7. 噂の真偽を確かめに、いざ!
国王陛下との謁見
政敵である義父レナルド侯爵と遭遇
そして、謁見後には異例ともいえる、陛下からの再拝謁命令……
逃げたはずの王都で、様々な試練に直面するヘンリー
そんな中、彼の耳に、領地に残る妻・ローズへの賞賛の声が届く
自らの弱さに向き合い、「帰る」ことを決めた彼は、いったい何を思うのか……
今回はいつもより少し長めのですが、どうかお付き合いください。
王都へ到着してからも、ヘンリーはどこか落ち着かない気持ちを抱えていた。いつもなら軽口を言い合って、程よい息抜きに付き合ってくれるルトも、今回はローズのそばに控えてもらった。
「どこにいても、ローズのことが気になる……やはり、重症のようだな。」
思わず苦笑いが浮かぶ。
いつもなら国境防衛を理由に、王都での滞在は最短で済ませている。その"しわ寄せ"もあって、今回の滞在では、つもりに積もった王宮への報告書をまとめては提出するという、自分が最も苦手な仕事を、まるで罰のように毎日続けていた。
(ローズの傷は癒えただろうか……。)
最後に見たのは、あの傷ついた姿だ。王都への道でも、王都へ着いてからも、思い出すのは彼女のあの悲し気な姿だった。ブラントもルトもローズを気にかけていた。アンナも万全の準備を整えていたようだ。ましてや、一番そばに仕えてるのはラナだ。きっと、ローズには笑顔が戻っているに違いない。
「……その笑顔を取り戻させられるのが、自分じゃないことが痛いな。」
皮肉めいた独り言をつぶやいて、ヘンリーはまた書類に目を落とした。
***
王宮に提出する報告書のすべてが書き終わるころ、ようやく国王陛下への謁見の日程が決まった。王命での政略結婚とは言え、婚姻の報告の優先順位が低いのは、当たり前だろう。まして、逆らうことも、施行されないこともあり得ない状況なのだから……数か月で時間を割いてもらえたこと自体、むしろ幸運だったのかもしれない。
「ヘンリー卿、久しいな。先の戦の報告以来になるか?」
国王陛下のお言葉に、下げていた頭をあげ、視線を合わせる。
「本日は、ディクソン辺境伯家とレナルド侯爵家の婚姻が、無事結ばれましたことをご報告に参りました。」
「卿、一人か?」
その一言に胸がドクンと鳴った。王命の書簡には夫婦でとは明記されていなかったが、通例では陛下の婚姻承認に対する礼も兼ねて、夫婦で謁見することが一般的とされている。そう考えれば、今回のヘンリーの単独行動は、少なからず陛下に不信感を与えるものだったかもしれない。
(……悟られてはいけない。)
戦場で培った冷静さと、外交で会得したポーカーフェイスで、動揺を隠す。
「妻は、領地での生活に慣れるため屋敷に残り、留守中の政務を取り仕切っております。陛下への礼を、代わりに尽くすよう言伝を受けております。」
百戦錬磨の陛下に、この言い訳がどこまで通じるか……それは賭けに近かった。鋭い視線と長い沈黙に、ヘンリーの鼓動が速く大きくなる。ローズが政務をしているというのは事実だ。辺境伯領地に残った理由も、自分の考えた言い訳とも言えるが、あらかた嘘ではない。
「……近いうちに、もう一度、二人で顔を見せよ。よいな。」
少し低く感じた陛下の声は、心なしか不満げに聞こえた。
「御膳、失礼いたします。」
丁寧に一礼すると、ヘンリーは謁見の間を後にした。
(嫌な汗が流れた。形ばかりとは言え、ひとまず、預かりになっていた王命のすべてを終えたな。)
無意識にホッと一息つくと、長い王宮の廊下を静かに歩き出した。
高い天井に響く靴音が、やけにヘンリーの耳についた。
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宮内の各部署への移動は、当然廊下を使うのだ。陛下への謁見を終えて安堵していたのは事実だった。……だが、それが甘かった。王宮への出入りを頻繁に行っていたにもかかわらず、その"可能性そのもの"を考えていなかったこと……それこそが、最大の失態だった。その声を聞いた瞬間、顔を見ずとも、そこにいるのが誰だかわかった。心構えをすることさえしなかった自分を、ヘンリーは内心で恨めしく思った。
「これは、これは、ヘンリー卿ではないですか。王都へいらしていたとは、驚きですな。」
謁見の間から、城門までの廊下は長い。よほど離れた場所にある部署でない限り、途中の廊下で顔を合わせるのは、なんら不思議ではない……そこに立っていたのは、ローズの父、レナルド侯爵だった。
(王都へきているにも関わらず、挨拶すらしなかったことに対する嫌味だろうな。相変わらず、貴族とは面倒な生き物だ。)
即座にその言葉の裏にある意図を察した。刺すような視線……まさに、「冷ややかな眼差し」が肌に突き刺さる。その証拠に、侯爵と共に歩いてきた事務次官は、まるで狼と虎の決闘を目の当たりにしたように、目を白黒させて固まっている。
「礼を欠いたことは、お詫びいたします。しかし、わたしとて王都に遊びに来ているわけではありません。侯爵閣下も、ご多忙と存じておりますゆえ、互いに時間を作ることは容易ではなかったかと。」
(ローズと婚姻した今、ルーサー卿は義父となったが、この冷ややかな空気では、穏やかな歓談など望めるはずもない。)
この政略結婚が、レナルド侯爵家にとって喜ばしくないことであったのは火を見るよりも明らかだった。とはいえ、婚姻の準備からその儀式に至るまで、必要最低限の顔合わせと、八割を超える書簡のみのやり取りが行われただけ。あの一連のやり取りでは、国王陛下が望んだ「両家の対立緩和」とは、明らかに真逆の状況だったとしか言いようがない。数か月前までの、あまりに事務的なやり取りを思い出して、ヘンリーは苦笑いを浮かべる。
(……ローズが嫁いだからと言って、何一つ変わってはいないのだな。)
もとより、そうなることは容易に想像できた。だが、その現実に直面すると、湧いてきたのは、なかば諦めに近い感情だった。取り繕った礼儀、よそよそしい態度。他人行儀というよりも、もはや、「無関心さ」が鮮明に浮き彫りになった。
「お前にとって、この結婚はどんな意味を持っているのか、気になるところだな。……ローズは上手くやっているというのに。」
(この人が、ローズの何を知っているというのだ。)
王家との婚姻のために入念に根回しをしてきた日々。そのすべての努力が、陛下からの勅命でゼロになった。それどころか、忌み嫌う最悪の政敵のもとへ、娘を嫁がせることになったのだ。侯爵にとって重要なのは、その一点だ。それ以外のこと……娘の幸せも心情も……侯爵にとっては、どうでもよかったのかもしれない。すべてが"誤算"であり、"受け入れがたい事実"だったのだろう。
(父親とはいえ、この人には……ローズの優しさも、賢明さも、そして聡明で崇高な心も見えていないのだな。冷酷な態度をとったわたしを責めることなく、彼女は使用人のため、屋敷のためにいろいろと提案してくれた。わたしの意向を汲むように、家令に相談までして……。)
ローズを思えば、ぐだぐだと考える必要など一切なかった。
「わたしには、もったいない妻です。」
反射的に、本音が口をついて出た。
「優しく聡明で、人望も厚い。すでに辺境伯領には、欠かせない存在です。」
今度は強い意志と共に、ヘンリーはもう一度、本音をぶつけた。
「……そうであろうな。」
レナルド侯爵が何か含みのある言い方で、ヘンリーを見やる。
「彼女には、幸せになる権利がある。その幸せが……辺境領地にあってくれればと、切に願っております。」
まっすぐにレナルド侯爵を見据え、ヘンリーは静かに微笑みながら、そう答えた。
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それは、本当に偶然だった。
最後の書類仕事を終え、王宮にその報告に行った時のことだ。
「最近の、辺境伯領はとても活気があるらしいな。」
「国境近くで、魔物も多いと、今までは暗い噂ばかりが先行する場所だったが、レナルド侯爵家のご令嬢は、やはり優秀なご夫人だということだ。」
ローズの話題が聞こえてきて、思わず聞き耳を立てた。
「王都でたちまち流行したリメイク事業の発案も、夫人のものだと聞いているぞ。」
「商人だけでなく、平民の生活までもが改善されている。本当に素晴らしいアイデアに感服だよ。」
辺境伯領、レナルド侯爵家の令嬢、夫人……どのキーワードをとっても、それがローズのことだとわかる。だが、彼らが話す内容が理解できない。
「リメイク事業?」
小さく独り言をつぶやいて、考えを巡らせる。
(領地を出るときに承認した改革案は、屋敷の使用人たちのためのものだった。領地経営にかかわりたいと言ったあの時……)
胸に残るしこりが、鈍く音を立ててはじけた。
苦い果実を無理やり飲み込んだような、嫌な感覚が襲ってくる。
(あの後、彼女は何かをしたというのか?報告は……あがってないぞ。)
一番思い出したくない、あの朝の会話をゆっくり回顧してみる。
(勝手にすればいい……確かにわたしはそう言った。だから、勝手にした……そういうことか。)
王宮廊下の高い天井を見上げる。優秀な人材を残してきた。ローズの改革も、彼らの協力のもと行われたに違いない。彼女の優秀さは……あの改革案を見れば疑いようがない。
(優しく、思いやりにあふれた彼女は、わたしなどいなくとも、上手くやっていけるのだな……)
ふいに、ブラントやルト、アンナやラナの笑顔が浮かぶ。
その笑顔は、自分ではなくローズに向けられている……それが、嬉しくも寂しくもあった。
「嫉妬とは……情けない。」
彼女を突き放し、遠ざけてきた自分が持つには、あまりに都合がよくて身勝手だ。
今まで何度も思い起こしては大切にしてきた、あの初めて会った夜のローズの微笑みのあたたかさが、スッと凍りついた。
……この寂しさも、虚しさも、すべては自分の行動の結果なのだ。
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自分を責めることに忙しかった夜を越すと、領地への帰還を急ぐ理由がいくつも浮かんだ。
「すぐにでも、出立の準備を済ませよう。」
そう決心した矢先、陛下から、突然の再謁見命令が届いた。
(やはり、あの謁見では納得していただけなかったか……。)
自分では誤魔化せたと思っていたが、その認識の甘さを痛感する。
一度目の謁見予定とは異なり、今回は国王陛下直々の呼び出しのようで、日時がすでに指定されていた。
「……覚悟を……決めるしかない……か。」
ヘンリーは、丁寧に封書をしまうと、深いため息をついて静かにつぶやいた。
***
咎を受ける覚悟で王宮に向かった。
再び拝謁を命じられて謁見の間に向かうと、正式な場ではなく、個人的に人払いされた陛下の私室に案内された。
「報告書の提出が終わり、卿が領地へ帰る日が近いと聞いてな。」
陛下は、もともと暖かみのある穏やかな人柄をしている。広い視野を持ち、新しいアイデアにも寛大で、柔軟な考えを持つ、賢王と呼ばれるにふさわしいお方だ。
「卿には、少々酷なことをさせたかもしれぬとは思っておるのだ。婚姻について、何か思うところがあるのなら、素直な気持ちを吐き出してみんか。」
謁見の間で見せた、統べる者の持つ、あの独特な威圧感とは真逆の、優しさが溢れる言葉に、ヘンリーは思わず本音をこぼしそうになる。
「辺境の地へ嫁いでからのローズは、屋敷の者たちの労働環境を改善しようと、改革案を提案してくれました。彼女の思いやりが溢れる、素晴らしいものでした。辺境の地に一人嫁ぎ、不安な毎日であるはずなのに、彼女は自身のことより、まず周囲の人々の幸せを願える……そんな、素晴らしい女性なのです。」
自然と言葉が溢れてくる。
「わたしには、過ぎた女性だと……そう、思います。」
今度こそ、陛下は納得した様子だった。
「領地の改革にも心血を注いでいるようだ。卿の留守を、立派に守っているようだな。」
当然のことながら、王家にはたくさんの目と耳が存在する。商人たちの噂話が、思わぬ形で裏付けされた。
「侯爵家では、淑女教育に力を入れておったと聞いていたが、領地経営の才もあるようだ……着眼点が面白い。卿の側近もみな、なかなかの切れ者揃いのようだ。」
ヘンリーは国王に賞賛に驚き戸惑うが、その感情を必死で押し殺した。
「ありがたきお言葉、必ずや妻へと届けたく存じます。」
「私的な場なのだから、まぁ、そう固くなるな。」
陛下から聞かされるローズの改革案は、ヘンリーにとって、初めて聞かされるものばかりだった。
それからの会談は、ヘンリーにとって正直、心地いいものではなかった。
終始ローズを褒めながら、感嘆の声をあげて和やかに笑う陛下の前で、ヘンリーは強引に微笑んでいた。だが、心の中では、表情がこわばっていないことを願うばかりだった。
***
もはや一刻の猶予も許されなかった。
陛下との会談を終えたヘンリーは、急ぎ王都の住まいに戻った。
ローズの様子が知りたくて、領地の状況を報告するよう通達しようと、すぐにペンを持つ。
(違うな……。)
手紙を書こうとして、手を止める。
(誰かの目を通して、誰かの報告を聞くのではダメなんだ。)
無意識に逃げてきた、自分の愚かな行いに初めて気づいた瞬間だった。
「わたしたちの関係を、どうすることが正解なのかは、まだわからんが……ローズには、幸せになってもらう。それだけは決まっているんだ。」
わずかに思考を巡らせ、自嘲気味につぶやいた。
「ヘッポコ……か。確かに、そうだったな。」
頭を抱えたルトに言われた言葉を思い出す。
レナルド侯爵に対峙した時に感じた強い憤りも、陛下の前で語ったローズに対する感謝の気持ちも、自分の本音であることが、ストンと胸に落ちた。
「逃げていては、解決などしないな。」
ヘンリーは、窓の外のはるか向こうにある領地を見つめるように顔をあげて、自分に言い聞かせると、荷造りは後発の使用人たちに任せることにして、簡単な身支度を整えると、一人、馬で領地へ向かって出立した。
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王都の喧騒が遠くなる。
聞こえるのは、馬の蹄音と風の音だけだ。
はやる気持ちを抑え、ただひたすら馬を走らせた。
「夜明け前が一番暗いというのは、単なる比喩だろうな。今の私は、明るくなる空が楽しみだ。」
大切な愛馬に無理をさせている自覚はある。けれど、さすがに彼も軍馬だ。スタミナが違う。
力強い走りが、自分をさらに勇気づけてくれる。
「大切なものを見失わないように、手放さないでいられるように、できることをするだけだ。」
風と一つになって静かな森に吸い込まれるように、ぐんぐんと領地へ近づいていく。
「……帰ってきたな。」
愛馬の様子を見ながら、野宿をし、最短ルートを最短時間で駆け抜けた。
昔と変わらない懐かしい街並みが見えて、ぽつりとつぶやいた。
(まっすぐに向き合うことから、もう逃げない。)
覚悟を決めて、あと一息の距離を一気に詰める。
***
懐かしい景色の中に、たくさんの領民の笑顔を見た。
あたたかい風景に、ローズの優しさが浮かぶ。
(彼女の改革は、こんなところにまで届いているのか……)
市場にたどり着いたときは、圧巻だった。
たくさんの人で賑わい、笑顔で商売をする店が立ち並んでいた。
馬を下り、ゆっくりと手綱をひいて、その街並みを歩く。
「これは、すごい。」
所々に警備員のような姿をした男たちを見かけ、子供たちは、安心した様子で走り回っている。
「この間のバザーは掘り出し物ばかりだったよ。ローズ夫人のおかげさね。」
「炊き出しも、あんなにたくさん。腹いっぱいで笑顔になった子供たちの顔を見てたら、泣きそうになったよ。」
「こんなふうに、わたしたちの生活を考えてくれる人が、辺境伯さまに嫁いでくれて、本当にうれしいね。」
日常的にローズに感謝する人々が大勢いるのだろう。
フードを深くかぶっているせいで、自分に気づく者はいなかったが、かえってそれが心地よかった。
熱くなる胸の想いを抱えて、ヘンリーはようやく、屋敷の前にたどり着いた。
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自分の屋敷に到着したというのに、変な緊張が足を重くする。
同時に、市場で見た領民たちの笑顔を思い出した。
(あれほどの幸せを、この領地に届けてくれた彼女に、俺は……何を返せるんだろうか……。)
「よしっ!」
小さく気合を入れて顔をあげる。と、同時に門が開いてブラントが現れた。
「おかえりなさいませ。旦那さま。」
いつもと変わらない様子に、言いようのない安堵感を感じる。
「到着早々だが、伝えたいことがある。アンナ、ルト、ラナと共に、至急、執務室に集まってくれ。」
それだけ告げると、旅の汚れを落としに屋敷へ入った。
次回「デートとはどんな策略ですか?」
ついにヘンリーが動き出します!
いったいどんな"デート"を計画するのでしょうか?
……わたしも楽しみです。
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