番外編:愛の賞味期限・前編【ルトとラナ】
ヘンリーとローズが結ばれ、
辺境にも落ち着いた毎日が戻った――ハズだった。
幸せな領主の側で、
いつも献身的に支える二人の側近。
でも、この二人の様子が、ちょっとおかしい。
勘違いやすれ違いは、何も領主の恋だけじゃなかった?!
今度は、ルトとラナの恋物語。
お付き合いください。
初恋をこじらせて、あわや離婚になりそうだった俺の乳兄弟、ヘンリー。
幾度となく失敗して、勘違いして、時には逃げ出したりもした。
最終的には、愛する奥さまに逃げられてしまったわけだが――あの二人、あれで距離が一気に縮んだんだよな。
「で、ちゃんと奥さまを正式に妻にして戻ってきたんだろうな。」
騎士団長の仮面を外して、軽く事実確認のつもりで会話を振ってみた。
返事はなかったが、一度視線を逸らして、呆れ顔で睨み返してくる。
何か言いたげだ。
「その顔は、まだか。」
この辺境の英雄さまは、奥さまのことになると途端にヘッポコになるのが面白い。
個人的にはその"完璧じゃない英雄"が好きなんだが、そんなことを教えてやる義理はない。
どんな言葉でからかってやろうかと考えていると、思ったより鋭い声が返ってきた。
「あんな場所でローズを抱いてなるものか。」
真剣さのあふれる表情に、ヘンリーの男気を感じる。
おおかた、「夫婦として大切な初めての夜」を流されて終えるなんて――と怒りが込み上げてきたのだろう。
「あの最低な夜をやり直すんだ。」
「おぉ、たいそうな意気込みだな。」
思いが爆発して、衝動に押し流される可能性もあったろうに。こういうところは、本当にヘンリーだ。
握った拳に、耐えきった夜の複雑な心境を見る。
あまり思い詰めてほしくなくて、言葉を軽くしてみたが――心の底から願った気持ちを軽く扱えるほど、この英雄さまは気軽な奴じゃない。
「好きなように言えばいい。俺にはそれだけの責任がある。」
想定内の反応だ。
(でもここで、責任って言っちゃうところが、我が主なんだよなぁ……。)
表情を見ていれば、たいていの考えはわかる。
言葉を聞けば、気持ちもくみ取れる。
それだけ近くで一緒に過ごしてきた。
恋に関しては、かなり不器用だということも知っている。
奥さまの件で、それは屋敷中の人間に知れ渡ってしまったが、それでも一番理解できているのは自分だと、ルトは自負していた。
「そこは、責任じゃなくて、愛だぜ。」
ヘンリーの肩を叩いて、責任から解放してやる。
(お前のその気持ちを愛と呼ばないんなら、何て呼ぶんだよ……ばかやろう。)
覚悟を決めた顔で浴室へ向かったことを確認して、ルトは部屋を後にした。
なんとなく、自室に戻ることもできず、いつもみんなが集まる談話室に足が向かった。
***
談話室には誰一人いなかったので、やけに落ち着いた静けさが広がっていた。
屋敷の夫人と主が無事に帰還したこともあって、護衛任務は終了だ。
おそらく、家令のブラントや侍女長のアンナ、特に奥さま専属侍女のラナは、今が忙しさのピークかもしれない。
(……ようやくあいつも報われるな。)
身軽な格好になり、グラスを傾ける時間は、自身も騎士としての役割から解放されている時だ。
「乳兄弟の幸せを祝う夜くらい、気軽に飲んでも罰は当たんねぇよな。」
苦笑いを浮かべてひとり、グラスを掲げてみる。
「格好つけても、似合いませんよ。」
後ろから飛び込んできた言葉に、グラスの中身が跳ねる。
「脅かすなよっ!」
振り返ると、想定した通りラナが立っていた。
からかい交じりの瞳に、満足そうな笑みを浮かべているが、どこか寂しそうな顔だ。
「誤魔化せてないぞ。」
意地っ張りな幼馴染の仮面を壊してやろうと決めた。
「嬉しいけど、寂しい……そんな顔してる。」
「……。」
(まぁ、お前の初恋だもんな。複雑な気持ちだろうさ……。)
「そんなんじゃ……ない。」
いつものように強気の反撃が返ってくると思っていたので、小声の反論に驚いた。
「二人の気持ちがようやく通じたんだって思うと、嬉しくて……。」
キラリと頬で何かが光る。
(……涙……?)
胸がギュッと締め付けられる感覚がした。
ラナは口調はきついが、昔から思いやりがあって一生懸命だ。
真面目な性格も手伝って、幼いころから自分たちの立場や将来の役目をしっかりと理解していた。
真っ直ぐにヘンリーを見つめる瞳が、強いあこがれを見せるようになったころ、ルトは自分のラナに対する気持ちを理解した。
「気軽には近づけないあこがれの対象」がヘンリーなら、「気軽に何でも言える一番近い兄貴」……自分の立ち位置をそんなふうに設定した。
(兄貴……そう、兄貴になろうって思っちまった。)
幼馴染でとどめておけばよかったと後悔した頃には、立場を変えるにはすでに遅すぎた。
屈託のない笑顔に、遠慮のない毒舌……自分は完全に「安全圏入りした男」になってしまっていたのだ。
「大丈夫か?」
ヘンリーの長い片思いを考えていた思考の延長だったのだろうか、思わず差し出した手は、兄貴というより異性の優しさだった。
「えっ?」
頬から優しく涙を拭きとる仕草に、顔を上げたラナの瞳に、戸惑いが揺れる。
「お前も、もう休め。奥さまのことで、ろくに寝られてなかっただろ。」
安堵した夜のせいか、口にした酒が思ったより回っていたのか、ラナの瞳に吸い寄せられる。
すくいあげた涙を唇で触れ、もう一度、そっと指先で目尻を拭う。そして、その手のひらを頬へ寄せる。
二人の間をゆっくりと時間が流れていく。
(こいつ……やっぱ、綺麗だな。)
ヘーゼルの瞳に、部屋の明かりが揺れていて、その美しさに時が止まる。
(……弱さにつけ込むような卑怯者には、なり下がっちゃいけねぇよな。)
さっと、手を引いて、どことなく甘さの混じった空気をいつもの調子に戻す。
「明日からは、また忙しくなるだろう。休めるときに休まないとなっ!」
「そっ、そ、そうね。休ませてもらうことにするわ!」
パタパタと足早にラナが去って行った。
「ったく、何やってんだ、俺。」
談話室に一人残されたルトの声が静かに響く。
カラン、と氷がグラスの中で音を立てる。
ルトは、残っていた酒を煽り、自室へと帰った。
***
談話室を後にして、ラナは大急ぎで自室に駆け込む。
走ったくらいじゃたどり着かないほどの激しい心音が、動揺を物語っている。
(な、なに?ルトってば、どういうつもり……?)
目尻にまだ、彼の指の感覚が残っている気がした。
頬にも手のひらのぬくもりが……。
その温かさに重ねるように手を当てて、思わず空に手を掲げる。
「いや、違うからっ!」
手のひらを見つめてつぶやいても、その向こうに浮かぶルトの顔が消えてくれない。
「あんな顔……。」
上目づかいで見つめてくる瞳がやけに色っぽくて、どうしたらいいかわからなかった。
いつものからかう口調とは違う、優しさを帯びた声。
(あんなの……初めて。)
「嬉しいけど、寂しい……そんな顔してる。」
自分の気持ちを言い当てられて、動揺した。
奥さまの気持ちを一番近くで見てきた。
努力する姿も、戸惑いながら真っすぐに旦那さまを想う気持ちを守り続けた姿も……。
思いが叶ったと安堵したとたんに訪れた不幸は、奥さまの責任なんかじゃとうていないのに、すべてを背負って出ていかれてしまった。支えたいと思っていたのに、お供することすら許してもらえなかった。
「ようやく、お二人の気持ちが通じて、ご夫婦として戻っていらした。また、奥さまにお仕えできる。」
こみ上げる嬉しさに、涙が止められなかった。
好きな人に気持ちを言い当てられて、感無量で泣きだすなんて、みっともない。
恥ずかしくなってうつむいたのに……。
ルトの手は優しかった。
からかう素振りはまったくなくて、気遣う言葉をくれた。
あの瞬間、ルトの胸に崩れ落ちてしまいたかった。
「わたしがルトを好きだなんて、欠片も思ってないんだろうな……。」
ヘンリーさまは、領地の英雄。でも、その右腕の騎士団長は、気さくで人懐っこい。領地でも人気があるのだ。いつもきれいな人に囲まれているルト。幼馴染……妹枠……自分の立ち位置は理解している。
「騎士になったばかりの頃に、好きだって言ってたら、何か変わったのかな……?」
幼いころから、ヘンリーとルトと一緒だった。一人だけ女であることが悔しくて、ムキになって二人と同じことをしていた頃もあったが、二人が剣術と体術を習い始めるようになってからは、自分にしかできないことで領地の助けになりたいと思うようになった。
「俺は、ヘンリーの背を守る鎧になるんだ。」
「ヘンリーを守る盾じゃなくて?」
剣術で初めてヘンリーに勝った時、ルトがそう言ったのを覚えている。
「あいつは強い。盾はいらないさ。でも、守るべき人の多いあいつの背には、どうしてもスキができる。だから、俺が鎧になって、あいつの背中を守るのさ。」
目を輝かせて剣を掲げたルトをカッコいいと思った。
「それならわたしは、二人が帰ってくる場所を守るね。お屋敷を、安心して帰ってこれる場所にする。」
「おうっ!」
幼い日の誓いは、今でも忘れていない。
少しだけ変わったことと言えば、ヘンリーが予定より早く家督を継ぎ、ルトが活躍を繰り返して、あっという間に騎士団長になってしまったことくらいだ。さすがに辺境伯さまにアプローチをかける強者はいないが、騎士団長は話が別だ。
「ルトってば、モテるんだよね……。」
酒場に行けば、男女問わず人が集まり、朝帰りしていることも知っている。
「もうっ!どうしろって言うのよ、あの女っタラシ!!」
枕に顔をうずめ、叫んでも、当然、答えは見つかってくれないのであった。
***
「なぁ、最近お前ら、なんか変じゃないか?」
奥さまとのノロケ話がしたいヘンリーは、執務室を人払いすることが日常になった。
いつもの調子とはあきらかに違う会話の切り出しに、思わずドキッとする。
思い当たることがあれば、なおのことだ……。
「ルト、なにやらかした。」
最近のヘンリーは妙な余裕ができて扱いづらい。
奥さまとの関係が良好で、気持ちが安定しているんだろうが、変に勘までよくなった。
「なんのことだ?問題は起こってないだろ?」
どうやら露骨にごまかそうとしたことがバレたようだ。
ヘンリーがにやりと笑う。
「自覚ありか。ラナとのことだよ。」
あの談話室の夜から、ラナとは業務上の会話しかできていない。
――正確には業務上の会話しかさせてもらえてない。
「あのラナの態度……お前、なにやったんだよ。」
言葉に心配の色が浮かぶ。
「なんもしてねぇよ。」
少し不貞腐れた口調になってしまう。
「お前たちが返ってきた夜、アイツ嬉しいって泣いたんだ。」
「それで?」
「涙を……こう、拭いた。」
指で涙をすくう仕草を見せる。
「はぁ~。」
ヘンリーから、盛大なため息がこぼれる。
「お前も大概だな。」
「はぁっ?」
最も信頼する乳兄弟の反応の意味が分からず、間抜けな声が出る。
「好きなら好きって言え。間に合わなくなってもいいのか?」
いつか自分がヘンリーに告げた言葉が突き返される。
「どういう意味だ?」
わかっていてもそう反応したくなるものなのか、返した答えはあの時のヘンリーと同じだった。
「愛を伝えるには、賞味期限がある……そうなんだろ。」
にやりと笑ってヘンリーが見つめ返してくる。
(やっぱりこいつ、確信してやがる。)
以前の自分たちのやり取りを、あえて持ち出すあたりが、ヘンリーらしい。
その言葉は正しい。賞味期限があるならば、自分はもう期限ギリギリだ。
ラナに伝わるように告げなければ。
もう、言い訳は尽きた。
「いっちょ、やってやるよ。」
にやりと笑い返して、ラナへの告白を決意した。
***
完全なる勘違いですれ違った、ルトとラナ。
いよいよ、ルトの決死の告白作戦が始まります。
次回、「番外編:愛の賞味期限・後編【ルトとラナ】」
お楽しみに!




