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祖父との再会

 チーちゃんはぶつぶつなにかつぶやきながらクマのぬいぐるみをいじくりまわしている。Qは快慶が懐に隠し持っていた予備弾倉と回収したナイフを何度も何度も確認している。無言の快慶はこちらを睨む目つきを緩めない。セルフィーに至ってはスマホから顔を上げすらしない。


 ナナトはこわばった肩を回す。

 食べ物を頼んだあとからずっと受話器を持ったままであることに気がついた。汗は引いたがTシャツからは塩が吹いている。


 快慶を殺さずに済んだのは幸いだった。物品の交渉だってうまくいった。引きこもる前によくアキバで食っていたケバブをまた食えるし、最終回だけ見逃していた『魔法少女イズノットデッド』だって見られる。あとは異世界にさえ行ければ完璧だ。


 一か八かの極限状態に置かれると、人間って結構行動できるもんなんだなと思う。

 こんなことなら入学式翌日も行けばよかった、意外となんとかなったかもしれない。


 ――せめてこれ以上何事もなく、穏便にことが進んでくれればいいのに。


 しかしそんな望みは叶わず、また新たな障害が彼の前に立ちふさがる。


「おーい、ナナト出てこーい」


 それは懐かしい声。閉めきったブラインドの向こうから聞こえてくるのはあの聞き慣れた声。


「わしじゃー、トウゴじゃ、お前の爺ちゃんじゃよー」


 間違えるはずがなかった。


 ――爺ちゃんだ。でもなんで?


 爺ちゃんは半年前に死んだはずだ。ありえない。いや、ここは死後の世界。生きている両親が出てくるよりはありえる話なのか。


「おーい、聞こえとるかー?」


 小気味よいバリトンボイスにナナトの頭は祖父との思い出でいっぱいになる。


 ファミレスでなんでも頼んでいいと言ってくれたこと、母さんに黙って出掛けた競馬場、うんざりするほど聞かされたサヨ婆ちゃんとの初恋の話。


 ナナトにとって祖父は誰よりも優しかった。仕事で忙しい両親なんかよりもよっぽど身近だった。むしろ祖父だけが生前のナナトのよりどころだった。


 意識に上がってくる記憶はなにもいいことばかりではない。


 通夜に葬式。泣き崩れる自分と妹。それに、


 ――爺ちゃんが死んでから俺が死ぬまでの半年間は本当に終わっていた。


 寝ぼけ眼の昼過ぎ、担任が置いていったプリント、机の上の千円札、夜になるたび苛まれる階下の団欒、叱責から小言を経て無視へと至った両親の対応、ドブ川を見るような妹の目つき、俺以外客のいない深夜のコンビニ、買いだめするスナック菓子。


 あれこそ地獄だった。生きているのに地獄だった。


「ナナトー、爺ちゃんじゃー。去年の十月五日に死んだお前の爺ちゃんじゃー」


 さっきよりも一段と大きくなったその声がナナトの心をさらに揺さぶる。驚きと懐かしさと切なさとなんやらかんやらがぐちゃぐちゃになって胸の中で大きな渦潮と化す。


 ブラインドの隙間から外を見る。


 横断歩道の真ん中、署長とピラティスに挟まれるかたちで、拡声器を持った老人が立っている。

 くたびれた茶色のジャケットを着て、灰色の髪がヘタれたホイップクリームのように頭に乗ったその姿はやはり爺ちゃん以外にありえない。


 熱くなったナナトの肩にひんやり柔らかい何かが触れた。

「なんだか優しそうな人ですね」

 Qだった。Qがナナトの肩に手をのせていた。


「あ! ぅん! そそそそう! そ、そうなんだよ優しい優しいんだな俺の爺ちゃんは!」


 さり気なく肩に置かれたQの手を意識しまくるナナトのことなど知る由もなく、祖父は続ける。


「あれ? 聞こえてないのかな? デュエルマニアーズの大会によく同伴してやったお前の爺ちゃんじゃよー」


「えっ?」


「お前の代わりにコミックMOを買ってきてやった爺ちゃんじゃー。ベッドの下の隠し場所はナツコさんにバレとるぞー、ナツコさんはお前のネットの履歴も――」


「おいクソジジイ!」

 ナナトは思わず罵声を吐いた。


「うーん、なんて言えばわかってもらえるんじゃろうか? ナナトー、お前小五までおねしょしてたじゃろう?」


「な、わ、はっ……」


 Qの手が肩から離れた。

「嘘、ですよね……?」


 チーちゃんとセルフィーも無言で顔をあげ、ナナトに軽蔑のにじんた目を向けてくる。


「いっいや違う、違うって、それは……」

 耳たぶまで真っ赤になっているのが自分でもわかる。


「中二のとき『爆裂真空波』の練習に付き合ってやった爺ちゃんじゃー、『闇の眷属』の爺ちゃんじゃよー、忘れたのかー?」


「あっ、うなっ、いびゃ!」

 慌てて飛び出そうとしたナナトはソファの角に躓いてすっ転ぶ。


 爪先から激痛が電流のように這い上がる。

「にゃぎゃわゎ」

 言葉にならぬ声を発し転げ回る。


「高校の入学式のとき、徹夜で自己紹介の文句考えたの覚えとるか? 『ただの人間には興味がありません、この中に――』」


「わーわーわー!!」

 ナナトは窓の外まで聞こえるほどの声で叫んだ。


 やめろ、それだけは、それだけはマジでお願いだからやめてくれ。


 悶えるナナトにソファに座ったセルフィーが立ち上がる。

「ねぇyPhoneの電池が切れそうなんだけど、充電器取りに行っていい? カバン向こうに置いてきたし」


「は? そんなの好きにしろ!」

 ナナトは片足跳びで玄関に向かう。


「いい加減出てこいよー。また二人でデュエルやろう」

 爺ちゃんの声は続いている。


「要求どおり食事もテレビも用意したぞ」

 ピラティスの声も聞こえてくる。


「じゃあ私、セルフィーさんの見張りやりますね」

 そう言ってQはセルフィーについていく。

「チーちゃんさんも一緒に行きます?」


「や、チーちゃん、チーちゃんは……」

 チーちゃんはQとナナトとの間で慌ただしげに視線をキョロつかせ、

「うにゃにゃ、チーちゃんはナナトっちと一緒に食べ物を中に運ぶ係やるチロ」

 ちょこちょことナナトに駆け寄り抱きついてくる。

「ね? ナナトっちいいチロよね?」


 ――え……?? ちょ、ちょま、チーちゃん顔近すぎ、やば、なんかいい匂いしすぎ。


「あえぁあ、もっ、もちろん!」

 ナナトはチーちゃんの小悪魔的な視線にドギマギしながらコクコクと何度も頷いた。


「あ、そうですか。じゃあナナトっちさん頼みますね」

 それを見たQは淡く微笑み、セルフィーとともに奥に消えていく。


 ――え、もしかして俺ってなんだかんだ結構信頼されてる感じ?


 ナナトは転送室にフェードアウトしていくQの黒髪と、チーちゃんが口元を隠すように巻きだしたファンシーなハンカチとを見較べ、なんとなく気分よく思いつつ、結果的に待合に取り残されるかたちとなった靴紐ぐるぐる巻きの快慶を警戒しながら玄関扉を開けた。


 どっ、と野次馬たちの歓声が上がる。


 火山の噴火みたく高ぶる熱気のなか、チーちゃんとともにを一歩踏み出すと、上空からは一定間隔に吹き付ける風。バサバサという羽音がうるさい。低空飛行の報道のワイバーンがペガサスに『ここは飛行禁止区域です。ただちに撤退を』などと言われて追い返されている。


 そんな雑踏のど真ん中に祖父がいた。


 祖父はナナトを見て、拡声器を下ろしニカッと歯を見せて笑った。

「ようナナト、久しぶりじゃの」


 しわくちゃの笑顔にナナトはぶっ飛ばされた。

 俺の秘密がたくさんの人間にバレてしまった、ナナトのそんな羞恥心もその顔の前には全部かき消されてしまった。


「爺ちゃん!」

 両足は自然と走りだしている。


「ナナト! 会いたかったぞ」


「爺ちゃん!」

 二人は駆け寄る。抱き合う。


 ――あー、爺ちゃん。


 祖父を強く抱きしめるナナトの瞳には涙が浮かんでいる。


 祖父のジャケットから漂うのは線香の匂い。


 まだ六十七歳と若い死だった。発見された時には末期の癌。棺桶で横たわる骨と皮だけの姿がナナトの脳裏にいまだこびりついている。死という概念そのもののノンフィクション感はナナトにとってやたらとリアルで、大好きな異世界転生ものにのめり込む集中力をもたびたび阻害した。俺のことがストレスになって発症したんじゃないか、俺のことを恨んで死んだんじゃないか、ずっと気が気でなかった。


 ――でも爺ちゃんは生きてる。生きてる、よな?


 祖父の身体が細すぎて力を入れると肋骨が折れるかもしれない、不意にそう思ったナナトは急いで祖父から両手を離す。


「爺ちゃんごめん、大丈夫か?」


「なんじゃなんじゃ、水臭いのう」


 祖父は笑っていた。地獄に落ちたに違いないのに、数千年単位の刑罰の最中にあるはずなのに、とても穏やかに笑っていた。


 信じられなかった。無理言って地獄から連れてきた、とか言うピラティスの理屈はわかる。だけど火葬場で見た小さな頭蓋骨、箸で摘むとボロボロ崩れたもろい鎖骨、そのイメージが強烈すぎて、ナナトはなにを口にしたらいいのかわからない。


「まさかお前がナオヤより早く死ぬとはな」


「……ごめん」


「いや、こればかりは仕方ない……」


「……ホントごめん」


「いいって言ってるじゃろ、それよりわしはお前がこんなことしでかしたって聞いて、そっちのほうがびっくりじゃわ」


「いやホントマジでごめんて」


「おいおいなんじゃなんじゃ? むしろ爺ちゃんはお前がやっとやりたいことを見つけたみたいで嬉しいんじゃ」

 なぜか爺ちゃんは笑顔でナナトの肩を叩いた。

「しばらく見んうちに大きくなって……。異世界、夢があっていいんじゃないか? うまくいったらわしも招待してくれよ。そうだ、またこづかいやろうか?」


 ピラティスが二人の間に割って入る。

「ダメです。金銭のやり取りはやめてください」


 ナナトの犯行に肯定的な祖父の反応は彼女にも予想外だったみたいで、その顔がひきつっているのがよくわかった。


「ハハハハっ」

 それを見てナナトは笑った。声を上げて笑った。祖父は地獄に落ちても祖父だった。

「ハハっ、なぁ爺ちゃん、俺ここで友達だってできたんだ」


 後ろに目をやると、チーちゃんが巨大なテレビを局内へと運んでいくところである。その間に褐色銀髪の警官に無理やりピザを毒味させるなど抜かりない。


「だからさ、俺やるよ。絶対異世界に行く!」


「おう、それでこそわしの孫じゃ。ほら持ってけ、餞別じゃ」

 ピラティスが制止するにもかかわらず、祖父は財布から五千円札を取り出した。


「いや、いらないって!」

 ナナトはそれを突き返す。

「てか爺ちゃんこそ地獄にいんだろ、そっちのほうが金かかるんじゃ? 地獄の沙汰も金次第って?」


「いやいやそれがな、わしのいる衆合地獄では結構コレが貰えるんじゃ」

 祖父は親指と人差指で輪を作る。


「へ?」


「他にもな、普通にしてたら普通じゃが、わざとミスして女王様っぽい鬼にムチで打ってもらったり、ロウソク垂らしてもらったりもできるしのう。だからそういうお店に行くことも減ってな、金が貯まって貯まって――」


「えっ? 爺ちゃん、なにを……?」


「でもな金払えばもっとすごいぞ。ナナトも落ち着いたらゲヘナ三丁目の『無彼岸受苦処』って店に行ってみろ、あそこに比べりゃ現世のSMなんてままごとよ」

 祖父は言った。生前には見たこともないような強欲の壺じみた顔で言った。


 群衆から嘲笑と罵声の声が上がる。


「おいさっさとこのジジイを引っこめろ!」

 署長が怒鳴る。


「こんなことならとっとと地獄に来ときゃあよかったのう。サヨも若い頃のままだし。もっと早くあの店を知ってりゃ、ナオヤとナツコさんに迷惑かけることもなかったのに……」


「え?」

 ナナトはハッとする。

「ちょっ、も、もしかして爺ちゃんの借金って?」


「なんだナナト、知らなんだか? 実はの――」


 祖父はピラティスに羽交い締めにされ後方へ連れていかれながら、衝撃の事実を口にした。

 署長に横っ面を殴られるにやけ面からナナトはすべてを悟った。


 祖父が死んだあと両親は仕事に追われ、引きこもりのナナトは完全に放置された。理由は祖父が残した借金。それはてっきり癌の治療費なのかと思っていたが、実際には過度のSMクラブ通いのせいであったのだ。


 やっぱ死んどけクソジジイ、ナナトがそう思ったときである。


 ババババ、という音とともに背後でガラスの割れる音がした。


 ――なんだ、なにが起こった?


 振り返る。


 再び同じ炸裂音。


 駐車場の真上で黒く巨大なワイバーンがホバリングし、その上に乗った同じく黒尽くめの警官たちが局に向かって発砲している。

 あのワイバーン、いつのまにあんなところに!?


 局の中からも散発的に銃声が上がる。


「なに? まだ指示は!?」

 署長が慌てている。


「と、突入部隊、犯人からの攻撃を受けています」

 ピラティスも声を荒げる。


 は? 突入? 罠か? 騙されていたのか!?


 パニクるナナトを尻目に、ワイバーンが局に向かって燃え盛る火炎を吐き出した。


「……へぁ?」

 ナナトの口からも半透明のエクトプラズム的ななにかが漏れる。


 嘘やろ? いやいや、あんなんありえへんですやん、おかしいですやん、むちゃしたらあきませんやんか。なぜか変な関西弁になってしまう。


 チーちゃんがピザの箱を投げ出し局に向かって走り出す。


「おい確保! なにやってうわっ!」

 署長がつんのめる。

 警官隊の群れが野次馬の投石に阻まれる。


 助かった。今のうちにとナナトは走る。


 地面に置かれた烏龍茶のペットボトルを蹴り飛ばす。

 走る。走る。走る。


「おいあのクソどもをなんとかしろ、早く!」


「電気落とせ! 他の部隊は!?」

 ピラティスたちの叫びが死者たちの怒声のうねりにのみ込まれる。チーちゃんに続きナナトも玄関扉に手をかける。


「ナナトグッドラック!」

 扉の向こうへ滑りこむ瞬間、背中越しに祖父の声が聞こえた気がした。



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