第二章 二度目の雨
二回目の訪問から一週間後、葵は再び『Café Liminal』の扉を叩いた。
今度はコートの下に、膝丈のタイトなワンピースを着ていた。自分でも驚くほど、意識して選んでしまった服だった。
佐伯がいつもの穏やかな声で言った。
「本日は『悠人』さんが先にいらっしゃっています。いつもの席でどうぞ」
悠人は前回と同じ席で、ウィスキーのオンザロックをゆっくり回していた。葵を見ると、目尻に細かい皺を寄せて笑った。
「来てくれたんだ」
「…約束したから」
実際には約束などしていなかった。ただ、別れ際に悠人が「また雨が降ったら、ここで待ってる」と言った言葉が、葵の胸にこびりついていた。
二人は前回より少し距離を縮めて座った。膝と膝が、テーブルの下でかすかに触れ合う位置。
「今週、夫とセックスした?」
悠人が唐突に、しかし静かな声で聞いた。
葵は一瞬息を飲み、それから小さく首を振った。
「なかった。……あなたは?」
「妻は毎週土曜の夜に『義務』のように求めてくる。でも、俺はもう……反応しなくなってる」
沈黙が落ちた。重い、しかし心地よい沈黙。
悠人が手を伸ばし、葵の指先をそっと撫でた。葵は逃げなかった。逆に、自分の指を絡めるように返した。
「ここ、別室……使ってみる?」
悠人の声がわずかに掠れていた。
葵の心臓が激しく鳴った。喉が乾く。頭のどこかで「まだ早い」と理性が叫んでいるのに、下腹部は熱を持っていた。
「……今は、まだ怖い。でも、触れ合っていたい」
二人はカウンターに近いソファ席に移り、薄暗い照明の下で寄り添った。悠人の大きな手が、葵の腰に回される。葵は男の胸に額を預けた。シャツ越しに聞こえる鼓動が、驚くほど速かった。
そのとき、店の奥の扉が静かに開いた。
出てきたのは、佐伯と、もう一人の常連客——四十代前半の、品の良い女性だった。女性は目が腫れていて、化粧が少し崩れている。佐伯が彼女の肩に優しく手を置いている姿が、妙に親密に見えた。
葵は小さく息を飲んだ。
「あの女性……三回目に見かけたわ。いつも泣き腫らした目で来て、佐伯さんと長いこと話してる」
悠人が葵の耳元で囁いた。
「彼女は『美咲さん』と呼ばれてる。ここでは一番古株の客らしい。夫が著名な大学の教授で、学生と浮気してるんだと聞いた。佐伯は……ただのマスターじゃないみたいだ」
葵はぞくりとした。
この店には、ただの「場所」以上の何かがある。佐伯がすべてを見ているような、操っているような——そんな予感。
悠人が葵の顎を優しく持ち上げ、唇を近づけた。
「今夜はここまでにする? それとも……もう少し、俺に預けてみる?」




