40話 しみわたる。そのに
佐々江温泉の入口には、柿色と紺色の暖簾がかかっていた。
その向こうから、湯気が、ほわほわと出ていた。
りっかは、その前の石畳に、くつの先を置いた。
こつ。
さっきの声が、まだ、湯気の前に残っていた。
入って、いいのかな。
まるみが、りっかの手を取った。
「いっしょに入ろう」
うっけは、中をのぞいた。
「じゃあ、入るぞ」
「ほんとに?」
まるみが聞いた。
うっけは、自分のシャツをつまんだ。
「温泉あるなら、入るだろ」
「うっけ、走らないでよ」
「風呂で走るわけないだろ」
うっけとカサネは、右のほうへ行った。
りっかとまるみは、お湯のそばに並んだ。
湯船の上に、白い湯気が集まっていた。
まるみは、お湯の中で、よこへずれた。
「ここ、おいでよ」
りっかは、くつをぬいで、まるみのとなりへ来た。
お湯に足を入れると、りっかは、小さく息をはいた。
「あったかい」
まるみが言った。
りっかは、うなずいた。
「うん」
向こうのほうから、うっけの声が聞こえてきた。
「あつい!」
カサネの声もした。
「そりゃあ、お湯だからね」
まるみは、あはと笑った。
りっかの口もとが、ゆるんだ。
「うっけ、ずっとあついって言いそう」
「うん」
まるみは、お湯の表面を見た。
湯気が、りっかの顔の前を、ほわっと通った。
まるみは、お湯の中で足を動かした。
「りっか、ここ、来たことあるって言ってたよね」
「うん。お母さんと、お父さんと来た。小さいころ」
りっかは、お湯の中で、足を少し動かした。
「ここ、懐かしい」
それから、湯気のむこうを見た。
「また行こうって言ったときには、もう、やってなかったから」
まるみは、りっかを見た。
「じゃあ、きょうはとくべつなんだね」
りっかは、すぐには返事をしなかった。
お湯が、りっかの足のまわりで、ゆらゆらしていた。
「目覚めるまえ、夢みたいなのを見たの」
まるみは、小さく聞いた。
「どんな?」
りっかは、お湯の中で、自分の手を見た。
「だれかが、手をにぎってた」
まるみは、りっかの手を見た。
りっかの手は、お湯の中で、ぎゅっと握られていた。
「心配して、にぎってくれてたのかなって思った」
そこまで言って、りっかは口を閉じた。
湯気が、二人の間を通った。
まるみは、りっかのほうへ少し寄った。
「りっかは、ここにいるよ」
りっかは、まるみを見た。
「ここにいて、いいの?」
まるみは、すぐにうなずいた。
「いいよ」
それから、まるみは、お湯の中で、りっかの手のそばに、そっと自分の手を置いた。
「わたしも、わかんないこと、いっぱいある。でも、いまは、いっしょにいる」
そのとき、向こうのほうから、また、うっけの声が聞こえた。
「カサネ! おれのタオル、どこいった!」
「うっけの頭にあるよ」
しばらく、声が止まった。
「……あった!」
まるみの口もとが、ゆるんだ。
りっかも、小さく笑った。
お湯は、足から、体の中へ、ゆっくり入ってくるみたいだった。
しばらくして、四人は、木の戸の前でまた集まった。
外には、まだ湯気が上がっていた。
りっかは、濡れた足をふいて、くつをはいた。
まるみは、その横で、木の屋根を見上げた。
「ここ、ほんとうに、あった!」
りっかは、小さくうなずいた。
「うん、あったね」
りっかは、くつの先を、石畳に置いた。
「また、ここ来れた」
うっけは、にっとした。
「じゃあ、まだ、できることあるな」
りっかは、もう一歩、石畳の上を歩いた。
こつ。
その音が、湯気の中を、まっすぐ通った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第四章はここまで。
続きはまたこんど!




