少女記憶喪失
「私、は・・・・・・・・・・・・」
呆然とつぶやいた彼女は、次第にはっきりとする視界で自分のいる場所を見る。
深い森。緑色の絨毯が広がるように、青々とした森の中。神秘的な、と形容してもいいであろう森だが、どこからか炎か何かだろうか、物が燃えている匂いがする。
彼女は立ち上がる。体に痛みはないが、服はところどころ破れている。
だが、そんなことはさしたる問題ではない。ここがどこか、と言うのも大事なことだが、それよりももっと大事なことがあった。
「私は、誰?」
自分のことを思いだえない彼女。
そんな彼女は、ふと足元にあった水たまりの中に映る自分を覗き見る。
かわいい、と言うよりは凜とした、と言った方がいいであろう顔。
少し釣り目がちで、融通が利かなそうだな、と自分を評価する。
とはいえ、記憶がないから自分がどんな人間かは、わからない。
人間ではない、とは思わなかった。耳がとがっているわけでもないし、特徴的には普通の人間。
「私は、誰なんだろう」
自分の御許を知る者がないものか、と自身の持ち物を見る。
持ち物、と言っても、そうたいしたものはなく、腰に下げた鞘と近くに落ちていた剣くらいのものだった。
剣を持っている、ということから彼女は自分が騎士とか傭兵とか、そう言うのなのかな、と思った。
剣は華美にならない程度の装飾がなされている。堅実なつくりで、その刀身は不思議な光を帯びている。
記憶に関する知識以外はほとんど無事のようで、その光が何か特別な魔力によるもの、ということだけはわかった。
とはいえ、自分のことを知る手掛かりになるとは、思えない。
自分のことはわからないが、彼女はあまり疑問に思わなかった。
確かに、怖いとは思うが、震えたところでどうなるわけでもない。
ひとまず、この森を抜けようか、と彼女は決意する。
剣を持っているのだし、そこそこの腕は持っているだろう、と勝手に思い込む。
自分のスキルも思い出せないのに、彼女はなぜか自信に満ちていた。
剣を持つ手はしっくりと来ていて、そこらの魔物には負けない気がした。
「不思議なものだなあ」
彼女はそう呟き、歩き出す。
森の中で感じた燃える匂い、はどうやら戦いの匂いらしい。
森を歩いている最中も、どこかで争う声がした。
魔族だ、裏切り者だ、などという会話が聞こえた。
さすがに好き好んで戦いたいわけでもないから、彼女はそれを避けて森を進んでいたが。
(戦争、かな・・・・・・・・・?)
しかし、彼女の記憶の欠落は思ったよりも重傷で、世界の地図やら今の現状、と言った知識ががらりと抜けていた。とはいえ、この世界の神話を知らないわけではないし、とあやふやであった。
「別にいいけどね」
そう呟き、彼女は歩く。
ざり、ざり、と足音がする。足音は、彼女の物だけ。
だが、いつしか彼女は自身の後ろに誰かがいるのを、感じ取った。
なぜかは知らない。きっと、この体が覚えているのだろう、彼女の失った記憶を。
彼女は腰に差した剣の柄に手を添え、いつでも抜けるようにした。
相手が襲い掛かることはないが、それでも用心に越したことはない。
しん、と静まり返る森の中、彼女は歩く。
と、前方から騒がしい声が複数する。
粗野な声で、穏やかな様子ではない。
微かな敵意を感じ、剣を抜いた。
そんな彼女の前に、木々をくぐりながら数人の男たちが現れる。
男たちは、人間族ではなかった。魔族、と総称される者たちであった。
「なんだ、人間の女か」
魔族の男の一人がそう言い、彼女を見る。
「ふん、追っていたやつらとは違うが、まあいい。人間ならば、殺すまで」
そう言うと、彼の後ろにいた魔族がおのおのの武器を構え、どこか狂気に駆られた眼で彼女を見る。
ぎょろりとした魚のような眼、昆虫の複眼、血走った眼・・・・・・・・・・。
それらから放たれる不快な視線に、鬱陶しそうに髪を振り、彼女は剣を構える。
さすがに、わけもわからず殺されるのはたまったものではない。
記憶もなく、誰も知る者がいない中死ぬなど、惨めすぎる。
「なんだ、抵抗するか。女のくせに」
「こいつ、服やらなんやらからみると、どっかの騎士なんじゃねえか?」
「騎士にしては若すぎる。それに、この大陸に騎士なんて聖堂騎士団くらいだ。あいつらの格好とは違う」
魔族たちはそう言い合っていたが、まあどうでもいいか、と顔をそろえると、殺意をむき出しに彼女に襲い掛かってくる。
来るか、と身構える彼女。だが、その前に何かが現れ、襲い掛かってきた魔族から彼女を遠ざける。
「なんだ、てめえ!?」
「おい、こいつは・・・・・・・・・・」
あっという間に、接近していた魔族を二人、乱入してきた陰は屠る。
が、という鈍い音がして、周囲の木々を巻き込みながら男を吹き飛ばす。
紫色の鱗に包まれた両腕には鋭い爪が輝き、血が垂れていた。
「こいつ、二人を一瞬で!」
二人の男を軽々と振り払い、殺した乱入者に、魔族の男たちは警戒する。
「そうだ、こいつは・・・・・・・・思い出したぞ!」
鳥の頭の魔族が声を上げ、乱入者を見る。
そして、糾弾するようにその細い指を彼に向ける。
「クィル・アルゲサス・・・・・・・・・裏切り者のインヴォテール!!」
クィル、と呼ばれた青年は何も答えず、じろりと魔族を見る。
ひい、と震えあがる鳥頭の魔族。
竜の腕を持つ青年がじり、と寄ると、魔族たちは怯えたように下がる。
敵わない、と本能的に悟っているようだった。
歯ぎしりして、魔族の男たちがクィルを見る。
「人間を庇うというのか、魔族のくせに」
「種族なんて、関係ないさ」
そこで初めて、青年は口を開く。
「ただ俺は、間違った行為をする奴らが嫌いなだけさ」
「・・・・・・・・・・・くそっ」
オークの男が吐き捨て、だがるぞ、と目で合図する。皆それに従う。さすがに同族相手に分の悪い戦いをすることは望まなかった。
「いつか後悔するぞ。人間たちは、そうやっていつでも俺らを利用してきたんだから」
「・・・・・・・・知ってるさ」
それでも、と呟いた青年を残し、魔族は去る。
後ろから、それまでの出来事を呆然と見ていた彼女には、彼が泣いているように見えた。
ふと、青年はこちらに顔を向け、彼女に手を差し伸べる。
「危ないところだったな、怪我は?」
「いいや、ないよ。ありがとう」
とはいえ、助けられずとも勝てた、と言う気はした。だが、わざわざ口にする必要もあるまい、と口を紡ぐ。
紫色の髪をした彼は、人間に近いが、ところどころの骨格やらなんやらが人間族とは違うようだ。
「珍しいな、俺や魔族を見ても、嫌悪感とかもってなさそうだな」
「あー、うん、そうだね。そうというのも、ただ単に私が自分が誰か、わからないだけ、ってのもあるんだけど」
居心地悪そうに頭を掻き言う彼女に、ふぅん、とクィルは反応する。
「で、あんた、私をつけて何の用だったの?」
彼女の言葉に、気まずそうにするクィル。
「いや、俺たちを殺しに来た人間かと思って」
「俺たち、ってさっきの魔族たちとはまた別の?」
ああ、とうなずくクィル。
「俺のような一部の魔族と人間さ。おかげで、どちらからも追われているのさ」
クィルは肩を竦めてため息をつく。
「おかげで、こうしてしたくないこともして、生きているのさ」
ふうん、と彼女は呟いた。
「それより、記憶喪失とはな。何も覚えていないのか?」
「ううん、そうだなあ。自分のことと、今の世界の情勢とかさっぱり」
そう言った騎士の格好の女に同情の目を寄せるクィル。
「そいつは大変だな。あんたどうする?このまま安全な場所に送りたいが、俺らはさっき言った通りでな。あんたを面倒見る暇はないんだ」
「いいよ、別に。それよりさ、あんたの仲間、っていうの?会いたいなあ」
その言葉に疑わしそうな目を向けるクィル。だが、彼女の眼の中にあるのは単なる好奇心でしかないようだと知ると、ため息をつく。
「俺らと一緒に居たら、あんたも追われるぞ?」
「まあ、別に記憶ないから困らないしねえ。それに」
彼女はニカッと笑う。
「私、どうやら差別とか種族の違い、っていう壁、好きじゃない人間みたいでね」
そう言った彼女を呆れたように見ると、「ついてこい」とクィルは言った。
森の中を歩きながら、クィルは今の世界の情勢を騙りだす。
北のイヴリス大陸で、ハンノ=イヴリス、パラメスが続いて滅亡し、魔族による国が建国されたこと。
魔国、と言うその国は魔王と呼ばれるものを筆頭に、隣接するクライシュ大陸、ファムファート大陸へと侵攻を開始した。
ファムファート大陸では、バラル帝国やらバーティマが戦争をしていたが、それでも国としての体裁は整っているため、何とか魔族の侵攻は防いでいた。
だが、先の魔神襲撃や大宗主国崩壊の混乱により、秩序のないクライシュは侵攻を許した。
クィルらの現在いるラカークン大陸に近い南部まで、瞬く間に魔族は侵攻してきた。
対する人間側も、いろいろと内部抗争があり侵攻を食い止めることはできなかった。
次なる大宗主国は、我らのくに、とばかりに主張しているのだから、あきれるしかない。
未だ、大宗主国跡では魔神キュレイアとハウシュマリアが争い合っているのに、よくもまあ、とも思う。
「あんたたちはこれからどうするのさ?」
クィルらがなぜまだここにいるのかわからず、彼女は問う。
「ラカークンにいけば行ったで、また追われるしな」
それに、とクィルは言う。
「ラカークンは魔族がいないが、またいろいろと複雑なんだよ」
帝国兵がなだれ込み、混戦となっている、と噂で伝え聞いている。
セアノを盟主とした同盟もあるが、ほとんど形だけのものになっているともいう。
「今のところ、世界に平穏な場所はないな」
中央大陸はまだ影響も少ないが、それでもまったくないわけではない。別の大陸で発生した魔者たち。
それまで魔神やら、国の騎士団やらが抑えていたそれらが中央大陸に出現しているらしい。
中央大陸にあるオリュン山には、魔物を惹きつけるなにかがあるらしく、そこを目指して魔物たちはアウラ海を超えようとし、実際超えた魔物が被害をもたらしているらしい。
次にましなのはファムファート大陸だが、飽くまでまし、というレベルで、ここも戦争に明け暮れている。
バラル帝国とバーティマの戦いとなっており、本来ならば優勢であるはずのバラルも、ラカークン大陸での戦いで消耗していた。
「ずいぶんと、すさまじい状況だな」
今までの歴史でも、こんなことはなかったんじゃないか、と彼女が問うと、そうだな、とクィルは頷く。
「伝説で語られる人魔大戦、逢魔大戦も、その規模はこれほどのものでなかったというしな」
クィルは暗い顔で言う。
「信じたくはないが、これが今の世界だ」
そう言い、クィルは彼女を見る。
「不安か?」
「そりゃあね」
不安じゃない人はいないんじゃない、と彼女は言う。
「それでも、クィルは戦うんだね」
何が君をそうさせるの、と彼女が問うと、しばし考えクィルは口を開く。
「同じ理想を見る人たちとの約束、それに、それまで死んでいった人たちの犠牲を、意味のないものにしたくないから」
一緒に歩いてくれる人がいる。彼女がいれば、きっと理想のために戦えるはずだ。
クィルはそう言い、静かに笑う。
「いい人に出会えたんだね」
「そうだな、俺は運がよかった」
クィルはそう言い、「見えたぞ」という。
彼女はわあ、と声を上げ、その光景を見る。
「ようこそ、我らの家へ」
広がる光景は、変哲のない村であるが、そこには今の世界の情勢では考えられないほど平穏な様子であった。
そしてなにより、その村では人も魔族も、エルフもドワーフもいるのだ。
皆、姿かたちこそ違えど、共存していた。
「みんな、戦争やらで何かを失った人ばかりだ。俺らはそう言った人たちを受け入れているのさ。数百人程度だが、これほどの人たちが種族の壁を超えて過ごせている」
きっと、いつかそれが当たり前になる、その日のためにも俺は諦めない、とクィルは言う。
その様子に、彼女は自然に騎士がとるような礼の形をとる。
「やめてくれよ、照れるな。騎士の真似か?」
そう言うクィルだが、その割には彼女の礼はあまりにも自然で、ちゃんとしたものであった。
無論、彼もそれには気づいていた。
彼女が誰か、それが気にならないわけではないが、彼女が自分たちの敵ではない、とはなんとなくわかった。
記憶喪失の少女は、そうしてクィルらに受け入れられた。
束ねた金色の髪を揺らして、少女は歩いていく。




