第12話 嵐の前の食卓
証拠が出揃ったのは、それから四日後のことだった。
決め手は、意外なところから来た。
グラウ商会の帳簿の写しを、商会の元帳付係だった若者が持ち込んできたのだ。
青年の名はペトル、二十二歳。シクストが街の商人たちへの聞き込みを続ける中で、グラウ商会に不満を持つ元関係者がいると耳にし、接触したのだった。商会を辞めてから半年、街でくすぶっていたペトルは、話を聞かせてほしいというシクストの申し出に、すぐに応じた。
「グラウに騙されていたのは、自分だけじゃないとわかったから」とペトルは言った。「商会から横領の罪をなすりつけられて辞めさせられた。でも、実際に不正をしていたのは上の人間だった。それを証明したい」
彼が持ち込んだ帳簿には、「L納品分手数料」として毎月金貨十枚から十五枚が計上されていた。「L」がラングレー家を指すことは明らかだった。そしてその振込先は、「B氏個人口座」。
B氏——バーナード、つまりドーネの苗字だ。
証拠は揃った。
セリーヌはルカスに報告した。
今度は書斎で、シクストも同席した。
資料を一通り確認したルカスの顔から、表情が消えた。
「……ドーネは、いつからだ」
「少なくとも三年前の着任当時から、この商会との取引が始まっています」とセリーヌは言った。「それ以前の記録は確認できませんでしたが、規模からすると、もっと前からの可能性があります」
三年前——ルカスがこの地に着任したときから、すでに仕掛けられていた。
「ドーネを送り込んだのは、義母上か」とルカスは静かに言った。
誰も答えなかった。答える必要もなかった。
「……正式に調査を開始する。ドーネの執務権限を停止する」
「旦那様」とシクストが言った。「義母上への連絡は」
「後だ。まずドーネの身柄を確保してから」
セリーヌは頷いた。順序は正しい。証拠を突きつける前に義母に情報が漏れれば、証拠隠滅の可能性がある。
「一点だけ確認させてください」とセリーヌは言った。「ドーネを拘束した後、義母上への対応はどうなさいますか」
「……それは、お前が心配することか」
「私はこの冬の間、この屋敷に留まっています。義母上が何らかの報復措置を取られた場合、影響が及ぶ可能性があります」
ルカスはしばらくセリーヌを見た。
「私が守る」
「……え?」
「あなたをここへ呼んだのは私だ。不利益を被らせない」
それは宣言だった。短く、感情のない口調だったが——その言葉の重みを、セリーヌは受け止めた。
「……ありがとうございます」
ドーネの拘束は翌朝、静かに行われた。
シクストと兵士二名が執事長室を訪れ、権限停止と調査の旨を伝えた。ドーネは最初こそ「言いがかりだ」と抗議したが、証拠の概要を示された瞬間、顔が灰色になった。
彼はその日の昼には、全てを認めた。
グラウ商会との癒着、食料費・修繕費の横領、そして——金の一部を、毎月首都の特定の口座へ送金していたこと。
「誰の指示で」とルカスが直接問うた。
ドーネは黙った。
「言わなくてもわかる」とルカスは言った。「しかし自白があれば、あなたの処遇は変わる」
長い沈黙の後、ドーネは言った。
「……旦那様の義母上のご指示で」
部屋に、重い静寂が落ちた。
その夜、屋敷は妙に静かだった。
大きな問題が解決した後の、抜け殻のような静けさだった。
セリーヌは食堂で遅い夕食を取っていた。コーラが気を利かせて、温かいポトフを作ってくれていた。
「奥様、少しお顔の色が悪うございます」
「少し疲れただけです」
「ゆっくりお召し上がりください」
ポトフは美味しかった。鶏肉と根菜の出汁が滲んだスープ。香草の香り。
ひとくち飲んで、セリーヌはスプーンを置いた。
視線を落としたまま、静かに考えた。
ドーネは義母の指示で動いていた。グラウ商会を使った横領。毎月首都へ流れる金。そしてこの冬——自分がここへ送られた理由。
ピースが、ひとつに繋がった。
義母は最初から計算していたのだ。
ドーネを通じた横領の隠蔽には、外から目を向けられることが最大の脅威だった。だから帳簿を見る人間を、王都に置いてはいけない。セリーヌを辺境へ追い出せば、帳簿から遠ざけられる。それだけではない。辺境の厳しい冬の中で孤立させれば、離縁状に署名させることもできる。
辺境行きは、追放ではなかった。
追放に見せかけた、二重の封じ込めだった。
王都の帳簿から引き離すこと。そして、この屋敷の実態に気づかれる前に署名させること。
義母にとって、自分は邪魔者であると同時に、利用できる駒でもあったのだろう。
セリーヌはゆっくりと息を吐いた。
腹が立つというより、妙に静かな気持ちだった。計算の精巧さを、半ば認めてしまっているせいかもしれない。あと少しずれていれば、本当にそうなっていた。薪が足りなければ。ルカスと話す機会がなければ。ドーネが証拠を隠し切っていれば。
けれどそうはならなかった。
「奥様?」
コーラの声で顔を上げた。
「ごめんなさい、少し考え事を」
「お口に合いませんでしたか」
「いいえ。美味しいです」
スプーンを持ち直して、もう一口飲んだ。
温かかった。
「セリーヌ!」
ラヴィが駆け込んできた。寝巻きの上に外套を羽織った、ぼさぼさ頭の小さな姿が、セリーヌに飛びついてきた。
「眠れなかったの?」
「うん。なんかこわかった。屋敷がざわざわしてたから」
「大丈夫。全部終わったよ」
「全部?」
「悪い人がいなくなったの」
ラヴィはしばらくセリーヌの顔を見つめた。
「セリーヌは、すごいね」
「そうかな」
「うん。強くて、かしこくて、やさしい」
セリーヌは笑った。
「ラヴィが言ってくれるから、そんな気がしてくるわ」
「ほんとのことだよ」
少女は真剣な顔で言った。その真剣さが可笑しくて、セリーヌはもう一度笑った。
今夜だけは、難しいことを全部棚上げして、ただ温かいスープとラヴィの温もりの中にいようと思った。
春はまだ遠い。でも、少しずつ近づいてきている。




