ダウク
クローリエは、なんとなく胸騒ぎがした。
今日の月は、彼女の嫌いなあの紅い月ではなく、黄色い満月。
しかし、なぜか胸騒ぎがする。
「ダウク?」
呼ぶのは長年共に過ごしてきた魔神。いつもならば、呼べばすぐに駆けつける彼が来ない。
これは、なにかあるな。クローリエはそう思った。
最近見る妙な夢。それからは、魔神の様子がおかしかったことに彼女は気づいている。
狼の顔とはいえ、見分けがつくくらいには彼女はダウクを知っている。
そして、魔神が抱いているであろう感情も、知っていた。
それでも、彼女にはそれを受け入れることはできなかった。
なぜかは知らないが、今までの人生で彼女は一度として結婚したことはなかったし、自身の純潔を奉げたことすらなかった。
なぜかはわからない、だが魂、とでもいうのだろうか。それが彼女にそうさせるのだ。
あの夢のせいか、とも思わないでもないが、わからない。
言いようのない不安が襲い、少女の脚を普段は向かわない山脈の方へと向かわせた。
なぜか知らないが、山脈中の魔物たちは息をひそめている。まるで、恐ろしい何かがそこにいるかのように、じっと息をひそめて窺うように。
個々の魔物が恐れる存在、となると魔神だろうか。
だが、魔神ハーイアが山から下りることはない。となれば、ダウクか。
いつか、傷を負っていたダウク。
おそらく、今回のことも関係するのだろう。
(ダウク・・・・・・・・・・・・・)
魔神の姿を求めてさまよう少女の耳に、微かな声と何かがぶつかり合う音がする。
久しく聞いていない音だが、それは戦闘の音だった。
低い、怒りのこもった遠吠えがした。
それが、探す魔神のものであるとすぐに少女はわかった。
少女は駆けだす。
なぜだろう、なぜか、急がないといけない気がした。
息をつきながら走る。
これほど必死になることなど、今までなかった。
長い、長い輪廻の中で、枯れ果てたように生きてきた少女は、自身を突き動かすこの感情に戸惑いながらも、身を任せる。
木々を掻き分け、少女は声の下にたどり着く。
月明かりの下、三人の戦士の姿が飛び込む。
一つは魔神ダウク。憎しみに燃え、鎌を今にも振り下ろさんとする。
そのわずかに離れた場所では、一人のエルフが倒れている。悔しげに顔を歪めて、ダウクの足元を見ている。
そして、ダウクの足元にいる少年。年のころは今のクローリエと変わらない。
だが、少女が驚いたのは、そこではない。
少年の顔を見た時、自身の中で何かが蘇る感触がした。
懐かしく、愛おしいそれ。
少年の顔、と言うよりも、その魂の放つ波動、とでもいうのだろうか、それは心地よく、ずいぶんと昔に喪ったものであった。
その時、走るのは、見たことのないはずの風景。
いや、正確には今の今まで忘れていた、大事な記憶。
今のクローリエとうり二つの女性と、少年をもう少し大人にした感じの男性。寄り添う二人。
アティア、ダウク。
それが、二人の名前。しかし、二つの陣営に分かれた二人には、私的な面を殴り捨て、自分たちの使命を果たすしかなかった。
アティアはアテンシャという神の軍団の司令官としての、そして彼にはゲシュトゥという「まよえるもの」のリーダーとしての使命が。
相容れぬ二つの種族。戦いの運命。それに引き裂かれた恋人たち。
互いに戦い、死に瀕した二人。
死の間際、アティアは願った。
再び、次の転生で、彼と巡り合うことを。
彼女は自身のスキルを使い、転生のサイクルを捻じ曲げた。
自身の崇める神の法に背いてまでも、彼女は願った。彼との再会を。
何度、彼のいない人生を送ったとしても、いつか彼と出会うその時まで。
私は転生し続ける、と。
だが、転生はうまくいかなかった。
初期のころ、記憶はうまく引き継がれることはなかった。
アティア、としての記憶は数回の転生で薄れ、代わりに「転生の魔女」としての記憶だけになった。
本来の目的を忘れた彼女だが、魂は憶え続けていたのだ。
いつかめぐりあう、ゲシュトゥの魂を持つものを。
クローリエは叫ぶ。
その鎌が、少年に振り下ろされるのを阻止するために。
「やめて!」
そして、少女の瞳と少年の瞳が交差した。
魔神ダウクの想いを知りながらも、溢れる思いは少年にのみ向いていた。
彼女が愛した男、ゲシュトゥとしてのダウク。その魂を持つ少年と、肉体を持つ魔神ダウク。
元は同じゲシュトゥ、しかし、彼女が愛したのは彼の身体ではなく、彼の魂の輝き。
故に、全てを思い出した彼女が求めるのは、魂を持つ少年であった。
それを、魔神ダウクは知っていた。
だから、今まで排除してきた。
魂を持つものの存在を。
それが、魔女を悲しませるとしても。
この想いを、ぽっと出の魂如きに否定はさせないとばかりに。
「やめて・・・・・・・・・・・・」
魔女の懇願。
だが、魔神はやめるわけにはいかない。
彼の矜持、彼の意地、彼の思い。
全ては本物である。決して、ニセモノではない。
ダウクの名は、もはや俺のものだ。
「ゲシュトゥ、我が片割れよ、死ね」
鎌の刃が、少年の首目がけて振り下ろされる。
ドスン、と刃が地面を貫いた。
少年の首が宙を飛ぶ、と思われたが、その光景はもたらされなかった。
魔神ダウクも、クローリエもネフェリエも、目を見開いて少年を見る。
少年の首を覆うのは、黒銀の鎧。それが、鎌の一撃をそらしたのだ。
少年の身体を、黒銀の鎧が覆う。
月の光を反射させ、光り輝く鎧。
爪や牙をあしらったような装飾が随所に見られた。
全身を覆う鎧。
唯一鎧の追われていない頭部。
「これは、まさか・・・・・・・・・・・・」
タムズとダウクが唸る。
かつて、「まよえるもの」の首領として纏った失われたはずの鎧、「ベオウルフ」。
持ち主の死とともに砕け散ったはずの鎧が、今、復活していた。
「何故だ、壊れたはずの鎧がなぜ、今・・・・・・・・・・・」
呆然とつぶやくダウク。
そして、少年を見る。
「貴様のスキルか」
少年はそう言われ、は、と気づく。
彼のスキルは、「想造」。自身の思い描いたものを魔力で作り出すスキルだ。
だが、正確なイメージの必要性と、また彼の持つ魔力量のせいで作れるものなど、たかが知れていた。
実用性のないスキル、と思っていたが、全てを思い出した彼の魂の封印は説かれ、本来彼の持ち得る能力が解放されていたのだ。
無意識化に思い描いたかつての自分。そのイメージが、壊れたはずの鎧を復元したのだ。
やがて、唯一おおわれていない頭部を、狼をもよおした兜が覆う。
将軍として畏怖された在りし日のゲシュトゥが、そこに立っていた。
「しかし、鎧如き復元したところで、私は負けぬ」
ゲシュトゥの鍛え上げられた肉体。それこそがダウクである。
たとえ、魂の封印が解けたところで、タムズは少年。肉体が魂に合っていない。
ダウクは鎌を両手で持ち、タムズを見る。
「殺してやるぞ、ゲシュトゥ!」
「悲しいな、ダウク」
タムズは憐れみの目で魔神を見る。
「お前は過去に縛られているだけだ、ダウク。もう、終わりにしよう、この哀しみを」
「過去に縛られている、だと?!貴様が言うか、貴様がァ!!」
吠えるダウク。月の光でその身体はベオウルフなしでも十分な鎧と化していた。
両者の持つゲシュトゥの愛用武器、「フェンリルの爪」。
どちらも攻め手に欠く戦いであった。
今の二人はほぼ拮抗状態であり、月の光を受けるダウクがやや優勢であった。
とはいえ、タムズは先ほどまでとは別人のようにダウクと戦っていた。
思い出した約束。それが彼を突き動かしていた。
愛しきアティア。
やっと会えた彼女のためにも、負けるわけにはいかない。
「ゲシュトゥ!」
「ダウク!!」
自分との戦いだった。
分かたれた二つ。それは、愛しき女をかけて、闘いあう。
少女は、目に涙を浮かべてその戦いを見ることしかできなかった。
素直に愛する男を応援することはできなかった。ダウクの想い、ダウクの献身を知っていたから。
「ごめんなさい」
誰に言われたわけでもない言葉は、誰の耳にも届かず消えた。
月明かりの下、二人の男は一進一退の戦いを繰り広げる。
「はあぁぁああああああああああああぁ!!!」
「うらぁあああああああああああああああああああああっ!!」
鎌の一撃が、鎧を砕き、皮膚を抉る。
血だらけになりながら、なおその刃を向けあう。
互いに、息は絶え絶えになっていた。
いつの間にか、月は天上から移り、山に沈もうとしていた。
両者とも気づいていた。
おそらく次の一撃で、全てが決まる、と。
「・・・・・・・・・・・」
もはや、言葉はない。
あるのは、互いの譲れぬ思いのみ。
思いを刃に込めて、構える。
黒狼たちは駆ける。
大鎌が振りかざされ、互いの命を奪い取ろうと空を切る。
必殺の一撃が、両者に降りかかる。
「いやああああああああああああああああああああああああ!!!」
二人は、互いの腹部よりその刃を生やす。
そして、血が噴き出る。
その光景を見て、クローリエは叫ぶ。
朝日が、二人の男を照らす。
闇はいつの間にか消え去り、空は青さを取り戻しつつあった。
「綺麗だな、空は」
ダウクは静かに言った。
口元からは夥しい量の血が零れていた。
タムズの頭部から、兜が落ち、少年の顔が現れる。タムズも、その口より血を流していた。
「そう、だな」
同意して、空を仰ぐ。さっきまであったはずの月は、もうない。
「夜は終わり、朝がやってくる。闇の後には光が、光の後には闇が・・・・・・・・・・」
ダウクは喋る。
二人の腹からは、未だにその血に塗れた刃が刺さり、輝いていた。
零れる血は、まるで鎌が泣いているかのようであった。
「やはり、紛い物では勝てぬ、か」
魔神ダウクはそう呟き、がくんと地に膝をつける。タムズの腹から、その刃が抜ける。
魔神はその手からフェンリルの牙を落とした。
「・・・・・・・・・・っ」
タムズは痛みにこらえながら、もう一人の自分を見る。
「ダウク・・・・・・・・・・」
どこか、悲しげな顔をするタムズに、ダウクは苦痛に耐えながらも、笑みを浮かべる。
どこか、憎しみのない、自然な笑みであった。
「勝者が、そんな顔をするな。そう、わかっていた、ことだ」
ダウクはそう言い、タムズを見る。
所詮、自分は肉体であり、その魂を持っていなかった。こうなる運命と、心のどこかで知っていた。
それでも、彼は戦う必要があった。
「ゲシュトゥ、いや、お前の今の名は、なんという?」
「タムズ」
少年の言葉を聞き、そうか、とうなずくダウク。
「タムズ、か。ふん、面白みのない名だ・・・・・・・・・・」
そう言い、ダウクは自身の鎌を手に取り、タムズに差し出す。
「受け取れ」
無言でそれを受け取るタムズ。
それを見て、満足そうにダウクは息をつく。
「今度こそ、彼女を守り、共に生きろ。それが、彼女の望みであり、お前の望みのはずだ。この俺を倒した貴様には、その義務がある」
がふ、と血反吐を吐くダウク。
タムズは膝をつき、魔神を抱える。
それを振り払うように手で払う。
そして立ち上がり、今まで守り続けてきた少女を見る。
「魔女、いや、クローリエ。今まで、すまなかった。君と彼を邪魔し続けてきた。許してほしいとは、言わぬ」
そう言うダウクを、少女は恨むわけでもなければ、なじりもしない。
「ダウク・・・・・・・・・・・」
「あなたを、愛していた。この想いだけは、たとえゲシュトゥと言えど、勝ることはないほどに」
そう言い、彼女の前に膝をつくダウク。
その魔神の顔を、少女は胸に抱く。
「!」
「今まで、ありがとう・・・・・・・・・ダウク。ありがとう・・・・・・・・・・・・・」
少女の涙が、目に当たる。その暖かさ。
ずっと、それがほしかった。ただ、それだけだったのだ。
「ああ、そうか」
魔神は納得した。
その瞬間、彼の身体が淡い光に包まれる。
そして、指先から光の粒子となって消える。
魔力になって消える肉体。徐々に消える感覚。
だが、不思議と恐怖はなかった。
消えるのではない、戻るのだ。
再び、一つに。
タムズを見る。
そして、笑う。
別れた肉体と魂は、一つになり、約束は果たされる。
魔神の身体が消失し、その魔力は少年の中に吸収される。
そして、少年はすべてを取り戻した。
『月光』のダウクとしての力も、記憶も、鎧も鎌も、彼女も。
タムズは、少女の下に向かう。
そして、彼女を抱きしめる。
「会いたかった、アティア・・・・・・・・・・・」
「今の私はクローリエよ」
そう言う少女に、悪いと苦笑する。
少女は少年の傷を撫でる。だが、そこにあったはずの傷は、もうなかった。
「タムズ」
「クローリエ、もう、君を離さない」
「私もよ」
ふふ、とクローリエは笑う。
「まるで、おとぎ話みたいね」
「でも、これは現実だ」
「そう、ね」
この熱も、この想いも、本物だ。
寄り添いあう二人は、空に昇る太陽を見る。
これから始まるのだ、二人の、本当の物語が。
二人は顔を寄せ合い、その唇を重ね合わせた。
日が照らす中、再会を果たした二人は、長い時間そこで互いの唇を貪りあっていた。
エルフの女性は一人、いたたまれない気分でそこに立っていた。
しばらくしてやっとそれに気づいた二人が真っ赤な顔をすると、苦笑しながら三人は霧の山脈の彼らの家へと向かっていく。
もう、独りではない。
分かたれた運命は、今再び交わり、二度と離れることはないだろう。




