奇怪な事件
回帰事件を任されたのはひと月前、おれとアイリスが現場復帰してから一週間ほどのことだった。
急にフォムドさんから局長室に呼び出されたかと思うと、申し訳なさの一切ない口調で最初の事件について説明された。で、そのまま任された。
「そういうこったからさ、あとは任せるぜ。エイオス倒したんだから余裕だよよゆー」
「ふざけないでいただきたいフォムド一級、我々に任せておいて上は一切関与しないと? これはただの事件として処理することが出来ない問題であり、犯人からの討滅局に対する宣戦布告だ」
「んなこと言ったってよ、人手が足りねぇんだわ。でもお前たち三人に任せておけば安心だ。あ、灯日ん中で『具象』ぶっぱなすなよ、それこそ大問題で済まなくなるから」
「するか! この…ッ!! 不真面目もたいがいに——!!」
「落ち着け、落ち着けハイネっ!? 街の前にこの部屋が吹き飛ぶっ…!」
怒り心頭のままにフォムドさんを部屋ごと吹き飛ばそうとするハイネを羽交い絞めにしていると、怒りの標的である当の本人は笑いながら部屋から出ていった。
「ハッハッハ、若者は血気盛んでいいこったねえ。素晴らしい部下を持ててうれしいもんだ」
「フォムド・フロードォ!!」
怒号が部屋を揺らし、棚から本が落ちた。
カラカラとした笑い声が遠ざかっていくにしたがって、ハイネの怒りもゆっくりと鎮まって……はいかなかったが抑えてはくれた。
「…………」
「ハイネさん、お気持ちはお察ししますがどうか落ちついてください。ロストのいうようにこのままでは局長室が破壊されてしまいます」
心なしか一歩引いた位置からのアイリスの言葉を受けて、沈黙のまま十数秒。いつ爆発するか分からない爆弾を羽交い絞めするおれの緊張は中々のものだった。
「………もういい、離せ」
「あ、ああ…。大丈夫か? 離した瞬間に飛び出したりとかしねえ?」
「しないから離せ、深呼吸も満足に出来ん」
「はい…」
その後、言葉の通り落ち着いた面持ちで深呼吸を何度か行って、部屋に取り残されたおれたちが回帰事件を任せられた、というか押し付けられた。
「…………次会ったら殺す」
チームができてからの第一声はすさまじく物騒なものだったが…。
アイリスに連れてこられた先は中庭で、そこでは局員たちがテントや机を運び込んでいて、何らかの行事の準備であることはすぐ分かった。
ただ、それが何の行事なのかというのが分かっていないのがおれのダメなところなんだろう。
「これの手伝いか、…何があるんだっけか」
「ロストは参加していないといっていましたね。本年度の承認の儀の準備です。エイオスの件もあって遅れての実施となりました。開催は三日後になります」
「ああ、だからアイリスなら分かるって言ってたのか。なんも知らなかった。おれの方が分かってなきゃダメなことなんだけどな」
「ロストは内務についてはあまり興味が無いようですから。とはいえ普段から掲示板を確認はした方がよいと思います」
「…以後そうします」
「はい、では行きましょう。ハイネさんもあとで合流するといっていましたし」
「そうだな」
こういう、荷物を運んだりするような、黙々と身体を動かすのは好きな方だ。普段からして『穢れ』の討滅と訓練しかしていないんだから、嫌いだったら続けられるような仕事でもないと思うけど。
それからは他の局員を手伝って必要な机やら飾りつけやらを済ませていく。その後にはハイネも合流し、空に茜色が差し込んできた頃には準備も滞りなく終了した。
「あとは、『原型』か?」
「それは当日の朝でいい。盗んだところで何ともできないが、用心に越したことはない。それまでは保管庫だ」
「なるほど。にしても懐かしいな、コレ渡された時に入ったきりだ」
「……あそこは特別許可を得た人間でなければ立ち入り禁止だぞ。ミカ一級の考えていることは理解できんな」
やけに嫌そうな顔を見せつけつつ、おれの『原型』を見つめるハイネ。てかあの場所って普通に通されたけど、そんな特別な場所だったのか……。考えてみたら当然なのかもしれないけど。
「……それにしても…」
「どうかしたのか?」
「ん? ああうん…、なんかいつもと様子が違うような気がしてさ」
「何がだ」
「ん」
本人には聞こえない程度に喉を鳴らし、軽く目配せする。
その先には他の局員と話すアイリスの姿があった。
「アイリスがどうしたという。別におかしなことはあるまい」
「そう、だよなぁ…? なんかいつもと様子が違うような気がするんだよな。なんとなくなんだけど」
「私にはいつも通りに見えたがな。気にしすぎなのではないのか?」
「まぁ…そうだな。おれの気にしすぎか」
ハイネから見てもそうなら勘違いだろう。調子が悪いのはおれの方かもしれないな。
……ああそうだ、一応原因っぽいのがあるにはあるんだった。
「なあハイネ。お前さ、『代行者』とはどういう感じ?」
「質問はもっと具体的にしろ」
「あー…、なんつーかさ、過保護気味だったりとかさ」
「意外だな。ロストが略式さえ使えないのは『代行者』に嫌われているからだと思っていたが、逆だったとは」
「それはおれも…じゃなくって、ハイネがどうなのかって質問だよ」
「こちらは別に何ともない、徹夜をしていると休め休めとは言われるが体調管理は自分で出来ているからな、あまり聞くことはしていないしな」
「…心配されてるなら聞いてやれよお前……。んー、まあそういうことならおれの方はいいんだよ。エイオスの時に解決してるから」
あの戦い以来、彼女は戦いで必要ならば神の力を引き出すために手助けしてくれている。おかげで略式ならば問題なく力を発揮するに至っているのだから。
ただ、今聞いてるのはそういうことじゃなく。
「そういう戦闘面とかじゃなくってさ……。なんていうか…、家にいる時とかに良く話しかけてきて調子を聞いてきたりとか、寝ようとしたら子守歌なんか歌ったりとか…」
「待て、貴様何を言っている? それではまるで『具現』をしていると言っているように聞こえる」
「『具現』ってなに」
「チッ、貴様も圏士ならその程度知っておけっ、昇級試験にも出るぞ。まあいい、『具現』というのは『代行者』が現実に干渉する現象をいう。よほどの使い手でなければまずありえないことだ」
「でもさ、現実に干渉って言っても『略式契約』まで出来る奴なら『代行者』と対話は出来てるんだし、それとは違うのか?」
「本来彼等と対話を行う時は時間の流れが異なる位相での対話となる。精神体である『代行者』と肉体という器をもつ人間では生きている時間の流れが違うからな。あちらに合わせるとなると現実から見て時間の流れはどうしても遅くなる」
「ああ、あの時みたいなのか」
初めて“彼女”と面と向かって話すことができた時のことを思い出す。
確かにあの時は周りの時間が一気に遅くなっていて、二人だけの世界という言葉が当てはまるような空間になっていた。
「じゃあさ、『代行者』がおれたちに合わせて行動するってのはあんまりないんだ」
「さてな、彼等も個々の人格がある以上、それぞれの考えがあるのだろう。貴様の『代行者』がどういう性格なのかは契約していない私では分からんが、さっき口にした通りだ」
「ん?」
「心配されてるなら聞いてやれということだ。他人の『代行者』の関係にまで首を突っ込む変わり者はまずいないということだ」
「そっか、悪いな相談乗ってもらって。色々と分からないことばっかりだから、どれが普通のことなのかもよく分かってなくてさ」
「それは貴様の勉強不足だ。身体だけでなく頭も動かせ」
「ぐ…っ、はぁ…ハイネの言う通りだよ。言い返せねえ」
「その潔さは数少ない美点だな。言い返すような真似をしていたら殴り飛ばしていた」
「その割り切りの良すぎるところは汚点だと思うけどな」
「ほう…?」
「おい、マジになるなっっ、拳を構えるなっ!」
構えたままじりじりと距離を詰めてくるハイネから離れつつ命乞いを重ねていく。コイツなら本気でやりかねない。
「お待たせしました。すみません、お時間を——、どうかしましたか?」
「…ふん、何でもない。馬鹿が馬鹿をやっただけだ」
「そういう力任せの圧政はどうかと思うぞっ」
「ならもう少しましな返答ができるよう知識を蓄えることだ。皆が皆教えてくれるわけでもない」
「わぁーったよ。苦手だけど、もうちょっとそっちにも力入れてみる。『代行者』のことは助かったしな」
「ふんっ」
鼻を鳴らしながら構えを解く。
不機嫌さと気分の良さが入り混じったような、少し変な顔になっていたがそれを突っ込むと今度こそ殴られるから口は開かない。
ハイネにはただの一回も組み手で土をつけたことがない。
今やりあってもリベンジマッチ以前に敗戦記録を積み重ねるだけだ。
「……それじゃあこれでお終いだろ。このまま二人で街中まわって調べてくる。そっちでも事件のことで何かあったら教えてくれ、すぐ向かう」
「分かった。次会った時子供になっていた、なんてことは止めろ」
「ハハ、そん時は面倒見てくれたりとか?」
「首まで埋める」
「……どこに」
「その辺りなんかいいだろうな。入局希望者の前でさらし首だ」
「新入りビビらせても意味ねえだろうが!?」
まったく、どこまで本気で言ってるのかわかったもんじゃない。これ以上ここにいても危なっかしいからさっさと行っちまおう。
「んじゃなハイネっ、次会う時までにもう少し柔らかくなっとけ」
「それでは、失礼します」
「ちっ、逃げ足の速い…。精々無様をさらさんようにするんだな!」
「それ悪役のセリ——あぶね!?」
何か剛速球で投げつけられてきたものをギリギリ受け止める。変なとこ飛んで行っちまったらまた怒られる。
「ふぅ……あれ」
安堵もつかの間、手に伝わる感触はふわふわと柔らかく、二本の長い耳が存在を主張している。
…その白い塊は両前足を上げるとしっかりと俺の手をつかみ、抉り切らんばかりに噛みついてきた。
「痛っって!! こんにゃろ!?」
勢いのままハイネに向かって投げ返してやるが、何の問題もなく受け止められる。式神ときたらハイネの腕の中で満足そうに耳をピコピコ動かしていやがった。
「ちゃんと躾けとけ!」
心からの叫びはその場にいた他の局員から同情や失笑を誘ったらしい。まばらに笑い声が聞こえてきた。最近ハイネと会う機会も多く、そのたびに似たようなことしてるからあの式神がおれにだけ厳しいのも知れ渡っているようだった。
おかげで他の人たちの前ではおれがどう式神にやられるのかを楽しみにしているようなのもいるらしい。他人の不幸で賭けをするんじゃねえ。
「傷はありますか?」
「はぁ…そこまではなさそうだ。めっちゃ赤くなってるけど」
「冷やした方がいいかもしれませんね」
「ああ、適当なとこで飲み物でも買うか…、たくあのウサギめ、おれのなにが嫌いだってんだ?」
「いつもですね。やはり過去に、なにかあの子の嫌がることをしてしまったのでは?」
「覚えてねえなぁ…。仮に怒らせてたしても式神だぞ? 普通は勝手に動いたりしねえ」
あのウサギの式神が先代観測室主任の作ったモノだっていうのは前に聞いたけど、あんなのを作ってたのは確かによっぽどだ。本人もあのウサギみたいな性格してたりしてな。
「ま、考えてても仕方ねえか。今日はどこ回る?」
「これまでの事件が発生した場所がこの地点になります。圏士が標的となっている以上は、見回りを行っているルートをある程度把握しているものと考えられます」
アイリスの取り出した地図には犯行の行われた日付と共に印がしてあった。
圏士の行動範囲である以上はある程度人の多い場所となる。そしてその中でも人通りの少ない区間で犯行が行われている。
「そこで、そのような箇所をいくつか洗い出しましたので、そこを重点的に回ってみましょう。現状、同じ場所で二回目の犯行は行われていないため、そちらはひとまず無視しても良いかと」
「へぇー…。流石アイリス、滅茶苦茶優秀…」
アイリスとは逆に、犯行の行われた場所へ行ってみようと考えていたおれとは違う。根拠に基づいた提案を前にしては何も言えない。
(アイリスいなかったら犯人探すのも無理だったかも…)
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもねえ。アイリスの優秀さに助けられてるって実感しただけだよ。それじゃ考えてくれた方で行こう。…おれもアイリス見習って、もうちょっと頭使わねえとな」
「これは個人的に整理しただけですので。戦闘となればロストに軍配があがるかと。あくまで適材適所のようなものです」
「はは…、誉め言葉として受け取っとく。じゃあまずは、飲食街の方からか。ついでに夜食も買ってくか」
「はい」
方針も決まったことだし二人して歩き出す。
一刻も早く解決しなければならない事件なのは間違いないが、尻尾もつかめていない以上地道にやってくしかないのだ。
□ □ □
とりあえず移動すると今日の飯を確保。
軽く食べられるものをと、屋台でサンドイッチを買った。ことあるごとに色んな店で買ってるからその内制覇するかもしれない。
辺りを見渡せる建物の屋根の上を歩きつつ、下にいる人たちからは隠れて飯を食う。下で食ってるとたまに苦情来るんだよな。仕事中なのにさぼってるって。
(にしても……やっぱ気のせいか?)
隣を歩くアイリスは先ほど感じた違和感というか、いつもと違う様子は感じられなかった。何か焦っているような気がしていたのだが、やはり気にしすぎだったのだろうか。
「やはり私の顔に何かついているでしょうか…?」
「ん? ああ悪い、ちょっと考え事してたんだ。あと顔にソースついてる」
ほっぺについていたソースを、パン買った時に一緒に貰った紙ナプキンでふき取る。
「……んむ…。ありがとうございます。美味しかったのでつい急いで食べてしまっていたかもしれません」
「そう焦らなくていいって。ハイネもおれ達とは別のところ探してくれてるだろうし、いざとなればすぐ連絡も来る手筈だしな」
この辺りにも式神は配置されている。観測室にいるハイネが他の場所で犯人を見つけたら、近くにいる式神経由でこちらにも情報を送ってくれる。
灯日全体となるとやはり広くはあるが、『略式契約』による強化を行えばそう時間はかからない。討滅局のためだ、苦情は来るかもだが建物壊したりしないくらいの身体強化は許されていいだろう。
「この辺りだな。いい感じに暗がりだ」
アイリスの用意してくれた地図の場所へ行くと、確かに飲食街から一本外れただけの路地だというのに全く別の場所であるかのように静かだ。
ここなら騒ぎが起きても表通りの人間は何も気にしないだろう。
「つっても、そんなすぐ犯人が見つかったら苦労ないんだけどな」
「ですが油断は危険です。細かな条件は不明のままですが、犯人の能力が相手を若返らせることならば不意打ちによって敗北は必至です」
「ああ分かってる。せめて能力さえ分かれば対策も打てるんだけどな。姿を隠すのもうまいから、ハイネが手を回してくれてるのに見つかりもしねえ」
ハイネも観測室から色々と手を回してくれているのは知っている。押し付けられて一番苛ついているのは間違いなくあいつだが、それでも手を抜いたりしてるわけじゃない。
むしろ逆境にこそ燃えるタイプというか…、早く終わらせるために奮起するというか。そういうやつなので、今だって灯日全体を探し回ってくれてることだろう。…周りが気を使う程度に威圧しながら。
「襲われる圏士がいないことにはおれたちが囮になるしかないわけだけど、気配のけの字もありゃしねえな。調べてみたら他のところも回ってみるか」
「そうですね。すでに犯行が行われている可能性もあります。見落としのないようにしましょう」
「ああ」
警戒を怠らないよう気を付けながら屋根から飛び降りると、辺りを調べ始める。
アイリスの言ったようにおれたちが来る前にはすでに被害者がいる、だなんてなったら意味がない。そこらに赤ん坊とか、子供がいないかも注意しておかねばならなかった。
「…………あの」
「ん?」
「その…早くお伝えせねばと思っていたのですが……」
二人して周囲を探すがやはりここに犯行の痕跡はない。そう判断して次のポイントに行こうと提案しようとした時、アイリスにしては珍しい歯切れの悪い声を上げた。
「ん、ああ何かあったか?」
思い当たる節のないおれとしては、原因を思い出そうと頭を回転させてみるがそれらしきものはすぐに出てこない。
ハイネとかキリエ辺りに言わせれば気づけない時点で失格なのだろうが、本当に思い当たらないのだからまず教えてほしい。おれが悪かったら謝るから。
「実は、私宛てと——……え…?」
何かを取り出そうとしたのだろうか。
しかし懐に入れた手は目的のものを見つけられなかったようでアイリスが僅かに目を見開いたようだった。
「どうかしたのか? 何か気になることがあるなら言ってくれた方が気も楽——」
いつも討滅局にあてられている苦情の中に、厄介な内容でもあったのだろうか。なんとなくの予想を立てつつ聞いてみるが、それは第三者の声によって打ち切られた。
「キャーー!」
「ッ、アイリス!」
「ハイ!!」
若い女の悲鳴が届くと共に意識が切り替わる。それまで見せていた動揺も初めから無かったように声の元へ駆けだした。
発生源は近い。
表通りの明るさとは逆に、差し込む光と喧噪によって色濃くなった影で裏路地の視界は悪い。だが、悲鳴の主である女の姿は薄らと見えた。
そして、襲撃者の姿もまた視界の中央に捕らえた。
「はァ——ッ!」
襲撃者から見て真横からの掌底は防御さえ間に合わせずに脇腹にヒットした。予期せぬ攻撃によってゴミ捨て場に吹き飛ぶがまだ油断は出来ない。
「アイリス、そっちの人は」
「外傷等、問題はありません。襲われて驚いたようです」
「あ、あの…っ、えっと……」
チラリと姿を見ると、想像以上に若い女の子だった。学生、とかか。
暗がりで隠れているが、白い肌にふわふわとした淡い金髪、目は琥珀色を宿している。着ている服も綺麗なもので、おれでもソレと分かる程度にはお嬢様らしい。
状況の移り変わりに思考が追い付いていないのか、あたふたとしているがまだ被害にはあってなかったようだ。
「分かった、なら問題があるのはこっちの方だな」
気を緩めることなく、刀をいつでも抜けるよう手を掛けつつ近づいていく。不気味なほどに動くことなく、武器さえ持っていない両手を無防備に放り出している。
「おい、なんでその子を襲った。返答次第じゃこちらも手を抜かない」
「………」
だが、襲撃者は黙ったまま、此方の出方を窺がっているのか。
「なぜ圏士を襲う。答えなければ痛い目を見てもらう。抵抗するならもっと痛い目を見てもらう」
「…………」
「そうか…、なら——!」
「あのっ!」
静止の声を上げたのは襲われていた女の子。驚いているだろうし、早く安全なところに送ってあげるべきだが、一人で犯人の相手をするのは危険だ。
アイリスが傍にいてくれなければより危険となる可能性がある以上、彼女にももう少し耐えてもらわねばならない。
「少し待っててくれ、コイツには聞きたいことがあって——」
「その人ただの酔っぱらいで…、確かに襲ってはきたけどそこまでしなくってもぉ…」
「……酔っぱらい?」
「よっぱらい」
「マジで?」
目を丸くしながらもウンウンと大きく頭を振っている。
「なるほどなぁ…、酔っぱらいかぁ…」
つまりあれだ、彼女が驚いていたのは襲われたこともそうだが、急に現れた圏士が市民をボコボコにしたことについてということで。
(これは、マズイ……!)
ただでさえ低い圏士に対するイメージがさらに低迷するのは間違いなく、しかもこんな若い子が話すことであれば尾ひれが付きまくるかもしれない。……つまりおれが社会的に死ぬ可能性もある。
「待ってくれ。ちょっと整理させてほしい…っ」
「え? あ、はい?」
マズイ、つまりあれだぞ。襲ってたやつも動かないんじゃなくて動けない、もしくは二度と動かない可能性がある。
反撃を封じるためにそれなりに本気で打ちはした。……やってしまったかも、しれない。
「…………」
ゆっくりと動かなくなった酔っぱらいに近づいていき、恐る恐る脈をとる。
「大丈夫そう…ですか?」
周囲には他のやつはいない。心配そうに近づいてきたアイリスが肩越しにおっさんの様子をのぞき込む。アイリス、もうちょっと待って。おれの震えかおっさんの脈か分からないから時間をくれ。
「…………」
「…………」
「…? あれ…?」
圏士二人が内心冷や汗ダラダラの中、本来の被害者は頭の上に疑問符を浮かべている。
それから十秒ほど時間を掛けてようやく、首元に当てた指から確かな脈拍を感じ取れた。ちょっと不整脈っぽいのは酒のせいだと思いたい。
「よし…、大丈夫そうだ……。はぁ…たく紛らわしいことしやがってこのおっさん、もう二度と変なことしないでくれよ…」
自分のことは棚に上げつつ、気持ち優しくゴミ捨て場の上に寝かせておく。
「病院に連れて行かなくて大丈夫でしょうか?」
「んー…、おれの経験則的にこういうやつはどんな状況からでも朝になったらちゃんと起きるからほっとこう。脇腹は痛むだろうけど…、どっかでぶつけたってことにしといてもらいたい」
「彼女が証人である以上、それは困難ではないでしょうか」
「……だよなぁ」
おれ達の様子を訝し気に見つめる少女の姿からして、なぁなぁで済みはしないだろう。何とか説得して黙っておいてくれればこれ以上はないが、やっぱりそううまい話はない。
「とりあえず何かしらの犯人扱いにして連行するふりして病院に放り込んでくるか…?」
「最終的な手段として考えられはしますが、そのような行為は褒められたものではないかと」
「ぐ…分かってるけどさぁ…」
心持ち半分冷ややかな目で釘を刺されてしまった。…ならどうしたものか。といってもこっちとしては件の少女に黙ってもらうしかないわけで。
「あの…すいません。いまのことなんですけど…、思いの外力が入ったせいで吹き飛ばしちゃってるんですけど、そのぉ…あんまり大事にしてほしくないなぁ、なんて思ってる次第でして……」
みっともなさで言えばここ最近、というか物心ついてから最大最低のではないか。ジャイロみたいに口が上手くて女の扱いに慣れてれば穏便に済ませてしまうだろうが、おれにはその手の経験はない。
みっともなくても平身低頭で懇願するしか道はない。ないのだ。
「ふぇ!? あっ、は、ハイ! 構わないですっ、襲われてたのは事実なのでっ!」
「え、いいのっ…ですか?」
「もちろんですっ、ワタシったらここに来て間もないのに爺やに黙って出てきちゃったので。きっと家に戻ったら怒られちゃいます」
「じいや…。じゃなくって、ってことは灯日の人じゃない?」
「ハ、ハイっ、最近引っ越してきたんです。ここに来たのも賑やかなところに行ってみようと思って歩いてたら、つい横道に入ってしまって。アハハ…」
「……」
目線をアイリスヘ。
「……」
判定は問題なし、酔っぱらいには悪いが年甲斐もないことをしたのだから天罰が当たったのだと思ってもらおう。実際問題ただの犯罪だしな。
「なら牢屋にぶち込まないとダメなんじゃねえか?」
「そ、それは流石に可哀そうだよっ、…あ、ですよ! 悪気があってやったわけじゃないと思いますし、酔いがさめればきっといい人だと思いますっ」
両手を胸の前で上下に振りながら力説する少女からは、おっさんを恨むような気配は一切ない。助けるの遅かったら普通に危なかったんだけどな。
「なら…、そう、するか?」
「被害者である彼女に罪を訴える意志がないのであれば、我々が介入する余地はないかと」
「だな。じゃあ病院にだけは連れてっとかないとマズいな、あとで容体が急変とかなったら取り返しつかねえ…」
夢の足掛かりとかの前に、ただの人殺しになりかねない。愉快犯と遜色ないぞこれは。
「あっ、それならワタシが呼んでおきますよ」
「いいのか? キミだって早く家に帰った方がいいだろ」
「いいですって、ちゃんとその辺りのお店の人経由で連絡しますから。偶然見つけた、ってことにしておくのが一番いい、ですかね?」
「そこまで気を使ってもらうと悪い、それくらいはおれ達でやるから——」
気を回してくれてるのは助かるが、そんなことを一般人にやらせるのは問題だ。おれが起こしてしまったのだから、おれが片づけなければならない。
そう思って断ろうとした時、上空からハイネの声が飛んできた。
『おい、油を売っている場合か! そこから北東方向に出たぞ、今すぐ走れ!』
いつものウサギではなく、カラスの式神だ。巡回させているものを他の瞳士から借り受けたのだろう。
「マジか…っ、なら今すぐ——」
出たというなら間違いなく回帰事件の犯人だろう。これから病院に連れてかないといけないのに。
アイリス一人で先に行かせるか? それは何かあった時の危険率が跳ね上がる。
「急いでるならその人のこと、ワタシに任せてもらっていいですよ? ただおねが——」
「ここは背に腹は代えられません。彼女の言葉を受けましょう」
「そうするしかないか…っ。本当にゴメン、迷惑をおしつけちまって」
「問題ないですよっ、だからアナタのなま——」
『ええいっ、さっさと行かんか! 今はまだ補足できているが時間の問題だぞ!!』
「本当にありがとう! それじゃあ、また会うことがあれば!!」
「ご協力感謝いたします」
「あ、えっと、はい…」
あっけにとられたような表情だったが、仕方ないことだと割り切る。姿を見せたということは新たな被害者が生まれているかもしれないということだ。
これ以上ふざけたマネをさせてたまるか。今夜で馬鹿げた犯罪もケリをつけてやる。
□ □ □
もう姿を見失った二人の男女の去った方向を目で追いかける。
もしも会えたならと思ってはいた。だが、心の準備なんて一切できていないところで、急に来られたらどうしようもない。
早鐘を打つ心臓はまだ収まりそうにないながら、別れてから急激に熱くなっていく顔を見られなくてよかったと安堵もしていた。
「ああっ…もぉ~、あと少しで名前聞けたかもしれないのに…ワタシの意気地なしっ!」
あの人、間違いない。
最初は別人かと思ったけどやっぱりそうだ。
灯日に来た時、汽車が『穢れ』に襲われたあの日。抵抗する手段を持たない乗客が慌てる中、颯爽と現れて一瞬でワタシたちを助けてくれた圏士。
その人にお礼を言えればと思っていたところで、まさか二度も助けてもらうだなんて。
「もしかして、これが……運命?」
小説の読みすぎだなんて言われてしまうだろうけど、こうも偶然が重なるとそう思いたくなるのも乙女心というのかも。
「ああでもでも、まずはこの人を何とかしないと…っ」
さっきからピクリとも動かずゴミ捨て場で眠りこけているおじ様を見ていると、色々不安になってくる。早く人を呼んで運ぶのを手伝ってもらおう。
「よしっ、ワタシも頑張るぞ。おー!」
誰もいない裏路地で、月に向かって手を突き上げる少女が一人。彼女の存在が、討滅局に小さな嵐を巻き起こすのだが、それはもう少し後の出来事。
「場所は!」
『そのまま真っ直ぐ行け——、チッ!』
「どうした」
『犯人を尾行させていた式神が気づかれた。このままじゃ見失う』
「あと少しで着くってのに…っ」
ハイネの誘導する地点まであと少し、だがこのままじゃギリギリ間に合いそうにない。
「他の式神は回せないのですか?」
『間に合う範囲には一体たりともいない。全く同時に数体の式神が機能停止したからな』
「つまり、犯人は式神の配置と数を把握している…」
「今考えてても仕方ねえ、間に合わなきゃ意味もねえ!」
『おいロスト! 何を考えている!』
「『具象契約』は使うなって言われたけどよ、『略式』についてはノータッチだったよな!」
「灯日内での能力使用は原則禁止されています。使用したことが発覚すれば罰則はまず免れないかと。それにロストの能力では目立ちますし、隠すことはほぼ不可能です」
「んなしょうもないことで犯人逃がしてられるか、アイリスは使うなよ。もし怒られるときはおれだけでいい!」
『仕方ないか、ならさっさとやれ!』
「そのつもりだ!」
「ハイネさんまで——」
アイリスには悪いが状況が状況だ、千載一遇のチャンスを此処で逃すつもりなんて毛頭ない。
「略式契約、代替により履行」
『了解しました、契約を履行いたします』
『代行者』である彼女の声が響くとともに、カチリと自分の何処かで噛み合う感覚。そして流れ込む神威の奔流は雷となって肉体に作用する。
身体の表面をバチバチと発光する白雷は夜を照らす。どうやっても隠し通すのは無理だ。
「先に行く!」
「ロスト——、気を付けて」
「ああ!」
今さら引き留めるよりも背を押した方が速いと判断したのか。
アイリスの声を受け、脚に溜め込んだ力を一気に解放。傍から見ればまさに雷もかくやという速度によって、次の瞬間には指定された地点に到達していた。
(犯人は——)
念のため移動しながらも注意を凝らしたが、道中では発見できなかった。
式神に気付くと同時、すでに現場を離れてしまったのかと思ったが……、どうやらそうではなかったらしい。
「お前か」
「なんのことかな?」
わざとらしくとぼける男が一人、腕を組みながら壁に背を預けていた。
「聞きたいことは色々あるが、とりあえず再起不能になってもらう。安心しろ、怪我したなら治せる人を知ってる。もしおれの勘違いだったなら後で苦情いれてこい」
外套をかぶっているせいで体形と顔は隠れて確認は出来ない。
だが、壁にもたれている佇まいからは目に見える隙は無く、外套に隠れた手に『原型』が握られている可能性は高い。
(先手を取られたらおれもガキにされるか…? いや、考えてるだけ無駄か)
疑問を浮かべる行為はそれだけで後手に回る。犯人は事実上の一撃必殺を持っている以上、一つのミスでこちらの敗北は確定しかねない。
なら、おれがとるべき行動は一つ。
「やあやあ圏士さん、一市民に向かって武器を向けるなんてどういうつもりだい?」
「自分が殺されそうになっている状況で、そこまでヘラヘラ出来る市民をおれは知らない」
最悪いつでも斬り捨てられるよう構えを取る。逃げるつもりだろうが、向かってくるつもりだろうが、その前に斬り伏せれば済む
疾風迅雷の速度を以て、『原型』を使う前に仕留める。
「なるほどねぇ、思ってたより厄介な圏士さんだ。せっかく準備が整うところだというのに、ここで捕まるってのは勘弁願いたいものだね」
「自白か? なら後でいくらでもしゃべっていいぞ、場所を用意してやる。テメエのせいでこっちはする必要のない苦労してるんだ」
「ハハハ、そうはいかない。此方にも此方の事情があるというものだ」
芝居がかった素振りでもたれかかっていた身体を起こし、まるで自分に戦う気はないとでもいうかのように空の両手を上げる。
「一緒にいた女の子まで来られると自分も手に負えないな。道を開けてくれると嬉しいのだがね」
「自分が犯人ですってぬかしてる野郎を逃がすわけないだろ。いつもなら住所氏名年齢、あと動機を聞くところだが、それは後でいい」
両手は空だが外套の下は分からない。何も持っていないといっても手段を握っているかもしれない。だが関係ない、それより早く斬れば済む。
「フ…っ、なら抗議せざるを得ないな。圏士さんが何の事件を調べていて、自分を犯人と従っているようだが、もしも抵抗したらどうなるのかな?」
「どうもこうもない。抵抗するなら斬る、抵抗しないならぶん殴る。くだらない問答より実のある話ができるだろうよ」
大人しく捕まるだなんて思っていない。この男と話して確定した。
口では何を言おうが回帰事件の犯人なのはまず間違いなく、『原型』を所持しているというのなら、初撃で戦闘不能にするのが一番であるという結論に変わりはない。
「ずいぶん軽い口だ、死んでなけりゃ話は出来るな? 出来ないってほざくなら安心しろ、うちの医療班は優秀だ」
「まったく、青臭い小僧が言うものだ…」
それはこれまでの風のような言葉ではなく、声に重みが増す。
今の会話で男の琴線にでも触れたか? ならもう少し攻めるか。
「ちょっと話しただけの小僧に圧掛けてる野郎が言うことか? そんな徹底しきれないような態度を取ってるアンタの方がよっぽど青臭いと思うがな」
「………」
「んだよ、今ので怒ったのか? 口元が引きつってるぞ」
「……ふ、ふふ…、そんな言葉で他者に喧嘩を売ろうなどと…、子供の遊びに付き合って張られないな。それに見つかった以上は、目撃者を消さねばならないことに変わりはない」
外套に覆われた顔が見えるわけはない。だが、効果はあったらしい。顔だけじゃなく、指先に力が入っているのは間違いなかったのだから。
「やってみろよ。そら、標的は目の前だぞ。今の今までくっちゃべって何やってたんだ? 余裕見せる前に実力見せろよ、テメェさては能無しか?」
「……」
さらに押してみるがもう反応はない。
無視する態勢に入ったか、怒りを抑えるのに必死か。その二択なら前者であろうが、最も有力な第三択。
「馬鹿みたいに喋っていたのはお前の方だろう、小僧が」
ゴトリと、ヤツの足元に重いものが落ちる音がした。
「———ッ!」
それがなんであるか、思考に至る前に一歩前へ。夜闇に白雷を迸らせながら対象を無力化するために刃を奔らせる。
「馬鹿が」
「——っ!?」
だが、拳大のそれは地面を小さく跳ねると、次の瞬間、凄まじい爆発音と閃光を発生させて真正面からおれへ浴びせかける。
(閃光弾…! んなもんどこから持ってきやがった…ッ)
光の正体はこれか。なら、これまでの事件で圏士たちを子供にしてきた能力はまた別、光は能力誤認のカモフラージュでもあった。
「———ス——ト……っ」
耳鳴りしか響いていない世界の中で少女の声が聞こえた気がする。
向こうから外套の影をはためかせ、ヤツが攻撃に転じたらしい気配に合わせて振るう軌道に手ごたえはなく、手に伝わるのは空を切る感触のみ。
(外套だけ…!)
僅かにテンポが崩れる。
だが問題は無し、無音であろうが闇の中であろうが、あの程度のヤツを斬るくらいわけない。大仰な態度の癖に閃光弾まで用意した不意打ちだ。実力そのものは大したこともない。
そして、逃げるというのなら近くまでアイリスが来ている以上逃がすことはない。
(ガキにする能力、あれの種さえ分かればどうとでもなる)
次の一手をどう防ごうか考える前に身体を動かそうとした時、背後から思い切り引っ張られた。
「……なっ」
マズイ、男の気配は完全に把握していたために、そちらには絶対にいないと認識していた。
二人組だったということか?
これほど近づかれていたのに気づけなかったなんて、なんてバカをやってしまったのか。
「具象契約——、代償は既に。来れ密儀、其は美しく回帰する泉の乙女」
紡がれる詠唱、ヤツの隠し持っていた『原型』へと神威が収束する。
「神技具象! 『乙女へ回帰せし聖女神像』」
それは女神が行った沐浴、若返り、処女性を取り戻すための儀式の再現であった。
「大口をたたいた結果がそれとはなっ! 愚者もここに極まれりだ!」
ためらうことなく振るわれた神の力はおれに向けられたはずだったが、背後から引っ張ったアイリスによって庇われた。庇われてしまった。
「……ああ、お前の言う通りだ」
迫る凶刃は視界を潰されようと一切のズレなく感じ取れる。無手であろうとも組み伏せられると、対処は可能だったと、この状況下においても確信している。
だが、その慢心はおれでなく彼女へ襲い掛かった。
他者を護るために戦っているはずなのに、その他者を犠牲にしようとしている。
許せるはずがないだろう。
「おれも、お前も……!」
「———なっ」
何を驚くことがある。
殺しに来たんだろうが、相手をガキにして一切の抵抗をも封じて、圧倒的勝利を得てきたのだろうが。
反撃の一つも考慮していなかったとでもいうつもりなのか、お前は。
「——略式契約」
振るわれたのはナイフ型の『原型』だった。
隙のない一突きは人を殺すのに必要最低限の軌道を描き、おれの心臓へ向かっていた。
本来であれば閃光弾によって潰された視界と耳では対処が遅れる。その隙をついて始末しているのだろう。
「代償を代替により履行」
「なぜ見えて——!?」
だがその軌道は見えている。心臓へ向かって一突きだからという理由だけではなく、おれは自分自身の目で、その軌道とヤツの動きをハッキリととらえていた。
「ハァッ!」
「ぐぉ…!?」
ギリギリで防がれはしたものの、打ち合いなどするつもりもなくそのまま力任せに弾き飛ばす。あのナイフであれば毒が塗られていてもおかしくない。
「こ、の…ぉ、クソッタレのガキが…ッ」
「今日、他人を吹っ飛ばすのは二回目だ」
「………っ」
起き上がることも許さず、立ち上がろうとする男の目の前に切っ先を突き付ける。火花が弾けるように迸る白雷は、閃光弾ほどではないものの世闇を照らし、閃光弾以上に殺意が満ち満ちていた。
男が閃光弾を落した時、とっさに片目をつぶったのが何とか間に合った。光を直視した方は機能していないが、そんなことは後でいい。
「なんにせよ辺りを潰すくらいの光を発していたのは分かってたんだ。ならその時どうするかくらい考える」
「……完全に不意をついた、いくら圏士であっても間に合うはずが!」
「なら上手くいったそいつらが弱かったんだろ。もう一度言うぞ、抵抗するなら斬る。抵抗しなくてもぶん殴る。選べ」
「………ッ」
外套の下に隠れていた男の顔は仮面をかぶっていた。
そのしけた面を拝むことは出来なかったが、悔しそうに歯をかみしめて怒りを押し殺そうとしているのは手に取るように分かった。
芝居がかった口調も手振りも、この短気を隠すためのポーズだったのかもしれない。それほど、男の怒りは分かりやすすぎるほど丸分かりで、精神面に置いて戦士とは到底呼ぶことのできない代物だった。
「答えないならそれでいい」
「舐め——!?」
胸倉をつかむため伸ばした腕へとナイフが振るわれたが、能力によって強化された肉体の前ではあまりに遅い。逆に言うならば『具象契約』まで発動しておきながら肉体への強化が全く行われていない男の方が気にかかるが、ここで聞いても答えないだろう。
「ク…クク…、いいのか? 私に構っている時間はないぞ…?」
焦った声を発しながらも、優位性を確信している。
理由はなんだ、構っている時間?
その答えに考えが至る前に、答えの方からやってきた。
(———クソ野郎)
背後で小さくも甲高い、何かが外れた音がしたのだ。それはまさしく手榴弾の安全装置のピンと同様、閃光弾なんてものを持っていたのなら間違ってはいないだろう。
そしてそこには子供にまで若返り、戦うことなどできないアイリスがいる。
「そら…、急がなければその娘はどうなるかな…?」
仮面の奥に見える瞳は怯え、しかしおれに対して精神的優位を得たことによる下卑た笑みを浮かべているらしかった。
「次に会う時は絶対に逃がさないぞ」
「どうかな…?」
犯人に背を向けて元居た場所へと一気に戻る。
音の大元はすぐに見つかった。
肉体が子供となったことで服のサイズが合わず、布の山のようになっているその中心に手榴弾が置かれていた。
いつの間にやったのかと思考が寄り道をしようとするがすぐに排除、下にいるアイリスを傷つけてしまわないよう細心の注意を払いながらも最速で刀を振るう。
またもや甲高い音が響き、空へと弾き飛ばされた手榴弾は空中で大きな音と共に炸裂する。
「——ちっ…あの野郎」
破片が飛んでこないようアイリスをかばいつつ、改めて背後に目をやると男はいなくなっていた。斬り合いは大したことなくても逃げ足だけは人一倍らしい。
「にしても……、悪いアイリス、おれのせいだ」
足元で布の中をもぞもぞと動いている少女はおれをかばったせいでこうなったのだ。死ななかったからよかったではない。
一切の油断なく行動していれば、彼女が近づいていることにも気づけていただろうし、その上での反撃も出来ていたはず。
「クソ…、何言っても言い訳だ。絶対に元に戻してやるから——」
「ロスト、ご無事でしたか。大きな音がしましたが、犯人は?」
「…………、アイリス?」
「はい、遅れてしまいすみません。…どうやら逃げられてはしまったようですね。その方が新たな被害者、…またしても間に合いませんでした」
「……ちょっと待ってくれ」
ということは庇ってくれた圏士はアイリスではない。だからといってヤツに対する怒りが薄れたとかは一切なく、犯行を目の前で許した以上、再び出会った時の対応を変えるつもりもない。
だが、だが……。
(おれの名前呼んでたんだよなぁ…)
そうなると大方候補も絞られてくる。自慢にもならないが、普段から交流のある女はほぼ固定。この場にいるはずのないハイネは除外して、カルディアにおれを引っ張るような力はない。
「んー……、なによもぉー。よなかなのにおっきい音だしてるのはどこのだれよ」
そして、足元から聞こえてくる舌足らずな少女の声は、おれの知る彼女をほうふつとさせるには十分だった。
「えー…と…アイリス」
「……はい」
どうやらアイリスも状況に気付いたらしく、返事一つとっても言い淀んでいる。
「今日とか、キリエに会ったりしたか?」
「…今朝、散歩に出かける前に会いました。灯日周辺の巡回だとおっしゃっていましたし、問題なければもう別の班と交代していても不思議ではない…かと…」
「なるほど…なぁ…」
知っているヤツと知らないヤツ、どちらが被害者であってもクソ犯人を許せないというのは変わりない。が、やっぱり気心知ってる相手が被害者となると、感じ方も変わってくる。
大きな服の中からようやく頭を出したキリエは、多めに見積もっても10歳にもいってない。7,8歳くらいだろうか。
おれを狙っていた攻撃の一部を受けたからか赤ん坊にまでは戻らなかったということか。
そもそも落ちている服の色からして真っ黒、ごく一般的な圏士の支給品だった。
少なくとも、遠目から見てもアイリスではないことは分かるはずだったのだ。自分の勘の悪さに辟易するほかない。
「あぁ…悪ぃキリエ、何も知らないお前を巻き込んじまった。すぐ犯人とっ捕まえて戻してやっからな」
出来ることはそれだけ、あとは時間と次にどこへ現れるか。
「ロスト、まずはキリエを討滅局へ連れ帰りましょう。これまでの被害者は問題ありませんでしたが、身体に異変が起こっていないと決めつけることは出来ません」
「ああ…そうだな。っていう方針で行こうかと思うんだけど……今のうちに言っときたいことあるか? …ハイネ」
アイリスの方に止まった式神は観測室にいるハイネと接続されている。こちらの会話やキリエの様子は式神を通して中継されている。
それなのに一言もハイネが言ってこないということは、ものすごく怒っているということで……。
『……………』
「…あの、ハイネさん?」
『戻って報告しろ。……覚悟しておけ』
怒りが抑えきれず滲み出ている声による死刑宣言を最後に接続が切られた。
(帰りたくねぇぇ…)
「ロスト……、私が規則に縛られず追いかけていればこうはならなかったわけですし、ハイネの元へ私も共に…」
「いや…いいよ。おれ一人で怒られてくるから…。アイリスはキリエのことをよろしく頼む。腹いせに犯人が襲ってくるかもしれないし…、はぁ……」
気が重い。マジで腕の一本持ってかれるのはおれの方かもしれない。敵より味方の方が恐ろしいとはどういうこったよ。
「あの…」
「ん、ああそうだな。まずは戻らねえとなんとも——、あれ?」
アイリスからの提案かと思ったら違う。小っちゃいキリエの声だ。
身体のサイズに全く合っていないぶかぶかの隊服を着て、というよりも頭から被っているような少女はおれの方を見上げて、舌足らずながらにハキハキとしゃべり始めた。
「アナタ、わたしのことしってるの? …あれ、なんでわたしったらちゃんと服きてないの?! まさかアナタが——、へんたい!!」
「え!? ああちょっと待て、落ち着いてくれっ。そういうことじゃなくて…」
「わたしをさらったんでしょっ! このゆうかいはんっ! わたしのほうをさらってもみのしろきんはもらえないわよっ!」
「だからそういうんじゃないんだって。落ち着いてくれよ」
普段の物言いは子供の頃からのものであると実感させられつつ、事実無根であることを主張するが、思い込んだら一直線な子供の前では聞いてくれない。
「な、なによっ、ムリヤリつれてこうっていうの…っ? こ、こわくなんてないからっ、アナタなんかわたしひとりでたおせるもんっ!」
「えぇ…あーもう…まいったなぁ…」
戦闘態勢をとるキリエ(幼女)の言う通り無理矢理連れていくことは出来るが、もしもそんな姿を見られたら社会的に死ぬのは確定だ。
ここは何とか落ち着いてもらって、自分からついてきてもらえるのが一番いいのだが…。
「…ロスト、私に任せてもらえませんか?」
「…おれよりずっといいか。たのむ……」
ギブアップ宣言を行うと、アイリスへバトンタッチする。
彼女はしゃがみこむと、戦闘態勢のつもりなのか両手を上げているキリエの目線に合わせる。
「……」
子供であるキリエを前にしたアイリスは、普段見せるよりも分かりやすく柔らかな笑みを浮かべて話しかける。
「こんばんは」
「こ、こんばんは……」
「はじめましてキリエさん、お返事出来てえらいですね。いまは状況が分からくて心配かと思いますが大丈夫ですよ。私たちはキリエさんを助けに来たんです」
「で、でも…アナタたちがうそついてるかもしれないし…」
「キリエさん、私はアイリス・マトラといいます。そちらの男性はロスト・ヘリオール。私たちは討滅局に所属する圏士です。圏士というお仕事をご存じですか?」
「え……、えっと、『けがれ』をたおすしごとのひと…」
「はい、そのとおりです。ちゃんと勉強されているのですね」
「ん、うん」
「実は、本日の任務で『穢れ』との戦闘があったのですが、その時にキリエさんのご両親と離れ離れになってしまったようなのです」
「えっ、おかあさまはだいじょうぶなの…?」
思いがけない話、別の心配によって急激にしおらしくなる。
おれの記憶にはないが、あの年の子供にしてみれば親の命の危機は恐ろしいものだろう。自分を守ってくれる存在が自分の世界から急に消えるというのは、想像だにしない恐怖が伴う。
そっちへ意識を向けさせているのは意識してなのかどうなのか。なんにせよおれには無理な芸当だった。
ここまでくるとキリエの戦闘態勢も解かれ、不安そうに胸の前で指を弄っていた。
「ご安心ください、キリエさんのお母様はご無事ですよ。ただ、『穢れ』が襲ってきたことによって此処とは別の街で足止めされているのです」
「えと…えーっと…、べつのばしょにいるってこと?」
「すいません、少し難しい言い方をしてしまいましたね。はい、その通りです。ですから、離れ離れになってしまったキリエさんを探してほしいとお母様にお願いされたのです」
「じゃあ、ほんとにわるいひとじゃ…ないってこと?」
「もちろんです。私たちの仕事は困っている人を助けることですから」
そっと手を伸ばすと、不安そうにしていたキリエの手を包み込む。拒むことなくアイリスとおれを交互に見るキリエからはさっきまでの勢いは消え、どこにでもいる少女にしか見えない。
「そこでですね。キリエさんがよければ一緒に討滅局…、私たちの働いている場所まで着いてきてほしいのです。少し時間はかかるかもしれませんが、そこで待っていればお母様も迎えに来てくれるはずです。どうでしょうか?」
「……、うん、じゃあ…ついてく」
「そうですか、よかった。信じてくれてありがとうございます。それでは夜も遅くなってきましたから行きましょうか」
アイリスは立ち上がると、サイズが合わずに脱げた隊服を回収し、手を繋ぎ直して並んで歩き始める。
上着だけで全身覆えるのだからある意味丁度いいサイズだったかもしれない。
誘拐犯扱いされたおれはというと、下手に刺激してしまわないよう少し距離を取って後からついていくことにした。
すると、並んで歩いていたキリエが立ち止まって振り返った。
「…あ、あのっ…えぇっと」
そして何か言いたそうに言葉を選んでいる。
また変なことでも言われたりするのかと思ったが、その考えも次の瞬間には正面から打ち砕かれた。
「さっきは、ごめんなさい…。わるいこといっちゃった…」
その謝罪、というより自分の非をちゃんと認めて謝る姿からは、確かにこの少女がキリエなのだと確信させてくれるには容姿や声以上に、おれにとっては説得力のあるものだった。
「気にしなくていいって、怒ってない。むしろ怖がらせて悪かった。ごめんな」
「では三人で帰りましょうか。仲間外れは良くないですから」
「うんっ」
「んじゃ、おれはこっちの手を借りようかな」
お許しが出たのでアイリスが繋いでいる手とは逆の手を繋ぐと、三人並んで夜道を歩いていく。
傍から見れば親子か、兄妹か。それは見る人次第だろうが、まさかキリエを交えてそのような状況なるだなんて思いもよらなかった。
「あー、この辺だったのか。気にしてなかった」
「そうですね、私も普段はこない方向でしたので気付くのに少しかかってしまいました」
討滅局までの帰り道、辺りを見てみてようやく気が付いたが、よくよく見るとアイリスとキリエの住む宿舎からそう遠くない位置だった。
「やっぱり、大分お節介だな」
「?」
「キミは気にしなくっていいよ。おれの友達の話だ」
「ふーん」
仕事終わりに異変を察知して、調べに行ったらおれが襲われててとっさに庇ったってとこか。あのままなら一人でもなんとかなった。と言ってしまうと元も子もないが、キリエの優しさを否定したくはない。
「はぁ、この後ハイネのところ行きたくねーなー」
「やはり私も付いていきます。連帯責任でもあるのですから」
「いいって。おれの独断専行をアイリスのせいには出来ないし、おれ一人じゃ子供一人なだめられなかっただろうし」
「では、キリエさんのことは責任を持って送り届けます」
「そうしてくれ」
「むぅ、やっぱりわるいひとかも…」
「ってちょっとその判断は許してくれよ。元通りに…お母さんと会えるように頑張るからさ」
「じゃあやくそくして、おかあさまをたすけてね」
「ああいいぜ、困ってるときは絶対に助けに行く。キミの母親だけじゃなくって、キミのことも。だから何かあれば呼んでくれよ」
「うん、そこまでいわれたらしかたないから、やくそくしてあげるっ」
「ははっなんだそれ」
謎の上から目線で約束を交わす。
それから少し歩くと睡魔に負けてうとうとし始めたキリエをおぶって、討滅局の前に到着したのはそれから30分後のことだった。
「じゃ、おれは観測室行くから。キリエのことよろしくな」
「はい、お任せください。…どうか、ロストもお気をつけて」
「あー…、次は生きて会えるといいな」
「ロスト、冗談に聞こえません」
「おれも、冗談で言いたいんだけどな…」
「………」
「……」
「…ご武運を」
「ハハハ…、じゃあ気は乗らないけど行ってくる。犯人についてはまた後で話すから」
「はい」
アイリスに手を振ると重い足を動かして観測室へ向かう。
到着して入室許可を得ながら、扉を開けた瞬間にぶっ飛ばされるかもしれないと、何パターンかの予測を立てておく。いくら何でも初撃で事故死するのは避けねばならない。
(……よしっ)
気合を入れ直し、開いていく扉の先から漏れ出す光を受けながら、入室するため一歩前へ踏み出した時——。
「このッ!! 大馬鹿者がァ!!」
「その行動は読んでたけど思ってたより速——、があッ!?!」
扉が開き切る前、まだ腕一本分しか開いていない隙間から凄まじい速度で拳が飛んできた。
開くと同時に殴られるのは予想していたが、まさかここまでとは…思わなかった、なぁ…。
「ぐ、ぅ…ガク……」
おれの最後に見た光景は、観測室特有の真っ白な光を後光かのように受け、目に映る何もかもを抹殺しようと怒りを燃え上がらせた一人の女だった。
『本編について』
『乙女へ回帰せし聖女神像』
刃に触れた相手を一時的に若返らせることができる。記憶なども戻ってしまうため、若返り目的では都合よく利用するには難しい。
当てさえすれば相手を無力化できるため強力な能力ではある。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)
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