宝石が輝いている。故郷の父が見れば腰を抜かすだろう。
「おや、王子の妻はお姫様ではないのかい?」
キリムが笑った。
「これからは必要になるよ。母は娘が出来たようで嬉しくてしかたがないのだ。遠慮なく貰っておくといい」
魔法の街はどこまでも広がり、果てなどないようだった。『中央』といっても何百ものお互いに離れた星系から成り立っている。夜になれば星々へと旅立っていく船の輝きがいくつも空をよぎり、リスはまだ見ぬたくさんの世界へ思いを馳せた。
やがてキリムの父が回復すると、彼らは自分たちの故郷へ向かった。行方不明となっていた国王が戻り、国中が沸きかえった。代理で国を治めていた王の妹は心から嬉しそうに見えた。
キリムの星は半分が海で占められ、大陸のほとんどは深い森で覆われていた。地表には年中雪が降り積もっていたが、立ち並ぶ建物はほとんどが透き通った素材で出来ており、丸い屋根には雪は積もらないようになっていた。王宮も同じような造りで、美しく機能的ではあったが、リスは王様の住居としてはずいぶんと地味だと思った。建物の中は暖かく、道路にも雪が残らない仕組みになっている。雪国とは思えぬほどに毎日の生活は快適だった。
リスが驚いたことに、キリムの星の半数近くの人々は彼女と同じ姿をしていた。住み着いている者もいれば、雪と氷の世界を体験しに『中央』から物見遊山で来るものもいるようだ。
到着してからというもの、リス達は方々の町を訪ね、たくさんの行事に顔を出した。その多くは王と王子の帰還を祝うものだった。そのたびにキリムの母と世話係りの女性は嬉しそうにリスを飾り立てた。出会う人みんなが挨拶のたびにリスを抱きしめたので、彼女は毛がついても目立たないように薄い色の服を選ぶようになった。
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ある吹雪の午後のこと、リスがコーヒーを手に雪で塗りつぶされた中庭の景色を眺めていると、公用で出ていたキリムが戻ってきた。嬉しそうに出迎えたリスに、彼は書類の束を差し出した。
「これはなに?」
文字がびっしりと書かれているのを見て、リスは戸惑った。毎日、読み書きは習ってはいるものの、まだ複雑は文章は読めなかったのだ。
「よく、見てごらん」
リスはその文字が彼女の世界の言葉だと気付いた。紙の下の方にシイラの署名を見つけて彼女は喜びの声を上げた。紙の束はリスの故郷からの便りだったのだ。紙をめくると祖母や妹たちからの手紙もある。
「ありがとう、キリム」
リスの笑顔につられるようにキリムも笑った。
「礼なら父に言ってほしい。今ではあなたの星にも駐在官がいるのでね、村に立ち寄るように父が頼んでくれたんだ。それは実際に書かれたものの写しだけどね」
シイラの手紙には、魔法の国からの使者が着いてからの出来事が細かく記されていた。望まぬ男との結婚を強いられることがなくなり、娘たちは喜んでいるという。また、性別や家柄にかかわらず上の学校へ進めるようになったので、彼女も村を出て勉強を続けたいと書かれていた。
短いながらもビルからの便りもあった。『魔法の国の奴らが色々指示してくるので親父たちが右往左往している』様子が面白おかしく書かれており、リスはくすりと笑った。文面からはビルも自分と同じぐらい村を嫌っていたことがありありと分かる。村の呪縛に囚われていたのは彼女だけではなかったのだ。誰かに書き取らせたらしい父からの手紙は、哀れなほどにへりくだって書かれていた。大方、キリムの素性でも知らされたのだろう。
「返事を出してもいいの?」
「ああ、手紙の写しでよければすぐに送れるよ。贈り物を届けるのであれば、少し時間はかかるけどね」
キリムは飲み物を持ってくると、リスの隣に腰を下ろした。
「ねえ、リス、あなたの意見を聞きたいんだ」
彼の声の響きにリスは手紙から顔をあげた。どうやら大切な話らしい。
「私はおかしな子供時代をすごしてしまっただろう? 教育こそ受けたけど、実際に人と話す機会がなかったからね。王の資質があるのかもわからない。せっかく戻っては来たのだが、父も議会も王位継承権を従兄に譲っても構わないと言ってくれているんだ」
「そうなったら、あなたはどうするの?」
「南の方に小さな町があってね、そこを治めてみてはどうかという話が出ている」
「南?」
「ああ、赤道直下だよ。私達の先祖が最初に降り立った歴史のある街だ。雪は降るがここよりも暖かいからね」
「もしかしたら……私のために?」
キリムは笑い出した。
「そうではないよ。私は王様になんてなりたくないんだ。こちらの世界での失われた時間を取り戻したいんだよ。父も母も賛成してくれている。従兄は迷惑がっているようだけどね」
「なら私も賛成よ。私だって姫君扱いされたくてあなたについてきたわけじゃないから」
彼女の言葉に彼は再び笑い出した。
「残念ながら王子の称号だけは捨てられないんだ。私といる限り、あなたはこの星のお姫様を辞めるわけにはいかないんだよ」
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王位を辞退した後も、若い王子は国民の人気者だった。失われた植民地での王子とリスの出会いに人々はとても興味を持った。物語を書きたいからと話を聞きに来るものもいた。
キリムが彼と外見の全く違う女性を連れ戻ったことに対して、誰も何も言わないのがリスには不思議でならなかった。キリムもそれが当然だと思っているようだ。
「言っただろう? 私達の世界ではあなたの姿こそが基本なんだよ。私たちはこの星で生きて行くために姿を変えたのだからね」
「ここは魔法でいっぱいなのね」
「魔法か。そうかもしれないな」
キリムの口の端が持ち上がる。
「ねえ、『中央』に行けば、私もリスと同じような姿にしてもらうことも出来るんだよ。王位を継がないのであればそのぐらいのわがままは許される」
「そんなの駄目よ。フワフワなキリムがいいの」
慌てた様子のリスに、彼は喉の奥で笑い声を立てた。自分の柔らかな毛でふんわりと彼女を包み込む。
「もちろん、そう言ってくれるのはわかっていたけどね」
-おわり-