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二郎を頼もう

 セルフィーは待合室のソファでスマホをいじり続けていた。


 ナナトはまだ帰ってこない。


 ガラスが「異世界! 異世界!」という群衆の声に合わせ振動し、ブラインドに当たって、カンカラと音を立てる。


 ――外ではいったいなにが起こっているのだろう?


 Qとチーちゃんはしばらくブラインド越しに外の様子を眺めていたが、途中で飽きてセルフィーたちのいるテーブルに戻ってきていた。自分の未来がかかっているのにこんな適当でいいのだろうか? こいつらの考えてることがセルフィーにはまったく理解できない。


「ねーねーQちゃーん、これの使い方教えてチロ?」

 チーちゃんがナナトから受け取ったライフルをもて余している。


「はい?」


「この先っぽのボコッとしたのってなにチロ?」


「えーっと……、これは口の中突っ込んでゴリッとしたら痛い感じになって……、主に拷問の際に使うところでしょうか……」


「へーなるほどチロ、ならこっちはなにチロ?」


「うーん……、一発だけ弾を入れて、ロシアンルーレットを楽しむ感じでしょうかねぇ……」


「わーカッコいいチロー、じゃあじゃあー」


 ――どっからどう見てもリボルバーじゃねーだろそれ!

 とセルフィーはライフルを持つ犯人相手に思わず突っ込みそうになって、強引な咳払いでごまかした。

 ――半可通は懲役二百年に相当するからな、覚悟しておけ。


 しかし三人がけソファで身を寄せあって座る女子二人に女神の心の声は届かない。


 お人形さんみたいな顔してイキった男子中学生みたいな嘘八百をのたまうQの腕に自らの腕を絡ませ、上目遣いでチーちゃんがささやく。

「えー、こっちの穴じゃなくてこっち? チーちゃんにはまだ無理チロ、大器晩成チロ」


「え、そうですか?」


「うぅぅ、チーちゃんバカだからわからないチロ、もっとこうガーッとなってバァーッってなるとこ教えてほしいチロー」


「ならセーフティとトリガーだけ知っておけばいいのではないでしょうか?」


「えーっ、ここ? よくわかんないー、チロっ?」

 くねくねと身を擦り付けるチーちゃんに、


「うーん……じゃあちょっとこれでやってみてください。うん、そうそう、そんな感じで」

 Qも表情をほころばせる。


「あ、できたチロ! すごいチロ、Qちゃん天才チロ! 才色兼備チロ!」


「えー、そんな……」


「いやマジだって、Qちゃん快刀乱麻チロ!」


 そして二人はライフルの安全装置を入れたり外したりを繰り返す。


 たかが安全装置のオンオフくらいでなんだこのリアクションは、百合っていうのはそんなわざとらしいもんじゃねーんだよ、とでも言いたげに、二人が座るソファの後ろで壁に持たれた快慶が白い目を向けている。セルフィーもスマホでツブヤイターを眺めるそぶりをしつつ、この二人のことが気になって仕方なかった。


「ねぇねぇ、Qちゃんどこ住みチロ?」


「神田ですけど?」


「すごーい都会チロ! アーバンチロ!」


「そういうチーちゃんさんはどこですか?」


「えーっと、ま、町田……チロ。あ、でもでもー、田つながり! ヤバくないチロ?」


「たしかにそうですね」


 ――ヤバいのはお前らの頭だろ。

 死ねよ、とセルフィーは頬の内側を強く噛んだ。なんだよこのゴミみたいなやりとり。


 くそが、箸が転がっても笑いやがって。腹立つわ。つか私があいつらくらいだったのはいつの話だ? 八百年ほど前? なんだそれ、おかしいだろそれ。


 とにかく二人の肌のハリ、声のフレッシュさがムカつく。クソ女どもめ、死んで二度と年取らなくなったのがそんなに嬉しいのか。とっとと地獄に落ちろよ。


 若いイコール傲慢イコール懲役八千年。


 スマホを持つセルフィーの手は汗でぬるぬるだ。フリック入力する指先に力が入りすぎて液晶に虹色の痕が残る。どうでもいいつぶやきを間違えてリつぶやきしてしまう。


 今すぐクライオセラピーをやりたい。マイナス百八十度の冷却でこの怒りを鎮めたい。


 チーちゃんが言う。

「チーちゃんって、読モやっててー」


 ――は? そりゃ私ももう若くはないけどさ、さすがに昔の私のほうが可愛いかったから。


 はやくケミカルピーリングにいきたい。汗ばんだこの肌ごとイライラをとっぱらってしまいたい。


 Qが言う。

「私、洗顔と保湿くらいしかやってなくてー」


 ――なんだって!?


 九百九十八歳という自分の年齢を嫌でも自覚させられる。


 セルフィーは逃げるように意識をスマホ画面に集中する。心の耳を塞いで、ツブヤイターにくるリプライの数を、リつぶやきの数を見てイライラを鎮めようとする。


「てかてかー、ライソのID教えてチロ」

「えー、私たちスマホ取られてるじゃないですかー」


 無理だった。


 いつのまにか二人はライフルを二丁ともテーブルの上にほっぽり出し、肩を寄せ合って恋バナに興じ始めている。


 限界だった。


 目の前がぐにゃーと歪み、セルフィーはすがるように辺りを見回す。視界に入る快慶。


 同じ人質として、そして同じく若い女が嫌いな仲間同士、セルフィーは快慶に念を送った。


「あれムカつかない?」

「うんうん、若いマ●コってイヤよね。虫唾が走るわ」

「つかこいつら隙だらけじゃん、後ろからやっつけてよ」

「やーよ、危ないじゃないの」

「は? 仕事しろや給料泥棒」

「なに言ってんのよ、そんなの契約書には書いてなかったわよ」

「うるせークソオカマ、私がひとり寂しくスマホいじってるとかありえんでしょ?」


 と一瞬の間にアイコンタクトだけで会話する。


「とにかくやーよ、アタシはやらないわ」

「ならあんたのことおじさんに言いつけるから」

「は? そんなの反則じゃない?」

「備品のコーヒーとか持って帰ってんのもバラすから」

「う、アンタってホント終わってるわね」

「あん?」

「性格がブスって言いたいの、わかる?」

「あっそ、じゃあ明日からあんたの職場、斎場御嶽ね」

「え、やだ、それだけはやめてお願い、あそこ女しかいないじゃん」

「ならさっさとやってよ」


 と相成って、快慶はしぶしぶ腕組みを解いた。


 そろり、と筋肉の塊のような巨体が動き出す。


 一歩、また一歩。


 快慶は懐に密かに隠し持っていたナイフを抜き、後ろからゆっくりと二人に近づいていく。


 一歩、また一歩。


 セルフィーの脈が速くなる。


 ふたりはまだ快慶に気づいていない。ただ見せつけるようにいちゃついている。


 堕落、強欲、色欲こいつらを死刑にできる理由はいくつでも挙げることができる。なによりも虚飾――常時いっぱいいっぱいのナナトと違い、ふたりは明らかにキャラを作っている。死してなお、偽りの自分を演じている。


 虚飾は最長で三万年はぶち込める大罪だ。


 不思議ちゃんにぶ厚い閻魔帳のカマトト女、痛々しいまでに自分を偽らなければならない理由。背景になにか重大なコンプレックスが隠れているとみて間違いない。事件が解決したら彼らの閻魔帳に書かれているであろうイタい過去を一から読み上げてやる。


 快慶はいまや赤いリボンと黒髪ロングの真後ろだ。


 セルフィーがゴクリと生唾を飲み下した瞬間、チーちゃんが後ろを振り返った。


「きゃっ!!」


 Qが銃をとるのと、快慶がQに飛び掛かるのが同時だ。


 ナイフこそ弾き飛ばされたが快慶の勢いが勝り、二人はそのままテーブルになだれ込む。ガラスの天板が割れ、もう一丁の銃が吹っ飛んでいく。


「いやぁ!」

 仰天したチーちゃんがソファごとひっくり返ると、


「うごぁぁぁぁ!!」

 快慶の野太い雄叫びが上がった。


 Qと快慶はつかみ合いのままテーブルから床へと落ち、固い大理石の上で転げまわる。


「くっ……」

 もみ合いでQの長い髪が揺れて、髪に隠れていた右耳が顕になる。


 そこにあるのはたくさんのピアス。耳たぶに軟骨の内側に外側に、痛々しいまで開けられた金のピアス。


「ひっ」

 無数のピアスに反射する照明の光にやられ、セルフィーの体が硬直する。


 自分のすぐそばで聞こえるふたつの荒い息遣い。どちらのものともわからぬ汗のような体液が飛んでくるが、セルフィーは半開きの口を閉じることができない。外ではいまだに異世界コールが鳴り続いている。


 快慶が上になって、Qが上になる。


 銃身をつかんでふたりは激しく競り合っている。


 バキッとなんだかいやな物音がして、また快慶が上になった。


「マ●コになんか負けっかよ!」

 肩の布がはだけ、半裸になった快慶はオネエ口調を維持できなくなっている。銃を挟んでにじり寄る彼の頬はガラスで切れて血がにじみ、その一滴がQの顔にしたたり落ちようかというとき、


 艶めく黒髪が跳ね上がった。


「ぎゃん!」

 咳きこむような声とともに血飛沫が上がる。Qが快慶に強烈な頭突きを食らわせていた。


 反射的に鼻を押さえた快慶が身をのけぞらせると、その手は当然銃身を離している。


 黒い髪がまるで獅子舞のように振り乱れる。


 ここぞとばかり銃の底で血だらけの快慶を殴りつけるQ。


 ビシッ、バキッ、ボコッ、最後に一際、ガゴッ、という嫌な音。


 完全にマウントを取った彼女は快慶の眉間に銃口を突き付けた。


 空を舞っていたQの黒髪が重力に従って下方向にはらりと流れ落ちた。


 ――なんなんだこの女? 怖すぎる。

 セルフィーのこめかみを一筋の汗がつたい落ちる。


 黒髪はウィッグなのか、それはなぜか定位置から不自然に回転し、Qの顔左半分を覆うかたちとなっていた。完全に顕になった右耳ではやはりピアスがきらめいている。耳元で見え隠れする地毛の色はいやに赤い。上品なカーディガンも赤く血に濡れて、ボタンが引きちぎられている。


 片側しか見えないQの眉がキッと上がる。彼女が左手でウィッグを回し元の位置に収めると、その下にあるのはふたつの乾いた瞳。


 血色のよい唇にニヤリと不気味な笑みが浮かんだ。


 銃声、はしなかった。


 安全装置がかかったままだったのだろう。その隙をついて快慶が必死に銃口をそらす、もがく、拮抗する力。しかしいくら女とはいえ上に乗るQのほうが有利だ。いったんは快慶の眉間から外れた銃口が、ジリジリと再び致命的な位置に戻ろうとしている。


 ――まずい。

 すっかりフリーズしていたセルフィーは、ここにきて飛んでいったもう一丁の銃に思い至った。


 急いてソファから立ち上がる。


 探す。二メートルほど先、観葉植物の近く、あそこだ。


 セルフィーが駆け出そうとしたそのとき、腰を抜かしているチーちゃんの焦点定まらぬ視線が彼女を捉える。


「はっ、あっ、Qちゃん!」

 セルフィー同様チーちゃんも再起動する。


 ――ヤバい、向こうのほうが距離が近い。間に合わない。


 セルフィーが絶望に打ちのめされそうになったその瞬間、玄関の扉が開く音がした。


 「異世界! 異世界!」というBGMのボリュームがぐわわっと大きくなる。


「おい! なんだよこれ!」

 男の声に、


 セルフィーは振り返る。


 ――そこで時間が停止した。


 扉の前にいるのはナナトであった。ナナトが戻ってきていた。


 セルフィーは中腰の不自然な体勢のまま、四つんばいのチーちゃんはこの世の終わりみたいな表情で、絶体絶命の快慶は血塗れの修羅の形相で、その上のQは瞳孔の開ききった目を見開いたまま凍りついていた。


「なんなんだよ、どうなってんだよこれ!」


 ナナトの後ろで扉が閉まる。小さくなる異世界コール。再び動き出す時間。


「このひとがいきなり襲ってきたんです」

 Qが答えた。冷ややかに答えた。髪型は完全に元通りに戻っていた。


 ゴツン、と鈍い音がして、銃口が再び快慶の額に触れる。


「うえぇーん。快慶さんが後ろからナイフでー、Qちゃんにー、それでそれでテーブルが割れてー、ひっくり返ってー、快慶さんとQちゃんがぐちゃぐちゃで、それでそれでー、快慶さんがー、銃がー、Qちゃんがー、安全装置でー、それからそれからっ、わっ、うわーん」

 チーちゃんがボロボロと涙を流しながらしゃくりあげる。


「と、とりあえず落ち着け」


「ナナトっちさん、交渉はどうなりました?」

 立ち上がったQは快慶の肩を足で押さえつけ、彼の青ざめた唇の隙間に強引に銃口をねじり込みながらナナトに尋ねた。


「ふ、普通に運慶を解放して、そそそそれで警官がっ、えとあのえと――」


「それで? それでどうなったんですか?」

 Qがナナトを急かす。


「きゅ、Qちゃんも落ち着けって!」


「この人は私を殺そうとしました」

 Qは言う。真顔で言う。

「もうちょっとで殺られるところでした、だから――」 

 彼女はそこで区切って、大きく息を吸いこむ。


「殺す」


 Qがナナトから快慶に向き直り、引き金に手をかける。カチャリ、しかし、


 発砲音は起こらない。


 気づいたQが苛立たしげに安全装置を外す。銃とともに快慶の全身が大きくビクつく。彼の瞳からは涙が溢れる。


「やめっ!」

 ナナトがQの前に躍りでる。ひりつくような空気。


「チーちゃんも、チーちゃんも殺したほうがいいと思うチロ!」


「おい!」


「だってだってチーちゃんだって殺されるかもだったチロ!」

 チーちゃんのキンキン声がぶすぶすと胸に突き刺さり、セルフィーの頭から血の気が引いていく。やっぱりこいつらは頭がおかしい。揺れるぬいぐるみの笑顔すら薄気味悪い。


 ライフルを差し込まれたままの快慶の口から嗚咽と哀願の中間みたいな音が漏れる。口角からつつー、と赤い一本の線が垂れる。


 ――快慶の次は自分だろうか、

 セルフィーは耐えきれなくなって目をつむる。

 血が出て内臓が飛び出て泣いてわめいてもがき苦しみそして死ぬ自分の姿がまぶたの裏に浮かんで、すぐさま目を開く。


「ちょっとおい待てよ」

 ナナトがQの銃をつかんでいる。


「邪魔しないでください。ここで殺しておかないと、またすぐに殺られます」


「だから待てって!」


「ちょっと甘くないですか?」

 セルフィーは恐怖する。荒ぶるQの声が怖い。コロスとヤルで言葉が振れているのが怖い。ピアスのきらめきがフラッシュバックする。隠しきれない彼女の本性が怖い。


「いやこいつは残り少ない人質だろ?」


「でっでもでも危ないチロ、殺したほうがいいチロ! 九死一生チロ!」


「落ち着け、みんな落ち着けって、わざわざ今殺す必要はない」

 ナナトは早口で言う。

「警察は神に掛け合うって言った。殺したら話がそれ以上進まない」


「話が進まない?」


「そう、手詰まりになる。俺たちは地獄しか出口のないここに閉じこめられる」


「じ、地獄はいやチロ!」


「……殺さないにしてもどうするんですか? 拷問でもするんですか?」


「だめだめだめだめ、ちょっと待って」

 ナナトはさらになにか言おうとするQの前で手をはためかせる。

「……そ、そうだ! 食い物、食い物を頼もう!」


「は?」


「警察は俺たちを罪人だって思ってる、完全に悪だって決めつけてる」


「ちっ、チーちゃんは善良な市民チロ、完全無欠チロ」


「や、いやでも、でもあいつらは懲役何十万年とか言うんだ。交渉中だってずっと俺を殺そうと狙ってた。人質を解放してもまるっきり信じちゃくれない」


「それはあなたがナメられてるんですよ、だから――」


「だからっ、だからこそ俺たちは悪くない、人を殺すつもりはないって、もっとアピールしたほうがいいと思う!」


「い、意味わからないチロ」


「食い物とか、テレビとか毛布とかなんでもいいけど、とにかく俺たちが人質のことを気遣っているって示すんだ。外にはマスコミだっているから、悪人じゃないってわかればちょっとは話を聞いてくれるかもしれない、だからピザとか頼もう? なっ、ピザ食いたいだろ?」


「ピザって……あなたこの状況でピザはないでしょう」


「いやだって殺すよりマシだろ?」


「だけど売られたケン――」


「まっ待って待ってQちゃん」

 ナナトはばたっと地に膝をついた。


「はい?」


「土下座するから!」

 ナナトはそのまま腰を折り額を床に押し付ける。

「ほら、ね、だからっ」


 銃口は動かない。空間が凍りついていく。


「ホント、Qちゃんマジホント頼んますって、殺しはダメ絶対!」

 震える声でナナトは続ける。

「三回回ってワンでもいいから、なんでもするから、だから殺さないでくれ!」


「……………………」


「……………………」


 嫌な沈黙があった。


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 テーブルの上で電話が鳴った。


 誰もなにも言わぬまま、誰も動かぬまま時間が流れる。


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 このままでは胸が押しつぶされてしまう。セルフィーは窒息感で泣き出したい衝動におそわれるのを死ぬ気で抑える。


「そうだこうしよう!」

 耐えかねたナナトが顔を上げる。

「殺すのは最後。十二時まで待とう。それまでに異世界に行けなきゃこいつを殺す、それでいこう、ね?」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 やはり誰も答えない。


 立ちあがらずにナナトは続ける。

「みんな聞いてくれ、今みたいにおかしなことさえしなければ、俺は誰も傷つけるつもりはない」

 無理やり落ち着こうとしているかのような丁寧すぎる口調だった。

「今から警察と交渉するけど、みんななにか希望あるなら言ってくれ」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 Qは唇を小さく結んでいる。

「……………………」


 チーちゃんは視線を落とし彼女の厚底な靴を見つめている。

「……………………」


 当然セルフィーもなにも答えられない。めまいで立っているのですら厳しい。


 こいつらは死刑、最悪でも無期にしなくては――


 プルルルルルル。プルルルルルル。


「ねぇ、そんなのいらないからさっさと解放してよ!」

 涙を流しながら快慶が訴えた。


 Qが無言でより強く銃口を押し付ける。


「だからQちょいやめっ!」

 ナナトがQを制止すると、快慶は怒りを帯びた目でナナトを睨みつける。


「なによっ、殺すならさっさと殺しなさいよ! 同情なんていらないわよ!」


「いや……」

 膝をついたままナナトは快慶に顔を向ける。

「お前の気持ちはわかる。わかるけどもうちょっとだけ待ってくれ、神が言うことを聞けば絶対に解放するから」


「……………………」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 電話は鳴り続けている。


 セルフィーは呼吸ができない。いろんな意味でもう限界だ。


 プルルルルルル。プルルルルルル。


 抑揚のないトーンでQが言う。

「ナナトっちさん、いい加減電話にでたらどうですか?」


「いや、まだ出ない」


 ナナトは今度はセルフィーを見上げて言う。

「セルフィー、本当になにかいらないか?」


 皆の視線がセルフィーに集中する。


 ――なぜこっちに振る。なにこいつ無理やだもう帰りたい。


 プルルルルルル。プルルルルルル。


「……いらない」

 セルフィーは震える唇で辛うじて答えた。

「なにもいらない!」


「そう? 別に食い物じゃなくてもいいんだぜ?」


「……そうやっ」

 セルフィーは口ごもる。

「そうやって……」


 ナナトの目はマジだった。怖い、彼女ははじめてそう思った。

「そうやって、ストックホルム症候群狙おうったってそうはいかないんだから!」


 ナナトはセルフィーにじっと目を向けたまま答える。

「いや別に、別に俺も腹減ってるだけだし。なんでも好きなもん頼んでいいから」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


「……はぁ?」

 体が固まって動かない。痛みすら伴うセルフィーの動悸はまったく休まる気配がない。


 なんなのその目? なにがしたいわけ? なにが目的なわけ? わけわかんなさすぎて気持ち悪い、ホント助けて、マジでもう――


「ふん、じゃあアタシは焼き鳥ね、あとビールも! キンキンに冷えたのを頼むわ!」


「えっ!?」


 セルフィーの当惑を快慶の思わぬ返答が中断した。


「ビール……?」

 セルフィーは自らの耳を疑う。

「って、快慶なに言ってるの?」


「だって殺されるかもしれないんだもん。それくらい別にいいじゃない」


「え? でももしバレたら……」


 畜産物の飲食、祭事以外での飲酒、そんなことをすればどうなるか、地獄上がりの快慶なら知らぬわけでもあるまい。


「バレてもバレなくてももうアタシはクビでしょ? なら最後の晩餐くらい楽しませてよ、あ、あと餃子もお願い」


「わかった、頼んでやる」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


「みんなは?」

 ナナトは立ち上がって電話に手をかける。

「なぁ、せっかくだからいいもん食おうぜ?」


 プルルルルルル。プルルルルルル。


「……わかりました」

 快慶に落としたドライな瞳を上げてQが言った。

「たしかにお粥ばかりで飽きましたし、ピザでも頼みましょうか」


「うん、そうだよそうしよう、な、チーちゃんは?」


「え、あ、……じゃあ、じゃあチーちゃんはクレープとミルクティーで……」


「ならアタシうな重も頼んでいーい?」


「でしたら私はお寿司も」


「うぇ、じゃあじゃあチーちゃんも――」


 タガが外れると一気に意見が溢れ、唐揚げ、ハンバーガー、スープカレー、ローストビーフ丼、TKG、etc.と、注文リストはやけに罪深いラインナップになっていった。


 セルフィーはやはり何も答えることができない。


 人間を地獄行きにする方法は簡単である。肉食、生涯に一度でも肉を食べたことがあれば、等活地獄以上は確定する。現代において同性愛はもはや罪ではなくなったが、肉食だけはいまだに禁忌である。


 電話はいつのまにか鳴りやんでいる。


「んじゃこれで電話するぞ。セルフィーは本当になにもいらないんだな? メシ頼むのはたぶんこれが最初で最後だぞ」


「うぅ……」


 そう言われるとやけに腹が減っている気がするから不思議だ。ダイエット中で朝からバナナ一本しか食べていない胃が狙ったかのような悲鳴を上げはじめる。


「ちょ、ちょっと待って……」

 セルフィーはナナトを引きとめる。


 とりあえずなにか頼んでもらおう。それくらいなら別に罪にはならないはずだ。


 問題はなにを頼むか……


 ここでアサイーとほうれん草のスムージーと、ひよこ豆のファラフェルを頼むのは簡単だ。


 だが、どうせなら普段絶対に食べられないものを食べてみたいという快慶の気持ちもわからなくはない。


 肉食は懲役一千年以上は確実だ。


 なのに有史より人間どもは肉を食うのをやめない、やめようともしない。しかし裏を返せば、畜産物というのは地獄行きのリスクを犯してでも食いたい、犯罪的に美味いものなのではないか?


「あの……撃たないでよ」

 セルフィーはナナトたちを片手で制しながら、懐からスマホを取り出す。


 彼女には一つだけ、死ぬまでにどうしても食べてみたいものがあった。西東京で人間を地獄に落とし続けて知ったのだが、現代日本には特定の人間を病的に魅了するギルティーな食べ物があるのだ。


「ちょっと待って……」

 スマホをいじる。食いログのページを探す。


 ――最悪こいつらに罪をなすりつけてしまえばいい、バレやしない。もしバレたとしても脅されて食わされたって言えばいい。


「あ、あった」

 画面をナナトに見せる。


「うおっ……ちょこれって、まさか……!」

 表示された画像にナナトが目をぱちぱちさせる。


「こ、怖いチロ、暴飲暴食チロ……」


「このタイミングでこれって……セルフィーさんってセンスありますね」


「え、ぁ、そ、そうかな……」

 ナナトから渡されたスニーカーのひもで快慶を拘束するQにセンスあると言われるのはかなりイヤではあったが、セルフィーはまんざらでもない気分になる。注目がいい意味で自分に集まるのはやはり心地いい。身体は相変わらず震えているけど、恐怖はさっきほどではない。


「これのヤサイマシマシアブラカラメで」

 セルフィーは気合を入れるべく最高のドヤ顔で言った。


「…………お、おぅ」

 ナナトはスマホの画面を凝視し続けている。


「あ、麺はカタメで」

 ――キマった、とセルフィーは思った。


「は、はぁ」

 ナナトは脱力し言った。

「……ま、まぁ、わかったよ」


 どうにも解せぬ、という感じの表情を浮かべたまま彼は受話器を手に取った。電話だけでなく外の異世界コールもいつしか収まっていた。



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