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Selfy at the ***** Store

 ――私、ショートだって全然似合うじゃん。


 カフェを出て三分後、渋谷かタイムズスクエアかという巨大交差点で信号待ちをしながらセルフィーは思った。


 停車中のアズトンマーチンのサイドガラスに映った自分の姿が、なかなか素敵なように思われた。サロンで整えてもらったボーイッシュなベリーショート。オーバーサイズのファーブルゾンにハイウエストなヒョウ柄のタイトスカート、


 ――ガーリーさとクールさのバランスが、いいね。


 あ、ついでにネイルもやっちゃおう。


 セルフィーは、両手をビルの隙間から差し込む夕日にかざしてみる。


 この服だとモノトーンベースが無難かな? いや、3Dアートとかキャラものとか、インパクトで遊んでみても悪くない。どちらにしろ、この世界には天国と同じ有名サロンがあるんだから、さっそく予約してみよう。


 信号が変わる。


 NPCどもが一斉に歩き出し、セルフィーもその流れに紛れ込む。


 横断歩道の向かい側、巨大な街頭ビジョンに昨日までの自分がデカデカと映っている。ダッサいピンク髪にボロボロの服、むくれた表情――脱獄犯。


 それを見て、セルフィーはひとりほくそ笑む。周囲の有象無象たちはそれぞれ、早足で人混みをすり抜けたり、スマホを見ながらダラダラ歩いたり、少人数のグループで群れていたりする。


 ここにいる誰もが、隣に私がいるだなんて思っちゃいない。自分たちを作り出した神がいるだなんて考えることもない。


 あの夕日も、雪がちらつく曇天の空も、ビルも、コンビニも、高級車も、スナーバックスも、パーソナルジムも、ヨガスタジオも、物理法則だって、すべて私が作ったんだ。すごいだろ!


 もはや自分が捕まるだなんて思えなかった。


 ――ハンドクリーム買お。


 セルフィーは横断歩道を渡った先のボン・キホーテに入店する。


 冷え込み乾燥する街の空気に肌が荒れていた。愛用のハンドクリームは審判局のデスクに置いてきたままだった。


 あー、ケミカルピーリングやりたい、クライオセラピーにも行きたいなぁ、など考えながら彼女は人とモノとでごった返す店内を物色する。美顔ローラー、リフトアップマスク、アロマオイル・ディフューザー。暖房が効いた店内には、セルフィー愛用の物品が天井近くまで積み上げられていた。


 ガヤガヤうるさい有線放送が今は逆に心地よかった。この世界の音楽も、ほぼ彼女の趣味に一致していた。


 セルフィーは人ひとりやっと通れるかという隙間をぬって、奥にある美容・ヘルスコーナーへと移動する。


 ビタミンC、ビタミンE、葉酸と、小分けのパックを三袋ずつカゴにぶち込みながら、常用しているヨルドイドクリームを探す。


 アルギニン、亜鉛、セサミン、チアシード。


 しかし、探しても探してもヨルドイドは見つからない。


 ブルーベリーエキス、トマトリコピン、難消化性デキストリン。


 サプリメントコーナーも隅から隅まで調べたが発見できず、店員に聞くと医師の処方箋が必要とのこと。くそ、天国と同じじゃないか! このあたりのウザさはピラティスのせいだ。あのクソ女、もし生きてたら絶対に殺してやる。


 セルフィーは店員に礼も言わず、レジへ向かう。


 ――ないものはないんだから、ブチギレても始まらない。


 処方箋が必要な以上、嫌でも医者にかからないといけない。こうなると一刻も早く、街一番のアンチエイジングクリニックを調べる必要がある。


 ヨルドイドだけじゃない。


 プラセンタを注射せねばならない。ボトックスの補充も必要だ。ニンニクエキスとヒアルロン酸だって射たなくちゃ。


 最高出力のレーザー脱毛だって、酸素カプセルだって。


 やらなければいけないことが多すぎた。


 腹は十分に満たされたし、衣食住も確保された。

 マズローの要求五段階説によると、衣食住が確保されたあと人が求めるものは、社会的欲求と承認欲求とのことらしい。

 ちなみにマズローは地獄に落ちている。その罪状も刑期もセルフィーは知らない。どちらにしろ、人間は皆地獄に落ちている。


 ――だけど。


 レジの液晶に映る別人になった自分を見て、セルフィーはふと我に返る。これ以上美しくになったとして、一体誰に見せるというのか?


 承認には他者の目が必要だ。だが私は凶悪な逃亡犯、目立つ言動は避けたほうがいい。


 ――じゃあ、ナナト?


 いや、あんなやつ今更どうでもいい。勝手に野垂れ死んでればいい。


 なら誰だ? 


 ピラティス? ――論外。

 天国の両親? ――介護のことを考えると会いたくもない。

 友達? ――あいつらはクズだ。

 同僚? ――そういや、快慶って死んだんだっけ?

 大学の時の? 高校の時の? ――今は名前すら思い出せない。


 あとは――


 そのとき、後ろから肩を強く叩かれる。

「おいボケっとしてんな!」


 振り向きざまに、レジの後ろに並んでいた男が、レジとセルフィーの間に商品の詰まった籠を挟み込み怒鳴った。


「終わったらさっさとどけよブス」


「は?」


 ――ブス? 今こいつブスって言ったよね?


 セルフィーは反射的に男につかみがかりそうになった。が、すんでのところで自分を抑え、踏みとどまった。


 ――今ここで騒ぎを起こすのはマズい。


 というか、あいつは私の顔をろくに見ていない。適当な代名詞としてブスを使ったに過ぎない。私はブスじゃない。ありえない。


 だけど店員からビニール袋を持たされたところで、セルフィーは急に不安を覚える。店員の口の端にわずかな嘲りが浮かんだ気がしたからだ。なので彼女は店を出るとすぐに電話ボックス――都合よくあるのはさすが私の作った異世界だ――に駆け込み、手当たりしだいにこの街のクリニックに電話する。


 しかし、


「え、半年待ち?」

「紹介状? ありえないでしょそんなの」

「いやだから救急だって! 不要不急の電話じゃないから! あ? なに警察って、ちょっと待って……」


 クリニックはどこもいっぱいだった。救急車も体よくあしらわれた。クソすぎる。患者は秒単位で劣化していくのに! 迅速なアンチエイジングが必要なのに!


「F***!」


 セルフィーが電話ボックスを飛び出すと、もうすっかり夜になっていた。


 ――これからどうしたら?


 いよいよ降り始めた雪が街の明かりに輝いている。焦燥からか、モダンなビル群がパースがかって見えてきて、セルフィーの呼吸は乱れ始める。


 街を歩くNPCたちは皆歩きスマホで、セルフィーを見ることもなく、きれいに避けて追い越していく。


 レギンス越しに寒気が這い上がり、全身がすくみ上がる。突然、「私はこの世界を作った神だ!」と叫びたくなって、セルフィーは慌てて口元を押さえ込んだ。


 ――なんでこんなことになったんだろう?


 正体がバレてはいかない。だけど承認は受けたい。その矛盾に今にも胸が押しつぶされそうだった。


 医者がダメならとりあえず、なんでもいいから自己啓発書が読みたい。


 承認を得る最短の方法を確認したい。私を可愛いと言ってくれる男に会える確証が欲しい。私が私であることを、神が神であることを確信したい。


 デスクの上で埃をかぶっているアドラー心理学の本を思い出す。アドラーの懲役は? 知るかそんなもん。


 禅のトレーニングを受けたい。私が地獄に落とした禅寺の和尚は何人いたっけ?


 そんなことを考えながら、セルフィーは行くあてもなくビルの谷間を歩き続ける。


 地下通路を歩く。誰も私のことなど気にしない。

 恋人たちで賑わうミッドタウンの交差点を歩く。恋人たちはお互い見つめ合っている。

 巨大なペデストリアンデッキを歩く。通行人たちはスマホに夢中で、


 セルフィーはもう何者でもなかった。


 私は津軽・バーニンガー・あけみで、この街で私のことを知るものは誰もいなくて、そして、


 ――私は誰にも承認されていない。


 ふいに強い明りを感じて、セルフィーは立ち止まる。


 彼女の目の前に、見覚えのあるリンゴマークの店舗があった


 煌々とまばゆい光を放つそのショーウィンドウには、天国でも発売されたばかりのyphoneの新作が宝石のように並んでいた。


 そのときだった。


 自撮り、チンスタグラム、ツブヤイター、チックタック。


 そんな単語が懐かしさを伴って、セルフィーの胸の中から溢れてきた。


「インターネット!」

 彼女は思いがけず叫んでいた。


 その美しい響きに空に舞い上がっていきそうな感覚を覚えた。あぁ、インターネット、なんて素晴らしい言葉だろう。忘れていた。いや、忘れるわけがなかった。セルフィーにとって、ネット以上に大事なものなど存在しない。ただその危険性ゆえ、意識して考えないようにしていただけであった。


 出前のときはウーパーを使わなくても耐えられた。ゴーグルマップがなくても街の案内板を頼りにできた。だけどもう無理だ。もう限界だ。私はひとりでもやっていけるなんて強がりは、このロゴマークの前には音を立てて崩れていくかのようだった。


 マズローが現役だった時代と違い、五段階の欲求のさらに下、六段階目にはワイファイという絶対不可欠なインフラが存在する。


 ――友達に同級生って、なにを馬鹿なこと考えてたんだ。


 私はもうセルフィーじゃない。だが、それがなんだ。


 現代における承認は、リアルな人間関係を介さなくても構わない。お互いの本名など知らなくても人は繋がれる。神であろうが犯罪者であろうが、ネット上では受け入れてもらえる。


 セルフィーはポケットの中で裸の免許証を握りしめた。二秒ほど、他人の免許証でスマホを契約するリスクについて考えた。


 そんなことわざわざ悩まなくても、答えなど決まっていた。


 私はあけみで、セルフィーじゃない。


 そして、


 早く誰かと繋がらなきゃ、感動をシェアして、“映え”な写真を自慢しなきゃ。


 激しく高鳴る胸の鼓動に、セルフィーは表情が緩むのを止められなかった。指先がフリックを求め疼いていた。


 彼女はヒクヒクと喉を鳴らすと、至上の幸福のようにまばゆい店の中へ消えた。

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