絶対有罪
「ぶはっ!」
ナナトは激しく水を吐き出しむせた。
「あぼっ、ぐほっ、んんっ……」
咳き込んでも咳き込んでも肺から水が出ていかないのは、水車にくくりつけられ逆さ吊りになっているからだ。
頭が重い。水をたっぷり含んだ縄がひと呼吸ごとに胸に食い込んで、世界がチカチカと点滅する。鼻の奥から足の先まで浸水している感じがして、顎からしたたる水が目に入っても拭うことすらままならない。
「ははっ。ま、だいたいはわかったわ」
エマが笑う声が聞こえた。
「しっかし自分ら、仲悪すぎやろ。ナナト死にかけやないか。ひゃははっ」
突然、ぼんやりと滲んだ視界に燃えるように赤い瞳が目が飛び込んできて、ナナトは背筋をすくませる。ミシミシ、と水車がきしんだ音を立て、再び体が下降し始めたところで、エマに頭を蹴り上げられた。
「いぁッッ!! ぐぼっ、うぼっ……」
痛みにあえぐナナトの呼吸に、
「ひゃはは、にゃはははっ、あーおもろ」
エマは重ねるように笑い続ける。
彼女こそが閻魔であった。
胸のない一見少年にも見えるような体つき。身長に対しアンバランスな日本刀。蛍光灯の下で斜めに傾いたツインテール。シンメトリーに整った顔を崩すかのように歪められた唇。そのすべてが悪魔じみていた。それもそのはず、彼女こそ悪魔の中の悪魔なのだから。
エマの高笑いが収まってきたところで、快慶が言った。
「だ、だからアタシたちはこいつの人質で、被害者だって言ってるじゃない!」
彼はナナトをきつく睨みつけ、つばを飛ばし喚き散らした。
「アンタさえいなければ!」
キンキンした声が留置所中に反響する。
快慶は縄で腕ごとぐるぐると拘束され、三角木馬に乗せられていた。両足には鉄の重りがくくりつけられ、剥き出しの上半身には無数のムチの痕が残っていた。
「モー」
快慶の隣で金属製の牛が鳴いた。その中に閉じ込められたチーちゃんもなにか言いたげだったが、発言はすべて「モー」に変換されてしまい、ナナトには理解できなかった。
「とにかく!」
二人の泣き言を遮るように、エマがムチをつかんで振り下ろす。
「自分ら、まだなんか隠してとるやろ?」
「は? なんで?」
「ンモ?」
「うるさい! さっさと吐かへんと、ナナトがもっとひどい目にあうで!」
「そんなの別にいいわ。つか死ね。死ねナナト!」
「モモー!」
ふたりの怒声が、しこたま水の詰まったナナトの耳にもよく響く。
「だ、そうや」
エマの手が再び水車に伸びた。
「水車拷問はワイのお気に入りなんや」
エマは言う。
「罪人は必ず自白するか死ぬ。最高や思わへん?」
「んぶっッ!」
ぎいぎい音を立てて水車は回り、再びナナトの頭が水に沈む。
何度やられても水は冷たくて、ナナトは思わず目をつむる。遠心力できつく縛られた胸がいっそう圧迫され、硬い羽根に食い込む皮膚と骨とが引き伸ばされる。
「ほら、さっさと答えぇや」
水中のナナトが答えられないことをわかったうえで、エマが問う。
「くぅっ……ッッ!!」
逆さ吊りの足先にムチが撃たれると、反射的に口を開けてしまう。冷たい水がこれでもかと中に流れ込み、苦しくてあがく。あがけばあがくほど全身が引きつって、気が遠くなる。
再びムチがしなる。
――セルフィー、早く助けてくれ!
ナナトは叫んでいた。叫んでも水を飲むだけだとわかっているのに、どうしても止められなかった。目から溢れた涙は水に溶けて拡散していった。
セルフィーは「一週間後に助けに行くから」と言った。
それが本当だとしたら、あと三日、あと三日耐えればいい。けど、あと三日も耐えられるのか? そもそもセルフィーは助けてくれるのか? そんな義理なんてないんじゃないか?
「あのな」
途切れそうになった意識の端から、くぐもったエマの声が聞こえてくる。
「ワイの目的は神の不正を告発することや」
「は? そ、そんなっ、正気なのっ!?」
「モミョ?」
300メートルは離れたところから、快慶やチーちゃんの声がする。水浸しの肺が燃え上がっている。頭が破裂する。もう限界だ。
「今回の一件だけでも神はあらゆる違法行為を行っとる。地獄の監察官を介入させへんかったり、犯人は死亡したと報道したりな。サーモグラ――」
「エアロバースト!」
こらえきれず、ついにナナトは風魔法を唱えた。反動で水車が高速で逆回転し、外に出たと思ったら、今度が足から水に突っ込む。エマの顔が浮かんで沈んでを繰り返すなか、ナナトは必死に息を継ぐ。
息を継いで息を継いで、そして叫んだ。
「なら俺たちがっっ!」
水車の回転がエマの前でゆっくりと停止する。
「俺たちがっ、天国で証言すればっ、神の嘘を暴ける、そうだろうがっ!!」
むせながらナナトは続けた。
「人を信じないお前はっ、いったい懲役何年食らうんだ!? このクソ閻魔めがっ!!」
一瞬の間があった。
快慶と牛の中のチーちゃんの視線がナナトに集まっていた。言ってやった、と彼は思った。空気がこんなにも美味いとは思わなかった。
エマはムチを投げ捨てると、ゆっくりと刀の柄に手をかけた。
「……調子のんなや人間めが」
そう答えると同時に、水車の羽根ごとナナトの左耳が吹き飛んだ。
「うっ!」
激痛が走り目が冴えた。切り裂かれた皮膚に連動するように頬の肉が引きつって、キュアスフィアを唱えそうになるのをナナトは必死に押さえ込む。こんなことで回復していたら命がいくつあっても足りやしない。
「お前ら罪人の証言なんて誰が信じんねん?」
ひゅん、と刀をひるがえしナナトの首筋に近づけると、エマは彼の残っている耳に囁いた。
「人間イコール罪人の証言なんか認めるわけあらへんやん」
「へ?」
「自分ら人間なんて、ただ黙って罰受けときゃええねん。せやのに、近頃の天国ときたら、罪人にも人権て、うるさぁてたまらんわ。あのな、ワイが自分らをここに連れてきた理由はな、ここでなら思いきり拷問できる思うたからやねん。だってここは天国でも地獄でもあらへんさかいな」
「そんな――」
突然、錆びついた音を立てて、鋼鉄製の扉が開く。
「お、来たか来たか」
扉の向こうには怯えた表情のミノタウロスの警官が立っていた。彼の前には台車があって、その上には祭りの出店で使うような巨大なガスコンロが載っていた。
エマが顎でしゃくると、ミノタウロスは台車を押して留置所の中に入ってくる。
「火あぶりも、ガロットも、審問椅子も、全部天国のせいで規制された。拷問器具のバリエーションだけが人類で唯一優れてとる点やったのに……」
エマは刀を鞘に納めながら苛立たしげに言った。しかしその表情は、とろけそうなほどにニヤついていて怖かった。
ミノタウロスはエマの指示通り、ガスコンロをチーちゃんが入った牛のオブジェの下に設置して退室する。
「これはファラリスの雄牛いうねん」
エマが言う。
「罪人は必ず自白するか死ぬ。素晴らしい拷問なんや」
エマが火をつけようとコンロにかがみ込んだ瞬間、ナナトは叫んだ。
「エアロバースト!」
「ンモー!」「きゃー!」
チーちゃんが鳴いた。快慶も叫んだ。
が、コンロ向かって放たれたナナト渾身の風は、
「ぬるいねん!」
再び抜かれた刀にあっけなく散らされてしまっていた。目に見えぬ速さで切り裂かれた風の流れは、ただ部屋をざわつかせただけだった。
当然、水車は反動に回転している。
耳の傷跡に汚い水が染みる。世界が、回転して、回転して、回転して、そして止まる。またもやエマと視線がぶつかる。
「こんなちゃちな風魔法、ワイなら五万発は撃てるで」
再び刃を突きつけられると、もうナナトはなにもできない。コンロは着火して、チーちゃんの足元で勢いよく燃え盛る炎は濡れたナナトの皮膚までもジリジリと炙り焦がしていく。
「おい誰でもいい、さっさと答ぇや! 時間がないねん。天国にセルフィーやピラティスを発見されたらばそこでしまいや、お前らだって消されんで」
「モモモ! ンモ、モモモー!」
チーちゃんが今まで以上に泣きわめく。
「なんやワレ? なんか言いたぁなったんか?」
「ムモッ! モモミョー!」
「なんやなんや? なにゆっとんのかわからへんで?」
「モモー! モモモゴッ」
「あん? ん?」
急にエマの顔つきが変わる。
「モ! モモモ! モモォーッ!」
「なんやてっ!?」
そして、エマは刀を振りかぶり、牛の頭めがけて叩きつけた。
鋭い金切り音が鳴り響き、快慶の悲鳴が部屋に反響した。重量感を感じさせる音とともに牛の頭が床に転がり落ちると、
「セ、セルフィーはまだ、こ、この街のどこかにいると思いますっ!」
ポッカリ開いた首のなかから、チーちゃんが顔を突き出し、咳き込むような声でいった。
「なんでや?」
エマがチーちゃんに刀を突きつける。炎は消えておらず、緊張感が高まっていく。
「どうゆうことやねん?」
「こ、この世界にはここより大きな街はないんですよね?」
「ワイが空から見た限りでは、そうやな。ここ以上にデカい街はあらへん」
「ならセルフィーは絶対ここにいます。あの人は流行から逃げられない。口先でロハスだノマドだ言ってても、心のなかではスローライフに中指立ててるような女なんです。私と同じで」
「なるほど」
「ならピラティスもここにいるわ!」
横から快慶も割り込んできた。
「ナナトの話じゃ、ピラティスはセルフィーを恨んでいるんでしょう? それに、この世界ではセルフィーの脱獄が報道されてる。ならセルフィーを探すため、ピラティスもこの街に来てておかしくないんじゃないかしら?」
「へぇ」
エマの目が見開かれる。
「なかなか面白い答えやな」
「それだけじゃないわ」
緊張した面持ちで彼は続ける。
「明朗、今回の事件には私の彼氏が関わっていた可能性もあるわ。彼は最近、行き遅れの先輩がウザいってよく言ってたんだけど、たぶんそれがピラティスよ」
「そ、そうだと思います」
横から、チーちゃんも付け加える。
「事件の最後、ピラティスが審判局に突入したとき、あの人、明朗、明朗ってブツブツ言って、すごい取り乱してました。絶対明朗とかいう人となにかあったんだと思います」
「……明朗か」
チーちゃんの首から刀が離れた。
「うちの監察官も、たしかその名を言っとったな……」
エマは刀を鞘に納めると、軍服のポケットからスマホを取り出した。大きなスマホは彼女の小さな顔に対しアンバランスなように思われた。彼女はどこかに電話をかけて、明朗に関してすぐに調べるよう伝えると、赤い口を開け笑った。
「はははっ。そうや、ワイはそういう話が聞きたかったんや。自分ら喜べ、それぞれ100年ずつ減刑したる」
「100年?」
「あん? 文句あるんか?」
「い、いえ、そんなに減刑してもらえるだけで十分だわ」
「え、えとあの、そもそも私って、いま懲役何年なんですか?」
「たぶん1億くらいやった思うけど?」
「へ?」
「別にたいしたことないやろ。霊長類が生まれた程度やん、一瞬やて、知らんけど」
「え、えっ?」
「えと、じゃああの俺は?」
彼らのやりとりに不安を覚えたナナトも言った。
「お前は130億くらいやったかな」
「え?」
「いやだって自分、新世界作っとるわけやん? それって宇宙誕生と同じくらいの罰が妥当や思わへん?」
「は?」
「いやいや、つかつか、自分らのせいで牛が壊れてもしもたやんか。まだまだ聞き足りへんのに、なにしてけつかんねん!」
「い、いまさら、これ以上何を話せっていうんだよ!?」
「うるさいのぉ!」
エマは刀のかわりにムチを拾うと、唖然とするナナトに叩きつけ言った。
「次は石抱や。ワイは自分らが全部吐くまでやるで。だって罪人は自白するか死ぬしかあらへんのやからな」




