一人
セイルの剣が、黒鴉の兵の剣を、払い上げた。
転んだ子どもの、すぐ上で。
払い上げた剣を、返す手で、兵の脇の下に入れた。兵は、声も上げずに、倒れた。
セイルは、子どもを、片手で抱え上げた。広場の端の、母親らしい女の腕に、放り込んだ。
「下がれ」
それから、振り返った。
ヴォルグを見た。
俺は、三回目の鐘を、引いた。
ごおん。
町じゅうに、響いた。
三回。ヴォルグが来た。広場へ。
ドッジも、エルナも、来い。
俺も、下りる。
でも、鐘楼の階段は、百二十段より、少し多い。
ヴォルグは、広場の入り口で、足を止めていた。
セイルを見ていた。
「川沿いの、若いのか」
あの、静かな声だった。
「生きていたか」
セイルは、答えなかった。
剣を、構えた。
欠けた剣だった。ザルム谷の川沿いで、ヴォルグの大剣を受けて、欠けた剣。
ヴォルグの後ろで、黒鴉の兵が九人、剣を抜いた。広場の人たちのほうへ、広がろうとした。
広場の北の通りから、怒鳴り声がした。
「誰の町だと思ってるんだい!」
ヘルガだった。
灰狼団の第二隊を連れていた。ヨハンが、その横にいた。南門から、北の壁沿いを回ってきたのだ。
ヘルガの後ろから、荷車が一台、転がってきた。荷車の上に、ガルドが座っていた。片手で、槍を、横に構えていた。
荷車を押していたのは、マーサ婆さんだった。
「どきな! あたしの煮込みの鍋が通るよ!」
黒鴉の兵たちが、荷車と第二隊のほうへ、向き直った。
広場の真ん中に、セイルと、ヴォルグだけが、残った。
◇
俺は、階段を駆け下りていた。
鐘楼の階段は、狭かった。石の段が、ぐるぐると回っていた。途中に、細い窓が、いくつもあった。
窓の前を通るたびに、広場が見えた。
一つ目の窓。
ヴォルグが、大剣を、肩から下ろした。
セイルが、半歩、前に出た。
二つ目の窓。
剣と剣が、ぶつかっていた。
ザルム谷のときより、セイルは、速かった。
いや、速さは、同じだった。違うのは、焦っていないことだった。ヴォルグの大剣を、まともに受けなかった。受けずに、流した。流しながら、下がった。下がりながら、ヴォルグの足元を、何度も斬りつけた。
当たらなかった。でも、ヴォルグを、前に出させなかった。
セイルは、勝とうとしていなかった。
止めていた。
時間を、稼いでいた。
三つ目の窓。
ヴォルグの大剣が、セイルの肩をかすめた。服が裂けて、赤いものが飛んだ。
セイルは、下がらなかった。
四つ目の窓。
ヴォルグが、蹴った。セイルの体が、石畳を転がった。
セイルは、起き上がった。
起き上がって、剣を構えた。
剣先が、ぴたりと止まっていた。
◇
セイルは、兄のことを、考えていたのだと思う。
あとで、セイルが、そう言った。
三百人が隠れている丘に向かって、一人で馬を走らせた兄。
待て、と言われていたのに、待たなかった兄。
今なら討てる、と思った兄。
兄の剣なら、本当に討てた。だから、余計に、たちが悪かった。
――お前の兄ちゃん、一人だったから死んだんじゃねえのか。
ドッジの声がした、とセイルは言った。
食堂の、寝床の上からの、のんきな声が。
――一人で行くのは、なしだ。
自分の声も、した。
団長の部屋で、エルナに言った声。
――背中を、頼む。
――頼まれた。
セイルは、一人で、前に出た。
転んだ子どもを、放っておけなかったからだ。三回目の鐘を、待てなかった。
でも、一人で、勝つつもりはなかった。
三回目の鐘は、鳴った。
鳴ったのを、セイルは、聞いていた。
だから、待てばよかった。
勝たなくていい。倒れなければいい。
三人が、来るまで。
五つ目の窓。
セイルの剣が、ヴォルグの大剣を、受けていた。
受けてはいけない剣だった。流せない角度から、来た。
セイルは、受けた。
両手で、剣の柄を握って。
ヴォルグの大剣の重さが、セイルの剣に、まっすぐかかった。
セイルの膝が、石畳についた。
剣が、きしんだ。
ザルム谷で欠けた、あの場所から。
六つ目の窓。
俺は、もう、窓の前で止まらなかった。
走った。階段を、何段も飛ばして。
下から、音が聞こえた。
金属が、割れる音だった。
高くて、短い音だった。
ヴォルグの大剣が、セイルの剣を、折っていた。
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