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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第二幕 日陰者達のマスカレイド
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あわれなものたち Act4

「ちょっと落ち着いた?」

 歌が終わり、感情を吐き出しきったらしい彼は、あのあと突然上空でバランスを崩して落下し始めた。体力を使い果たして変身が解けかかっていたようだ。気づいた俺があわてて受け止め、適当な建物の屋上に着地して今に至る。二人とも格好が格好だから、お店の中に入るわけにもいかないのだ。

「……だっせぇ」

 決まり悪そうに俯いたまま、こすもくんが呟く。目深に帽子を被った彼の肌には、まだうっすらと鱗が残っていた。尾びれになっていた足も半端にくっついて、動かしづらそうになっている。支給された「薬」を使ったあとは、こうなることが多いのだそうだ。これでもマシな方らしい。

「そのままじゃ、しばらく歩けないよね。もう少しこの辺で休んでいこうか。送っていけたらいいんだけど」

「あんたボクらのアジトまでついてくる気かよ」

「……そうだった」

「はぁ、いいよ別に……エルフィいるし。負けた相手にこれ以上世話焼かれるとか、なんかすげーヤだし」

「ご、ごめん。人通りが減ったらすぐ降ろすから」

 こすもくんは今の状況をみどりちゃんに伝えているのか、スマホのチャットアプリをいじっている。……やっと、深い深呼吸ができるようになってきた。俺も、彼も。

「……あんたはさ」

「ん?」

 画面に視線を落としたまま、彼はおもむろに口を開いた。

「ラクルイになった、きっかけっつーか……初めてなった時、なんでなったのかとか、覚えてんの?」

 どうしてまた、急にそんなこと訊くんだろう。不思議に思ったが、こすもくんの方から質問されるのはこれが始めてだった。彼にとっては大事なことなんだろうか。

「……まあ、ね。ついこないだのことだし」

 思い出したくはなかったけど、俺は聞かれたことにだけ簡潔に答えた。

「そっか……あんたもそうなんだな」

 こすもくんは、どこか寂しそうに俯いていた。ぼんやり爪先の方を眺めながら、こすもくんはぽつりと呟く。

「……ボク、覚えてないんだ。初めて変身した時のこと」

「どうしてラクルイになったかわからない、ってことかな」

 うん、と、素直に頷く彼。

 あたりはすっかり暗くなり、冷え込んできている。膝を抱え、口もとをそこにうずめるようにしながら話す姿を見て、初めてそのことに気づいた。俺の姿がこんなじゃなければ、上着とか貸したいんだけどな——そう思ったが、今はどうにもできない。

「気がついたら『こう』だった。親もたまにしか帰ってこないから、涙とか姿が変になってても、自分じゃ気づけないんだ。うちは鏡になるようなもの全部、ゴミで埋まってたし。

食べるものがなくて、外に出て、会う奴会う奴に悲鳴上げられてさ。わけわかんなかった、誰も何も教えてくんないし……どうにかわかったのは、周りの大人は誰もボクの味方じゃない、誰も助けてくれないってことだけ」

 王様以外はね、と自嘲的に付け足して、体育座りの小さな身体に力がこもる。体制と帽子の陰で顔は見えなくても、あの悔しそうに唇を噛む表情が目に浮かぶようだった。

 風が冷たい。少しでも暖を取ってあげたくて身体を寄せようとして、ラクルイは普通の人よりかなり体温が低いらしい、と聞いたのを思い出して思いとどまる。

(……さっきから何がしたいんだろう、俺)

 どうしてこすもくん達が、こんな目に合わなくちゃいけないんだろうと思う。そんな八方塞がりな状況でエピファネイアしか頼れないなんて間違ってる、どうにかしてあげたいと思う。いや、「してあげたい」ってなんだ。同情でもしてるつもりか? なにもかも俺にはどうすることもできない問題ばかりなのに。

 せっかく話してくれたのに、俺は無力だ。相槌の最後は、

「……辛い中、本当に必死に頑張ってきたんだね」

 なんて、感じたままを言うのが精一杯だった。


 そのあとみどりちゃんとの連絡がつき、俺はこすもくんを連れてビルから降りた。地上で待っていたみどりちゃんは、俺たちが二人とも無事帰ってきて安心したようだった。

「ら、ラクルイ同士が戦って、……お、お互いい、意識のある状態で戻ってくること、な、なかなかないのよ。や、やっぱりあなた、ちょっと、か、変わってる……」

 まだ少し足取りがおぼつかないこすもくんを、慣れた様子で支えに回るみどりちゃん。「ごめん、失敗した」「き、気にしないで。無事でよかったわ」と軽く交わすやりとりも、友達や兄妹のように仲良さげに見える。

 ——もしエピファネイアがなかったら。さっき聞いたような境遇のこすもくんが、心を許せる仲間を得ることもなかった……のだろう、きっと。

 けれど、この子達の人生はまだ続くのだ。エピファネイアに大切な人を殺されて、恨みを持った人の人生も同じように続く。

 俺のように。

「ねえ、二人とも」

 それじゃあ、と別れを告げたあと。何気なく呼びかけると、みどりちゃんがビクッと跳ねて勢いよく振り返った。

「なな、なに、どうかしたのかしら」

 相変わらず怯えたような挙動だ。少しは仲良くなれた気がしていたんだけど……。苦笑しつつ、俺は咄嗟の思いつきを口にした。

「……連絡先、教えてくれないかな?」



 玉響総合病院には、一般の患者が立ち入ることのできない、エピファネイア専用のエリアが大きく分けて二つある。

 一つは、《王様》やそれに近しい者が居住する最上階。新しいラクルイを組織に迎える儀式をするための「ミサ」会場も、同じ階にしつらえられている。

 もう一つは最深階——表の病院の院長である扇=ヴィクトールが、ラクルイの人体実験をするための研究施設であった。

「確かに、それはちょっと怪しいかもしれませんねぇ」

 誰に頼まれて始まったわけでもない、少年ラクルイ・クロウからヴィクトールへの日次報告。ほんの気まぐれでふらりとそこへ顔を出したジャックは、いつにも増して深刻なその場に「運良く」居合わせることとなったのである。

「ウチからのラクルイの裏切りは、それこそアルジャーノンの前例がありますし。重要な報告ご苦労さまです……クロウ君」

「はいっ!」

 研究室・実験室の隣には、人前でラクルイに変身してしまった、その前段階の黒涙症状が発症した、などの理由から、肉親に見捨てられた子どもたちを保護する名目の簡易的な養護施設や専用病棟が併設されている。

 クロウは——そして今、話題に登っているエルフィとピーターも——まさにその筋の子どもだった。

「……二人と仲の良い君が言うのだから、間違いないのだろうな。彼らが組織外のラクルイと、不審な接触を繰り返しているというのは」

「ええ……信じたくないことですが」

 エピファネイアの《勧誘》は通常、構成員二人以上のグループで行う。薬でラクルイに変身する者と、周囲を警戒したり変身者をサポートしたりする者とで役割を分担するためだ。まれに、スカーレットやピーター等、特に《勧誘》向きの能力を持つ一部の例外は単独で行動することもあるが——もっともこの両者に関しては、「規則だから」と注意して聞き入れてもらえるかどうかも微妙だ——、ともかくエピファネイア内では、よく一緒に行動するペアやグループ等が固定されている。ジャックのグループにエルフィが属しているのがまさにそうだ。

 近頃は役者業でジャックが顔を出さなくなり、暇になったエルフィがピーターと組んで出歩くようになった。それだけなら特にどうということもないが、クロウはどこか不審なものを感じ取ったらしい。あるときこっそり後をつけてみたところ、電話でこんな会話しているのを聞いたという。

 ——「どうして《王様》に出会うより前、ボク達のそばに、あんたみたいな人は一人もいなかったんだろうな」。

「流されやすいところのあるエルフィならともかく、ピーターがそんなことを言うなんて異常です。戦いの途中、アルジャーノンの一派に唆されたのかも……」

 大まかに話を聞いたヴィクトールは「ふむ」と考え込む。

「妙だな。仮にアルジャーノン本人の関与なら、構成員と何度も会ったりせずすぐに殺しにかかるはずだが。交戦の形跡もないとなると……今最も危惧すべきは、二人が《シャドウ》と接触している可能性か」

 (《シャドウ》……。ああ、そういえばうちの《鏡》が、最近そんなことを言い始めたんでしたっけ)

 ジャックは他と違い、エピファネイアが大切にしている神話とやらに一切興味はない。あるのは予想外の展開に対する、組織内外のラクルイ達の「イイ表情」だけだ。

 とても興味深くて、おもしろそうなことの気配がする。ジャックはちろりと唇を舐めた。

「どうします? もし仮に……その《シャドウ》と、アルジャーノンが繋がっていたとしたら」

 ヴィクトールがわずかに眉を顰める。

「ジャック、根拠のない憶測はよせ」

「あれ、ご存知ありません? あの人最近は寂しいのか知りませんけど、劇団のコ達とかめちゃめちゃ可愛がってますよ。もー、たまにはちゃんと様子見てあげてくださいよ。だってアルジャーノンは——貴方の実験の失敗作でしょ?」

「……確かに、そろそろしつけ直す必要はあるかもしれんな」

「アルジャーノン……恩を裏切り、ヴィクトール先生のお手を煩わせるなんて万死に値します! 俺だったら死んでもそんなことはしないのに……!」

 クロウが鼻を鳴らして抗議する。彼とアルジャーノンは直接面識がないはずだが、組織を抜けてなお「ヴィクトール先生がご執心」の相手がとかく気に食わないとみえる。単純に、自分の前で全く関係のない話をされるのがつまらないのかもしれないが……。やる気がこうも空回っていると、はたから見ている分にはいじらしく面白い。

「ねぇ、お二人とも。僕、ちょっと思いついちゃったことがあるんですけど、協力してくれませんか?」

 ——ここまで来ればもうひと押し。近頃はお利口に表の仕事をしていた分、こっちで楽しまなくては。大丈夫、経験則上、ヴィクトールは結果さえ出せば手段は問わないのだ。

「……話くらいは聞こうか」

「もちろん、俺は先生のご命令ならなんでも」

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