ある男の懺悔
私は、俺は、
どこで間違ってしまったんだろうか?
幼いころから、俺は敬虔なレアレス教徒の両親に育てられ、当然のようにレアレスの教えを信じていた。
農民である俺にとって、神という存在は切実なもの。豊穣の神への祈りは、当然のもの。
そうしなければ、俺たちは生きていけないから。
貴族のように、先祖代々の財産なんてない、しいて言えば、土地だけが財産。
それも、環境や気候で悪くなって手放すこともざらじゃない。
俺たち平民にとって、生きていくことは非常につらいことであった。
現実的な考えを、子どもの俺も嫌と言うほど教え込まれた。
だから、だろうか。
厳しい現実なんて知らないルルーは、とても、とても眩しい存在だったんだ。
農作業の手伝いの合間、野原に転がっていた俺のもとに、一人の少女がやってきた。
見かけない顔の、裕福そうな少女で、きっと貴族なんだろうな、と俺は思った。
対して、土まみれ泥だらけの俺。
きっと、苦労なんてしたこともないんだろうな。
僻みのような感情を向けて、俺は目をつむる。
そして、温かな風に当たる。陽光が照らす中、心地よい春の風。
格好も恰好なので、汚れることも気にせずにいた。
「ねえ!」
そんな俺に声をかけてくる少女。明るい声。
「・・・・・・・・・・・なんですか」
一応貴族なのだろうから、俺は敬語で答える。下手をすれば、首を飛ばす貴族もいる。下手な態度はとれない。
だが、少女は何の邪気もない顔で俺を見ると、隣に座る。
「隣、いい?」
「・・・・・・・・・・・・大丈夫、です」
敬語で答える俺を、少女が不思議そうに見る。
「どうして敬語なの?あなた、私と同じくらいでしょう?」
年を聞かれ答えると、私と一緒、と嬉しそうに少女は言う。
曰く、同年代の子たちと話すのは初めて、ということだそうだ。だが、俺はどう反応したものか、ほとほと困っていた。
ごろり、と転がる少女。
輝く瞳と髪。思わず、見惚れる。
「私はルルー。あなたは?」
「ロイ、です」
「じゃあ、ロイ。私と、お友達になってよ」
「・・・・・・・?」
俺は首をかしげて彼女を見る。
何を言っているのか、と言う顔の俺に、不思議そうに見返す少女。
「おかしい?」
「おかしいですよ、俺は平民であなたは」
貴族です、と言おうとする俺の口を塞ぐ。
少女は「敬語禁止」と言う。
「私たち、友達だから平等!」
やめてね、と笑う少女。
強引な少女の態度に、しかし、俺は不思議と不快感を抱かなかった。
そして、このころには、俺はルルベリア―という少女に恋をしていた、のだろう。
俺がこの感情に気づくのは、彼女を失ってからだった。
彼女は時折、暇な俺のもとを訪れ、野を駆けて遊んだ。
子ども、といこともあったし、彼女は家では抑圧された生活をしていたために、その反動もあり、おれとよく遊んだ。
笑いあって、無邪気に遊んだものだった。
二人で作った秘密基地、大人に秘密の二人だけの無数の出来事。数々の思い出たちは、子どもの俺の中で掛け替えのない輝きとなっていた。
当たり前のように、彼女はいて、おれに笑みを浮かべてくれる。
ひたむきに俺を見てくれる少女。美しく、穢れない乙女。
彼女がいることに、俺はもう疑問すら抱かなかった。
俺たちが「子ども」とも「大人」ともいえない年齢になった時、それはあった。
ルルーは貴族。家の唯一の子どもだが、女子である。このことから、いずれは婿養子か、ほかの貴族に嫁ぐ、ということは決定事項だった。
幸い、といっていいかはわからないが、彼女には元から婚約者がいたのだ。
とはいえ、いい年をした大人で、年齢差は大きい。
俺の方も、そして彼女の方もそれは知っていた。
だけれど、二人ともそのことから目をそらし、ただただ楽しい毎日にだけを目を向けていた。
少女期を迎え、女の香りを漂わせるようになったルルー。
そんな彼女を見て、相手側の貴族は彼女を求めた。
法的にはもう結婚できる年齢であったし、彼女の家ではその年、当主が借金を負い、また領地でも不作気味であり、負い目ばかりになっていた。だから、喜んで引き受けた。
これに困惑したのはルルーであった。
目をそらしていた現実。それが、不意にやってきたのだ。
ルルーにとって、見も知らない男のもとに行くなど、耐えられないこと。
まだまだ俺と遊びたい、おれと遺体、と願った彼女は、おれに行った。
『ふたりで、どこか遠くに行こう。一緒に生きよう』と。
差し伸べられた手を、俺は、握れなかった。
「どうして、ロイ・・・・・・・・・・・」
涙を浮かべ、俺を見るルルー。
美しいドレスは泥だらけであった。
俺は、差し伸べられた華奢な手を見つめ、頭を振る。
「ルルー、おれには、その手を握ることはできない・・・・・・・・・・・」
「どうして!?」
ヒステリックに叫ぶルルー。
俺と彼女の間にある「身分」と言う壁。
彼女は現実を知らない。俺たち二人だけで生きていけるほど、現実は甘くない。
何も知らない俺たちが生きていけるわけがない。
「こんなに、あなたを愛しているのに、なのに、ほかの男に嫁げなんて、あんまりよ!」
「ルルー」
「厭よ、ロイ!いや。いやぁ!!」
駄々をこねる子供のように、激しく首を振るルルー。彼女の声による空気の振動で、木々が鳴く。
ざわり、ざわり。
それは、俺の心の音でもあった。
俺は、彼女をどう思っている?
自問する。
友達。
好き?彼女だけを愛せる?
無理だ、俺はただの、農民の子どもで、彼女は。
彼女は、おれとは違う。
俺は、俺の心を欺いた。
「こんなに、あなたが好きなのに・・・・・・・・・・!!」
「俺は、」
違う。
そう思っていても、口は動く。
「嫌いだ」
違う!
彼女は、驚きの目で俺を見る。
「ルルー、俺は、君が嫌いだ」
俺は、逃げた。
俺の気持ちから、ルルーの想いから。
俺は、彼女を拒絶した。
「ロイ」
「さよなら、ルルー」
彼女の声が、俺の後ろで響いた。
俺の鼓膜を振動する悲鳴。
耳を閉じ、目を閉じて、俺は俺の現実から逃げた。
そして、その時やっと気づいた。
俺は、彼女が好きだった。心の底から。
でも、俺は裏切った。
俺を、彼女を。
ルルーは、俺の前から消えた。
相手の貴族と結婚して、どこかに行ったらしい。
彼女は泣いていた、という。
好きな相手に捧げたかった純潔も奪われ、その好きな相手からは拒絶され。
光の溢れる世界は、一気に闇に染まった。
俺の抱く、この絶望よりも深い絶望を、彼女は。
ずきり、と胸は痛む。
それを、俺は気のせいだ、と思い、忘れようとした。
けれど、できなかった。
俺の中の後悔は大きくなるばかりであった。
神への許しを請い、俺は、祈る。
ただひたすら、レア女神へ。
そうすれば、俺は許される。自己満足でもいい、俺は満たされたかった。
この、空虚な気持ちから。現実から。
けれど、俺は逃げることも、自分を許すことも、できなかった。
俺は、逃げた。
育った故郷、ベレフォールを捨て、本来いるべき場所、グラウキエ教国に。
そうして、俺は「俺」であることを辞め、「私」になった。
そして、自分に都合の悪い彼女の記憶を書き換えて、神のためだけに生きるようになった。
けれど、心の底では、いつも彼女のことがあった。
私が、おれが裏切ったあの少女のことが。
ベレフォールの人々の突然死。
そのことを知った私は、すぐさま教国を出た。
幸い、退魔局に属する私は何の問題なくベレフォールに向かえた。私ほど、あの国に精通したものがいない、ということもあった。
数人の司祭とともに、故国を訪れた私が見たのは、壮絶な光景。
口や鼻、耳から血を吹き出し、中には頭が破裂したような死体さえある。
家は基礎の部分から崩れ、木々は張り裂けていた。
何をもってすれば、このようなことになるのか。
キィン、と低い音がした―――――――――気がした。
呆然とする私の前で、仲間の司祭たちの身体がはじけた。
ばぁん、と脳が吹き飛び、血しぶき。頭蓋の破片が舞い散る。
「!!」
私は身構える。
私のスキル、『聖霊の守護』。強力な防御結界とレアレス教徒以外の異教に対する強力な攻撃能力。
それが私を救った。
いや、それだけが理由ではなかった。
私の前に現れた影を見て、私は絶句した。
「ルルー」
亜麻色の髪。かつて、私が愛したころの、まだ穢れていない頃のルルーが、そこに立っていた。
血に染まった紅いフリルのドレス。
にやりと不気味な笑みを浮かべ、妄執を浮かべたその顔。
異常なまなざしは、周囲ではなく、ただ私に向けられていた。
「ルルー・・・・・・・・・・!!」
「ロイ」
少女は、口を開き、音を発する。
「ロイ、ロイロイ、ロイロイロイ・・・・・・・・・・・・・・!!!」
ただただ私の名前を呟く少女。
漂う魔力は、人の物ではない。
もはや精神は異常をきたし、少女の肉体は別のものに変質していた。
「魔神になった、というのか」
「ああ、わたし・・・・・・・まじんになっちゃったの」
私の言葉に、ルルーはそう呟くと、ウフフと笑う。
「気持ちいい。もう、なぁんにも押さえなくていいのね」
ぞくり、と背筋に走る悪寒。
「ロイ、大好きだよ」
そう言い、ふわりと浮かび上がり、私に跳びかかる魔神を私は避ける。
そして、拳を叩きつける。
その拳を受け止めるルルー。その華奢な手からは考えられない力で抑える。
「酷いわ、ロイ。こんなに、こんなに思っているのに」
「私が、君をこんなにしてしまったのか」
「そうよ」
酷い人、とルルーは嗤う。ペロリ、と魅惑的な舌の動き。
俺の記憶の中の少女のままの姿。その姿のまま、俺を見る。
俺は、私は、と混乱する私の前でルルーは言う。
「ロイ、赦さないわ。あなたを」
「・・・・・・・・・・っ!!」
首筋を噛むルルー。血が出て、痛みに呻く私。
「おいていったのよ、あなたは私を。何度も、何度も・・・・・・・・・・!穢い男に抱かれた私は、あなたにとってもう価値がない?」
妄執の瞳。
溢れだす悪意が、周囲を染める。
ベレフォールの地を、汚染する黒い魔力。
「ロイ」
せまる唇。
それを退ける。
「まだ、拒絶するの」
「私は、私は・・・・・・・・・・・っ!!」
仕方ないだろう。
俺は、ただの農民で、力もなかった!
こどもだった、なのに、なのに、どうしろっていうんだよっ!?
好きだった、けど、どうにもできないじゃないか!!
そんな言葉を、けれど言えない。
それは、私の弱さだ。私は、逃げた、拒絶した。
それは、否定できない事実。
「私は、」
「フフフ」
ルルーは嗤う。
ルルーは、ただ笑う。
「ならば、私はお前を止めよう。ほかならぬ、私自身の罪」
「できるかしら、ロイ。一塊の司祭如きが」
挑発する魔神。
いいだろう、ルルー。
君が、魔性の道を行くのならば、私は神の道を行こう。
そして、いつかその罪を、己の罪を贖おう。
そして、君を神のもとに導こう。
それが、私のできる君へのただ一つの、償い。
私はルルーのもとから退却した。
それからの私の人生は、言うまでもない。
権力争いを嫌い、信仰に生きた私は、いつの間にか女神より神格を与えられた。
そして、そんな私はグラウキエの改革を断行し、いつしか大宗主となった。
しかし、ルルー、いやキュレイアとの決着はつかなかった。
魔神である彼女を倒すには、私の力は不足していたし、私には守るべきものがあった。
結局、それを言い訳に、また私は逃げていただけなのかもしれない。
ふう、と息をつき、私は彼女を見る。
「ルルー」
「ロイ」
見つめ合う二人。けれど、そこに愛なんてない。
あるのは、ただの因縁。
断ちきれない、私自身の過去の罪。
思えば、長い時を生きてきた。
もう、終わりにしてもいいはずだ。
そうだろう、ルルー?
大宗主国の民には申し訳ないが、これが私のけじめ。
私が思い出すのは、リナリーのことであった。
(辛いことを押し付けてしまった。許してくれ、リナリー)
複雑な感情を、感じる。
自分の世話をしてくれた水色の髪の少女。
愛おしく、大切な存在。
娘であり、母であった人。
(いつか、いつか、また)
私は前を見た。
魔神は私に向かって悲鳴を、嘆きの涙を流す。
『慟哭』・・・・・・・・・・世界すら壊すその祝福。
それでも。
負けるわけには、いかない。
この命尽きようとも。
「母なるレア女神よ、我に力を」




