03.街案内
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
気持ち早めにキリエの家に向かったが、キリエは昨日の言葉通りに既に任務へ出ていた。それはいいんだが……。
「別に中で待ってくれてりゃあよかったのに。合いカギ貰ってるんだろ?」
「ハイ、キリエ様から頂きました」
そう言う少女はキリエの部屋ではなく、建物自体の玄関前で待っていた。もしもキリエと同時に外へ出たなら一時間近く外にいたことになるんだが。
挨拶もそこそこに、とりあえず市街の方へ歩き出す。ここにいても出来ることと言ったら雑談くらいだろう。
「ロスト、昨夜はご迷惑をおかけしました。これ以上、手間をかけていただくわけにはいきません」
「別に気にしちゃいないんだがなぁ。まあいいさ、とりあえず朝飯でも食いに行こう。まだ、だよな?」
「はい、キリエ様は『ロストに頼めばきっといいものを食べさせてくれる』と。ですが、私は栄養が摂取できれば問題ないためお気遣いいただく必要も無いかと」
「…どうにも両極端だな。別に高い飯が良い、ってわけじゃないけどさ。もう少しまともなもの食うようにした方がいいんじゃないか?」
「教戒の教えの一つには節制があります。それは財産という意味だけでなく、食事に対しても同じことです」
「おれも貧乏と言えば貧乏だけど、そういうふうに考えたことは無いな。無駄遣いしてるわけじゃないと思うけど、必要なものがあれば買っちまうし」
「食事はご自分で?」
「ん? ああ、時間があって気が向いた時くらいはな。実家が喫茶店だったから少しはできる。まあ大したものは作れないんだけど。客からも実に普通と評判だった」
「そうでしたか、それは素晴らしいですね」
「……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでも」
自虐のつもりだったが案の定、表情一つ変えずに返されてしまった。
(何となく予想はしてたが、まさか突っ込みすらしてこないとは。本当に“在るがままに”ってことか)
教戒の教えがどうとかは知らないが、アイリスの様子を見てると根っからの信徒って感じだ。感情を乱さず、教えに従って生きている。別にそれが悪いとは思わないさ。そういう生き方だって本人からすれば幸せってもんなんだろう。犯罪起こすよかずっといい。
「じゃあ適当にその辺で食うか、街回るったって何があるってわけでもないしな。おれの案内じゃ退屈だろうけど、今日一日は長い散歩だとでも思ってくれ」
「ハイ、ではそのように。案内をお願いいたします」
「ああ、とはいってもとりあえずはココだけどな」
話しながら歩いている内に中央駅前に到着していた。
灯日を東西南北、十字に走る汽車の中点。旅立つ者を送り、旅立った者を受け入れる流通の拠点。この辺なら人の流入も多く、多いがために自然と商業も盛んになっていく。当然、飯屋も困らない。
ただまぁ、下手に見栄張って変なところ行くよりかは、行き慣れた方が好ましい。
ということで、たどり着いたのは小さな喫茶店。白を基調とした店の外にはテラス席が数席設けられていて、すでに近所の奥様方が会話に花を咲かせていた。
「すごい豪華ってわけでもないけど。いいか?」
「もちろんかまいません」
「そうかい、じゃあ…、すいませーんっと」
ドアを開くと取り付けられたベルが鳴り響き、おれたちの来店を知らせる。
「はぁい、ちょっとまってねぇ」
奥から現れたのはここの店主である妙齢の女性だ。彼女自身の性格を象徴したかのような柔らかな物腰と口調はいつも通りに、ゆっくりとこちらへやってきた。
「あら、ロストちゃん。朝に来るなんて珍しいわねぇ。そちらのお嬢さんはどなたかしら」
「客だよ。おれの、というより仕事場のだけど」
「そうなのねぇ。初めましてお嬢さん、この街は良いところだから楽しんでいってちょうだいね。きっと、気に入ってくれるわ」
「はい、初めましてオーナー。私はアイリスと申します。歓迎の言葉ありがとうございます。アナタの仰る通りとなることを私も祈っております」
「ふふふ、オーナーだなんて。でも、お嬢さんに楽しんでいただけたらも嬉しくなっちゃうわ。あぁそうだ、ロストちゃんも今日はお客さんだったわね。中の席なら好きなところに座って頂戴。この時間は同じメニューを出してるからすぐに用意できるわ」
「ああ、ありがとう。あっ、そうだ。ミカって帰ってきてるかな?」
「いいえ、ミカちゃんなら昨日の朝から戻って来てないわ。変わらず忙しいのねぇ」
「そうか…、ありがとうございます。引き留めてすいません」
「いいのよ、年寄りにできることなんて話し相手くらいだもの。それじゃ、ちょっと待ってて」
そう言うとカウンターの奥に消えていく。あの人はのんびり屋ではあるが必要以上に遅くなる人ではないから、運ばれてくるまでそう時間もかからないだろう。
(今日一日か……、多分年下の女の子と何話せばいいんだ?)
ミカのこともあって女性を外見で判断できないでいるおれは、アイリスが見た目年齢相応なのかどうか、いまだに断定できないでいる。
「………」
「………」
(しまった…)
考え事に気を取られたせいで会話が途切れてしまった。多分アイリスは無言が苦にならない性格だろうし、こっちから話しかけない内は互いに黙ったままだろう。
それじゃおれが気まずい、アイリスとの話題は何かないものかと思考を巡らせていると、まさかの向こうが声を上げた。
「ロスト、ミカ様とはどなたでしょうか。圏士、の方でよろしいのですか?」
「ん、ああっ、そうそう。現討滅局における最強候補筆頭だな。アイツ、ココに住んでるんだよ。たまに店を手伝う代わりにってことらしいけど」
「そうでしたか。ですが、昨夜の話では圏士は市民から嫌われているとのことでした。なぜそれほどの実力を持つ方が一般市民の家に?」
「さぁな、それはおれも知らない。聞いたことはあるけど、その時ははぐらかされちまった。ま、ここの人はさっきみたいな感じだから拒む理由も無かったんじゃないか?」
「なるほど…。憎む者あれば許す者もいる。人の心というものは難解ですね」
「単なる個人差ってだけだと思うがね。そんなに難しく考える必要も無いんじゃないか?」
少し考えこむようなそぶりを見せたアイリスの姿は、別におかしなことをしてるわけじゃあなかったが、これまで感じたことの無い違和感を醸し出していた。
例えるなら、家に帰る前と後で、動かしていないはずの家具の位置が変わってしまったかのような。錯覚なのか判別つかないようなズレだ。
「はい、おまたせ」
「お、ありがとうございます。…それじゃあお言葉に甘えて」
「感謝を。大切にいただかせていただきます」
「うふふ、そうかしこまらなくてもいいわ。美味しく食べてくれることが私にとって何よりも喜ばしいんだもの。あぁ、はいはい。お呼びですか? それじゃあ二人とも、ゆっくりしていってちょうだいね」
他の客に呼ばれ、そちらへ向かっていく最中でありながらもニコニコとした表情のままだ。
目元の皺を深くしながら笑う彼女からは他意を感じ取ることはできない。こういうところが中央駅前に店を構えながらも客足が途絶えない秘訣なのかもしれないな
圏士も常に笑顔ならもうちょいまし……とはいえんな、うん。
「じゃ、いただきます」
「命に感謝を」
各々に食事に対する言葉を述べながら食べ始める。
メニューは焼いたパンと目玉焼き。一目でわかるほどシンプルで素っ気なく見えるが、その実味は折り紙付きだった。見た目からは味付けも満足にしているようには思えないのに、食材の味がしっかりと感じ取ることができるのは地味に凄いことなのではないか。
(マネできるとは到底思わないけどな)
少なくともおれの腕前では道のりが遠い。簡単なものは作れるとはいえ、腕の差が直に現れるからこそ再現は無理だ。まずそこまでやろうと思えない。
「………」
(しっかし、本当に淡々と食うな)
アイリスを見ると、一定のペースで黙々と食べ進んでいた。一口の量は多くはないが、二口目、三口目と、全く同じ間隔で口に運び続けている。噛む回数も大体同じくらい。
これじゃ確かに、本人が言った通り、栄養が取れれば食事は何でもいいのかもしれない。食事というより栄養摂取の為の作業だ。その様は機械的とさえいえる。
「食べないのですか、ロスト」
「うん? いや食うよ。気にしないで自分のペースで食っててくれ。どうせ時間はある」
「そうですか。ではロスト、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ん? どんなだ?」
「ゆっくり食事をとるには、どうすればよいのでしょうか」
「………」
「ロスト? どうかされましたか?」
「ハ…っ、あ、ああ。いやちょっと予想を超える質問だったから、…そう、驚いただけだよ」
分かってほしい。だってまさか、“どうすれば時間を掛けて食事をとれるのか”なんて聞かれたことのある奴はまずいない。逆ならまだしもこれはない。断言してもいい。
「あー……、ゆっくり食う方法…? そりゃまぁ、……何て言えばいいんだ?」
だから、おれの方もなんて答えればいいのか良く分からない。
「噛む量を多くするか、一口小さくするか、会話で時間潰してれば飯食う間もなくなる。くらいか…? ってかなんでそんなこと聞くんだ?」
「先ほど、オーナーにゆっくりしていってほしいとの要望を受けました。折角声をおかけいただいたのですから応えるべきかと」
「それは社交辞令みたいなもんだろ。つってもあの人が言うなら本心なんだろうけど。ゆっくりするだけなら飯を食ってからでもいいじゃないか」
「しかしそれでは、この席の分来客の回転率が下がります。食事をとるという目的を達成したのであれば留まる必要はあるのでしょうか」
小首をかしげるアイリスは心底難解というかの如く、小さく眉根を潜める。
彼女的には、あくまでも効率的に物事を進めることが行動の前提らしい。何も間違ってはいないんだが、お固い考えと思ってしまう。そして彼女自身にその自覚や理由は存在しない。
(教戒ってのはこういう子ばっかりなのか?)
などとは思うが多分アイリスの性格なんだろうが、そもそもおれは彼女のことを良く知らないから判別不可能だった。
「別に飯屋だからって、そういう場所ばかりじゃないってことなんじゃないか。この場所で、この店の食事をとりながら人と話す。その時間を求めてやってくる人も多いからな。ほら、そこの人達だって何か食ってるわけでもないけど楽しそうにしてる。アイリスの言うような店は確かにあるけど、ここはそうじゃない。目的って言うなら、食事も込みで楽しみに来てるんだ」
「楽しみに、ですか」
「ああ、友達と集まって世間話したり、静かに本を読むなんて人もいるんじゃないか。ま、そこは人それぞれだからな。相手に迷惑掛からない範囲でそれぞれが楽しんでるのさ。そういえば、アイリスは趣味とかないのか?」
「ハイ、そういったものは何一つ持ち合わせておりません」
「何も? 読書とか運動とか何か育てるとか上手い飯食うとかも全部か?」
「ハイ、私の使命は命じられた任務を完遂する事。そのような行為は任務に支障をきたす可能性があります。その事実がある以上、私には必要のないものです」
「そう、か……」
「ロスト? どうかされましたか?」
「いいや、いいんだ。おれから、とやかくいう事じゃないからな」
「そうでしたか。それでは食べ終えた後、街の案内をよろしくお願いします」
「ああ、…そうだな」
なんだかなぁ。アイリス自身の性格を否定するつもりはないんだが、彼女は時折機械的というか、無機質な人間性を発露する。おれの周りにはアクの強い奴ばっかりだったせいか、どう相手すればいいのかわからなくなるな。アイリスもアイリスで癖が強いのが分かってきたけど。
「それじゃお勘定で」
「はいはい、また来てねロストちゃん。ミカちゃんもなんだか疲れてるみたいだから、話し相手になってあげて」
「そうですね、アイツずっと動きっぱなしですから。また来ます」
「良かった。嬉しいわ」
「はは、またそのうち来ます。それじゃ」
あの後、さっさと食べきってしまったアイリスの後を追うように朝飯を片付けると、勘定を済ませて本来の目的に取り掛かる。つまるところ観光案内。とはいってもおれもそんなに詳しいわけじゃないし、アイリスが楽しんでくれるかは分からないが。
「では、よろしくお願いします」
「ああ、別に行きたいところがあるわけじゃないんだよな」
「ハイ、ロストさえ良ければ行き先は一任しようかと」
「なるほどね。しゃあない、まずは大通りでも回ってみるか」
アイリスに買う物があるかは分からないが、おれにとってもたまの休みだ。必要なものを適当に買い足しておきたい。なにも無いなら無いで、店を見て回るのも悪くないはずだ。と思ってはいるが、アイリスはそれほど興味を持つことも無いんじゃないか。……なんて想像は少し裏切られる形となった。
「すみませんロスト、こちらの店は一体何を取り扱っているのでしょうか」
「えー…っと、ああ手芸用の生地とかだな。あと裁縫用の針とかじゃないか」
「なぜこの店は地面に居を構えているのでしょうか」
「露店だからな、そんなに高くはないし、移動を考えると店を持つほどじゃないってことだろ」
「この衣服店で取り扱われているものは機能性に難があるように思います。どのような方が購入されるのでしょうか」
「そりゃあ、そういう服が好きな人、なんだろうな。おれから見ても布が少なすぎるとは思うけど」
「それではこちらの店ですが——」
これが一軒ごとに発生する。
おれも質問には答えるといった手前、自分なりに答えていくが、アイリスが納得してるのかどうかまでは把握しきれない。軽く店の中を見ると次に進んでいる以上は、彼女なりに考えているらしい。何考えてるかまでは分からないけれど。
結局、大通りを見て回りきることには昼時を大きく超えていた。
腹は減り始めてきたが、飯に行こうと口に出す隙さえ与えずに質問が飛んでくるのだから、おれもおれで最後まで付き合ってしまった。
「で、色々と見てたけどほしいのでもあったのか? 何も買ってはないみたいだけどさ」
「購入したものはありません。日環において、こういった人の集まる場所に行く機会はあまりありませんでしたので、少し興味が湧いたのです」
「日環って港町、だったよな。貿易とかやってると、店とかも多いんじゃないのか?」
確かあの都市は海に面していることを利用し、海路による貿易もしているはずだ。他の都市も資源不足である以上、儲かってるのかどうかは分からないが、そうでなければ続けてもいないだろう。
「ハイ、港に面した通りには店が立ち並んでいます。新鮮な魚介類が並び、一日中人の出入りが行われています。一年に一度は感謝祭が執り行われ、日が沈み、また上るまで街に明かりが灯り続ける。そのような街です」
「でも、行ったことは無かったってか」
「ハイ、私には必要のない行為ですので。衣食住、教戒から支給されるものですべてが賄われているのに、それ以上を望む行為は罪です。この世に生まれ、生きて居られていることそのものが奇跡なのですから」
「そりゃあなんともだな。大げさな気もするが、それはそれでいい教えだと思う。ただもうちょっといい飯食うくらいしてもいいんじゃないか?」
「そうでしょうか。健康面において問題はありませんが」
白衣に隠れて全身が見えるわけじゃないが、年の割には小柄に見える少女がちゃんと飯を食ってるかは気になる所ではある。朝食の様子を見てると小食ってわけでもなさそうなんだが、単純に体質か?
「まあ、アイリスがいいならいいんだけどさ」
とはいえ、人の生き方にとやかく口出すほど人生経験が豊富ってわけでもない。
昨日は『自分を卑下するな』なんて言っちまったが、あれだってホントは口に出すのもおこがましいってのは分かってるさ。
自覚はある、だからちょっと放っておいてほしい。いいな。
「しかしアレだな、昼飯には遅いが夕飯には早い。その辺で軽いもんでも買ってくか」
「了解しました。しかし良かったのですかロスト。私の相手をしていただいたことが原因とはいえ、アナタにも必要な買い物があったのでは?」
「そうだな…、最初はそのつもりだったけど特に目ぼしいものも無かったからいいよ。さて、食いたいものがあるなら聞くぞ。この辺なら何かしらあるだろ」
これまで進んできた道を反対方向へ。メニュー内容はともかく、チラホラと屋台もあるにはあるので適当に済ませて夕飯にちゃんとしたものでも食べよう。
アイリスにも聞いてはみたが、おそらく彼女は何でもいいというからそれほど重たくないものを。
「ではよろしいでしょうか」
「お? なんだ、興味引くのでもあったのか?」
まさかの提案。道中に彼女の気を引くものがあったとは気づかなかった。確かに食い物屋の前でも何度か質問を受けたが、それらしいテンションを見せてはいなかった。
(アイリスが気に入りそうなのって何かあったかな?)
おれなりに考えてはみるがすぐに思い至らない。彼女はどんなものでも文句を言わずに黙々と食べ続けている姿しか思い浮かばないのだ。
「では、朝食を済ませた喫茶店。あのお店を希望します」
「あー……、マジか。ちょっと予想外」
「いけませんか? それでしたら道中目にした店の内から選定を——」
「いや、いいよ。行こう、アイリスたっての希望じゃ断れない」
「そう、ですか? ではよろしくお願いします」
「ああ」
本人はいたって真面目なのがどうにも気が抜ける。さあ、お嬢様のお願いだ。さっさと行こうかね。
そういえば、別に急ぐ必要も無いだろうと戻り道も立ち並ぶ店を冷やかしていたわけだが、普段よりも店の人達が気持ち優しい気がする。
そうか、いつもの黒い隊服着てないだけで白い目で見られることも無いのか。
(デザイン刷新した方が良いんじゃねえかな。夜見えないし、昼間だと逆に目立つし)
人の印象は外見なのだなあと思いふけるが、あれは丈夫だし動きやすい。見た目よりずっと軽いしな。つまるところ機能性は完璧なのだ。ただ服の素材が元から真っ黒の為に黒以外にならないだけで。
「着きましたよロスト。そちらに用事がおありでしょうか」
「……いや、ない。ちょっと考え事をしてたのだ…」
「のだ?」
「のです…」
「そうですか」
「……入るか」
「ハイ」
「チ…ッ」
「ん?」
耳に飛び込んできた舌打ちの音。発生源は背後からで、その主はおれも良く知る人物だった。
「なんだ、お前も飯かハイネ」
「お元気そうで何よりです、ハイネ様」
「ふんっ」
眉間にしわを寄せ、誰が見ても怒っていることを看過するのは必至。そしてその表情に似つかわしくない式神ウサギを引き連れた女。ハイネ・ルビアであった。
「貴様に関係ないだろう。放っておけ」
その当人ときたら相当機嫌が悪いのか、腕を組んで全く別の方向へ視線を向けている。その足元でうさぎが全く同じポーズをとってるせいで緊張感の欠片も無いが。
「いや、こっちに気づいた瞬間舌打ちかましといてそれは無理があるんじゃないか?」
「知らん、気付いた貴様が悪い」
「そりゃヒデェ、…にしても、今日は本当に機嫌悪いな。何かあったのか?」
「——っ、関係ない。店に入るならさっさと入ったらどうだ」
「そうかよ、お前も入るんだろ?」
「私はいい。気分が変わった」
「お待ちください」
そう言って身を翻そうとするが、その背を引き留めるようにアイリスが声をかけた。思わぬ相手からの静止だったためか、煩わしそうに目線だけでこちらへ振り返る。
「…なんだ」
「私達も今から食事をとろうと思っています。ハイネ様もご一緒にいかがでしょうか。明日の任務についてのお話も伺いたいです」
「そうだぞハイネ。人質のおれはともかくとしてお前は打ち合わせしといた方が良いだろ」
「………」
こっちを見ようともせずに、むすっとした表情のまま腕を組んでいる。そんなに嫌な理由でもあるなら無理強いはしたくないが、仕事である以上そうもいっていられない。イヤでもやらねばならない時もあるのだ、うん。
例えば、こっちの体調ガン無視で毎日のように訓練と称してボコボコにされたとしても。略式契約も満足に扱えないド新人なのに『穢れ』討滅に一人で放り込まれたとしても。ほどほどに弱いという理由で人質に抜擢されたとしても。
……やらねばならない時がある。……あるのだ。
それはそれとして新人をボコボコにするあの“教育係”の方針はどうかと思う。
「…まったく」
「うん?」
一言悪態をつき、こっちを見向きもしないで店内へと進むハイネ。少々荒っぽくドアを開き、足を踏み入れてようやくおれたちの方へ目を向けた。
「…どうした、話があるのだろう。さっさと入ったらどうだ」
「感謝しますハイネ様。それではお言葉に甘えて」
「様を付けるのは止めろ、虫唾が奔る」
「ではそのように」
「なんつーか釈然としねえなぁ」
嫌がっていた本人が先導するという状況に、ハイネの素直じゃない部分が凝縮されている。別にあそこまでつんけんしなくてもいいだろうに、何が原因なのやら。
「ロスト、何をつっ立っている。そこで待ち続けるつもりか」
「んなわけあるかよ。そら、飯の時間だ、さっさと道開けろ」
「ふん」
鼻を鳴らしながらも、最後尾のおれが店に入るまでわざわざ支えてくれていたのは根っこの部分でのお人よしが出てきていると見るべきか。
「なんだ人の顔をじろじろと、文句があるなら言ってみたらどうだ」
「なんでもないよ、なんでも。ったく口がワリぃ」
例えそうだとしても、その後すぐこれだ。根っこが良くても葉っぱそのものが威嚇色なのはどうにかならんものか。
「あら、また来てとは言ったけれど。随分早かったわねぇ」
「ああおばさん、ご無沙汰です。この短期間で店の味が恋しくなりまして」
「あらあら、そう言ってくれると嬉しいわ。注文は決まっているかしら?」
「いやまだ———」
「朝と同じもので構いません」
「勝手に何を———」
「私は構いません。よろしくお願いします」
「はいはい、それじゃあちょっと待っててね。一日に二度も来てくれたんだもの、全く同じものを出すわけにはいかないわ。少しくらいサービスしておかないと」
「あー…、なんだかすんません」
「いいのよ、じゃあ席に座っていてちょうだい。私も長い間お店をしているけど、立ちながら食べるお客さんにはまだ出会ってないの」
「はは、それじゃそうさせてもらいます。そらハイネ、そこらに座れ」
「分かっている。命令するな」
料理は待っていれば来るだろう。一日に二度も来ることになろうとは思わなかったが、オマケを付けてくれるなら運が良かったかもしれないな。
四人掛けの席には男が一人、女が二人。
まずはおれ、となりにアイリス。正面には不本意さは隠そうせず、腕を組んだままのハイネ。
カッチカッチと秒針の音、カタカタ揺れるのは机に置かれたメニュー表。理由は単純、ハイネの貧乏ゆすりの振動に他ならない。
「ハイネ、机が揺れるんだが」
「だろうな」
「だろうな、じゃなくてだな。その足の動きをやめろというとるんだ」
「何を勘違いしている。その揺れは私ではない」
「なに?」
「ロスト、このウサギは食材か誰かのペットが逃げだしたものでしょうか」
「うさぎ? ってことは———、うわっ!?」
机の下を覗き込んだ瞬間、目の前が真っ白。もとい真っ暗になる。顔から伝わるのはふわふわとした感触と、無駄に力強くへばりつこうとする四本の手足。
「ぬあっ?! ちょ、離れ——が、イッテぇ!」
驚いてのけ反った時、思い切り机に頭をぶつけるが、それでも顔にへばりついたままの白い毛玉は離れていない。
「ぐ…、この……っ。はぁ、はぁ……、…誰か取ってくれ」
なんだこの力、結構力入れてるのにマジで離れない。というか爪立ててくるから痛い。手伝ってもらわないことには無理だなコレ。
「足の方を持てば?」
「ああ、頼む」
二人で手足、というか前足と後ろ足を分担して引っぺがす。
掴まれたままのうさぎ、というかハイネの式神はジタバタと暴れるが両手足を掴まれてしまえば動きようもない。というかなんでこんなに元気なんだコレ。
「式神って言うとお前が動かしてるんだろ? おれに対する嫌がらせかなんかか」
「してほしいというならしてやってもいいが、生憎とそうではない。前にも言っただろう。それは勝手に動く。所有者の意思などいくらでも無視する」
「それって式神としてどうなんだよ」
「無論、失敗作だ。汎用性の欠片も無い。だが、現状その式神を超える性能を持ったモノが開発されていない以上は使いこなすしかない」
「なるほど、これがナキ・ブルーマン元主任瞳士の制作した式神なのですね。確かに他の式神とは違う雰囲気を持っています」
足を掴んだままのアイリスがまじまじと観察しながら素直な意見を述べる。
強い視線を感じ取ったのか、なにやら恥ずかし気に身をよじる式神はもはや作り物には見えない。が、野生の生物でもこんな動きはしない。あまりにも人間っぽい。
「……っていうか、知ってるのか。そのブルーマンって人の事。雷環戦争の時に死んだんだろ?」
「正式には行方不明だ、死体も見つかっていない。あの人なら死んだふりをしていただけで、フラっとその辺を歩いていても不思議じゃないと言うものもいるが、下らん。アレは研究者ではあるが戦士ではない。特級の戦闘に巻き込まれたのだとしたら流石に死んでいるだろう」
「じゃあこれもその当時のヤツなんだよな。ええっと、じゃあ13年以上前のやつか。そのときからコレが一番性能がいいって?」
この式神はそのブルーマンが作ったモノを今でも使い続けているらしい。リッカさんも言っていたが、これを超えるものを今でも開発できてないというのだから、その才能は推して知るべきか。
「そうだ、圏士に比べればマシだが、瞳士も人員の減少は免れていない。だが、それでもなお優秀な人員は多い。だというのに、コレ一匹を複製することさえできないときている。使える以上は使っているが、嫌気が差す」
稀代の天才、もとい天災。白衣を着た台風の目。年間予算の半分は実験事故補填用。日1で発生する主任対策会議。指一本しか使ってない癖に式神を百匹以上操っていた。なんて噂やらはおれでも聞いたことはあるが、そんなに凄い人だったのか。
いや、噂の時点でまっとうな人間性してないのは伝わってくる。
多分あれだ、笑顔で鼻唄しながら、常人には理解できないヤバイ物ばっか作ってるような人。興味はあるが、会ってみたいかと言われるとちょっとなぁ。
「もしも会ってみたいなどと考えているならやめておけ」
「な、なんだよ。別に興味がないわけじゃあ、……ないけどさ」
「ハイネ様はご存じなのですか?」
「……ああ、…そうだ、あのバカげた顔は忘れもしない。何時も変わらずヘラヘラと、誰も彼もを絶望に叩き落すあの姿…っ。ああ思い起こすだけで腹が立つッ!」
「うおっ?!」
昔に嫌な思い出でもあるのか。
思い切り立ち上がった拍子に椅子は転がり音をたて、驚いたおれの手からはうさぎが脱走。余裕綽々に毛づくろいを始めている。
ほかに客がいなかったから目立つ事態にはならなかったが、下手に討滅局の好感度下げるのはやめてほしい。
「な、何をそこまで怒っとるのだお前はっ」
「はぁ…、はぁ……っ。まったくロスト、嫌なことを思い起こさせてくれたな。
「おれのせいかよ。ってか一体何が…」
「それ以上は聞くな」
「いやでも——」
「聞くな」
「……はい」
あまりの圧力に敗北する。というか、事実ハイネはおれよりも実力があるのだからこの結果は当然のことだった。
(いっつもコイツが怒ってるのも『代償』のせいだったりしてな。…本当にありそうだから口には出せんが)
「大きな音だったけどなんだったかしら。私も耳が悪くなったかしらねぇ」
「ああ、すみません。ちょっと椅子こかしちゃって」
「あらそうだったの。女の子なんだから気を付けてね。怪我でもしたら大変だわ」
「………」
「ハイネ」
「…言われなくても分かっている。すいません、……ありがとうございます」
「はい、どういたしまして。それとお待たせね、お嬢さん。オマケでお菓子を付けておいたからあとで食べて頂戴」
「ありがとうございますオーナー。アナタに祝福がありますように」
「ふふ、こんなおばあさんにも祈ってくれるのね。ありがとう。もう他のお客さんも来なくなってくるからゆっくりしてくれて大丈夫よ。何かあれば呼んでくれて構わないから」
「ありがとうございます。それではお食事をいただかせてもらいます」
「はい、それじゃあね」
どうやらアイリスは気に入られたらしい。いつも柔和な表情のお婆さんだが、それがより深くなってる気がする。年齢的にも孫みたいなもんで、素直なアイリスは可愛らしいんだろう。
「ってか、量が多くねえか?」
「確かに。目算では四人分あるかと」
「流石に人数間違えないよな」
「ああ、そこまで耄碌していない。おそらく死ぬまであのままだろう。それに、人数は間違ってはいない」
「ん? 誰か呼んでるとかか?」
「さっきからいるだろう」
「さっきから? ………まさか」
「古い図鑑で見たことのあるうさぎは草食だったと記憶しているのですが」
「知らん、設計者に聞け。理由はさっき言った通りに不明だ」
「式神なのに飯食っとる……」
机に置かれた四人目の食事。そこでは器用にもナプキンを首に巻き、身体の半分もあるナイフとフォークを使って食事をとるウサギの姿だった。
しかもうさぎなのに肉を食ってる。例の天災様は何考えてこんな作りにしたんだ……。
疑問は残るし、本人から話を聞けたところで納得はできないだろうが分からない以上は流すしかない。仕方がないのでおれ達も飯にするとしようか。
「ハイネ様はお若いながらに一級圏士と聞いております。アナタのような方にお力添えいただければ、明日の任務も安心できます」
「私の主目的は『穢れもどき』の調査だ。襲われるような事態になれば自分の身は自分で護れ。そこまで面倒を見る必要も無い」
「おいおい、それっておれもか?」
「当たり前だろう。庇護される立場に置かれたからとはいえ、その身分をただ享受するだけの人間に何の価値がある。生きるために戦うくらいはして見せろ。その上で命を落としたというなら仕方ない。大人しく成仏することだ」
「ひっでぇ、何のための組織間の取り決めだよ」
「灯日周辺、更に言うと今回の任務対象範囲である神域の森は討滅局の管轄となっております。その場所を外部組織である教戒に勝手に動かれるわけにはいきません。かつ、『原型』を共有する関係性である以上、組織間の信頼を取り持つことは最低限の条件でした」
「つまるところは、お互いの縄張りで好き勝手しないように見張りつつ、これからも仲良くしていきましょうね、ってことか。組織ってのは面倒だね、所属してるおれがいう事でもないかもだが」
「かもではない。圏士を名乗るなら死ぬ前に誰かを生かせ、欠片でも役に立ってから死ね」
「はは…、そりゃそうだ。そういう仕事だ」
「その前に。略式契約程度はこなせるようになってもらわねば戦力にはならんがな」
「ぐ……」
「ご安心くださいロスト。いざとなれば私が身を以ってお守りします」
「ぐ…っ」
「ロスト?」
「ふっ…、貴様…、教戒の人間にしてはマシかもしれんな」
「?」
「オイそりゃどういう意味だよっ!」
「胸に手を当てて考えるんだな。それで分からなければ医者に掛かれ」
「くっそぉ、『具象契約』出来るからって言いたい放題だな。ったく……」
「なに、精々鍛錬を怠らんことだ。もがけば見える地平もあるだろうよ」
「……発破かけるなら最初からそう言ってくれ。そんな言い回しだから避けられる」
結局、ハイネとはこういう女だ。
いつも機嫌が悪くて他者に対して傲岸不遜、礼節はあるが礼儀は無視する唯我独尊。なんて思われちゃいるが、実質は口が悪くて遠回りなせいで言いたいことに到達するまでが長い。
マイペースも過ぎれば対話の悪循環しか生まないと来た。
だから、最後に伝えるべきたった一言の本題にたどり着くまでに全員が会話から離脱する。
「いっつも思うが、…損な性格してんなお前」
「放っておけ」
「ですが他者を認め、導こうとする精神は討滅局に在るべき思想です。その点で言えばハイネ様は圏士を体現された方かと」
「言うねアイリス、そこまで他人をべた褒めする奴初めて見たぞ」
「貴様ら、もういい。…下らん話を止めろっ」
不機嫌そうに顔をしかめ、ふいっと顔を逸らすハイネだが、その顔は少し赤みがかっているのだから割と照れ屋なのだコイツ。
「キリエとジャイロとももう少しまともに話してやれよ。同期なのにビビられてんぞ」
「…それこそロストと同じことだ。実力に劣ることが悔しいなら鍛錬を積めばいい。ジャイロはともかく、キリエも筋は悪くない。数年かからず『具象契約』に到達するだろう。それにだ、同期如何にかかわらず性格の合わない人間と無理して交流を持つ必要がどこにある」
ハイネは三級圏士のおれやキリエ達の二階級上となる一級圏士だ。
である以上、『略式契約』を超える『具象契約』が発動可能であることが条件となる。この力で出来ることは文字通りの『具象』、神の失った世界に神を戻す一片の奇跡だ。
自身の契約する神格、英雄達の神話伝承における“神器”、または彼等が為し遂げた“神技”を模倣し、再現し、現世に降ろす。文字通りに次元を超えた異能。
生中な実力じゃ扱うことは許されず、無理やり使おうとすれば魂が耐えきれないから良くて廃人、悪くて即死。
そして、『具象契約』を行ううえで最も厄介なこと。それが『代償』だ。
曰く、力を与える代わりに使用者の最も大事なモノや運命を奪う。なんて聞くが、実際に体験したわけじゃないから何とも言えない。
更にハイネが同期の中でも特例だと言われる理由は、彼女が唯一の一級に所属しているからでもあるが、もう一つの大きな理由がある。
ハイネ・ルビアは討滅局に所属する瞳士と圏士を兼任している唯一の人材だ。話に聞くところこれは討滅局の数百年に渡る歴史において、初めての事らしい。そもそも圏士になるには『原型』を扱えるかどうかが最重要項目、それが無理なら道は断たれる。瞳士になるなら頭が良くないと役立たず。
つまるところ、討滅局に所属するのであれば、腕力に物言わせるか頭使うかの二択。
で、わざわざ両方やる奴はいない。人の命がかかっている以上、常に人手不足の我らが討滅局においてそんなことをやろうものなら一週間かからず倒れる。
倒れなくても圏士か瞳士、どっちかに集中するから維持するのは難しくて、結局やれたとしてもやろうとするやつがいない。仮にできたとしても、両方やるより片方に絞った方のが戦果も上がる。人命が常にかかっている以上、そこでの中途半端は許されることではない。
「ま、無理してまで他人と関わるのがおかしいってのは至極まっとうな意見だな。……てかお前から見てもおれって見込みないわけ?」
おれ自身のことは棚に上げつつ、ハイネ視点のおれへの評価を聞いてみよう。もしかしたらコイツにしか分からない何かがあるかも。
「…………、知らん」
「ねえのかよ!」
「ロスト、もしも討滅局をお辞めになられるのであれば教戒にいらっしゃいますか? 力を持つ者も持たざる者も、自分のできることを精一杯行い、力を合わせて日々を生きる。素晴らしい場所です」
「アイリス、……その悪意の無い瞳でおれを見ないでくれ。このままマトモに能力使えなかったとしても辞めるつもりはないし…」
なぜおれは引き抜きを受けているのかが分からなくなってきたが、辞めるつもりないから問題ない。…ないぞ?
口は悪いながらに話す内容をそれなりに楽しめていることを感じながら、食事は進んでいく。和気藹々、という雰囲気ではないが話を振るおれと正面から叩き落すハイネ、ちょくちょくズレた合の手を入れるアイリスというチームは、中々悪くないように思えてきた。
あらかた食い終わり、食後の茶を啜っていた時、ハイネがため息ともつかぬ息を吐くのと同時に口を開いた。
「しかし……、本当にロストが向かう必要があるのか? 『穢れもどき』の調査であれば、貴様と私がいれば十分だと思うが」
「確かにそうかもしれません。ですがこれは必要なことです。討滅局と教戒の公平性を保ち、信頼を確固なものとするために——」
「そういうことを言っているのではない」
「と、いいますと?」
「口にするつもりがないのなら聞きだすつもりもない。だが、ここは灯日だ。教戒のある日環ではない。精々分ををわきまえた行動をすることだ」
「ご忠告、感謝します」
「……」
おれには入り込めない空気を醸し出し始めたので茶を啜りながら目を逸らす。
ハイネが教戒嫌いなのはおれでも分かっていたが、どうにも筋金入りだ。
(つっても、聞くには聞けねえか)
人の事情なんて構わず、嫌がってようが無理やりにでも助けてやろうという非人道的な夢を持つおれでも空気は読む。それが本人にとっての地獄であったなら、わざわざ記憶の蓋を開けてやる必要も無い。
「さて、食事も終えた。私は行く」
「ん、引き留めて悪かったな」
「稀になら構わん。次もないだろう」
「偶にですらねえのかよ…、ってかそこで腹膨らませてるうさぎ持ってけ。店の物食いつくしかねん」
「しかし食事による体積の増加を起こす以上容量に限界はあるのではないでしょうか」
「式神のくせに物食うわ、外見に合わせず肉食うなんてうさぎは信用ならん。なんでかおれ嫌われてそうだし——、…ほらな」
「布巾を用意します」
机の上にのせていた手に、冷めたスープが掛けられている。スプーンでせっせと掬い上げている姿は端から見れば可愛らしいものだが、被害を受けてるおれからすれば厄介な毛玉以外に形容する言葉が思いつかない。
「この……っ、おれがなにしたってんだ、…よっ!」
「———っ」
隙を突く形で捕まえようとするが軽快な跳躍により回避、そのままハイネの肩に飛び乗った。のぞかせた顔に悪意なさそうな癖に耳を無駄にピコピコ動かしてるのは挑発のつもりか?
「式神にまで嫌われるとは、ロスト貴様。前世で何かやらかしたのか? 流石に私でもどうかと思うぞ」
「うっせ、言うな。てかソイツの所有者お前なんだからちゃんと面倒見ろよな」
「式神としての役目はこれ以上ないほどに果たしている。精々圏士としての仕事まで奪われないことだ」
「ぐぬぬ……」
少し腹立つが、これはハイネなりの発破掛けだと思うことにする。思うことにしよう、うん。
「ではな、ロスト。それと、アイリス・マトラ。金は出す、支払いをしておけ」
「おいおい、客にそんなことさせるなよな。って、無視かよー」
全員分の食事代を置いて颯爽と帰っていくハイネ。肩のうさぎは見えなくなる最後までおれへの挑発を怠らなかった。なんだアイツ、耳でも踏んづけたか?
残されたおれたちも、たった二人で長居し続けるのは店にも悪いだろう。折角ハイネが金出してくれたわけだし、貧乏人はありがたくお恵みにかなうとしよう。
「じゃあ先に外で待っててくれ、すぐ払ってくるから」
「かまいません、ロスト。この程度のことに誰が行うということもありませんので」
「ってアイリス、…いっちまった」
カウンターへ向かい、店員を呼ぶためのベルを鳴らして少しすると、店主でもあるばあさんがやってきた。そのままアイリスと話していたが、それもほどほどに切り上げると、おれたちはそれぞれ帰路へつくこととなった。
「なんだか、悪かったな。まともな案内も出来なくて」
「いえ、非常に楽しめました」
「…そうか?」
「そうは見えないかもしれませんが」
「そういうことなら、まあいいけどさ」
本人がいいって言ってるならおれから口を出すことでもないだろう。出会ってからこれまでの一度たりとも、彼女の表情が目に見えて変化したところを見たことないんだが、ここまで冷静な奴なのも珍しい。
(周りにいる奴らは皆が皆個性豊かだからなぁ。…いや、アイリスのも個性とはいえるのか)
「どうかしましたか?」
「ああ、なんでもない。色んな人がいるなぁってさ」
「確かに、私は日環においても教戒においても奇異の目で見られることはありましたから。おかしなことは自覚していますし、わざわざ気を使っていただく必要もありませんよ?」
「そういうんじゃないって。まあ、確かに? アイリスみたいな性格は珍しいと思うけどな。良いんじゃないか、そういう珍しい性格が何人かいる方が楽しみも増える」
「楽しみ…、そうですか。ロストはこういった少数派を好む傾向にあるのですね」
「……そういうのでは、無いと思うけどな………」
昨日は疲れで眠ってしまっていたし、夜遅くまで連れ歩くのも悪い。
アイリスにはさっさとキリエの部屋にお邪魔してしっかり休んでもらうとしよう。明後日までに身体を壊そうものならアイリスにも悪いし、おれも怒られる。
…というかこの場合、例の組織的信頼ってのはどっちが責任持つんだ?
月が照らす小道を征くは黒の男と白の少女。他愛のない会話とくだらない思考は緩やかな風に乗って夜の闇へと融け去っていく。
「ん?」
その時、一際冷たい一陣の風が通り過ぎて行った。まるで、何かを伝えるかのような……。
「…ロスト? 立ち止まってどうかしたのですか?」
「あ、ああ……。いや、気のせいだ。…と、おもう」
「何かあればお声がけください。お力になれるのであれば本望です」
「はは…、別に大丈夫だよ。ちょっと悪寒がしただけだ。最近は日が落ちると急に寒くなるしな」
「でしたらこちらの上着を———」
「いい、いい。アイリスに風邪ひかれたらそれこそ敵わねえ。大丈夫だよ、これくらいじゃ体調崩すにも程遠いから」
「分かりました。ですが体調にはお気を付けください。任務のこともありますが、ロストの体調不良による討滅局の戦力減少は望むところではありません」
「そりゃそうだ、いないよりはマシってな。ま、あったかくして寝ることにするよ。心配してくれてありがとうなアイリス。キリエとかハイネにも見習わせたいね」
「何をよ?」
「そりゃあ他人に対する真っすぐな親切心とか、な———?」
ちょっと待て、アイリスはそんな言葉遣いしない。と、なると……。
「こんばんはキリエ。今夜もお世話になります」
「うん、こんばんはアイリス。それと、ロスト・ヘリオールくん?」
いつの間にか家に着いていたらしい、しかも部屋の主が同着ときやがった。元気そうなのは何よりだがおれに対する視線がやけに痛い。
「…そのくん付けはあれか? せめてもの努力だったり?」
「あらやだわ、私はいつも通りの言葉遣いをしているだけでしてよ?」
「……似合わねえ」
「何か言った?」
「いえ、何も」
「ああ、アイリス。じゃなくって……。ま、いっか。それにしてもちゃんと案内してもらえた? ロストなんて必要な買い物の時以外は訓練しかしてないでしょうから、観光名所自体知ってるようには思えないんだけど」
「………ぐ」
反論できるものならしてみたいが、事実だから不可能だった。……よし。
「いえ、今日は大変楽しませていただきました。ロストには感謝してもし足りません」
「そこまで表情変化なく答えられると変な感じね…。でもま、アイリスは嘘つかなそうだし、それなりにガイドの才能があったって事かしら。ね、ロスト。……ロスト?」
「今日も任務おつかれっ、それじゃあアイリスのこと任せたからなー!」
「……いつの間にあんなところに」
「おやすみなさいロスト。お体にお気を付けください」
二人の目を盗んでとっとと立ち去るおれの姿はきっと、多分、ほぼ…いや間違いなくダサい。が、寒空の下で長話するのも悪い。キリエは任務帰りでアイリスに疲れを残すわけにはいかない。
「あとおれは日課が残ってる、ってな」
身体を温めるついでに走って帰る。一日身体を動かさないでいるのはどうにもいけない。ただでさえマトモに能力使えないのだから腕っぷしくらいは使えるようにならないと意味がない。
「寝る時間考えても走り込みと素振りくらいはできるか。基本は大事だ、うん。ミカもそう言ってた」
任務に行ったきり姿を見なくなった教育係のことを思い出す。
ミカの教えは単純だ。単純すぎてどうすればいいのかが分からない。
『皆を護ることができるくらいに強くなること』、本当にただそれだけだった。そのための努力は惜しまないこと。剣を振り、身体を鍛え、神格の力を扱えるようになる。
自分が強くなるだけではない。他者を護る為の力を持つというのなら、どれだけ強くなっても足りないから。
毎日のようにおれをボコボコにする傍ら何度も聞かされた教え。毎日毎日、強くならねばならないと。そのための努力を怠けることは許されないと。
おれが圏士でありたいと願うなら、絶対に忘れてはならず、絶対に呑み込まれてはならない。
そう言っていた彼女の表情はおれではなく過去を見つめているような、どこか寂し気な影を宿していた。
「何があったかまでは聞けなかったな、そういえば」
そんな顔されたら何があったのか、なんて聞くに聞けない。
でも、まあ。
圏士をやってくのに必要な、おれなりにやるべきことは定めることができたからそれでいい。
「鍛えりゃいいんだろ、鍛えりゃ。なんたって使えもしない代償契約に頼ってられないからな」
異能に頼れないなら身体を鍛えるしかない。
一つのことが出来ないからって全部諦めるなんて馬鹿らしい。決して道が閉ざされはしない。薄かろうが細かろうが、進むべき道はどこかにあるはずなのだ
皆を護る為に強くなるというのなら、大事なのは諦めない心が大事なのだろう。多分さ。
「さぁってと、今日も頑張って鍛えますかね」
だから今日も頑張ろう。ハイネがいる以上は次の任務で役立つ状況なんてないとは思うが、だからってなにもしないわけにもいかん。本当にそうなったらハイネにどやされちまう。
「となると、ノンビリしてらんねぇなっ」
加速をつけて月夜の下をひた走る。一日何回何時間とか、どうすれば効率がいいとか、そんな鍛え方は性に合わん。やれるだけやる、それでいいだろ。
「よしっ———、……っとと」
だけど、目の前に現れる小さな影一つ。
気づかなければ蹴飛ばしてしまいそうだったソレは、赤い瞳をこちらに向けながら毛づくろいをしていた。
『ロスト、聞こえているな』
「何の用だよ、ハイネ」
式神から聞こえてくる声は当然ハイネ。その声は問いかけながらも断定しているような、つまりは実に彼女らしい言葉遣いで。
『話がある、観測室へ来い』
またしても一際冷たい風が吹き抜ける中、おれはハイネに呼びつけられた。
『本編について』
・式神ウサギ
前作にも登場したナキ・ブルーマンの使っていた式神の残り一匹です。
他の式神に比べても自我を持っているかのような行動が特徴で、ベテラン瞳士からは「あの式神を見る度に主任を思い出す。私はツライ」という感情を持たれたりしています。
何がツライのかは人によります。
『定期連絡』
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