利用する者される者
ゼル・マックールが『解放王』と呼ばれ出したのは、革命からちょうど半年後。帝国穀倉地帯を奪って一か月ほど後のこと。
帝国の支配から街々を解放したゼルは、瞬く間に帝国の作り上げた身分制度を壊し、貴族階級や富める商人たちの持つ利権を取り上げた。
そして、不正な支配により搾取された人民へ金を分け与え、不当に奴隷に落とされたものや、売られたもの、売春を強制される娘たちを解放した。
ゼル・マックールは反発する者たちを抑え込み、平民層を味方に付けた。
未だその支配は確固たるものではなかったし、勢いだけ、という印象も否めないでもないが、確実に彼の理想とする国の形が見えてきた。
虐げられた者たちに希望を与える彼は、人々の意を受ける形でバーティマ共和国の元首代理となった。
代理、というのは飽くまで臨時、ということであり、戦争が終結した際、改めて人々の総意を聞いて決める、という意思の表れであった。
驕らず、ただ帝国への戦いを唱える若き指導者に、男たちは熱狂し、喜んで戦場に向かった。
若き英雄ゼル・マックール。輝ける英雄は、今故郷バーティマのある小さな治療院の個室にいた。
静かに、寝台の手を握るゼル。男とも女とも見える中世的な美貌の青年は、生気のない目でじっと外を見る少女を見ていた。
少女の名はエレナ。ゼルの最愛の少女であり、恋人。
そして、数か月前、帝国兵に暴行され、肉体と心に傷を負った。
「エレナ」
名を呼んでも、空虚に空を見て、たまにゼルを見たかと思うと、静かに彼の顔を素通りし、部屋の天井を見る。
純潔を失い、人の命を奪うということを一度に経験した彼女。優しく、純粋な少女の心を壊すには、それは十分すぎた。
守るべき子供たちは死んだ。そのことも、彼女の精神崩壊を加速させた。
ゼルという愛すべき存在を前にしても、彼女はゼルを認識することはない。
医者曰く、帝国兵の暴行で視力と痛覚などを司る身体機能を失ったのだという。
「バラル帝国・・・・・・・・・・」
ぎり、と歯ぎしりし拳を握りしめる。
憎しみは彼の美しい顔を歪める。若き英雄は、人々に見せる貌とは全く別の顔を浮かべていた。
恐るべき悪鬼の如きその表情。
彼はふと顔を戻すと、恋人の頭を撫でる。
きっと、何も感じていない彼女に、彼は静かに言った。
「エレナ、もう誰も君を傷つけない世界を、俺はきっと作る」
だから、いつかその時は一緒に。
その言葉を言うことはなく、彼はただその唇にそっと自身のそれをつけた。
そして、背を向け去っていく。
外にいた医者に「頼む」と言い残し、彼は自身の理想のため、少女のために歩き出した。
対帝国の戦略の会議のために、元帝国支配下の国々の代表者を集めて会議を開く。
多くの国が帝国からバーティマに鞍替えしたが、未だに帝国に忠を全うする国もあり、そう言った国への対応もあった。
それに、いかに他国との戦争中とはいえ、流石帝国と言うところで、先日打撃を受けたラトナ騎士団も体勢を立て直したという。
得たはずの穀倉地帯を奪還されることもあり得るため、あれ以来目立った戦果を挙げられてはいない。
「帝都オーフェンまで行くのは、流石に難しいでしょう。ラトナ騎士団は再編し、帝都にいたる街道を守っています。それに、帝都前の要塞も大きな壁となっています。わが軍の兵器ではまず無理でしょう」
共和国軍軍師が発言する。
各代表はどうしたものか、と唸る。
ゼルは、自身の隣にいる傭兵部隊長アンセルムスを見る。
「アンセルムス、何か策はあるか?」
「いいえ、ありませんな。今は様子見、でしょうな。幸い、帝国側は未だアクスウォード・セアノと戦闘中。終わりは見えない。機を見ていれば、隙も見えるでしょう」
現状は穀倉地帯と国境の守りに徹すればいい、とアンセルムスは言った。
民衆の熱意はそう簡単にはさめないだろう。ゼル・マックールの善政もあり、一年は戦果がなくとも式は保っていられるだろう。
だが、先かがもし出せなければ、民衆の熱意は去っていく。
そうすれば、ゼルの理想は遠のく。
なんとか、早期に結果を出したい、とゼルは思っていた。
会議の終了後、ゼルはアンセルムスに声をかける。
「アンセルムス」
「なんだ、ゼル・マックール」
「お前ならば、どうにかできるはずだ。そのための部隊をお前が作っていることも知っているぞ」
ゼルの言葉に、おやおや、と言い、アンセルムスはゼルを見る。
「俺はてっきりあんたのことだから、このまま様子を見ると思っていたが」
「・・・・・・・・・・」
ゼルの中にある焦りと怒りを見透かすように、黒曜の瞳でゼルを見る傭兵。
そして、彼は静かに息をつく。
「いいぜ。何とか国境地帯を見張るラトナ騎士団を突き崩してみよう。そうすれば、穀倉地帯以南も攻め込めるだろう」
「頼むぞ」
ゼルはそう言い、アンセルムスに背を向けた。
アンセルムスが歴史上初めて登場するのは、ゼルが解放王と呼ばれる頃である。
パラメスの傭兵であり、大した戦功もないにもかかわらず、一部隊の長となったアンセルムスの実力を人々は訝しんだ。
だが、ゼルの片腕である、と言う噂もあり、表立って疑問を抱く者もいなかった。
このアンセルムス、と言う男がのちの歴史に及ぼす影響を知る者がいたら。
世界はあのような結末を迎えることはなかっただろう。
ユグルタ・ヌマンティウスが命じられたのは、ラトナ騎士団への潜入であった。
部隊長アンセルムスは自身の部隊の腕利きを集めてその任務を伝えた。
「ラトナ騎士団への潜入がお前たちの任務だ。今までは補給だ、なんだと裏方に回ってきたが、今回の仕事は、諸君らが主役だ」
アンセルムスはそう言い、熱意に燃える戦士たちを見る。
たとえ、その活躍がほかの人々に知られないとしても、戦端を開く力となれるならば、と言う思いが彼らにはあった。
もっとも、ユグルタはそんな気持ちはなく、アンセルムスと言う男を見極めようとしていただけであった。
「いかにラトナ騎士団と言えど、再編の混乱もあり、まだ付け入るすきはある。諸君らには潜入してもらう。だが、危険と隣り合わせなのは知っておいてもらいたい。最悪、味方に殺されることもあるかもしれない。だが、諸君らの犠牲は無駄ではない。悪しき帝国の支配を打破する礎となるだろう。その時、諸君の魂は神に抱かれ、バーティマの英雄として語り継がれるだろう」
アンセルムスの言葉に、ユグルタ以外は憑かれたように聞き入る。
ユグルタはアンセルムスの言葉の合間合間に感じるわずかな魔力に目を顰める。
洗脳の魔術を応用した方法であり、それほど強い洗脳ではないが、無意識化に相手の認識を一つに向かわせる。
アンセルムスより任務の説明を受けた者たちはすぐさま準備に取り掛かる。
ラトナ騎士団の制服や武器、認識票、その他もろもろ、人数分揃え、手筈さえ整えている、というアンセルムス。
なるほど、恐るべき相手だ、とユグルタは感じた。
これまでアンセルムスについての情報はそれほど得られてはいない。
バーティマ革命の際、傭兵としてパラメスより送られてきて、その後、ゼル・マックールの副官となった。その程度だ。
やはり過去のことはよくはわからず、同じ傭兵隊の者もよくは知らないという。
その外見的特徴からアクスウォードか、セアノの人間だろうとはされている。
そして、驚くべきことに彼はうわさ通りスキルがないのだという。
目に見えて魔力は少ないし、ユグルタの眼でも彼のスキルは認識できなかった。
(こんな男が、どうして)
確かに策略に長けた人物だが、そんな男が何を目的にこんなことを各地で引き起こしているのか。
身に過ぎた野望か、なにか。
それはわからないが、何がそこまで彼を戦いに突き動かすのか。
ユグルタにはまったくわからなかった。
ラトナ騎士団国境地帯監視所の一つ。
忍び込み、ラトナ騎士団の団員を数人殺し、成り変わる工作部隊員。その中にはユグルタもいた。
アンセルムスがある魔女に造られた香もあり、騎士団員は疑うことなく工作員たちを受け入れた。
大打撃を負い、再編した後のことであり、まだ混乱はあった。
とはいえ、あまりにあっけなく入り込めたことにユグルタは拍子抜けする。
作戦では一週間後、工作員たちがこの監視所で騒ぎを起こし、それを機にバーティマ軍も動く、と言うことだ。
穀倉地帯から離れた、戦略的にもあまり意味を持たないこの地をまさか狙うとはクロヴェイルも思ってはいまい。
アンセルムスはそう考えていたのだ。
とはいえ、クロヴェイルはもはやアンセルムスを過小評価してはいなかった。
あの悪逆非道の男が何をするかはわからないが、油断はしない。
クロヴェイルは生き残った隊長格の者たちを前線に送り込み、アンセルムスの策に対抗できるように、としていた。
帝都オーフェンの最後の砦である、ガラフェノク砦から帝国領を見渡すクロヴェイル。
美しいこの帝国を守る。それが彼の使命である。
アンセルムスと言う男の目的はよくはわからない。
かの男とは数度、闘ったことはある。いずれも彼の勝利とは言えないものだが、敗北でもなかった。
クロヴェイルとは真逆の男。
「アンセルムス」
敵の名を呟き、クロヴェイルは己の拳を握る。
「バラル帝国を、貴様の手に落とさせはしない」
ミランダ・ライケ。帝国の名門貴族ライケ公爵の第一子。
女故に家を継ぐことはできなかったが、祖父の手ほどきを受け、武術に優れた軍人として頭角を現した女性として知られている。
クロヴェイルの学友であり、彼のもっとも古い戦友であり、副官とまで言われる彼女はもっとも軽視されている国境地帯の監視所にいた。
クロヴェイルの言葉を受け、この地に派遣された彼女は、彼の言うアンセルムスと言う男をそこまで重要視してはいなかった。
先の混乱をもたらした、というその傭兵だが、調べたところで特に情報はなかった。
バーティマの傭兵隊長とは言うが、隊員内からも評判は悪く、利権ばかり気にする人物であり、ゼル・マックールから疎まれているとさえ聞く。
そんな人物をなぜ、とは思うが、敬愛するクロヴェイルたっての願いとなれば、聞かないわけにはいかない。
「・・・・・・・・・・・」
執務室で彼女は静かに腕を組む。
アクスウォードとセアノとの戦いは拮抗状態。バーティマ、という第三勢力がいるために、帝国が全力を裂けないのも大きい。
同盟国の裏切り、穀倉地帯を奪われた。この二点は、帝国の余裕を突き崩した。
勿論、帝国にはまだ莫大な領土はあるし、今すぐどうなるわけではない。
だが長期的に戦乱が続けば、帝国は傾く。
帝国の人民の数、軍の出費。それを考えれば、たとえ戦争に勝てたとしても、国の政治は傾いてしまう。
ミランダは軍務以外は明るくないが、そんな彼女でもそれくらいはわかる。
クロヴェイルが焦っているのもわかる。
いかに英雄と言えど、一人で万の軍勢を相手にはできないのだ。
「なにはともあれ、あの方の手を煩わせるものは私が倒す」
愛するクロヴェイルを想い、戦乙女は静かに意気込む。
そんなミランダのもとに、一人の兵士が現れる。
「誰だ?」
「ミランダ・ライケ様ですね」
確認ではなく、それは確信した言葉だった。
ミランダはその兵士を見る。スキンヘッドで、年のころは三十台。その顔の様子から、歴戦の勇士、と言った印象を受ける。
「そうだが、お前は?」
「私の名はユグルタ・ヌマンティウス。ハンノ=イヴリス錬プの兵士で、今はバーティマ軍にいます」
「!!」
ミランダは腰の剣を構える。ユグルタはそれを制する。
「お待ちを。実は、私もここにいることが知られてしまうとまずいのです。にも拘わらず、来た、と言うことを察していただきたい」
ユグルタの言葉に、ミランダは剣を収める。
「なぜ、イヴリスのものが?」
「それは私の帯びた任務のためです」
「任務?」
「はい、アンセルムスと言う男の動向を探る、という」
「アンセルムス・・・・・・・・・?」
クロヴェイルも言っていた男の名に、ミランダは眉をしかめる。
「この男が今現在の世界の戦乱にかかわっていると、我々は見ています」
「馬鹿な、そんなことが」
そう言いかけたが、ユグルタの目は本気であり、それに威圧され彼女は口を閉じる。
そして、しばしの沈黙の後、彼女は口を再び開く。
「それで、そのことを私にってどうするつもりだ?」
「クロヴェイル殿に御知らせを。かの英雄ならば、あの得体の知れぬ者も打てるでしょう」
無論、こちらの持つ情報はお教えします、とユグルタは言う。
「一週間後、この監視所で騒動が起き、それを契機にバーティマ軍が動きます」
「なに!?」
ミランダは短く叫ぶ。
「なんということだ」
「すでに兵も侵入しています」
「・・・・・・・・・どうすしろと言うのだ、ユグルタ殿」
「クロヴェイル殿に言い、被害を最小限にし、策にはまったと見せかけるのです。そして、奴らを罠にかけるのです」
「貴公はどうするのだ?」
そのようなことをすれば、潜り込んだバーティマ軍に戻れないので。
そう言う意味で問うミランダに、ユグルタは言う。
「捕虜として拷問された、と言うことにすれば、戻ってもおかしくはありますまい。まあ、その間はともに同じ任務に就いた仲間に任せるしかないのですが」
「・・・・・・・・・・・・」
ミランダは自分一人では決めることはできなかった。話が話だけに、これはクロヴェイルに話す必要がある、と。
「わかった。だが、クロヴェイル様の意見をお伺いしなくてはならない」
「わかっております。ただ、時間はあまりありません」
ではそろそろ、とユグルタは言い、消えた。
気配を即座に消して去った男は、その気になれば自分を殺せたのではないか、とミランダは思った。
そのような男をよこすほど、ハンノ=イヴリスも危険視しているほどか。
ミランダは、急ぎクロヴェイルへの手紙を書き、伝書鳩に持たせた。
ハザの報告を受け、ユグルタがミランダと接触したことを知ったアンセルムスだったが、彼は取り乱しはしなかった。
「おろ?お前の策、めちゃくちゃにされるかもしれないんだぜ」
落ち着き払うアンセルムスを見て、気色笑い笑みを浮かべて彼を見る魔神。
「これも計算のうちだ。まあ、クロヴェイルのやつに少しばかり調子に乗らせてやるだけだ。そうして奴には地獄を見せてやるさ」
アンセルムスはそう言うと、ハザを見る。
「お前のほうこそ、余裕だな。そろそろ、お前の存在に気づく魔神もいるだろう。お前ほど高位の魔神が動いているとなれば、序列六位以上も動くだろう?」
ハザはその言葉を受け笑う。
「望むところよ。魔神はぜぇんぶ、おれが殺すからな。俺こそが、この世界の神になるんだから」
ギャハハハ、と笑うハザ。
そんなハザを見ても、アンセルムスはただ余裕の笑みを浮かべるだけであった。




