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九十二話:モヤモヤを忘れないで

......この曲。


知ってる。この曲。

一年前、ミルルンが作った幻覚世界に巻き込まれたときに聞いた曲。



音の一つ一つが、泡のよう。

想いが蒸発してしまわないように、水の中に閉じ込めたような音。


少しずつ、暗闇が晴れていく。

月光と区別のつかない、寂しい朝日が差し込んでくる。



浮遊感に揺られながら、私はゆっくりと目を開けて——





「————ナー!! ガーディナー!!!!」



場面が変わった。


意識を失っていたような感覚がするのに、何故か私は立っていた。

私たちは、真っ白な空間にいて......。



「なんで起きねぇんだよっっガーディナー、な、なぁっ、な、んで」

「ウィロー!! しっかりせぇ!!」



キャベツくんとローリエは血相を変えながら、何度も私に呼びかけてくる。

寝転んでる私の肩を揺らして、叩いて、


......あれ?




「ウィロー!!!!!!」




私が。

もう一人、いる......?



私はここにいるのに、ここに立ってるのに、


もう一人の私は目を閉じたまま、寝転んだまま、動かない。

キャベツくんもローリエも、寝てる方の私にずっと話しかけてる。



ここは、現実? それとも夢?

それとも......。




「あぁぁあぁぁぁもうっ!! ミルフォイルのやつまた変なことしよって!!」



ローリエは立ち上がると、両拳を握って、



「ミルフォイル聞こえとるか!? あーしやめてって言ったよね!? 楽器魔法をあーしらに使うのはやめろって言ったよねぇ!?!?」



真っ白な天に向かって、声を張り上げた。



「なんでウィローは目覚めへんの!? そもそもこのウィローは本物なん!?............無視すんなや!!」



どうやら、返事はなかったらしい。



......えっとぉ......一旦、状況を確認させて?


まず、ミステリー寸劇が大失敗します。

失敗したから、キャベツくんに真正面からぶつかろうとします。キャベツくんのことが心配なんだって、元気づけたいって。悩みがあるなら相談してほしいって。



でも......はぐらかされちゃって。


どうしようってなってたら、急にミルルンが出てきて。


ミルルンの使い魔の姿は、ローリエが被ってたミニ魔女帽子だったらしくて。

ミルルンは楽器を取り出して。


ここは多分、楽器魔法が作り出した幻覚で。

何故か、もう一人の私がいて。

もう一人の私は目を覚まさなくて。


こっちの、本物の私の姿は、二人には見えてないみたいで......。




「あ~~~~~腹立つ腹立つ腹立つ腹立つぅ!!!! あいつっっ、現実戻ったら覚悟しとけよホンマ......!」



ローリエは地団駄を踏んで、ポニーテールを激しく揺らす。

頭の上にはもう、ミニ魔女帽子はないみたいだった。


すると、彼女はクソデカため息をついた後、キャベツくんの脇腹を軽く蹴る。



「ウィローは起きへんみたいやし、とりあえず周り見てまわってみよ? はぁ......ゴミ寸劇の次は、幻覚世界に巻き込まれるとか......」

「............」

「......キャベツ?」

「..................」



キャベツくんは動かない。

もう一人の私から目を離さずに、ただ、小刻みに震える。



「......ど......う、しよう、」



唇が、どんどん青くなって、



「ガーディナー、お、起きねぇぞ? な、なんで......な......っ......」

「きゃ、キャベツ? どうしたんよ、」

「どう、しよう、もしガーディナーこのまま起きなかっ、っったら、っ」



瞳孔が暴れる。白目部分が大きくなって、どんどん瞳が縮んでいく。

影が落ちて、ぐるぐるに覆われて、まるで新月のようになっちゃって、


キャベツくんの冷や汗が、もう一人の私の指先に落ちた。



それでももう一人の私は目覚めなくて、


私の姿は見えてなくて、

触れられなくて、



私は、大丈夫、なのに、

ここにいるのにっっ声も出なくて、



「ま、ま、たガーディナー、が、っっっは、ぁ、~~~~っぐ」



彼は両手で口を押さえて、荒くなっていく呼吸を止めようとして、

瞳に広がる砂嵐は止まらなくて、




「お、レ......は............————————」


「キャベツ!!!! 落ち着け!!!!」



ローリエはキャベツくんの耳元で叫ぶ。

彼の元に正座して、膝に両手を置いて、



「——————っ、あ、」

「だ......大丈夫! 大丈夫やから......!!」




息を呑む彼に、真っ直ぐな目を向けた。



「ミルフォイルは確かにアホやけど......変なことばっかりしよるけど......! ウィローを傷つけるようなことは絶対せぇへん!!」

「......っ、う......。..................」

「せやから、あ、安心せぇ! ウィローは絶対無事やから——」


「そう............だよ、なぁ............っ」



キャベツくんは自身の両腕をギュウッてしながら、力なく笑った。



「そう、だ。普通に考えたらそうだよなぁっ、ははっ......はっ............わ、かってる、わかってんだよ、オレ、は、」

「............キャベツ......?」

「オレ......最近......おかしいよなぁ............?」



彼はゆっくりと息を吐きながら、額を片手で覆う。



「普通でいたいのに......っ......あれ以来......オレはずっと......」

「......『あれ』?」

「わ............りぃ..................」



彼は両手で、口を覆う。

吐いてしまうんじゃないかってくらい、顔が真っ青。


時々聞こえる呼吸は浅くて。目の焦点が合ってないみたいで。


強く、両手で口を押さえている。

押さえ続けてる。

押さえて、押さえて、押さえて、押さえて......。



「............」

「............」



二人の間に、沈黙が流れてしまっていた。


背景で、フルートの音色が響いてる。

オルゴールと同じくらい小さくて、儚い。



......ふれ、たい。

触れてあげたい。


話したい、キャベツくんと、ローリエとも、っ


どう、して......私の口......開かないの............?




「............キャベツ」



ローリエはそっと、彼の顔を覗き込もうとする。

顔を逸らされると、少しだけ悲しそうな表情をする。


だけど、すぐに目をキリッとさせて。胸元で両手をぎゅってさせて。


体は小さいままだけど、大人っぽい......魔女らしい目つきになったって言い方をするのは、変かな......?



「キャベツは覚えてる? あんたがさ、あーしの頭をわしゃわしゃ~ってしようとしてきたときのこと」

「..................」



キャベツくんは口を押さえていた両手を下ろすと、ただ、目を泳がせた。

......私が、知らない話......?



「あーし、あん時さぁ......今のキャベツみたいに、軽くパニック起こしてもうてたやん?」

「............」

「なんなら普通に泣いとったやん?」

「......あの時は悪かった......」

「ちゃうちゃう、責めたいんじゃなくて!」



やっぱり、私が知らない話だ。


いつの話なんだろう......? 私がいなくなっちゃってた間? それとも、私も普通にネルソービューにいた頃の話?



「あんたはあの時、素直に謝ってくれて......あーしが泣き止むまでそばにいてくれて......」

「そ......それくらい、トーゼンだろ............あれは普通にオレが悪かったし......」

「あーしが泣いたこと......誰にも言わんといてくれたやん?」



ローリエはキャベツくんに近づいて、膝を伸ばしながら座る。

小さな手のひらで、真っ白な床を撫でる。



「......せやから......あんたが今ここで泣いても、あーしは誰にも言わん」

「————っ」

「言いたくないことがあるんやったら、別に無理して言わんでいい。でも......」



彼女はゆっくりと、手を上げる。


手を上げて、キャベツくんの背中を軽く叩いて、

そっと......添えた。



「苦しいとか辛いとか、怖いとか......そんくらいなら、別に言うてもええんちゃう?」



ローリエの声は、背景で流れているフルートの音と同じくらい——

——ううん。フルートの音よりも、優しかった。



キャベツくんは、ただ目を見開いた。


「............」


見開いて。


「............っ」


目を真っ赤にして。




——わかってた。触れられないことは。


だって、私の体は半透明だったから。

キャベツくんが見てくれるのは、寝たきりの私だけだったから。


本物の私がここにいることに、気づくことはないみたいだったから。


でも私は手を伸ばしちゃって、彼に一歩近づいて、



震えてるその頭を、撫でようと——




「~~っっガーディナーにだけ、はっ、絶対に............言うなよ......っ............!!!!」

















「、............こわ、い、怖いんだ、お、れ、......もう......ぜんぶ、」






彼の涙が、偽物の私の上に落ちた。

偽物の私は、息を吸っているのかどうかもわからない。






「こ......わい、こわい、か......変わっちまうのが、オレ、」


「オレがオレじゃなくなっちまうのがっ」


「テオが言ってたことが忘れられなくて」


「オレは..................人外に、なった、ら、」






ずっと、聞きたかったこと。

キャベツくんの悩み。キャベツくんの本音。







「オレ、は......フクロウの獣人になるらしい、から」


「そしたらオレは、や、夜行性人外になるかもだし、」


「オマエらと一緒にいられることも減るかも、だし、」


「半獣人になったらっ、どこまで人の形でいられるのかもわかんねぇし、」


「どこまで羽が増えんのかとかも」


「首も羽で覆われんのかとかも」


「クチバシとか生えるかもしんねぇし」


「わかんねぇけど」


「なんもわかんねぇから」


「ぜんぶ、ヒトによる、から、っ」






ずっと、知りたかったこと。

なのに。





「ぜんぶこわい」


「お、れ」


「オレ」





耳に入るたびに、画鋲のように突き刺さる感覚がするのは。






「、な......なぁ、」


「ローリエ」


「お前、は......っ」






......私は。

ここにいちゃ......いけない......?









「オマエは、オレが変わっちまっても......っ......好きでいて......くれるか............?」








ローリエは、泣きじゃくるキャベツくんを見て。


抱きしめることも、撫でたりすることもせずに。

手を下ろして。


ただ、微笑みかけた。





「当たり前やろ」


「あんたがどんだけ変わろうと、どんなキャベツになろうとも、」


「キャベツは、あーしにとって大切な友達や」








ローリエは。私の前では絶対、そんなこと言わない。



キャベツくんも。





「~~~~ぅぅうっ、ぁ、ゥ........ぁぁぁああぁぁあぁあぁぁああ......!!!!」

「ふっ、ブッサイクな顔......」

「うるせぇぇえええぇぇえええぇぇえええぇぇぇえええ」





私の前では、こんな風に泣いてはくれなかった。

絶対。



でも。ローリエの前では。

こんなにあっさり。


あっさり、じゃないかもだけど。








「......意外やなぁ......ウィローが帰ってくるまで待たんくてもよかったんかなぁ......」

「~~~~~っひっっ、............!!」

「はぁ......ミルフォイルに感謝するべきか、ぶん殴るべきかわからんくなってきたで......」







そ......っかぁ......。


これで......一件落着。かぁ。













***


「どうしてあの時、ウィローちゃんだけを喋れなくしたのかって~?」



......あれから何日経ったのか、覚えてないけど。

とある、木曜日の朝だった。


ミルルンと二人きりのとき、つい聞いてしまったの。



今更聞かなかったことにするなんて無理だったから、私は頷く代わりに俯いて。



「幻覚世界にいたとき......なんで私だけ、幽体離脱してるみたいになったのかなって......」

「......ん~......」

「私だけ、キャベツくんたちに見えてなくて......偽物の私はずっと寝てて......そ、それって、ミルルンのせい、なんでしょ? ミルルンがそうしたからなんでしょ......?」

「そうねぇ~......わたくしが、『犯人役』を全うしたかったっていうのもあるけど~......」



私には、一体それがどういう意味なのかはわからなかった。



ミルルンは、自分の頬に指を当てる。

笑顔を、少しずつ溶かしてしまう。



「............言っていいのかしら~......?」

「えっ」

「ううん。全部は言わない方がいいわね~。......ただ......」



彼女は眉を下げる。

エメラルド調の瞳を濁す。



「最近、ブレイズくんと過ごしていて......気づいてしまったことが一つあって。だから、キャベツくんも同じなのかな~って......」

「......、......??」

「そう思っただけよ。ローリエちゃんもウィローちゃんも、まだ気づいてないみたいだけど」



ミルルンは私の鼻を軽くつついた後、悲しそうに笑いながら、背を向けた。


太陽光が、彼女の髪を揺らしているように見えた。

幻覚に過ぎないって、わかってるのに。



「それじゃあ~、わたくしはオリーブくんと会う約束してるから~。また後でね~」

「..................」




......寮の廊下に一人、取り残される。

引き留められなかった。引き留める理由を、言葉にできなかったから。

そもそも、引き留める理由なんてないのかもしれない。



わからない。

わからないこと、ばっかり。


それでも、友達のことはわかるって。友達のことだけはわかるって。勝手に思ってた。




でも......そうだよね。

半年、経っちゃったんだもんね。


みんなは、私抜きで、半年間過ごしたんだもんね。



そりゃあ、私が知らないことも、知っちゃいけないことも。増えるよね。





そっか。


......そっかぁ......。





「私が......いなくても............」




キャベツくんは、立ち直れるんだ。


みんなは、大丈夫なんだ。



良いことじゃん。

誰も、私に縛られてないんだから。

私がいなくなっても、笑って過ごしてくれるってことなんだから。



私が絶対になんとかしなきゃいけないなんてこと、

絶対に全部知らないといけないなんてこと、

......ないんだから。



だから。


だから。


だから。





だから......っ......








「..................なのに......なんで、こんなに............っ」








私は、いらないんだ、なんて。

極端なこと、考えちゃうんだろ......?





次話:成長痛とナンパ

です。体調不良が好きです(`・ω・´)

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