九十四話:ゆるして
何が 起きてるんだろ 今
「——めろ————んから————ろ!!」
声が......聞こえる。
「あ————のともだ——んなよ」
「——-ローごっこ————か?」
「じゃま————んだから——?」
あた、ま......いたい............っ
視界が暗、い。ぼやけ......なにも............みえない......
わたしは、いま......どこに、たって る?
立ってる、の......? 立てて......、わた、し、..................?
「——すんの?——ときに————ってる?」
「います————-ディナー———から!!」
「へぇ————?」
熱い。
寒い。
嫌な音が、する............。
やだ、な。
けん か しないでほしい なぁ
「————————インキュバスのくせによ!!!!!!」
***
......夢は見なかった。
寒い。熱い。
でも、優しい匂いがする。
花から借りたのか、果実から摘んだのかわからない、
ヒトにしか作れない、淡い甘味。
他の誰かの翼に包まれたような。
痛みすら、少しだけ心地良いような。
許されたような浮遊感。
このまま目を閉じていても。羽を伸ばしていても。
誰も私を責めたりしないんだろうなって。
「............ん......ぅ......」
寝返りを打つ代わりに、手のひらを丸めた。
握った空気は、冷たかった。
「あっ、ガーディナーさん......起きた?」
瞼を半分だけ上げる。
......ここは............。
「ごめんね、が、ガーディナーさん......勝手に部屋に連れてきちゃって......」
オリーブくんの声......。
「ぼ、ぼくのベッドに寝かせてあげようとしたんだけど......翼が窓に当たっちゃったりして、く、苦しそう、だったから......床に、布団を敷いてみたんだけど......」
真っ白な、布団。真っ白な枕。
布団の中以外は、雪のように冷たいの。
視界の先に広がる、のは、くすんだレンガ色の床。
水漏れの跡を辿る、と......辿っても......ぼやけた視界......。
「ね、寝心地悪くなかった、かな......? よく眠れた......?」
足音が近づいてきても、顔を上げることはできなかった。
「ガーディナーさん......丸二日間寝てたんだよ......?」
涙のようなフィルターがかかった視界に、オリーブくんが現れる。
彼は私のそばに正座して、顔を覗き込んでくる。
灰茶色、にんじん色、紫黒。
紫は、寒色なのかな。それとも暖色なのかな。
こんなに、近くにいてくれてるのに。
そばかすが見えないくらい、私の視界は滲んでしまっている。
「............おりー、ぶ......く......」
「む、無理に喋らなくていいから、ね。お水とかいる......? お腹は空いてない?」
汗だくの頬に、オリーブくんは手を添えてくれる。
ガラス細工に触れるように、おそるおそる。
少しだけくすぐったい。でも......。
「熱は、まだあるみたい、だけど......良くはなってきてるみたいだね。よかった......」
「............」
「トモル先生が、たくさん薬をくれたんだ。それを飲めば、絶対よくなるから、ね......」
私は再び目を閉じる。
そして、開ける。
しばらくそれを繰り返していると、少しずつ、......本当に少しずつ、視界が晴れていった。
均等に晴れていくんじゃなくて、まるで、雨滴が吸い取られるように。
ぽつぽつと、見えるところが増えていく。
「だ、誰か呼ぼう、か? ぼく一人だけじゃ、心細いかな......?」
頬と鼻先に広がるそばかす。犬の耳のように跳ねてる髪の毛。優しいオレンジ色の瞳。
初めてあったときと変わらない。
くしゃ、っとなってしまった眉。細い一本にまとめられた長髪。
空中を撫でている、ハートの先がついた尻尾。
そよ風を起こす、悪魔の......とは、少しだけ違った羽。
彼は紫黒色の角を掴んで、その弧を指でなぞる。
......しばらく、すると。
紫黒色なのは、尻尾と羽と角だけではないことがわかって。
オリーブくんの頬、には............——
「だいじょうぶ、だからね......ぼくはずっと、ガーディナーさんのそばに......」
「——————っ!?」
つい衝動で起き上がりそうになって、余計痛みが広がるだけで、
せっかく治りそうだった視界が壊れちゃって、真っ黒なモヤに覆われて、
心臓が、冷たい。のに。
顔が、頭が、っ、......熱い......。
「ガーディナーさん! だ、駄目だよ、無理して起き上がろうとしちゃ......!」
「、お、おりーぶく、ん、な、なん、で、」
「起きたい、の? それなら、ぼくが背中を支えてあげるから——」
「オリーブくんっっなんで、怪我、して、」
気のせいだって思いたかった。
熱でおかしくなった私の頭が、幻覚見てるだけだって。思いたかった。
でも、黒いモヤが蒸発して、また彼の姿が見えるようになって。
オリーブくんの頬には痣があった。
頬にも、首にも、片方の目にも。
上がった口角のすぐ横には、切れたような跡もある。
柔らかい目元には、肌に滲んだ隈。
少しだけ驚いた顔をした後、彼は苦笑いを浮かべた。
「こ、これ? これは、えっと......ちょ、ちょっと転んじゃって......なんて......」
「うそだよっ、そんなわけ、......だって、オリーブく、ん、っぅ」
私が、ここにいるのは。
そう、だ......私......多分、倒れちゃって......。
成長痛のせいなのか、他の何かのせいなのかわかんないけど、なんか熱出しちゃって、
そんなときに限って、変な先輩たちにナンパされちゃって、
それで......それ、で............っ
「あのあ、と......あの後......なにがあったの......?」
「............ガーディナーさん......」
「そうだ、誰かが助けに来てくれて、っそれ、で、」
オリーブくんが、助けてくれた......?
思い返せば、最後に聞こえたあの声、
オリーブくんっぽかったよう、な、
『————やめろ!! 何やってるんだ!!!!』
......それで、私を助けてくれて、
助けてくれて、
助けてくれた、から、
こんな、怪我、し、っっっ
「ご、め......オリーブくん、ご、ごめんなさい」
「え!? ち、ちがうよ、ガーディナーさんのせいじゃっ」
「私のせいで————~~っ、い゛......!!......わ......たし......」
「ガーディナーさん違う、違うんだっ、」
手を、握られる。
くすぐったいような、痒いような、
「ちがう、よ......ガーディナーさん......」
私の手、絶対......手汗まみれなのに。
「あのとき、ぼく......ちゃんと、助けられなかったんだ......ぼく弱い、からさ、あの......妖精の先輩たち、にはやっぱり敵わなくて、」
「じゃ、じゃあやっぱりその怪我は、っ」
「も、もし、途中でミルフォイルさんが止めに入ってくれなかったら......ガーディナーさんのこと、守れなかったと思うんだ......」
「わたしの、せ......ぃ——」
「それに。ぼくは、インキュバスだから......さ......」
————————————あ、
「インキュバス、だから......ちょっとくらい叩かれちゃっても......蹴られちゃっても、仕方ないんだ......」
..................知ってはいた。なんとなく、ずっと、察してはいたの。
オリーブくんは、インキュバス科に入ったんだろうなって。
悪魔に似た羽も。先っぽがハート型になってる尻尾も。
真っ黒な、羊のツノのような角も。全部、インキュバスの特徴だもん。
あの、サキュバス・インキュバス科に......オリーブくんは。
『それしか選択肢がない限り......絶対に、サキュバス科には入らないで』
......でも。オリーブくんの口から直接聞くのは、これで初めて。
もうすでに、私以外のみんなには伝えてたのかな。私が半年間行方不明になってた間に、打ち明けてたのかな。
って、そんなこと、今、考えたって、
「インキュバスだから......何もできない、から......」
オリーブくんは恥ずかしそうに、悲しそうに笑って、
私の手を、離さず、に......っ
「インキュバスは......気持ち悪い生き物、らしいからさ............その......ぼくが怪我したのは、ガーディナーさんのせいじゃないよ」
「っ......そ......そんな、の、」
「もしぼくが、妖精科に入れてたら......もっと強い人外になれてたら......あの先輩たちも、大人しくガーディナーさんから離れてくれてただろうし......」
「ちがう!! オリーブくんがインキュバスとか関係ないっ、そういう話、じゃ、っっ~~゛~゛ぅ」
......な、んで......
なんで私、こんなに......無力なんだろ......?
「ガーディナーさん、い、痛み止め、飲む......? こっちの痛み止めは、頭痛にも効くらしいよ?」
「..............................ごめんなさい............」
「え? ど、どうして謝るの......? この怪我はほら、ただのぼくの、ドジ?みたいな感じだから、えっと......そんなに、気負わないでよ......」
「..................」
馬鹿だなぁ......私......。
変に、元気なフリして......大して隠すのも上手くないくせに......。
無理したら、結局迷惑かけちゃうだけ、なのに。
誰かを傷つけちゃうだけかもしれないのに。
私。
キャベツくんだけじゃなくて。
オリーブくんまで、しかも、
怪我、させ、て、
「っ、う......~~~ぁ、..................ふ、ぅ............」
我慢しなきゃ。
いや、違う。我慢しちゃだめ......?
泣いちゃ、だめ?
オリーブくんの方が痛いんだから。
私の翼の痛みとか、頭痛とかと比べたら、オリーブくんの方が絶対、
苦しい思い、してきて、
インキュバス......ち、がう、今はそんなの関係ない、
わた、し、私、は、
どう、したら......オリーブくんは——
「ガーディナーさんは、自分がしんどい時でも......他人のことばっかり、だよね」
......オリーブくんは。
胸に手を当てながら、ほんの少しだけ唇を尖らせた。
でも、すぐに微笑んで。眉を下げて。
「もちろんぼくは、ガーディナーさんのそういうところも......。......でも......」
ふわりと。頭に指先が降りかかってくる。
ゆっくりと、私の呼吸に合わせて撫でてくれる。
「ぼくのこと、心配してくれるのは嬉しいけど......少しは、自分のことも考えてほしいな、なんて............」
「......、............ぅ......」
「熱が出てるときくらい......しんどい、とか。痛い、とか。言ってもいいと思う......よ?」
「——————!!」
『苦しいとか辛いとか、怖いとか......そんくらいなら、別に言うてもええんちゃう?』
............わか、ってた。
ローリエもそう言ってたもん。......キャベツくんに。
私の友達は。みんな、優しいから。
「今は......自分のことだけでいいと、思う」
「甘えるのは、悪いことじゃないんだから」
「ね」
「......」
「............ねぇ、ガーディナーさん......」
オリーブくんは、その痣だらけの手で。
冷たい親指で。
そっと、私の目元を拭ってくれた。
「今まで......ぼくたちに心配かけないようにって、頑張ってくれてありがとう」
「でも、もう......大丈夫だから」
......声が、出ない。
鼻も、喉も、全部詰まっちゃって。
熱くなって。
咳とかが出てるわけじゃないのに。痛いのは頭と、翼と、
「. ... . . . . . ....、」
いたい......
痛い............!!
「えっと、ぼ、ぼく......ガーディナーさんが起きたとき、なんて言えばいいかなって、ずっと、考えてて......」
「 」
「これでよかった......かな? ぼくはただ、ガーディナーさんに......楽になってほしくて......」
「 」
『ぼくの、気持ち......少しでも、届いてると嬉しい、な............』
......オリーブくんは......変わって、ないな。
半年、経っても。ミルルンのこと、『バターフィールドさん』じゃなくて、『ミルフォイルさん』って呼ぶようになってても。
インキュバスになっても。
オリーブくんは、オリーブくんのままだ。
『あんたがどんだけ変わろうと、どんなキャベツになろうとも、』
『キャベツは、あーしにとって大切な友達や』
オリーブくんは、......変わってない。
今もこうして、私のそばにいてくれてる。
私の、大切な——
「..................オリーブくん............っ」
手を、伸ばしてみた。
そうしたら、すぐに握ってくれた。
力を抜いても、ずっと......支えて、くれて、
「ガーディナーさん、な、泣いてもいいんだ、よ? その......ぼく、頑張って、慌てないようにする、から——」
「おりーぶ、くん......ありがとぉ............!!」
彼の温もりに触れていると。
痛いのも、引き裂かれるような感覚も、......ガーゼを貼られたときみたいに、ほんの少しだけ軽くなる。
どうして、だろ。
......どうして、オリーブくん。そんなにびっくりした顔してるんだろ。
でも。今は。
考えなくても。いいのかな。
考えちゃ、だめ。なのかな。
ただ......こうして、目を瞑って......——
「ガーディナー、さん。いや......ウィロー、さん」
つい、ぱちっと目を開けちゃって。
すると、オリーブくんの顔がすぐ近くにあって。
彼の瞳は揺れていて、オレンジジュースに水紋が広がっているような、
「こんなときに、言うの......弱みに付け込んでるって、思われちゃうかもだけど......」
手を、しっかりと握られる。
「ただの、自己満足として......受け取ってほしいんだけど......」
オリーブくんの目元から耳までが、全部赤くなっていた。
涙を堪えているようにも、照れているようにも見えて。
今の私と。そんなに変わらない顔、してるのかもしれない。
「ウィローさん......ぼく、は............」
指先が、伸びてくる。
私のヘアバンドを、こめかみを......そして、耳のピアスをなぞって。
O字型に触れて、指をからめて——
「あなたが............好き、です」
次話:サキュバスとインキュバス
です。ウィローちゃんとオリーブくんが進展(?)します




