18. 「愛されない」と信じていたわたくしへ……
愛されないと思い込んでいた
でもずっと、愛されたいと願っていた――
そんなローズの心に追いついたヘンリーは
「もう、遠慮はしない」と抱き寄せて――
ようやく会えた二人の、胸が高鳴るドキドキをお楽しみください。
朝焼けが、草原の柔らかい薫りを連れてくる。
(――もうすぐだ。)
手綱を握る手を緩め、愛馬に減速の合図を送る。
逸る鼓動を落ち着かせるように、蹄の音に集中する。
息を整え、あたりを見渡す。
辺境のさらに僻地……緑あふれるその場所は、森によって隔離された孤島のような場所だ。
遠くに修道院の建物が見えた。
「もうすぐそこだ……」
全速力で駆け抜けてくれた愛馬に、最大の敬意をもって軽く首元を叩く。
そんなヘンリーの気持ちを受け止めるように、ブルルっと愛馬が首を振った。
その動きに、ヘンリーの緊張が少しだけ緩んだ。
熱に浮かされたように走り続けた夜が去り、少しずつ冷静になってさまざまな思いが交差する。
(たった一度のデート……視察と言い訳して過ごしたあの時間で想いを告げた気になっていた。)
現実は無常に過去の過ちを浮き彫りにする。
彼女の笑顔を見て満ち足りてしまった。
言葉にしなくとも、分かってもらえると……思っていたんだ。
「愚かだよな。」
結婚式のあの夜。初夜にローズに突きつけた自分の言葉を思い返すことすらなかった。
しかも、自分の中ではなかったことになっていたのだ。あの時の無神経な自分の言葉に、彼女がどれだけ傷ついたか……今ならわかる。
「謝罪さえしていないんだ。」
(ローズは、いつでも誰かのために力を尽くしていた。誰かの笑顔のために、喜んで自分を犠牲にできるような人だ……だからこそ、辺境伯領を守って自分の父と戦い、わたしを守るために父を断罪した。)
その優しさに気づくどころか、向き合うことから逃げた。何かに悩み、苦しんでいることはわかっていたのに、本音で語り合うことを、本心を告げることから逃げたんだ。
「愛している……その一言が、どうして言えなかったんだろうな。」
誰に聞かせるともなくつぶやいた言葉は、愛馬の背中に消えていく。
ローズが何も告げずに去った原因は、まぎれもなく自分だ――そう認めざるを得ない。
(二度と……同じ過ちは繰り返さない。)
奥歯をぐっと噛みしめて、手綱を握る拳に力を込める。
そして、自分自身に誓う……
「今度こそ向き合うよ。逃げずに……偽らずに……君に胸の内のすべてを伝える。」
それができなければ、彼女に会うことはできない……会う資格さえないのだから。
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いつもの朝がやってきた。
けれど、ロゼには違って見えた。
窓から差し込む柔らかい光は、いつもよりも輝いているように感じた。
薄いカーテンを揺らし、頬を撫でる風も、いつもより心地いい。
ロゼはベッドの端に座り直し、深呼吸をする。
(……あの日、初夜の寝室で……わたしは傷ついていたのね。あの人に告げられた言葉に……)
ずっと隠してきた痛みが、気づかないフリをし続けた傷がひょっこり顔を出す。
皮肉なことに、痛みと同時に蘇ったのは、ささいな思い出の一つ一つだった。
(あの人が笑ってくれた日……見え隠れしていた優しさ……気遣いさえ。)
誰にも言えず、自分で認めることさえしないで、ずっと心の奥にしまい込んでいた。
(わたし、あの人をずっと愛していた……)
愛されることは叶わないと知って、それでも心から愛した。今なら素直に認められる。
(ヘンリーさま……わたしはあなたを愛してる。)
胸にストンと暖かな想いが落ち、居場所を見つけた。
ロゼは胸に手を当てて、ゆっくり目を閉じた。
胸の奥に感じるわずかな痛みと、泣きたくなるくらいの愛……。
――それは、彼女にとって捨てた過去が残した、ただ一つの真実だった。
「愛してる。」
静かにもう一度つぶやく。
その告白は、空気にとけて朝の光に包まれて消えていった。
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ロゼは、心のうちに隠し事がなくなると、世界はこれほどに違って見えるのかと驚いた。
いつもより鮮やかに色づき、何もかもに祝福されたような幸せに包まれている。
そんな一日の始まりに感謝したくて、礼拝堂を訪れた。
「気づきをありがとうございます。」
穏やかな気持ちで告げると、いつもの祈りを捧げたくなった。
「昨日より今日が、今日より明日が、みなにとって幸せでありますように……。」
女神像に神秘的な光が落ちている。
ふと、自分の瞳に映る色とりどりの鮮やかな世界を共有したいと思った。
質素に保たれている礼拝堂だが、花で彩を添えるのは悪いアイデアではないと思った。
「シスターメアリー。裏手の花畑に花を摘みに行ってもよろしいですか?」
突然の申し出に、シスターは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔になって頷いてくれた。
「素敵なアイデアですね。お手伝いは必要ですか?」
「ひとりで大丈夫です。」
子供たちの朝の当番を決め、少し大きめのかごを用意すると、礼拝堂の裏の扉を開く。
(今日もきっと、いい一日になる……)
頭上に広がった青い空を見上げて、手をかざす。
その背後に響くかすかな蹄の音には気づかないまま、ロゼは幸せな気持ちで柔らかい草の感触を踏みしめながら、裏手の花畑へ歩いて行った。
***
シスターメアリーが子供たちと朝のルーティンをこなしていると、外で庭掃除をしていた子供たちが駆けこんできた。
「シスター、お客様だよ。」
僻地の修道院にお客様とは珍しい。
「ご案内は?」
「いま、お兄ちゃんとお話してる。先にシスターに知らせろって。」
「そう。礼拝堂にいらっしゃるのかしら?」
「お兄ちゃんは、シスターも朝のお仕事中だから、礼拝堂に案内するって言ってた。」
「ありがとう。」
来客の当てがなく、首をかしげる。
子供たちの口ぶりからは、修道院を頼って訪れた人ではなく、"お客様"なのだろう。
ゆっくりと、扉が開く。
「シスターメアリー、こちらの方がお伺いしたいことがあると仰せです。」
案内を引き受けた子供は、来月には貴族のお屋敷に使用人見習いとして勤め始めることが決まっている。
ロゼが丁寧に読み書きを教え、寄付に立ち寄った貴族に気に入られて勤めが決まったのだ。
「ありがとう。」
静かに一礼すると、先に言伝で走ってきた子供を連れて掃除に戻っていった。
「ようこそおいでくださいました。」
一目見れば高位貴族だとわかるいでたちの男性は、美しい所作で一礼した。
「お尋ねしたい。こちらにローズという女性はいませんか?」
「ローズ……さん、ですか?」
その男性の説明を聞き、シスターは目を見開いた。
……尋ねの人はロゼではないかと思ったのだ。
「お知り合いの方ですか?」
「妻……です。事情があって離れてしまったのですが、彼女の無事を知りたくて噂を頼りにここへ来ました。とても優秀な女性で、人のために尽くす優しい人です。」
女性を語る言葉に悪意は感じられない。
妻だという人は、自家栽培をして料理やおやつを作り、周囲を笑顔にすることに長けているのだと、男性は笑った。みんなの将来のことを考え、驚くようなアイデアをどんどん実行する。そんな積極的なところもあるのだとか。
「ロゼお姉ちゃんみたいだね。」
「お名前、違うよ。」
「でもロゼお姉ちゃん、優しいよ。」
「僕たちに読み書きを教えてくれるのも、礼儀を教えてくれるのもロゼお姉ちゃんだもんね。」
「いつかきっと役に立つよって、笑ってくれる。」
「ロゼお姉ちゃんそっくりだ。」
いつの間にか集まっていた子供たちが、小声で話す声が聞こえてくる。
「ロゼ……さん?」
「こちらでお手伝いをしてくれている女性です。子供たちの面倒をよく見てくださって。この修道院の環境も、彼女のおかげで随分と良くなりました。」
男性の表情が柔らかくなる。
「そのロゼさんに、お会いすることは可能ですか?」
「裏手の花畑に花を摘みに行くと出かけていきました。」
「そちらに伺っても?」
どこまでも紳士的な態度に、断る理由が見つからず、シスターは裏手の扉を指した。
「あちらの扉を出てまっすぐです。少し歩きますけれど、迷う道ではありません。」
「感謝します。」
もう一度、美しい所作で礼をすると、その男性は裏手の扉を出て、足早に花畑へと駆けて行った。
***
扉を押し開けると、思ったよりも広い場所に出た。
庭に光っているのは、太陽を反射した朝露だろうか。
わずかに湿った土の匂いが青い草の匂いに混ざる。
(本当に……ここにいるのだろうか。)
踏み鳴らされた場所には、新しく草が生えないようだ。
そこにはシスターが言ったように一本道がつながっていた。
靴底に伝わる土の感覚が、現実を踏みしめる一歩一歩に感じる。
どくどくと波打つ鼓動に合わせて足がだんだんと速くなる。
整備されていない道だが、背の低い草がローズへ続く道をまっすぐ示してくれているようにも見えた。
期待と緊張で、無意識に拳を握る。
かすかな花の薫りが風に運ばれてくる。
(きっと、もうすぐそこだ……)
少し立ち止まって深呼吸する。
次の一歩はゆっくりと……緩い上り坂だったようだ。
坂を上り切って目を見張る。
赤、黄、白、そして紫……鮮やかな色彩がまるで美しい一枚の絨毯のようにあたりに広がった。
その真ん中――質素ないでたちでかごを持ち、花を摘む女性の後姿が見える。
少しだけ左右に揺れるように歩く仕草……ローズが嬉しい時に無意識に見せる歩き方だ。
「ローズ!」
もう、待てなかった。
女性の動きが一瞬止まり、ゆっくりとこちらを振り向く。
そして、時が永遠になった。
どれくらいの静寂が流れただろう……。
呼吸をするのも忘れていたかもしれない……。
ポロポロと大粒の涙が頬を伝うのが見えた。
その瞬間、ヘンリーは走り出した。
幻のように消え去る夢の中のローズではない。
その人がいる。
気が付けば――無意識に抱き寄せていた。
これ以上ないほどの喜びをかみしめ、愛おしい存在を壊さないようにすっぽりと腕の中に包み込んだ。
――大切に大切に、もう二度と離さないと誓いながら……。
***
ヘンリーの腕の中で、ロゼは全身を固くして息を詰めた。混乱と恐れがぐるぐると渦巻いて、何を考えていいのかもわからない。指先が震え、耳元で脈打つ鼓動が全身に響く。
それでも、ヘンリーは腕を緩めることはしない。
抱きしめられたまま、頭の上から大好きな優しい声が降ってくる。
「嫌なら、全力で抵抗してくれ。」
心なしか声が震えているようにも聞こえた。
「もう、君を離さないと誓ったんだ。」
身体を包み込む腕は力強いのに、締め付けられている感じがない。
優しく、暖かい、ヘンリーの人柄そのもののような抱擁だった。
「嘘で固めた結婚生活を、心から後悔した。君がいない日々を罰として受け入れようともしたんだ。」
一言一言を噛みしめるように、ゆっくりと言葉が紡がれる。
「でも……違うんだ。」
そっと肩を抱かれてヘンリーと視線が重なる。
「わたしは君を守って幸せにすることで罪を償いたい。一生かけて愛することを許してほしい。」
騎士の誓いを立てるように、ヘンリーがゆっくりと片膝をつく……。
「ずっと、君に恋焦がれてきたんだ。」
射貫くように瞳を見つめられて、吐息が胸の奥で詰まる。
……静寂の中、今度こそ時が本当に永遠になった。
「――愛している。」
ロゼの目から、再び大粒の涙がこぼれ落ちる。
抱きしめられたぬくもりと、ヘンリーの真っ直ぐな言葉が、水に広がる波紋のように、ゆっくりと広がっていく。
「わたし……愛されないんだって思っていたの。」
やっとの思いで絞り出すロゼの声は、今にも消えてしまいそうだ。
ヘンリーは一言も聞き漏らさないよう、彼女をただまっすぐに見つめる。
「愛されたかった……ずっと、あなたに愛されたいと……願っていたの。」
零れ落ちる涙とともに、過去の痛みが洗い流されていく。
過去と今と未来――逃げ出したい臆病な自分と、ヘンリーの腕の中で幸せをかみしめている自分がせめぎ合う。
「『愛されない』と信じていたわたくしへ……愛されていたのだと告げてもいいのですか?」
ロゼもまた、迷いなくヘンリーを見つめ返す。
「愚かで臆病なわたしを、どうか許してほしい。」
真摯な声が、誰もいない静かな花畑に響く。
「わたしは最初から、君を、君だけを愛していた。」
もう一度、そっとロゼを抱き寄せて、ヘンリーが大きく息をつく。
二人の鼓動がゆっくりと重なり、自然と溶けていくようだった。
ロゼの頭上にキスが落ちてくる……
額に……頬に……ヘンリーの唇がそっと触れる。
「あっ。」
緊張のあまりこぼれた声を、ヘンリーは聞こえないふりをした。
そのままロゼの手を取り、ゆっくりと指を絡める。
真っ赤になる彼女を見つめながら、指先に軽く唇を落とす。
「もう、遠慮はしない。」
すっと指をほどき、優しくあごを持ち上げ、唇を重ねる。
繰り返しついばむように触れる唇に、ロゼは呼吸を忘れ、肩が小さく震える。
一瞬、キスがやむ……空気を求めた唇に合わせて肩がわずかに揺れる。
――その瞬間を待って、ヘンリーはすっと手のひらで頭を支える。
文字通り息も忘れる甘い口づけが繰り返し落ちて、二人の時間は静かに穏やかに続いていった。
お読みいただきありがとうございます。
長いすれ違いと勘違いの先で
ようやく二人の心がつながりました。
実はドキドキの艶めきシーンでは
何度も原稿を読み直し、書き直し……悩んで迷ってぐるぐるしました。
最終的にはヘンリーに頑張ってもらって完成!(笑)
次回「もう一度、二人で始めよう」では
念願の?イチャラブ。
最終話まで一気に連続更新予定です。
よかったら、ブクマしてぜひ心が折れそうなわたしに応援をお願いします!
いつもリアクションや感想をありがとうございます。
みなさまの応援が、完結までの力になってます!
残りあと2話。
「あとちょっと、頑張れ!」「完結待ってるよ~」と応援していただけるなら、
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