不幸を呼ぶもの
ラカークン大陸の大森林の奥深くに存在した魔族国は滅びた。
その報は、瞬く間に世界に広がった。
しかしながら、魔族は決して滅びたわけではなく、空に浮かぶ要塞に逃げ延び、今なお逃亡しているという。
これに対する世界の反応はさまざまであった。
アクスウォード、セアノなど、ラカークン大陸の人間国家は魔族が大陸よりいなくなったことを歓迎し、本格的にバラルとの戦争に向け動き出していた。
魔族国侵攻で失われた兵力も、全体的に見れば大した数ではない。バラル帝国との戦いで役に立つであろう遺物も今回の戦いで得られたし、成果もあった。
バラルとの戦争のときは、刻々と近づいており、いつ起きてもおかしくない、と言った状況である。
にらみ合いを続ける大国をよそに、ファムファート大陸のバーティマは着々とその勢力を伸ばし、次なる目標、ゼレフェン王国に近づきつつあった。
北のイヴリス大陸。
パラメスはもはやバーティマへの支援を隠さずに行っている。
イヴリス大陸に火の粉は来ないものと、パラメスの商人たちは安心しきっていた。
しかし、魔族国侵攻の報を聞いた各地の魔族は黙ってはいなかった。
ラーシェ大雪原に近い森林地帯の獣人たちも、この報に激怒した。
そして、数年前から連絡を取っていた各地の魔族に決起の時が来た、と訴えていた。
かつて彼らを結び付けた傭兵、アンセルムスの言うとおりになった、と北の魔族たちは感じていた。
イヴリス大陸でも、確実に戦乱の予感は高まっていたが、それを人間たちは知りもしない。
東のクライシュ大陸、中央大陸ではいまだ戦乱の兆しは見えない。
しかし、アンセルムスがそれで満足するはずはなく、彼は着々と彼の悪意を世界に放っていた。
バーティマ。
ゼルの持つ屋敷の一つで寛いでいるアンセルムスの前に、一人の男が現れる。
不気味な真っ黒の目を持つ魔神ハザ。
「ハザか」
「よぉう、アンセルムス。お前の計画通り、かな?」
魔族国についてのことか、とアンセルムスは思うと、忍び笑いを漏らす。
ハザも不気味な笑みを浮かべてアンセルムスを見る。
「まさか、空中要塞があるとは思わなかったが、概ね計画通りだ。これで、イヴリスでも人と魔族の戦いは起きる。死の商人どもやエルフどもに地獄を見せてやれる」
「まったく、恐ろしい人間だなあ、お前は」
ハザは全くそう思っていない顔で言うと、アンセルムスの対面に座る。
「それで、俺は何をすればいい?」
「好きにしろ、しばらくはな。お前にはまだまだ、やってもらうことはある。その点は安心しろ」
二やり、とアンセルムスは嗤う。
「世界を壊した後、その頂点に立つのは髪でも、ハーイアでもなく、お前だ。約束しよう」
「くくく、面白い。やはり面白いぞ、アンセルムス!貴様を殺さなくて正解だったぜ」
笑いながら物騒なことを言うハザを前にして、不敵に笑うアンセルムス。
かつて、殺されかけたアンセルムス。しかし、その心の中に秘める憎悪を見抜かれ、ハザのお気に入りとなった。
そして今、こうして世界に憎悪を撒き散らすアンセルムス。その姿は、ハザの期待以上であった。
意地汚く、姑息な人間。時に身の丈以上の野心を抱く人間がハザは好きだ。
「期待してるぜぇ、アンセルムスゥ」
かかか、と笑い、ハザの姿が消える。
「ああ、ハザ。任せておけ」
虚ろな瞳でハザのいた場所を見ると、アンセルムスは立ち上がる。
彼の脚はそのまま、この屋敷の地下に向かう。
そこは、持ち主であるゼルですら知らない秘密の場所。
かび臭く、明りの少ないそこは、冷たい。
そんな中に、鎖で壁につながれた女が一人、暗がりからアンセルムスを睨んでいた。
「・・・・・・・・・・っ!お前、わたくしを御放しなさい!」
叫ぶ女は、若く、可憐であり、まだ誰のモノにもなっていないと思わせる。
気の強そうな顔だが、下着だけの姿で、その顔は羞恥に染まっている。
アンセルムスの目を受けながらも、彼女は決して自身の誇りを失っていないようだ。
彼女は数日前、バーティマによって占領された国の王女。
戦闘の際、行方不明になった、と言われているが、実際はアンセルムスの手で拉致・監禁させられていたのだ。
「わたくしを、どうするつもり!?」
「どうもしないさ。今はな」
アンセルムスはそう言うと、抵抗できない姫の顎を持ち上げる。
「くくく、いい顔だ」
「離しなさい!卑怯者!」
「そうさ、俺は卑怯者さ。だから、あんたみたいな綺麗なやつを見ると、反吐が出る」
アンセルムスはそう言うと、背を向ける。
「いつかその顔が絶望に染まると思うと、ぞくぞくする」
アンセルムスはそう言うと、女に背を向け去っていく。
背後で喚く女のことは、もう頭から消えていた。
アンセルムスはそのまま屋敷を出ると、ゼル・マックールのいるであろう孤児院に向かう。
ゼルには姿を見せないし、自分が孤児院の近くにいた、と言う証拠も残さない。
ゼル・マックールは、善良な顔で孤児の世話をする少女と話している。
見るからに、ゼルは少女に好意を抱いているように見える。
「それでは困るんだよなァ」
アンセルムスは呟く。
ゼル・マックールは今のままでは、復讐をして満足してしまうかもしれない。
それではいけないのだ。
ゼル・マックールにはバラルと戦争をして、この大陸に、そしてラカークンに混沌を巻き起こしてもらわなくてはいけない。
そのためには、あの少女は邪魔だ。
英雄には、悲劇が必要だ。
特上の悲劇が。
アンセルムスの狡猾な目が、少女を見る。
(ラトナ騎士団の連中は、まだいるな)
アンセルムスは隠れてゼル・マックールの様子をうかがうバラル帝国の間者を見る。
哀れな少女は、帝国の間者に暴行を受け、殺されてしまう。その少女を好く青年は、帝国への復讐を強く願う。
なんて悲劇的なのだろうか。
アンセルムスはククク、と忍び笑いを浮かべる。
ゼル・マックールにとって、その日は久々の心休まる時であり、普段のうっぷんを晴らすように子どもたちと遊び、エレナとの会話を楽しんだ。
まだまだバーティマの抱える問題は多いが、今だけは忘れられる。
バラル帝国や、ゼレフェン王国との戦い。魔族国の悲劇、戦争の影。
未だかつてない戦争の予感を感じつつも、ゼルは自身の幸福を噛みしめていた。
そんなゼルは夜、子どもたちが寝静まった後、エレナと二人机に座り、茶を飲んでいた。
「いや、今日は遊んだな。みんな、元気そうでよかった」
「そう、ね」
エレナはそう言い、どこかよそよそしく茶を飲む。
「どうした?エレナ」
「ねぇ、ゼル」
疑問に思うゼルに、エレナは強い目で彼を見る。
思わず、ゼルは身構える。
「ゼル、隠さなくていいんだよ」
「何を、だい?エレナ」
「ゼルが、私たちのために、いろいろしてくれていること」
エレナはうまく言葉にできないけど、と言った。
「ゼルが、私たちのために、このバーティマを変えようとしていること、しっているんだよ?でも、ゼル、そのこと知ってほしくなさそうだから、黙っていたけど」
「エレナ、どうして・・・・・・・・・・」
ゼルの驚く顔。その顔を見て、心外だなあ、とエレナは言う。
「私にわからないと思った、ゼル?何年一緒にいると思っているの?」
それに、と少女は言う。
「好きな人のことなら、なんだってわかるんだよ」
「エレナ」
突然の告白に、ゼルはつい言葉を失う。
「今言っておかないと、もしかしたら、ね」
ゼルが戦場にいるということを、彼女はきっと知っている。だから、今こうして面と向かって自分に言っているのだ。
ゼルはそう思った。
「でも、ゼルには迷惑だよね、ゼルにとって私は家族なんだから」
でも、伝えたかったから。彼女はそう言った。
微かに光る、滴。笑う彼女は、美しく、儚い。
ゼルはそんな彼女のしずくを拭おうと、手を伸ばし、でも止まる。
血に塗れた手。誰かの幸福のために、誰かを不幸にしてきた自分に、彼女に触れることができるのか。
ゼルも自分の気持ちには、ずっと前から気づいていた。
好きだ、そう言いたくてたまらない。
それでも言わなかったのは、きっと、怖かったから。
「エレナ、違う。俺は、きみのことを」
でも、今、言葉にしなければ、きっと後悔する。
ゼルは口を動かすが、言葉はうまく紡がれない。
「ゼル、無理しなくていいんだよ」
「無理なんてしてない!俺は、エレナ、お前が・・・・・・・・・・・・・好きだ!」
そう言ったゼルの顔を、まじまじとエレナは見る。
「でも、俺にはお前を幸せにできる自身もない。それに、俺が君と結婚したとしても、俺たちに子供はできないんだ」
悲痛な思いで言ったゼル。
それこそが、彼にとっての最大の不安だった。
子ども好きの彼女が、もし、愛する男との子供ができないのだと知れば、どう思うだろうか。
きっと、悲しむ。それを知っていたからこそ、言い出せなかった。
エレナの顔が下を見る。
やはり、辛いのだろうな、と思ったゼルだが、顔を上げた彼女は泣いて笑っていた。
「そんなこと、問題じゃないよ」
エレナはそう言い、ゼルを見る。
「たとえそうだとしても、私の思いは変わらないよ、ゼル」
「エレナ・・・・・・・・・・」
彼女の強さを、知っているはずのゼル。それなのに、今になって本当にその強さを知ることになった。
少女は立ち上がると、ゼルの背後から彼を抱きしめる。
温もり。
ずっと、ほしいと思って、手に入れられなかったそれに、言いようもない暖かさを感じる。
「エレナ・・・・・・・・・・・・・・」
「好きだよ、ゼル」
二人の影が静かに重なり合う。
ゼルのゼレフェン攻略の意思こそ変わらなかったが、帝国との戦い、というのは回避しようとしているように見えた。
帝国には何の恨みもゼルは抱いていない。
エレナと思いを通わせ、すっかり腑抜けてしまったゼルを見て、アンセルムスは不機嫌であった。
「ふん、女に現を抜かすとはな。ゼル・マックール」
やはり、あの少女は邪魔だ、とアンセルムスは確信する。
いや、邪魔、ではないな。ゼル・マックールと言う悲劇の英雄を作るための、礎になる存在だ。
にやりとアンセルムスは嗤う。
そして、自分の手ごまである、洗脳した傭兵を呼び出すと、命令した。
「ラトナ騎士団の密偵を捕まえろ。そいつからバラル帝国のものだとわかるものを奪って殺せ。そして、お前はゼル・マックールの孤児院の娘を犯して殺せ。・・・・・・・・・・そして、その場に来たゼル・マックールに殺されろ。いいな?」
「わかり、ま、した・・・・・・・・・・・」
虚ろな瞳で答える傭兵を見て、アンセルムスは「行け」と命じる。
兵士は速やかに去っていく。
アンセルムスは頃合いを見て、仕事をしているゼルに暇を与えよう、と思った。
きっと、彼は少女に逢いに行く。そして、悲劇を見ることだろう。
アンセルムスは歪んだ笑みを浮かべ空を見上げる。




