第51話
言うだけ言って分厚いカーテンの奥へ消えていく魔女の背中を、黙って目で追った。
――薬が欲しいなら、金品ではなく『ゴミクズ』を出せ? 何かの暗喩か、それとも額面通りの意味なのだろうか。
相手はただの人間ではなく魔女。最上級の変わり者が言うことだから、私のような凡人には理解できなくて当然だ。
しばらく呆然としていると、再びカーテンが揺れた。戻って来た魔女の手には薬――ではなくて、何やら色々なものが詰め込まれた箱を両手で抱えている。
その箱を机の上に置くとガシャンと音が鳴って、中からまるで花のような香りが広がった。
「それが薬?」
「ある意味、今のあなたに必要な薬かも」
「本当に分からないわ……いちいち難しい人ね」
「魔女ですから」
シレッと答えながら魔女が手に取ったのはヘアブラシだ。一体何が始まるのかと思えば、なぜかそのブラシを私の髪に通した。
魔女は無表情だったけれど、頭頂部から毛先に向けて慈しむように優しい手つきで梳かれて、困惑する。ところどころブラシが引っかかるのは、やはりここ1か月半の不摂生が祟ったせいか。
「……何?」
「必要なことです。傷んだ毛先を切っても良いですか? 薬の対価として貰い受けます」
「ゴミクズって――まさか、本当にゴミのことを言っているの? 捨ててしまうような?」
「分かりません、だから探しているんです。……あなたの思うゴミとは?」
箱から大きなハサミが取り出されて、やや体を引く。――この魔女、私の返答を待つ間もなく髪にハサミを入れるつもりなのか。
……いや、でももう、良いか、髪くらい。何がゴミかと問われれば、最早『私』だ。私を形作るもの全てに、今まで積み重ねてきた時間に、意味と価値がなくなってしまったから。
そう思い直して椅子の上で姿勢を正せば、魔女は迷いなくハサミを鳴らした。シャキシャキと細かくリズミカルに鳴る音を聞く限り、どうも素人の動きではない。ただ毛先を2センチほど切っているだけのようで、髪型が大きく変わることはなさそうだ。
「今の私からすれば、お金もゴミクズ同然よ。だって子宮が取り戻せないなら、お金があっても虚しいだけだもの……だから、あなたに渡すのはお金でも構わないの」
「――ああ……そうでしたか。それは、少し無神経なことを言ってしまったかも知れませんね。ただ、通貨も紙幣もハズレなので不要です。私は町に行く予定もありませんし、お持ち帰りください」
「ハズレ……」
相変わらず分からない。そう思い口を噤むと、ハサミが鳴り終わって肩に落ちた髪の毛が払われる。わざわざ家の中で散髪するとは、あとからホウキでかき集めるつもりだろうか。
そうして次に魔女が取り出したのは爪やすりだった。今度は私に断りを入れることなく手を取ると、おもむろに爪を磨かれる。
まさか『魔女の秘薬』とは薬どころか、人の髪や皮膚を練り合わせたゲテモノのこと? しかも材料は私自身――そんな劇物を処方されるのか?
私は一体、ここまで何をしに来たのだろう? いよいよ分からなくなってきた。
ただ、これでもかと拒絶する気力も逃げ出す気力もなく、ありとあらゆることを諦めてされるがまま。そうして1枚1枚磨かれていく色の悪い爪を眺めていると、魔女がまた咳を漏らした。今度は痰が絡んだのか、僅かに音が濁っている。
そういえば、この体は弱いとかなんとか……長居されると困るから手短に、とも言っていたような気がする。薬の支払いのためとはいえ、悠長にしていて良いのだろか。
「風邪?」
「生まれつき喘息を持っているだけです。感染るものではありませんから、気にしないでください」
――不老不死の魔女が生まれつき喘息とは、難儀なことだ。決して死ねないのに、苦しい思いだけはキッチリ味わっているということだろうか。それが永遠に終わらない苦痛だとすれば、若干同情してしまう。
「……私の話はどうでも良いです。せっかく来たのですから、ついでに愚痴って行かれては?」
「愚痴? それを言ったところで何が変わる訳でもないわ、これ以上あなたの貴重な時間を無駄にするのも気が引けるし」
「無駄かどうかは私の判断でしょう? 見知らぬ相手だからこそ話せることもありますし、それにあなたは少々思い込みが激しそうですから。伊達に長生きしていません、微力ながら何かしらの道を示せるかも知れません」
「あなた、よく説教くさいって言われない?」
「言われません。もうしばらくの間、人と深く関わることがなかったので」
それは「言われない」のではなくて、そもそも話す者が居ないというだけではないか。
物は言いようだなと思いつつ、半ば自暴自棄になっていた私は魔女にありとあらゆることを話した。自分が生まれてから、今日に至るまでの全て。
それなりに幸せだと思っていたのは私だけで、両親は不満を抱えていた。5歳下の幼馴染が仲良くしてくれて、商会の人たちもよくしてくれたから、なんとか頑張れたけれど――可愛い妹が生まれて、また少し生活が変わった。
母親の矜持を傷付けたせいでこれでもかと嫌われて、家出同然で出奔したため父にも見放された。妹は私を好きだと言って求めていたかと思えば、その実何を考えているのか、欲しているのかまるで理解できない。今、世の中で一番得体の知れない人物だ。
魔女は僅かに口元を緩めて「魔女よりも得体が知れないとは、恐れ入りますね」と呟いた。そして話の途中でおもむろに椅子から立ち上がるよう促されて、分厚いカーテンの向こう側まで誘われる。
そこには薬をつくるための大釜――ではなくて、まるで遥か東の大陸にあるという『五右衛門風呂』のような釜が鎮座していた。中には黄金色の透き通った湯が張られていて、困惑していると「入ってください」と言って服をひん剥かれる。
別に同性だし、ついこの間まで看護師さんに下の世話までされていたのだから恥じらいはない。ないけれど、入浴させられる意味が分からないし、華奢な見た目に反してやけに剛腕な魔女が少々恐ろしかった。
塞がって間もない腹の傷跡を庇いながら渋々湯に浸かると、黄金色だったものがじわじわ濁っていく。どうも私の体から何かが溶け出しているようで、黒々とした薄気味の悪い湯に眉を顰めれば「垢です」と告げられて衝撃を受けた。
――いや、それはずっと入浴できずに拭いてばかりだったから、垢が溜まっていて当然なのだ。幸いというかなんというか常に消毒液の匂いに塗れていたため、酷い悪臭はしなかったと思う。いや、思いたいが……これほど汚れた状態で人と――ゴードンと対峙していたことを知ると、浅ましくも恥じらいが生まれた。
思わず黙り込むと、「それで?」と話の続きを促される。湯に溶け出す垢を魔女に見守られながら、重い口を開いた。
まるで成り行きのようにごく自然な流れで幼馴染と婚約して、この秋に結婚する予定だった。しかし自分の身に起こる変化にまるで気付かないまま倒れて、目が覚めたら既に子宮を取り除かれた後。
実の母親は私の境遇を嘲笑い、父親は無言を貫いて、妹は愛しい幼馴染を「ちょうだい」と言った。義理の両親となるはずだった2人も、愛人の存在を許容できないなら結婚を諦めてくれと言った。
幼馴染は――彼だけは変わらなかったけれど、それがかえって私を苦しめた。だってもう、どうあっても結ばれないのだ。ただ2人で幸せになりたかっただけなのに、我欲を通せば一体どれだけの人間から恨まれるか。
実の両親や妹、町の人間から嫌われるのはこの際どうでもよくて、何よりも重要なのは彼の両親の想いだった。今まで散々お世話になっておいて、最後は恩を仇で返すなんて――彼に多大な犠牲を払わせてまで一緒になったとして、幸せになれるビジョンが思い浮かばない。
だから、これで終わり。彼の母と結んだ約束を守って、今日で終わりにするのだ。




